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第八十話 スルタンの処刑人

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 今のオスマン帝国首都、アドリアノーポリでスルタンの次に恐れられている男がいる。
「スルタンの処刑人」
 それが彼に与えられた綽名であった。
 スルタンの命により、反対派貴族、官僚を粛清するのが彼の役割であったからだ。
 メムノンの目指す効率的な官僚組織と人材登用は、旧来の階級社会を根底から覆しかねないものであり、これに反発する貴族たちは数多かったのである。
 しかし、彼らの反発がスルタンの心を揺らすことはついぞなく、失意にくれる彼らの前には処刑人の来訪が待っていた。
 美しく冷酷非情な処刑人は、一片の情すら見せぬと言われメフメト二世の恐怖の象徴として恐れられた。
「陛下、ベイレルベイ、ノウラトの断罪滞りなく済みましてございます」
 今日もまた、イザク・パシャの傍系を匿っていたとして、州知事の一人が処刑人である彼の手にかかっていた。
 拳銃と長剣で武装した男は氷のような美貌を微塵にも揺るがさず優雅にスルタンに平伏する。
「ごくろうであった、ラドゥ・ドラクリヤよ」
 メフメト二世は満足げに嗤った。
 純真で美しかった少年が、人として壊れていく様が面白くてならなかった。
 初めて人を殺した少年の絶望に歪んだ顔が、なんとも言えず美しかったのをメフメトは今も鮮明に覚えている。
 あまりにも多くの人間を殺しすぎ、月のように冴え冴えとした無表情になった今の美貌もまた、それに劣らず美しかったが。
 心を殺してしまわなくてはならぬほどに、この少年は情に厚く優しすぎたのだ。
 その健気な様子がまたメフメト二世の加虐心をそそらせるのである。
 そのうえヴラド三世の弟であるというのがまた良かった。
 躍進を続け、いまやローマ帝国の精神的支柱となった感すらあるあの男を汚しつくし、あの男の大事なものを全て踏みにじったうえであの男を殺す。
 その日を思い描けば、甘い疼きが背筋を駆け昇るほどだ。
「褒美をとらせるとしよう。湯浴みを済ませて余の寝室に参るがよい」
「御意」
 性技のかけらも心得ぬ男ではあるが、心を殺して何の感情も見せなくなった男に官能の嗚咽を漏らさせるのもひどく征服感をそそられる快事であった。
 いつもであればお気に入りの気の利く小姓に務めさせているが、心の猛った夜の閨を務めるのはこのところラドゥに決まっている。
 ヴラドをこそラドゥのように屈服させたいという欲望を、メフメト二世はラドゥを責めることで晴らしていた。
(スルタンたる余としたことが、歯がゆいことよ)
 いまだオスマン朝のスルタンとして君臨しなながら、ワラキアに対して宣戦できないのがよい証拠であった。
 欧州諸国、アジア諸国の間諜が工作と情報収集を終了して戻るまで、おそらく一年近くの時がかかるだろう。
 その間は政治と外交によってワラキアの勢力を削ぐことに努めるしかない。
 歴史に名を残す夢は変わらずメフメト二世の胸にある。
 しかし、ヴラドに勝つということもまた、メフメト二世の中で重要な夢になろうとしていた。 

 
 ところでイタリア各都市の仲の悪さはどうにかならないものだろうか?
 一向に改善しないイタリア情勢に俺は頭を抱えている。
 フランチェスコ・スフォルツァのミラノ継承にからんだヴェネツィア共和国とミラノ公国の戦争開始から早一年が経過していた。
 ワラキアとしてはそんな泥沼の抗争より、ヴェネツィアには対オスマンの一翼を担って欲しいところなのだが、和平の斡旋はあっさりと一蹴されている。
 史実ではこの抗争に四年を費やしたため、ローマ帝国の滅亡に際し、ほとんど兵力を割くことができなかった。
 それを回避するためにフィレンツェのコジモにも協力してもらったのだが、同族嫌悪とでも言おうかミラノ相手に退くことがどうにも容認できかねるらしい。
 ようやく第二次世界大戦で醜態を晒すイタリアの本質が見えてきたような気がする。
 こんなことだから日本人とドイツ人の間で、こんどやるときはイタリア抜きで、などと言われてしまうのだ。
 たとえばこんな話がある。
 大戦中の北アフリカ戦線でナポリ出身の大隊が壊滅の危機に瀕していた。
 ところがそれを援護すべきフィレンツェの大隊は、どうしてフィレンツェ人の俺たちがナポリ野郎のために命を賭けなきゃならねえんだ? と見殺しにしたという。
 ほとんど伝説的なイタリア軍の士気の低さもそれならば頷ける。
 イタリアが枢軸国として参戦し、リビアに上陸を果たしたとき、エジプトを守るイギリス軍は七万名にすぎなかった。対するイタリア軍は実に三十万を数えた。
 本国を遠くはなれ、フランス戦の敗戦のダメージから回復中とあっては早急な援軍は望めない。
 当然のことながら無人の野を行くようにイタリア軍は前進し、国境から九十キロ付近の都市、ジディ・バラーニを早くも占領することに成功する。
 イタリア最弱伝説はそこから始まった。
 イギリス軍の立て篭もるカイロは目の前にあり、イギリス中東軍は弾薬も不足気味で、かつ七万名を残すのみ。
 自軍は三十万名で補給も今のところ不足はなかった。
 ここでもし損害を省みずカイロ・アレクサンドリアを陥落させたならイギリスは軍需物資の供給源を失い、講和に傾く可能性は少なくなかった。
 第二次世界大戦において枢軸国側が勝利するという可能性すらあったと言えるだろう。
 ところが、ジディ・バラーニの占領の酔ったイタリア軍は、ここで三ヶ月もの長期にわたってバカンスを楽しむという暴挙に出るのである。
 まさに酒とバクチと女に溺れまくって、宝石より貴重な三ヶ月間を浪費し、ようやく補給を得たイギリス軍によって逆にリビアへと攻め込まれてしまう。
 敵より恐ろしい味方とはまさに彼らのことに他ならなかった。
 彼らはアフリカの植民地などのために命がけで戦う気などさらさらなかったのだ。
 イタリアの男にとって命を賭けて戦うのは惚れた女を守るときと、故郷の都市を守るときだけなのである。
 イタリア人がサッカーで地元チームを応援する熱狂ぶりも、この都市国家時代の名残を抜きにしては語れないのであろう。
「それにしても腹が立つな…………」
 身近なライバルの脅威はわかる。
 しかし今は地中海貿易の存亡の危機なのである。
 スレイマン大帝がオリエントとロードス島を手中にしてからでは遅すぎるのだ。
 しかし、史実としてそれを知っているのは自分以外にはいない。
 しかもミラノ戦争の背後には、黒幕としてアラゴン王国と神聖ローマ帝国が控えているから質が悪いったらない。
 後にスペインを統一するアラゴン王国と神聖ローマ帝国がミラノに釘付けとなれば、百年戦争のクライマックスを迎えているフランスとイギリスとともに欧州の強国はおのずと自由を封じられてしまう。

 オスマンとの同盟をまとめたことにより、マムルーク朝が再びロードス島に食指を伸ばし始めているので、これをテコに教皇庁との融和を図れないかとも思ったが、剣もほろろに断られた。
 石頭どもめ! もう少し損得勘定を覚えろ! 恨みで未来は買えねえんだよ!
 オスマンの君主が変わっただけなのに、ワラキアを取り巻く政治環境は悪化の一途を辿っていた。
 アルバニアの内通者から情報が漏れたものか、メフメト二世からアルバニアへと武器を売ることを禁ずる勅使が送られてきたため軍事支援が行いづらくなってしまった。
 マムルーク朝は嬉々としてロードス遠征の準備を進めており、これを察知した聖ヨハネ騎士団長は教皇庁と神聖ローマ帝国・フランス王国に対し援軍を要請する使者を送っている。
 各国の注目はコンスタンティノポリスからロードス島へと見事に移しかえられてしまっていた。
 黒羊朝はティムール朝の混乱に乗じて連戦連勝を重ねており、ワラキアと友好関係を築きつつある白羊朝も迂闊なまねをできない状態に追い込まれている。
 このまま勢力が伸張したオスマン・マムルーク・黒羊朝に連合でも組まれた日には手も足もでなくなるかもしれない。
 もっとも、自己顕示欲の強すぎるメフメト二世が、両国を対等に手を携えるとも思えなかったが。


 歴史と伝統はあれども、現実的な繁栄からは取り残されつつあったローマ帝国に活気が戻りつつある。
 コンスタンティノプリスを覆う憂愁は、久しぶりに晴れ間を取り戻していた。
 ワラキアからの資金と物資の援助を得たコンスタンティノポリスに徐々にではあるが、要衝に相応しい物資と人流が返ってきたのだ。
 またジェノバ人の居留区の城壁はテオドシウス城壁ほどではないが、深い堀と二重の城壁で囲まれて防備を格段に進化させている。
 明文化こそされてこそいないが、ジェノバとワラキアはまさに軍事的同盟国であった。
 特に黒海からボスフォラス海峡にいたるまでの領域にあってはそうだった。
 ワラキア商船やジェノバ商船から東ローマ帝国に入る港湾使用料も、莫大な額に上っており帝国もようやくにして兵備や貿易への投資を行うだけの経済的余裕が生まれつつあったのである。
 しかし、利権が生まれれば争いも生まれるのが帝国の哀しい宿唖でもあった。
 モレアス専制公領の共同統治者にして皇帝の弟たるソマスと、デメトリオスはいささか不快な念を禁じえない。
 ソマスはワラキアの台頭以前、東西教会の合同を皇帝とともに主宰した経験からラテン諸国との連携を重要視していたし、デメトリオスはオスマン帝国の拡大を目の前にして、帝国の前途はオスマンの属国として重要な地位を占めることにあると考えていた。
 それが今や宰相のノタラスをはじめとして帝国の重鎮は親ワラキア一色となった感がある。
 ワラキアのごとき小国に、帝国が一喜一憂するさまはひどく矮小で滑稽なものに二人には思えた。
 二人の胸にあるのは実のところ嫉妬である。
 繁栄を極めるワラキアのおこぼれに、帝国が誇りを売り渡すことがあってはならない。
 ヘレナを娶ったヴラドとの子は、子供のいないコンスタンティノス亡き後の帝位継承者になりかねないのだから。
 かといって表立ってヴラドを攻撃する材料は乏しい。
 なんといっても帝国にとっては頼りになる同盟国であり、資金の提供ばかりか伝染病の根絶や病院の設立など、実に極め細やかな施策を提供してくれている。
 国民の間においても、生活を向上させてくれたヴラドの人気は高まる一方であった。
 また正教会総大主教もヴラドと親しくしているとあっては、二人の懸念も杞憂と笑うことはできないであろう。
 このままではまるであの悪魔(ドラクル)が皇帝のようではないか!
 それでもまだソマスは、ヴラドの義父として権勢を揮うことも可能であるかもしれない。
 しかしデメトリオスはそうはいかなかった。
 ましてデメトリオスは敗れたとはいえ正面きってコンスタンティノスと帝位を争った男である。
 ルーマニアの田舎ものに遅れをとったとあっては死ぬに死にきれない。
 デメトリオスは必死で思考を巡らしていた。
 戦力からいえばモレアス専制公領の兵数はコンスタンティノポリスの兵力をしのぐが、あの無類の防御力の前にはむなしい数でしかない。
 共同統治者のソマスも謀反となれば敵に回るはずであった。
 いったいどうすれば皇帝になれる?
 デメトリオスの脳裏を先日会ったオスマンの使者の言葉が繰り返し木霊していた。
「スルタンはデメトリオス様が帝位につくことを望んでおられます。我が帝国の後ろ盾が必要とあらば、いつなりと」
「――――ローマのためだ。余こそがローマを次代へと繋げるのだ」
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