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第九話 勝利~史実を覆した瞬間~
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無人の野を行くがごとく、ハンガリー王国軍はヴラドの敵対勢力を従えてトゥルゴヴィシュテ城へ驀進していた。
「前方に敵騎兵を確認いたしました!」
「追い払え!」
すでにオスマン帝国からの援軍の大半は帰国してしまったという報告は得ている。
さらにヴラドのとった苛烈な粛清により、ワラキア貴族の大半はヴラドに敵対するか中立の姿勢を取っており、ヴラドの味方は驚くほど少ない。
ほぼ確実な勝利が約束されている戦――もはやヤーノシュの思考はいかに味方の損害を少なく圧勝するかに移っていた。
もともとワラキア公国は土着貴族の権利が非常に強い。
そのためしばしば大公の地位はただのお飾りであり、実際の政権運営は貴族集団の利権調整のようなものとなった。
史実のヴラドもまた独立心の強い貴族の扱いの苦慮し、最終的には貴族の裏切りによって非業の死を遂げる。
とはいえヴラドによる粛清は、ヤーノシュの目には若さゆえの暴走としか思えなかった。
結局そのためにヴラドは本来得られるはずの半分以下の兵力しか揃えられていないのだ。
「今少し時間を与えていれば――少々厄介であったかもしれんな」
もしかすると、ヴラドの内政改革が成功しワラキア公国がかつての輝きを取り戻す未来もあったかもしれない。
しかし治世二か月にすぎないヴラドにいったい何ができるというのか。
優秀な政治かであり武将でもあるヤーノシュがそう考えるのも、決して慢心ではなく当然の帰結であった。
「我がハンガリー王国軍、ワラキアの木っ端貴族どもといっしょにせぬことだな……」
「敵の騎兵が来ます!」
「相手にするな、一気に引くぞ!」
斥候に出ていたのはベルドとその配下の者たちだった。
その指揮ぶりは実に堂に入っており、部下の騎士たちも微塵もベルドの判断を疑っていない。
持って生まれたカリスマが開花したのか、今やベルドは押しも押されぬヴラドの側近であった。
(それにしてもヴラド様のご慧眼の素晴らしさよ!)
ヴラドが二か月後にはハンガリー王国軍が来襲すると言った時には耳を疑ったものだった。
ハンガリー王国とその属国であるトランシルヴァニア公国は、いまだヴァルナの戦いでの損害から回復していないはずで、大規模な出征は躊躇するだろうと思われていたのだ。
ベルドを追うようにして、ハンガリー騎兵が百騎ほどこちらに向かっていた。
その後を歩兵集団が悠々と進軍してくる。
この連中の鼻先を引きずりまわすのがベルドに与えられた役割だった。
「――――来たか」
なんの迷いもなくベルドを追撃してきているあたり、やはりワラキア公国軍は侮られているのだろう。
心では油断するまいと思っていても、実際の戦力差を考えれば思考が保守的になってしまうのはよくあることだ。
人事は尽くした。
あとは新兵と寄せ集めにすぎない新生ワラキア公国軍がどこまで戦えるか。今は信じるしかない。
俺は指揮台に立つと声を張り上げた。
「忠勇なる我が将兵よ。死を恐れてはならない。しかし容易に死してもならない。なぜなら我がワラキアの勝利は、諸君たちの生の先にあるからである!」
戸惑いの空気が広がった。
この時代に死んではならないなどと演説する君主はいないからだ。
「ワラキアとは余である。同時に、諸君たち将兵こそがワラキアである。さあワラキアに勝利と栄光をともに勝ち取ろう!」
「ワラキア! ワラキア! ワラキア!」
良かった。どうやら演説は将兵に好意をもって受け入れられたようだ。
ワラキア公国軍の士気は天を衝く勢いである。
あとはこちらの予想通りに勝つだけだった。
「――――なんだあれは?」
ヤーノシュは見るからにみすぼらしい柵の後ろに立てこもるワラキア公国軍を見て首をひねった。
あの程度の柵であれば騎兵の馬蹄で踏みにじるのはそう難しいことではあるまい。
また柵の後方に大型の馬車が横づけしてあるのがいかにも不審であった。
本来輸送や移動に使うべき馬車が最前線にあること自体、戦理に反する行動である。
あるいはヴラド三世が度を越した愚か者である可能性もあるが、ヤーノシュの第六感が警鐘を鳴らしていた。
(なんだ? いったい何があるというのだ?)
その疑問の答えは、触接を開始した軽騎兵部隊の悲鳴によって明らかとなった。
「なんだ? この細い線は?」
「だめだ! 馬どもが言うことを聞かん!」
次々と馬から転げ落ちていく騎士たちに、柵の向こうから弩兵が矢の雨を降らす。
ほんの数瞬のうちに百に近い兵が失われた。
ヤーノシュにとっては悪夢にしか思えぬ光景であった。
「こんな! こんな馬鹿な話があるか!」
軽騎兵を恐怖のどん底に叩きこんだのは、世界で初めて実戦に投入された有刺鉄線による防御網である。
たかが針金と侮るなかれ。その有用性は現代においてもなお使用され続けていることが証明している。
この有刺鉄線による網は三重に構成されており、さらに目立たぬ程度に浅い濠が掘られていることで容易に立て直すことが不可能となっていた。
ヤーノシュは勝利は確実とみて自ら出陣したことを後悔した。
ハンガリー国王を望む自分にとって、ここで一度敗退して態勢を立て直すという選択肢は取れなかった。
「火矢を放て!」
柵と馬車という目標は火で燃やすことができる。
焼き払ってから改めて総攻撃するのが、一番リスクの少ない手段であるとヤーノシュは判断した。
ところが――――
カン、カン! と甲高い音を立てて馬車に命中した矢が地に落ちる。
木造を思われた馬車は鉄で装甲されていたのである。さらに
「ギャッ!」
「気をつけろ! 馬車の中に弩兵がいるぞ!」
装甲馬車という簡易的なトーチカの中で、新兵たちは弩を構えて狙い撃ちにしていたのである。
自分たちは安全な場所から敵を攻撃できるという安心感が速射性と命中率を保証していた。
味方の死体を踏み越えて、なんとかワラキア陣地にたどり着く者もいるが、強固なゲクラン率いる長槍兵に阻まれ一人、また一人と矢の餌食になっていく。
――――こんな戦は知らない。
馬車や濠に隠されているせいか、ワラキア公国軍の実数がまるで掴めなかった。
精々五千程度と高をくくっていたが、万が一、一万数千の兵数を集めることができていれば逆にハンガリー王国軍が殲滅される危険すらあった。
(相手の手が読めん! これではまるで攻城戦ではないか!)
そう考えたとき、ヤーノシュの脳内で閃くものがあった。
そうだ、これは形を変えた攻城戦なのだ。
それがわからぬよう隠蔽され、ハンガリー王国軍はまんまと準備不足のまま城への攻撃を余儀なくされた。
最初から城だと思っていればいくらでもやりようはあったはずなのに。
ギリリ、と歯を食いしばってヤーノシュは戦況を眺めた。
傍目にも損害が拡大していた。
もとより弩(クロスボウ)が命中した場合の死傷率は高く、貴重な軽騎兵は城攻めには無力で大きな馬体はよい目標にすぎなくなる。
機動力の要である軽騎兵戦力が壊滅しているのはあまりに痛い損害だった。
もう少し早く気づいていれば、損害の半分以上は減らすことができたはずなのだ。
「――――くそっ! この借り、必ず返すぞヴラド!」
憤懣と憎悪を抑えこんでヤーノシュは冷静に撤退を決断した。
「殿はワラキア貴族どもに任せろ! せめてその程度は役に立ってもらわねばな」
「そんな! 我らをお見捨てになるおつもりか!」
先だってヴラドが何をしたのか彼らは今さらながらに思い出していた。
二度目の裏切りは許さない。
もし今降伏しても、ヴラドが受け入れてくれる可能性は限りなく低いと思われる。
不利になれば降伏し、形勢が変われば裏切る。
そうやって生き延びてきた彼ら貴族は、自分たちがヴラドの造り出した新たなルールに従わなければならないことを思い出し、恐怖した。
「な、なんとしても耐えるのだ! もう一度ハンガリー王国軍が来るまで生き延びねば…………」
一敗地にまみれたヤーノシュが報復の軍を起こすまで、理不尽であるという怒りは抱いていても彼らが助かる道はほかにない。
しかし彼らの配下の兵士がその感情を共有できるかどうかは別問題だ。
結局ネイの騎兵突撃とゲクランたちの追撃を前に、敵対したワラキア貴族は兵力の半数以上を失って壊滅したのである。
夕焼けとともに追撃を停止したベルドは誰にともなく呟いた。
「…………勝った。本当に、あのフニャディ・ヤーノシュに勝った……」
「お見事です! 大公殿下!」
ネイやタンブルは感激のあまりに泣いている。
誰もがあの英雄フニャディ・ヤーノシュに勝利することを疑わずにはいられなかったのだ。
数々の戦歴に裏打ちされた勇名、そして圧倒的な戦力、戦場経験の少ない新生ワラキア公国軍が相手にするには強大すぎる敵だった。
――――それでも勝った。
その勝因はヴラドの戦略以外何物でもなかった。
「長いこと戦場にいるが、こりゃどえらいこったわ」
ゲクランは感心しきりに何度も頷いている。
現場の肌感覚でヴラドの戦術を感じ取り理解しようとしているのだろう。
「フニャディ・ヤーノシュの敗北を喧伝しなさい。そして責任を問う声をあげるのです」
ヴラドに命じられていたシエナは、立ち上げたばかりの諜報組織を動員して、宣伝戦を開始しようとしてた。
すでにハンガリー王国宮廷はヤーノシュの支配下にあると言ってよい。
だが反対勢力というのはどこにでもいるものだ。
一刻も早くハンガリー国王に、ひいては神聖ローマ帝国皇帝を目指すヤーノシュにとって自国の引き締めは必須となるだろう。
そうなればワラキアに関わる余裕は激減する。
実はヴラドが国内貴族を弾圧したことで、一気に好意的になった勢力が存在する。
それは商人だ。
封建的権力で承認を虐げる貴族の扱いは、彼らにとって長年の懸案であった。
しかしヴラドのような専制君主が誕生するなら、ヴラドの機嫌さえとっておけば安心して商売ができる。
経済のわからぬ田舎貴族をなんとかして欲しいという切実な欲求とともに、彼らはひとまずヴラドへの支持を決めたのである。
商人に国境はなく、彼らの多くは現在は敵対しているトランシルヴァニアやハンガリー王国へ出入りしていた。
いつの世も商人は情報の価値を誰よりも熟知している。
そんな商人を使い宣伝戦を戦うのがシエナに新たに課せられた役割であった。
「事実をありのままに伝えるだけでよいのです。摂政ヤーノシュは新参者の若僧に完敗したのだと」
むしろヤーノシュが優秀だからこそ損害を抑えて撤退することができたのだが、そんなことは素人にはわからない。
あとは敵対勢力が勝手に利用してくれることだろう。
「――――怖いお方だ」
誰にともなくシエナは呟いた。
こころなしか鉄面の無表情が笑っているかのようであった。
「前方に敵騎兵を確認いたしました!」
「追い払え!」
すでにオスマン帝国からの援軍の大半は帰国してしまったという報告は得ている。
さらにヴラドのとった苛烈な粛清により、ワラキア貴族の大半はヴラドに敵対するか中立の姿勢を取っており、ヴラドの味方は驚くほど少ない。
ほぼ確実な勝利が約束されている戦――もはやヤーノシュの思考はいかに味方の損害を少なく圧勝するかに移っていた。
もともとワラキア公国は土着貴族の権利が非常に強い。
そのためしばしば大公の地位はただのお飾りであり、実際の政権運営は貴族集団の利権調整のようなものとなった。
史実のヴラドもまた独立心の強い貴族の扱いの苦慮し、最終的には貴族の裏切りによって非業の死を遂げる。
とはいえヴラドによる粛清は、ヤーノシュの目には若さゆえの暴走としか思えなかった。
結局そのためにヴラドは本来得られるはずの半分以下の兵力しか揃えられていないのだ。
「今少し時間を与えていれば――少々厄介であったかもしれんな」
もしかすると、ヴラドの内政改革が成功しワラキア公国がかつての輝きを取り戻す未来もあったかもしれない。
しかし治世二か月にすぎないヴラドにいったい何ができるというのか。
優秀な政治かであり武将でもあるヤーノシュがそう考えるのも、決して慢心ではなく当然の帰結であった。
「我がハンガリー王国軍、ワラキアの木っ端貴族どもといっしょにせぬことだな……」
「敵の騎兵が来ます!」
「相手にするな、一気に引くぞ!」
斥候に出ていたのはベルドとその配下の者たちだった。
その指揮ぶりは実に堂に入っており、部下の騎士たちも微塵もベルドの判断を疑っていない。
持って生まれたカリスマが開花したのか、今やベルドは押しも押されぬヴラドの側近であった。
(それにしてもヴラド様のご慧眼の素晴らしさよ!)
ヴラドが二か月後にはハンガリー王国軍が来襲すると言った時には耳を疑ったものだった。
ハンガリー王国とその属国であるトランシルヴァニア公国は、いまだヴァルナの戦いでの損害から回復していないはずで、大規模な出征は躊躇するだろうと思われていたのだ。
ベルドを追うようにして、ハンガリー騎兵が百騎ほどこちらに向かっていた。
その後を歩兵集団が悠々と進軍してくる。
この連中の鼻先を引きずりまわすのがベルドに与えられた役割だった。
「――――来たか」
なんの迷いもなくベルドを追撃してきているあたり、やはりワラキア公国軍は侮られているのだろう。
心では油断するまいと思っていても、実際の戦力差を考えれば思考が保守的になってしまうのはよくあることだ。
人事は尽くした。
あとは新兵と寄せ集めにすぎない新生ワラキア公国軍がどこまで戦えるか。今は信じるしかない。
俺は指揮台に立つと声を張り上げた。
「忠勇なる我が将兵よ。死を恐れてはならない。しかし容易に死してもならない。なぜなら我がワラキアの勝利は、諸君たちの生の先にあるからである!」
戸惑いの空気が広がった。
この時代に死んではならないなどと演説する君主はいないからだ。
「ワラキアとは余である。同時に、諸君たち将兵こそがワラキアである。さあワラキアに勝利と栄光をともに勝ち取ろう!」
「ワラキア! ワラキア! ワラキア!」
良かった。どうやら演説は将兵に好意をもって受け入れられたようだ。
ワラキア公国軍の士気は天を衝く勢いである。
あとはこちらの予想通りに勝つだけだった。
「――――なんだあれは?」
ヤーノシュは見るからにみすぼらしい柵の後ろに立てこもるワラキア公国軍を見て首をひねった。
あの程度の柵であれば騎兵の馬蹄で踏みにじるのはそう難しいことではあるまい。
また柵の後方に大型の馬車が横づけしてあるのがいかにも不審であった。
本来輸送や移動に使うべき馬車が最前線にあること自体、戦理に反する行動である。
あるいはヴラド三世が度を越した愚か者である可能性もあるが、ヤーノシュの第六感が警鐘を鳴らしていた。
(なんだ? いったい何があるというのだ?)
その疑問の答えは、触接を開始した軽騎兵部隊の悲鳴によって明らかとなった。
「なんだ? この細い線は?」
「だめだ! 馬どもが言うことを聞かん!」
次々と馬から転げ落ちていく騎士たちに、柵の向こうから弩兵が矢の雨を降らす。
ほんの数瞬のうちに百に近い兵が失われた。
ヤーノシュにとっては悪夢にしか思えぬ光景であった。
「こんな! こんな馬鹿な話があるか!」
軽騎兵を恐怖のどん底に叩きこんだのは、世界で初めて実戦に投入された有刺鉄線による防御網である。
たかが針金と侮るなかれ。その有用性は現代においてもなお使用され続けていることが証明している。
この有刺鉄線による網は三重に構成されており、さらに目立たぬ程度に浅い濠が掘られていることで容易に立て直すことが不可能となっていた。
ヤーノシュは勝利は確実とみて自ら出陣したことを後悔した。
ハンガリー国王を望む自分にとって、ここで一度敗退して態勢を立て直すという選択肢は取れなかった。
「火矢を放て!」
柵と馬車という目標は火で燃やすことができる。
焼き払ってから改めて総攻撃するのが、一番リスクの少ない手段であるとヤーノシュは判断した。
ところが――――
カン、カン! と甲高い音を立てて馬車に命中した矢が地に落ちる。
木造を思われた馬車は鉄で装甲されていたのである。さらに
「ギャッ!」
「気をつけろ! 馬車の中に弩兵がいるぞ!」
装甲馬車という簡易的なトーチカの中で、新兵たちは弩を構えて狙い撃ちにしていたのである。
自分たちは安全な場所から敵を攻撃できるという安心感が速射性と命中率を保証していた。
味方の死体を踏み越えて、なんとかワラキア陣地にたどり着く者もいるが、強固なゲクラン率いる長槍兵に阻まれ一人、また一人と矢の餌食になっていく。
――――こんな戦は知らない。
馬車や濠に隠されているせいか、ワラキア公国軍の実数がまるで掴めなかった。
精々五千程度と高をくくっていたが、万が一、一万数千の兵数を集めることができていれば逆にハンガリー王国軍が殲滅される危険すらあった。
(相手の手が読めん! これではまるで攻城戦ではないか!)
そう考えたとき、ヤーノシュの脳内で閃くものがあった。
そうだ、これは形を変えた攻城戦なのだ。
それがわからぬよう隠蔽され、ハンガリー王国軍はまんまと準備不足のまま城への攻撃を余儀なくされた。
最初から城だと思っていればいくらでもやりようはあったはずなのに。
ギリリ、と歯を食いしばってヤーノシュは戦況を眺めた。
傍目にも損害が拡大していた。
もとより弩(クロスボウ)が命中した場合の死傷率は高く、貴重な軽騎兵は城攻めには無力で大きな馬体はよい目標にすぎなくなる。
機動力の要である軽騎兵戦力が壊滅しているのはあまりに痛い損害だった。
もう少し早く気づいていれば、損害の半分以上は減らすことができたはずなのだ。
「――――くそっ! この借り、必ず返すぞヴラド!」
憤懣と憎悪を抑えこんでヤーノシュは冷静に撤退を決断した。
「殿はワラキア貴族どもに任せろ! せめてその程度は役に立ってもらわねばな」
「そんな! 我らをお見捨てになるおつもりか!」
先だってヴラドが何をしたのか彼らは今さらながらに思い出していた。
二度目の裏切りは許さない。
もし今降伏しても、ヴラドが受け入れてくれる可能性は限りなく低いと思われる。
不利になれば降伏し、形勢が変われば裏切る。
そうやって生き延びてきた彼ら貴族は、自分たちがヴラドの造り出した新たなルールに従わなければならないことを思い出し、恐怖した。
「な、なんとしても耐えるのだ! もう一度ハンガリー王国軍が来るまで生き延びねば…………」
一敗地にまみれたヤーノシュが報復の軍を起こすまで、理不尽であるという怒りは抱いていても彼らが助かる道はほかにない。
しかし彼らの配下の兵士がその感情を共有できるかどうかは別問題だ。
結局ネイの騎兵突撃とゲクランたちの追撃を前に、敵対したワラキア貴族は兵力の半数以上を失って壊滅したのである。
夕焼けとともに追撃を停止したベルドは誰にともなく呟いた。
「…………勝った。本当に、あのフニャディ・ヤーノシュに勝った……」
「お見事です! 大公殿下!」
ネイやタンブルは感激のあまりに泣いている。
誰もがあの英雄フニャディ・ヤーノシュに勝利することを疑わずにはいられなかったのだ。
数々の戦歴に裏打ちされた勇名、そして圧倒的な戦力、戦場経験の少ない新生ワラキア公国軍が相手にするには強大すぎる敵だった。
――――それでも勝った。
その勝因はヴラドの戦略以外何物でもなかった。
「長いこと戦場にいるが、こりゃどえらいこったわ」
ゲクランは感心しきりに何度も頷いている。
現場の肌感覚でヴラドの戦術を感じ取り理解しようとしているのだろう。
「フニャディ・ヤーノシュの敗北を喧伝しなさい。そして責任を問う声をあげるのです」
ヴラドに命じられていたシエナは、立ち上げたばかりの諜報組織を動員して、宣伝戦を開始しようとしてた。
すでにハンガリー王国宮廷はヤーノシュの支配下にあると言ってよい。
だが反対勢力というのはどこにでもいるものだ。
一刻も早くハンガリー国王に、ひいては神聖ローマ帝国皇帝を目指すヤーノシュにとって自国の引き締めは必須となるだろう。
そうなればワラキアに関わる余裕は激減する。
実はヴラドが国内貴族を弾圧したことで、一気に好意的になった勢力が存在する。
それは商人だ。
封建的権力で承認を虐げる貴族の扱いは、彼らにとって長年の懸案であった。
しかしヴラドのような専制君主が誕生するなら、ヴラドの機嫌さえとっておけば安心して商売ができる。
経済のわからぬ田舎貴族をなんとかして欲しいという切実な欲求とともに、彼らはひとまずヴラドへの支持を決めたのである。
商人に国境はなく、彼らの多くは現在は敵対しているトランシルヴァニアやハンガリー王国へ出入りしていた。
いつの世も商人は情報の価値を誰よりも熟知している。
そんな商人を使い宣伝戦を戦うのがシエナに新たに課せられた役割であった。
「事実をありのままに伝えるだけでよいのです。摂政ヤーノシュは新参者の若僧に完敗したのだと」
むしろヤーノシュが優秀だからこそ損害を抑えて撤退することができたのだが、そんなことは素人にはわからない。
あとは敵対勢力が勝手に利用してくれることだろう。
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