彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

文字の大きさ
上 下
88 / 111

第八十八話 鎧を着た豚の系譜

しおりを挟む
 オスマン帝国の同盟国である黒羊朝の戦いは順調である。
 かつては中央アジアの覇者として、オスマン帝国のスルタンすら捕虜とした斜陽の大国、ティムール朝を支える名臣も存在しない。
 あるのはかつての大国としてのプライドだけであり、それが組織化され統率されたものでないかぎり、恐れるべきなにものもないのは自明であった。
 現代ではアフガニスタンの北辺に位置するマザルシャリフにおいて、アブーサイードと対峙するジャハーン・シャーはこの機会にサマルカンドまでをも征服するつもりでいた。
 守勢に回っているとはいえ、ティムール朝の兵力は黒羊朝軍の半数に満たない。
 この程度なら、スルタンに乞われて兵一万を援軍として送っていたが、もう一万増やしていても良かったかも知れぬ。
 もしもサマルカンドを征服し、中央アジアに覇を唱えればオスマンはいずれ決着をつけねばならぬ雄敵へと変わる。
 しかし今は、オスマン帝国に恩を売っておくのにこしたことはないはずだった。
…………今ごろはアナトリアの国境を超えたであろうか?
 オスマン帝国がこのところ火力戦を指向しているという情報は受けている。
 それが今度の戦でどのような働きを為すのかによって、黒羊朝もまた戦略を変更する必要に迫られるだろう。
 派遣軍の主将ジェリド・ギィムシェは学者でもあり、援軍であると同時に今後の戦を見通すための観戦武官の役割を与えられていた。
 暗愚とは程遠い位置にいるジャハーン・シャーは、近い将来におけるさらに大きな大戦へと思いをはせていた。
 彼もまた、メフメト二世と同じく英雄に憧れるひとりの男であるのだ。
 もっとも、その思いのなかに年若い小国の君主が入り込む余地は今のところないようであった。


「ずいぶんと暢気なものだな」
 断崖から眼下を見下ろし、ウズン・ハサンは薄く嗤った。
 彼の視界には、オスマンに対する黒羊朝の援軍が、すっかり緊張を解いて行軍している様子が映っている。
 獲物として一万という数は少ないように感じるが、労せずして黒羊朝から奪える戦力としては決して低くものではない。
 もうじきオスマンの領域に入るとあって、まったく警戒の色を見せない敵を嘲笑って、ウズン・ハサンは手を振って指示を下す。
 両岸の砂丘から、ウズン・ハサンの合図に呼応するようにして騎兵が黒羊朝兵を半包囲するように近づいていった。
 行き足のついた騎馬の進軍は、敵襲を想定していない黒羊朝軍に見る間に肉薄した。
 果たして砂丘の上からの伏撃に黒羊朝兵は全く備えを欠いていた。
 気がついたときには、白羊朝の騎兵部隊が歩兵の背後をとっており、騎兵もまた側背に喰らいつかれていた。
「馬鹿な………白羊朝の裏切りか? こんなところで!」
 ジェリドはかすれた声で呟くことしかできなかった。
 白羊朝がなぜ黒羊朝に歯向かうのか全く理解できなかったからだ。
 強大なオスマン朝と黒羊朝を敵に回すのが、どれほどの愚挙かわかっているのかと絶叫したい気分である。
 ここで一万の兵が残らず骸と化そうとも、黒羊朝の兵力はまだまだ白羊朝の数倍は優に超えるのだ。
 ましてオスマン帝国が今回の戦で、コンスタンティノポリスを落として地中海一帯に覇を為すのは確実であった。
 両大国を相手に、弱小である白羊朝が生き残る確率を見込むのは不可能なようにジェリドには思えた。
 しかしそれはあくまでも黒羊朝臣下ジェリド・ギィムシェの思考にすぎない。
 当然ウズン・ハサンには別の思惑が存在する。
 黒羊朝への臣従をよしとしない自尊自立の民の長として、このまま黒羊朝がティムール朝を併呑することを容認することは断じてできない。
 戦うなら、勝機を見出すなら、ティムールとジャハーン・シャーが狭隘なマザルシャリフで対峙に陥っている今しかなかった。
「ここでオレに食われて糧となれ」
 弓騎兵とピストル騎兵で構成された白羊朝の軽騎兵部隊は、数の力と乱戦で遺憾なく発揮されるピストルの威力を生かし、見る間に黒羊朝の兵を減らしていった。
 乱戦の中では白羊朝と同じく軽騎兵を主力とする黒羊朝の槍騎兵部隊は全く役に立たない。
 逆にピストル騎兵はピストルの射程は短いが馬上槍よりは確実に長く、とりまわしが容易な分乱戦では予想以上の力を発揮していた。
 最初は剣と槍をピストルに持ち替えさせるのに苦労したのが嘘のような光景だった。
「恐ろしいな。全くあの男を敵にするものの気が知れぬわ」
 ピストル騎兵は確かに騎兵対騎兵の戦いには有効だろう。
 しかし歩兵対騎兵になればどうなるかはわからない。
 ワラキア公ならきっとピストル騎兵など無力化してしまう新たな戦術を、既に編み出しているような気がする。
 こうしてピストルを惜しげもなく供給してくれることがいい証拠なのではないか?
 いずれにしろウズン・ハサンにとって目下のところ、ワラキア公は味方であり、オスマンや黒羊朝以上に敵に回したくない男であった。
「まあよい、黒羊朝もティムール朝もオレの足元にひれ伏させてくれる! すべてはそれからだ!」
 そう叫ぶと、ウズン・ハサンもまた掃討戦に移り始めた戦場へと身を投げ出していった。


 一方そのころ、百年戦争も終盤にさしかかりノルマンディーを奪回して勢いに乗るフランスはパリにひとりの貧相な男が招かれていた。
「ベルナルド・デュ・ゲクラン罷り越しましてございます」
「………そうかしこまらずとも良い。ちと面白い噂を耳にしたので少し確認をしておきたかっただけなのだ」
 招かれた男のブルターニュにほど近いヴァリュゼのしがない小領主である。
 とうてい国王たるシャルル七世に、直接召しだされるような身分の持ち主ではない。
 ベルナルドは痩せ型の長身ではあるが、両手が異様に長いのが印象的な気の小さな男であった。
 もっとも、手の長さはあるいは家系の特徴であるのかもしれない。
 小心さを隠そうともせず、ぎくしゃくとあたりを見渡せば、衛兵の屈強な姿がなぜかどこにも見当たらなかった。
 しかもどういうわけか国軍の最高司令官であるアルチュール・ド・リッシュモン大元帥も国王の傍らにあるのがまた不審である。
 いったい如何なるわけがあって、自分のような凡夫が御前に召しだされるのかベルナルドには想像もできない。
「そなたには兄がいたそうだな、もちろん嫡出ではない。庶子のほうじゃ」
 確かに、無頼をもって近在に恐れられていた兄がベルナルドにはいた。
 もしかしたらあの傭兵に身を落としたと聞く兄が、王国に対してなにか無礼を働いたとでもいうのだろうか?
 シャルル七世はベルナルドの考えを正確に洞察して笑った。
「今そなたが考えたようなことではない。もし噂が本当ならそなたの兄は王国に利益すらもたらしてくれるやもしれぬ。その兄の外見とその後を客観的に語ってくれればそれでよいのだ」
 ベルナルドは恐縮しきっていたが、どうやら自分に罪が及ぶようなことはないとわかってぽつぽつよ過去の記憶を語りだした。
「兄、アレクサンドルは大力で近在では有名でした………猛犬アレクサンドルといえば貴族ですら避けてとおるほどの名うてのワルで………もちろんそんな男を我が家に置いておくようなわけには参りません。兄が十六歳のときに兄は父によって放逐され、領内の不貞の輩を集めて傭兵団を組織いたしました。その後の消息は知りません。最後の消息ではドイツから東欧に流れたということでしたが………もはや我が家の恥にしかならない男、気にも留めたことはありませんでしたので…………」
 リッシュモンがシャルル七世にうなづいてみせると、シャルル七世の笑みが深くなった。
「最後に兄の外見はどうだ? 何か目立った特徴はないのか?」
 ベルナルドは内心で疑問を隠せなかったが、国王の諮問に答えるために必死で記憶を掘り起こした。
「黒髪で碧眼、胴回りは太く一見肥満のように見えますが以外に敏捷でよく動きます。腕力は大の大人が三人がかりでも及ばぬほどで、丸太のように太くたくましいものでした。顔立ちは鼻が大きく頬のエラが張り出たごつごつとした凹凸が印象的といいますか………お世辞にも見栄えがいいとは言えぬ顔でございます。それとおそらく二の腕に父上に折檻されたときの火傷があるものと…………」
「どうやら間違いないようでございますな………」
 あきれたような声でリッシュモンがベルナルドの言葉を引き取ると、シャルル七世は腹を抱えて爆笑した。
 爽快感すら感じさせる気持ちよさ気な笑いだった。
「なんと……なんと冥加な家系もあったものだな。一族から二人も庶子の傭兵から元帥にまで成り上がらせるとは! 信じられるか? ベルナルド・ デュ・ゲクランよ! そなたの兄は、今や東欧の雄になりおおせたあのワラキア公国軍の元帥を務めておるのだぞ!」
「そんな――いや、まさかあの黒犬が??」
 忌まわしい記憶の彼方にいた兄が、昔のように自分を嗤っている気がして、ベルナルドは頭を抱えて惑乱した。


「ハックシュン!」
「おや、シェフどのも鬼の霍乱ですかな?」
「馬鹿言え、女が噂してるに決まってるだろ!」
 アレクサンドル=デュ=ゲクランは哄笑した。
 その豪快な笑いをたのもしげに見つめる兵たちの姿がある。
 彼らにとってこれから迎えるオスマンとの戦いは決して恵まれた状況にはない。
 ましてカントン制度で集められた青年の大半は初陣なのだ。
 その青年たちが自分を見てほっとため息をついていることに、もちろんゲクランは気づいていた。
 指揮官の陽気は兵に伝わるものだ。もちろん陰気はさらに伝わるのが早いので注意が必要である。
 思えば自分が十六歳で旗揚げした傭兵団の初陣も、似たような緊張を抱いていたことを思い出しながらゲクランは久しぶりの前線指揮に血を滾らせていた。
「どうってこたあねえよ。故郷から裸一貫で戦に出ることに比べたらな」
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた

黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。 その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。 曖昧なのには理由があった。 『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。 どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。 ※小説家になろうにも随時転載中。 レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。 それでも皆はレンが勇者だと思っていた。 突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。 はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。 ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。 ※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。

俺が死んでから始まる物語

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていたポーター(荷物運び)のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもないことは自分でも解っていた。 だが、それでもセレスはパーティに残りたかったので土下座までしてリヒトに情けなくもしがみついた。 余りにしつこいセレスに頭に来たリヒトはつい剣の柄でセレスを殴った…そして、セレスは亡くなった。 そこからこの話は始まる。 セレスには誰にも言った事が無い『秘密』があり、その秘密のせいで、死ぬことは怖く無かった…死から始まるファンタジー此処に開幕

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...