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第四十二話 大主教

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 対立教皇フェリクス5世が発した十字軍の発動は、欧州の各国に衝撃をもって迎えられた。
 しかし今まさに百年戦争の真っ最中であるイングランドとフランスに応じる力があるはずもない。
 同様に百年戦争の代理戦争で国土を荒廃させたカスティリヤ=レオン王国もアラゴン王国も参戦を拒否。
 かろうじて神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世は形だけは出兵に応じたものの、派遣された兵力はわずか600に留まった。
 もっともラディスラウスを共同統治者に戴くフリードリヒ3世にとっては、十分に奮発したつもりなのかもしれなかったが。
 お世辞にもこの当時の神聖ローマ帝国の権力基盤は強いものとは言えず、フリードリヒ3世の晩年には、マーチャーシュ1世にウィーンを占領され首都を追放されるという屈辱を味合わなくてはならなかった。
 にもかかわらずフリードリヒ3世がハプスブルグ家の興隆の基礎を築けたのは、その優れた婚姻政策と、何よりも敵対君主が次々と都合よく死亡するという奇蹟的な運の良さに負うところが大きい。
 最後の騎士王ことマクシミリアン1世は彼の息子にあたる。
 結局十字軍の数的主力はハンガリー王国軍と、聖ヨハネ騎士団をはじめとする教会騎士団にとどまった。
 ワラキアにとって幸いなことに、ポーランド王国は犬猿の関係にあるドイツ騎士団が参戦していることを理由に、今回は参戦を見送っていた。
 それでも十分にワラキアのような小国の手に余る事態ではあったが、希望もないわけではなかった。
 コンスタンティノポリスの正教会総大主教が、俺を大司教に任命することを通達してきたのだ。
 その策を閃いたのは、見た目も行動もまだまだ幼女な妻(ヘレナ)であった。

「――――我が夫、仮に総大主教の祝福を得られたとしても異端として認定されたことの動揺を抑えるには足りないとは思わぬか?」
 ヘレナが相変わらず俺の膝の上に陣取りながら、眉を顰めて首をひねる。
 姿が可愛らしくて思わず口元が緩みそうになるが、政治的にいってヘレナの洞察は完全に正しかった。
「かといって俺が敬虔な正教徒であると猊下にお認め頂く以外に何かいい手はあるか?」
 魔女狩りがごく身近にあった時代である。
 教会に異端であると認定されるということは、キリスト教世界においてはお前は人間ではないと言われたに等しい。
 いかに正教会ではないカトリックが相手とはいえ、兵の動揺は大きいものになることは避けられないと思われた。
「そこで妾がヨセフのお爺に話を通してやろうと思うてな。あれでなかなか老獪で正教を守るためには叔父上にも平気で逆らう御方じゃ。とりあえず我が君にはワラキア・トランシルヴァニア・モルダヴィアを統括する大司教の地位についていただこうと思うのじゃが」
 そんなことが可能なのか、と俺は驚きもあらわにヘレナを見た。
 してやったり、というように悪戯っぽく自慢げな笑みを浮かべるヘレナを思わず抱きしめる。
 俺には総大主教猊下の性格はさすがに知りうるべくもないし、そもそも自分が僧籍に身を置くという発想自体がなかったからだ。
 考えてみれば君主が大主教を兼務するのは確かにごく稀なことではあるが、かつて全く例がないことでもない。
 東欧に冠たる大主教に就任することがもたらす宗教的権威は、一介の勅命ひとつとは比べ物にならぬほど巨大なものであるはずだった。
 心の底から思う。よくぞこの少女を我が伴侶にしてくれた、と!
「ヘレナの英慮にはいつも驚かされるけど、今回はとびきりだな」
「ふっふっ存分に感謝するがよいぞ我が夫! 妾はご褒美を要求するぞ!」
 そう言って唇を突きだすヘレナの幼い仕草が提案された神算鬼謀と激しくアンバランスであるが、それこそがこの少女の魅力の一つなのだろう。
 俺はヘレナの小さな頭を引き寄せるとその愛らしい唇を吸った。
「んぐっ?」
 唇を重ねた瞬間に感じた、生暖かい違和感に情けない鼻息が漏れる。
 ま、まさかこの温かく這いまわる代物はし、舌ぁ??」
「んん……どうじゃ? 我が夫?」
 恥ずかしそうに頬を上気させながら、口腔内を舐めまわしたヘレナが得意そうに鼻をひくつかせた。
「いったい誰に教わった?」
「うん? サレスに聞いたのじゃが、殿方はこうされると喜ぶのであろ?」
  そうか、元凶はあのメイドか! 何も知らない子に何を教えやがる!
「まあ、喜ぶか喜ばないかと言われれば喜ぶんだけど、ヘレナはとりあえずあと3年待とうね?」
「うにゅっ! 子供扱いはいやと言ったぞ! 我が夫」
「――――子供扱いなんてしないさ。でもこういうことは正式に結婚してからにしようね?」
――――まずはあのメイドにヘレナの情操教育について小一時間問い詰める必要があるな! 割と切実に!
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