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第十四話 鍛冶主

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 ほんのわずかな時間差で、現場を離れた望月は天戸芳崖が住む赤坂へと向かっていた。
 初音を誘拐した証拠として、望月の手には彼女の生徒手帳が握られている。
 あとはどうやって芳崖を協力させるか、だが…………。
「ふん、孫可愛さを捨てられぬ鍛冶師など、たかが知れておるわ」
 基本的に鍛冶師は徒弟制で、十五歳で弟子入りすることが多い。これは十五歳までを成人前の神の子と考える独特な鍛冶師の伝統による。
 本当に芳崖が初音を後継者として育てたいのならば、ただちに学校など辞めさせるべきなのであって、それを逆に卒業させようとしているくらいなのだから、結局は孫に甘いだけの老人なのに違いなかった。
 もともと初音を弟子にすること自体本意ではないのだろう。
 両親が死に、孫が健気に後を継ぐなどというから、渋々受け入れたというところか。
 その予想が正しければ、芳崖に言うことをきかせるのはそう難しいことではない。問題は芳崖が引退から久しいロートルだということだ。
 仮に言うことをきかせたとしても、女郎兼光の偽物を見抜かれては何の意味もない。魁も望月も破滅待ったなしである。
 その点に関してだけは、望月も天に祈る思いであった。たとえ何人殺そうとも、誰を騙そうとも破滅だけは回避したかった。
 芳崖の工房は、赤坂の歩兵第三連隊司令部からさらに奥まった閑静な住宅地にある。
 一見するとかつてはヒノモトを代表する鍛冶主のものとは思われぬ、二流の陶芸家でも住んでいそうな旧家に見える。
 しかし影の者として長い修養を積んできた望月は、芳崖の邸宅が発する熱さすら覚える気の強さに愕然としていた。
 これは断じて引退したロートルの技ではない。
 はたして現役の鍛冶師のなかに、これほどの気を維持できる者がどれだけいるだろうか。
 そも、本物の工房とは神具を鍛えるときだけ稼働していればよいというものではない。
 常に神気に満ち、邪気を祓って清浄に保たれた工房でなくては、鍛冶師は万全の力を発揮することができない。
 剣士にとって刀がその力を発揮するための道具であるとすれば、鍛冶師にとっては工房こそがその力の源なのである。
 従って本当の鍛冶師の実力は、工房を見ただけでわかるとすら言われていた。
 それだけでも芳崖の腕が確かなものであると望月は確信した。
「邪魔するぞ」
 無造作に工房の結界を望月は押し破る。
 侵入がばれたところで、問題はない。さすがに即死級の対人結界ではないだろうから、警備程度の結界なら、望月ほどの術者にとってはどうということはなかった。
「何者だ?」
「天戸芳崖殿とお見受けする」
 まるで僧籍のように頭を丸めた恰幅のよい老人を見て、すぐに望月はこの人物が天戸芳崖であると察した。
 もし戦士であれば望月でも勝てるかどうかわからないほどの気である、いや、単純に気の量であれば芳崖の方が圧倒的に上であることを認めざるを得ない。さすがは鍛冶師の頂点を極めただけのことはある。
「影の者か。天目一族に仇(あだ)を為して無事に済むと思っているのか?」
 芳崖もまた、望月が相当な腕利きであることを見てったらしい。それでも全く怖気る気配がないのはさすがであった。
「敵に回すつもりはありませんが、私どもにも事情がありましてね」
 正直、芳崖に言うことをきいてもらったとしても、そのあとの処理を考えると頭が痛い。
 天目一族が本気で敵に回ると、鬼山家でも致命傷を負う可能性があるからだ。
「鍛冶師が脅しで言うことを聞くと思ったら大間違いだぞ?」
 というより、大量生産品ならばともかく、一流の品を鍛えようとしたら本人にその気がないかぎり駄作にしかならない。
 鍛冶師が本気で作品に惚れこまなければよい品はできないのだ。金は品質を保証しないというのはこの世界に身を置くものなら常識であるはずだった。
「孫の命は代価として不足だと?」
「なんだと? 貴様、初音に手を出しおったのか!」
 明らかに狼狽する芳崖の様子に、望月は内心で舌を出した。やはり孫馬鹿の老人にすぎなかったか。
「すでにわが手の者が大切に保護しておりますとも。もっとも芳崖老のお考え一つではございますが」
「ぬう…………」
 初音にもたせた神具をもってすれば、生中の男では相手にもならないと油断した、と芳崖は歯噛みした。
 望月の力量から察するに、女学生にすぎない初音には手に余ることがわかったのである。
「何が望みだ?」
「抜くことのできない刀を打っていただきたい。ただし、鬼山家の神具、女郎兼光に見せかけたものを」
「――――自分が何を言っているかわかっているのか?」
 芳崖は正しく望月の正気を疑った。
 女郎兼光といえば、帝国四鬼の誇る、いや、ヒノモト帝国が世界に誇る対竜神具である。
 伝説の刀工、備前長船兼光の最高傑作とも謳われる至宝であり、到底芳崖の腕の及ぶところではない。
「抜けない刀ならば誤魔化すくらいは鍛冶主ならば簡単なことでしょう?」
 こいつは何もわかっていない、と芳崖は絶望した。
 確かに、抜けない刀なら刃紋や煮えを鑑定する目利きの目を誤魔化すことは可能だろう。しかし刀そのものが持つ格は隠せない。
「鑑定するのは誰だ?」
「わざわざ鑑定をするとは思えません。ただ選定の儀をつつがなく終わらせるために、帝国四家につけ入る隙を与えなければよいのです」
 要するに、詳しい鑑定はされないから、神具としての格さえ偽装すればなんとか通るということか。
 こいつら、対竜神具の格がどれほどのものかわかっていないのか?
 芳崖は天目一族の鍛冶主となったさい、本家に伝わる神剣天ノ羽々斬(布津御魂)を見たことがある。
 天子が所有する天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を除けば、もっとも強力な対竜神具で、石上神宮や鹿島神宮に奉納されている布津御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は実はレプリカだ。
 あの霊威、圧倒的な神格。
 鍛冶主となっても、まだまだ目指す先は遼遠であることを教えるために、一生に一度だけ見ることを許される本家の儀式である。
 生涯を懸けても到底追いつくことのできない絶対的な才能の壁をあの日芳崖は感じた。
 それを誤魔化すことなどできるはずがない。だが、やらなくては孫初音の命はない。
「孫を解放するのが先だ」
「そんなことを要求できる立場だとでも?」
「これほどの仕事、口封じを用意していないとは思えん。せめて孫だけでも解放できないのならこの話はなしだ」
 芳崖は鍛冶主であったという立場がある。天目一族にも知己が多く政治的な影響力もある。それを彼らが生かしておくはずがない。
 だが初音だけなら話は別だ。女学生一人が騒いだところで隠蔽するのは鬼山家ほどの権門であればそれほど難しいことではなかろう。
 芳崖の想像は、望月の予想とそれほど変わるところはなかった。
「――――よかろう。孫は解放する」
「口約束は認めん。まずは孫の無事の確認と――解放を命令しろ」
「孫を痛めつけて言うことを聞かせるという方法もあるが?」
「孫の命の保証だけは何があっても譲れん。それにそれほど時間は残っていないぞ? あまり時間をかけるとことの理由に関係なく物理的に間に合わなくなる。失敗作になっては貴様も、貴様の主人も身の破滅ではないのかな?」
 孫に甘い老人という望月の予想は当たっていたが、さすがは元鍛冶主として鍛冶師の頂点に君臨していただけのことはある。
 何より時間がないというのが問題だった。時間さえあれば、孫娘を拷問するなり凌辱するなり、老人の言うことを聞かせる手段はある。
 これならばあの娘をアジトに帰すべきではなかったか、と望月は思う。
(いや、そんなことをすれば万が一がある。この老人を侮ることはできん)
 ヒノモト帝国最高峰の鍛冶主の技をもって、なんらかの神具を使用された場合、望月の力では対処できない可能性があるのだ。
 芳崖が全く自分自身の心配をしていないところから考えても、その可能性は高かった。
 事実、芳崖は工房を守るために、強力な認識阻害の結界を準備していた。
 もし望月が芳崖を侮り、ここに初音を連れてきていれば、芳崖は迷わず結界を作動させ遁走したはずであった。
「この屋敷に電話は?」
「ある」
 まだこのヒノモト帝国で電話の普及率は低い。千九百四十五年の時点で契約者はおよそ百八万人で、人口の一割にも満たぬ数であった。
「森山を呼び出せ」
 もうとっくに森山はアジトに初音を運び込んでいるはずだ。
 まさかそこが、敵である弥助や百目鬼将暉の部下であった剛三に抑えられてしまっているなど望月は夢にも思っていなかった。
 呼び出すとすぐに聞きなれた森山の声が返ってきた。
 帝都の都心部は、すでに交換手が呼び出す方式ではなくダイヤル化を達成している。これが人手を使用する交換手方式であれば、望月も呼び出しを躊躇ったであろう。
「孫娘を出してやれ」
 望月が森山に命じて受話器を芳崖に手渡すと、
「御爺様?」
 という初音の声が聞こえた。
 やはり奴らが初音を誘拐したというのは本当であった、と暗澹たる思いに捕らわれる芳崖であった。
 唯一の救いは、初音の声に焦燥や絶望の色が感じられないということであろう。少なくとも非道な扱いはされていないのだと芳崖は察した。
 現実には、非道な扱いどころか、すでに解放されて何不自由なくしていたのだが。
「初音か? 怪我はしていないか? すぐにそこから帰してやるからな!」
「私は大丈夫。心配しないで。友達がいっしょにいるの」
「友達だと?」
 なるほど、護身用の神具を渡していた初音が手もなく捕まってしまったのは友達を人質にでも取られたのか。
「そういえば御爺様、久しぶりに無銘貞宗を見せていただきたいわ。私、あれは兼光にも劣らない名刀だと思っているの」
「初音、お前は何を言ってるんだ?」
「大丈夫、天目一箇神様は万事お見通しでいらっしゃるわ。お母様ならきっとそう言うと思うの」
 芳崖の頭は混乱を極めていた。初音の言葉の意味が全く理解できない。ただ、初音が亡き母の言葉を借りる以上、決して嘘ではないことだけは確信することができた。
「――――無銘貞宗、ことが終わればお前にくれてやろう。形見分けの前渡しだ」
「あら、御爺様、そんな縁起でもない言葉より嫁入り道具のほうが風情がありますわ」
「何? よよ、嫁入りだと? まさか初音……おじいちゃんはそんなこと許しませんよ!」
 男勝りで恋などという浮ついた話に縁のなかった初音は、嫁入りなどと刺激的な言葉を吐ける女性ではなかった。
 いったいどんな悪い虫がついたというのだ、と気が気ではない芳崖であった。 
 これだから年頃の乙女というのは…………!
「くだらない話はあとにしろ」
 いらだたしげに芳崖から受話器を取り上げ、望月は森山に命じた。
「そのお嬢さんは解放してやれ。ただし、御前での選定の儀を邪魔されては困る。眠ってもらうのがいいだろう。わかっているな?」
 もとより望月は初音を芳崖の言葉通り解放するつもりはなかった。
 生き証人を残しておくなど思いもよらない。ただし、証人にならないのなら殺す必要はないのだ。一生眠っていてくれれば、鬼山家にとっての障害とはならない。
 影の仕事には、ごく稀に相手に死んでもらっては困るという場合があり、そのために昏睡状態に落として二度と回復させないという薬があった。
「お任せください」
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