彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

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第九十四話 決戦1

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 存外に頑強な抵抗にメフメト二世は苛立ちを隠せない。
 ワラキアの援軍が望めそうにないことを繰り返し喧伝しているが、コンスタンティノポリスの士気はいまだ軒昂を保っていた。
 なかでも傭兵あがりの指揮官が目に見えて手ごわい。
 彼の統率する兵の粘り強さはその他の守備兵とは明らかに違う異彩を放っている。
 このまま戦いが推移すればあの指揮官は後世にその功名を残すだろう。
 それがメフメト二世には許せなかったのだ。
「弩の射手が討ち取ることでしょう。永遠に集中できるものなどいません。いずれにせよ時間の問題かと」
 落ちついた声で諌めたメムノンも声ほどに落ち着いていたわけではない。
 もし万が一コンスタンティノポリスが陥落しないようなことがあれば、自分の政治的立場の失墜は確実だからである。
 ヴラドの来寇を予想しながらそれをはずしたことで、すでにメフメト二世には少なからず不興を買ってしまっていた。
 このうえ二十万の大軍で帝都が落とせないとなれば、オスマンは全世界に恥をさらすようなものだ。
 誇り高いメフメト二世が、作戦の立案者である自分を放っておくはずがなかった。
 とはいえ理性の部分は、コンスタンティノポリスの陥落はもう間近であると告げている。
 すでに敵の消耗が限界に近づきつつあることは、反撃の砲声や銃声がまばらになっていることからも伺えた。
 あと少し、あと少しなのだ。
 これで上級指揮官が戦死するようなことがあれば、表面張力で保っていた水がコップからこぼれるように崩壊が始まるであろう。
「報告します! 弩兵が敵の傭兵指揮官の狙撃に成功しました!」
 待望の報告にメムノンは戦機が熟したことを悟って会心の笑みをうかべた。
 損害を省みず総攻撃をかければ今度こそ勝利は目前であろう。
 やはり自分の計算に狂いはなかった。
 損害も許容の範囲内であり、コンスタンティノポリス占領後ヴラドを叩き潰すべき戦力は十分である。
 全てはただ順番が変わっただけのことに過ぎない。
 だが、報告は吉報ばかりではなかった。
「ワラキア公国軍およそ三万が海岸砲陣地を襲撃しています! 一刻も早く来援を願います!」
「馬鹿な!」
「ありえん!」
 メフメト二世とメムノンは期せずして振り返り、ともに後方の彼方に目を凝らした。
 よくよく見れば確かに砲煙らしきものが上がっていた。
 いったいどんな魔術を使ったら、ブルガリアにいたワラキア軍がコンスタンティノポリスに出現できるのだ?
 ヴラドよ、お前はいったい何者なのだ? まさか本物の悪魔だとでもいうのか?
 耳を澄ませば砲声の轟きが微かに聞こえてくる。
 どうやら味方の砲撃の轟音に今までかき消されていたようだ。
 まさか戦線の後方から万余の軍が出現するなど誰も考えていない以上、発見するのが遅れたのも当然だった。
 あまりにも想定の範囲外のできごとにしばし呆然とするメムノンとは対照的に、メフメト二世が下した判断は明快なものであった。
「どうやって来たかはしれぬが余の方針は変わらぬ。ワラキア公を戦場で撃滅する。それだけが真実だ」
 もとよりコンスタンティノポリスを餌に、ワラキア公を釣り上げ討ち取るために練られたのが今回の作戦である。
 この期に及んで作戦を変更する理由は何もない。
 メムノンは自分の醜態を深く恥じながら主君の命令を復唱した。
「全軍をワラキア公国軍へ向けよ。決戦の秋は来た!」
 オスマンとしては四つの兵団に攻城の指揮を分けていたことが幸いした。
 機敏な反撃を取るにはオスマンの兵はあまりに巨大にすぎたが、少なくとも初動において最も東に展開していた兵団を急行させることはかないそうであった。
 不幸にもワラキア軍に近い位置にいたのはオスマンのガレエル・パシャ率いる兵四万である。
 もとよりオスマンの実働戦力全てを投入できるほど戦場は広くない。
 まずはワラキアの鋭鋒を図り、その消耗を引きだすのがガレエルの役目であった。
「全くとんだ貧乏くじだぜ………」
 ガレエルとしては舌打ちを禁じえない事態であった。
 ようやく攻城から退避して休息をとれるかと思ったら、今度は野戦のよりにもよって先鋒である。
 しかも軍議のなかで先鋒に与えられていた熾烈な任務をガレエルは知っている。
 すなわちイェニチェリの突撃までに、兵団の命を的にしてワラキアの火力を消耗させることが求められていたのであった。
 もちろん火力を失わせるものは兵員と弾薬の損耗であり、ワラキア軍兵の漸減が図れない場合、その命を盾に弾薬を消耗させなければならない、
 いわば人身御供のお鉢が回ってきたとあれば、ガレエルでなくとも愚痴のひとつも零れるものであろう。
 だが、万難を排して軍を動かさなくてはならない、それも出来るかぎり速く。
 ガレエルの瞳には、いち早くコンスタンティノポリスから後陣に展開しつつある督戦隊の黒衣が写っていた。
 味方に殺されるくらいなら敵に殺された方がまだましであろう。
 彼らは敵よりも無慈悲で残酷な、振り下ろされる死神の刃なのであった。
 あまりに想定外の出来事に鈍っていたメムノンの頭脳も、ここでようやく回復しつつある。
 どうやらしてやられたようだが、ワラキア軍の総数三万弱という数字は変えられない、それがわかってさえいればいくらでもやりようはあるのだ。
 信じがたいことだが、ワラキア軍は海からやってきたのは違いないだろう。
 アドリアノーポリを伺うワラキア軍はおそらく擬兵だ。そうでなければ偽の情報操作であるはずだった。
 ブラショフ攻略戦においてヴラドは一度この偽報の計を使っている。
「この時を待っていたぞ………ヴラド……!」
 もちろんしてやられた悔しさがないわけではない。
 しかしメムノンの胸にはただ歓喜があった。
 あれほど憎悪し、その破滅を願った相手を目の前にして震えがくるほどの歓喜の高ぶりをメムノンは押さえきれずにいた。
 ヴラドの小賢しい知恵を自らの力で圧倒する瞬間を、まるで恋人の逢瀬であるかのようにメムノンは待ち続けた。

 オスマン軍の戦術構想は単純なものである。
 もとより雑兵が大半を占めるオスマン軍に高度な機動性は望むべくもない。
 ワラキア軍の頼みはただ火力の高さにあり、火力が失われれば兵数の差は絶対的な意味を持つ。
 ならばワラキア軍の火力を消耗させることが出来れば問題の解決は容易いのではないか。
 雑兵を弾除けと割り切って突撃させ、向上したオスマン軍の火力をもってワラキア軍の漸減を図る。
 その非情な戦術を運用するための切り札が督戦隊の存在であった。
 ヴラドは、最愛の弟ラドゥの脅威によって滅びを迎えるべきなのである。

 ワラキア公国軍は全軍をほぼ四つに分けて編成されていた。
 本隊としてゲクランの統率する常備軍主力が一万五千、タンブル率いる砲兵部隊が三千、ネイが率いる公国近衛部隊が三千、総予備として五千の兵力をベルドが預かっている。
 残念なことに騎兵はいない。海上揚陸をするためには馬の輸送は負担があまりに巨大すぎたのだった。
 ほぼ欠けることなく布陣を終えた二万六千にも及ぶ兵力は、掛け値なしワラキア公国軍の全力であった。
 この戦のためにヴラドは国庫の貯蓄を完全に干上がらせることを決意していた。
 それほどにワラキア公国軍の火力戦は経費を浪費するものであり、また公国以外の国に対する支援にも手を抜くことは許されなかったのだ。
 母なるワラキアとハンガリーに残してきた兵力は、老兵や若年兵が五千に満たぬものでしかない。
「公国の興廃はこの一戦にあり、各員一層奮励努力せよ、ってとこだな」
 オスマンはともかくワラキアにとって敗北は滅亡と同義に等しい。
 もちろんオレは自分の愛する者たちのために必ず勝つつもりであったし、戦の敗北が戦争の敗北に繋がらないだけの手配りを整えたつもりでもあった。
 それでも破滅への危機感はいささかも拭えるものではない。
 二十万という数の暴力は、ヴラドをして背筋を震わせるほどに圧倒的なものなのだ。
 傍らでオレの手を握りしめてくれているヘレナのおかげで、かろうじて醜態をさらさずにすんでいる。
 この暖かな手を守るためにも敗北するわけにはいかないのだった。
「悪いが戦争のルールが変わった、ってことを教えてやるよメムノン、それにメフメト二世よ」
 喉はひりつくように渇き、顔はまるで蝋人形のように血色を失っているのがわかる。
 まるで高地に登ったような甲高い耳鳴りが、脳髄への酸素が足りぬとわめきたてているかのようだった。
 気がつけば息をするのも忘れていたらしい。
 そんな極限の緊張のなかでただ口元だけが妙な角度でつりあがっていた。
 ――嗤っているのか? 俺は?
 喉の奥でくぐもったような笑い声が断続的に空気を震わせている。
 おかしい、これほどに怖くて逃げ出したいほど恐ろしいのに、何故こんなに楽しくてたまらないのだ?
 意識の奥底で狂喜に踊る、まだ少年の未熟な魂が叫んでいた。
 復讐を! オスマンに、メフメト二世に、メムノンに、この世界のあらゆる理不尽に、ただ渾身の復讐の鉄槌を!
 わかっているとも、ヴラド。今こそ俺たちが目指した、復讐劇の晴れ舞台なのだということは。
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