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1巻
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目を覚ましたベルンストはクラッツの記憶から、世界の情報を読み取る作業を開始した。
リアストラ大陸――五つの大国を中心に多くの小国が乱立する大陸。
ガウラはその五大国のひとつ、イェルムガンド王国の西部辺境、ヘイゼル伯爵領にあるしがない村だった。
どうやらこの世界は、ベルンストが予想していた以上に文明レベルが低いようだ。
クラッツがベルンスト譲りの素養を持つにもかかわらず、魔導のひとつも使えないのは、そもそもこの辺境に魔導の技術者がまったく存在しないためである。
さすがにベルンストの分身といえども、教えられていないものを覚えることはできない。
(まさか魔導を見たことすらないとは。我としたことがぬかったわ!)
しかし王都には宮廷魔導士もいるようだし、魔導技術が存在しないというわけではないようである。
たまたまクラッツの生まれた場所が悪かった。その事実にはベルンストも落胆の念を禁じえない。
たとえ三流の魔導士でもよい。きっかけさえ与えることができれば、たちまちクラッツはその才能を表したであろうに。
それに我が分身がこれほど柔弱にすぎるというのが気に入らない。まったく、たかがあれしきの状況でうろたえおって――!
世界各地に認識の手を伸ばしながらベルンストは憤っていた。
義姉を守りたければ守ればいい。それだけの力がクラッツには十分備わっている。
むしろ貴族の男に、生まれてきたことを後悔させるほどの報復をしてしかるべきだった。
村の連中のためにそれができないと言うのなら、そもそも義姉など最初から見捨ててしまえばよいのだ。
でなければ、村ごとすべて守れる力を手に入れるしかない。
それが男子たるの覚悟ではないか。
クラッツの行動は、ベルンストに言わせればいずれにしても中途半端なものであった。
だがそうした憤りを感じられること自体が、クラッツと感覚を共有した証なのだろう。
常のベルンストであれば不快を感じた時点で相手を殲滅するので、こうした歯がゆい苛立ちを感じること自体がありえないからだ。
(……ふむ、かつての人間らしい感情を思い出すという点では、ひとまず成功と言っていいようだな)
やはり同じ遺伝子を持つ分身だけあって共感性は高い。これならばクラッツの感情をトレースして、自ら擬似的な感情を得る日も遠くはあるまい。
だがこのやりきれない不快さはどうだ?
我はこんな不愉快な感情のために世界を超えて来たわけではない。
大いなる歓喜が!
お互いに命を懸け、好敵手と戦う、あの思わず叫びたくなるような熱い高揚が!
美女を己が手で組み敷き、存分になぶって自分の所有物であることを刻印するときの劣情が!
それこそ我が再び味わいたいと願ってやまなかったものではないか!
(障害が多いほどに達成感は大きいとは言うが……)
ベルンストという男は神に等しい存在である。自制や屈服などという言葉から、もっとも縁遠い存在と言ってもいい。
優しいと言えば聞こえはいいが、どうにも柔弱なクラッツと共存するとなると、自分で力を行使する誘惑に耐えるのは、なかなか忍耐が必要そうであった。
しかし仮想人格であるクラッツを乗っ取ってしまえば、生の感情を味わうという本来の目的が失敗に終わるのは明らかだ。
なんとも歯がゆいことだが、今は裏からクラッツを助けるしかない。
(……もっともっと楽しませよ、我が分身よ! お前は最強の男、アルマディアノスの魂を継ぐ男ぞ!)
◆ ◆ ◆
クラッツとコーネリアの姉弟は、もともとこの村の生まれというわけではなかった。
父ケンプは若いころ、それなりに名を知られた傭兵であったそうだ。
そして古い戦友であった傭兵仲間に託された一人娘が母フリッグ。
戦友に先立たれた父は、どうした運命の変転か、その娘と結ばれるに至ったわけだ。
「死んだら俺はあの世でリックの奴に殺されるかもしれん」
そう言って生前の父は笑っていた。
しかし父が忍耐の限界を超えて母に手を出してしまったのも、わからないではなかった。
それほどにフリッグは、誰もがうらやむ佳人だったからである。
と言っても、フリッグの性格は狡猾で一途であり、実際はフリッグのほうからケンプを誘惑したそうだが。
クラッツの義姉コーネリアはその母の美貌を受け継いでいる。
滑らかな曲線を描く優美な肢体も。
濡れたように妖しい輝きを帯びた黒髪も。
男を惹きつけずにはおかぬ切れ長で妖艶な眼差しも。
すべては絶世の美女である母、フリッグに勝るとも劣らぬものであった。
――ただちょっと、いやかなり胸が残念なのはここだけの秘密である。
そしてもっとも肝心なことは、クラッツはケンプとフリッグの子ではない。
戦場で死にかけていた見ず知らずの娘から、ケンプが託された子供である。
いつもならそんな子供は見捨てるのだが、大金を渡されたことに加え、不思議と見捨ててはいけない気がしたという。
そしてフリッグも、健やかに笑う赤ん坊にどこか惹かれるものを感じたらしい。
クラッツは奇跡的な偶然によって一家に迎えられ、コーネリアの弟となり、アルマディアノスの姓を受け継ぐこととなった。まさに因果律のなせる業だ。
十二歳のときにその事実を知って以来、クラッツは日に日に高まる懊悩を抱えてきた。
義姉をほかの男に渡したくない。
この美しい義姉と、姉弟二人でいつまでも平和に暮らしたい。
それが不自然な願いであることは百も承知だったが、クラッツは願わずにはいられなかったのである。
幸運にも義姉は男性に興味が薄い性格であったので、これまで二人の平和が乱されることはなかったのだが――まさかこんな最悪の相手に見初められようとは。
こんなことならいっそ俺が義姉さんを……。
ずっと心の奥に秘めていた禁忌の感情が溢れ出るのを、クラッツは必死で抑えた。
『――そんな相手など殺してしまえばよいではないか。何をためらう?』
それだけの隔絶した力がクラッツにはあるはずだ、とベルンストは当然のように言う。
「できるわけないだろう! 仮にできたとしても、どれだけ村のみんなに迷惑がかかるか……」
『まったく、育ちというものは厄介だの。我としたことが、我が遺伝子を過信し環境を甘く見たか……許されざる!』
「俺のなかにいるあんたはなんなんだ? 亡霊か? 悪魔か?」
いかにも気分を損ねたという声で、ベルンストは拗ねたように答えた。
『そんな矮小なものと比べてもらっては困るな。我はドルマント世界の魔導の王にして、こことは異なる世界のもう一人のお前じゃ』
もちろんベルンストに真実を語るつもりはない。
お前は自分の遊戯のためにつくられた存在なのだ、と言ったところで信じるはずもないし、万が一自殺などされてはベルンストが困る。
「……夢のような話だが、もう一人の自分というのはなぜか納得できる……」
言葉や理屈ではなく、精神を共有するという特異な感覚がクラッツにこの事実を認めさせた。
ベルンストがクラッツの喜怒哀楽を共有するように、クラッツもまたベルンストの人間離れした平衡な思考を感じ取っていたからだ。
さすがに細かな思考までは読み取れなかったのだが……。
クラッツを説得する困難さを覚悟していたベルンストにとって、これは僥倖と言ってよかった。
『我は向こうの世界では神に等しき魔導の王……正直こんな田舎の伯爵の軍勢程度なら、片手で蹴散らせるぞ。その気になればお前にもそれは可能なはずなのだ』
クラッツはベルンストの分身である。特別な修業など行わなくとも、きっかけを与えるだけで当代一流の魔導士になることは疑いない。
もしもベルンストがクラッツの立場なら、直接間接を問わず、とりあえず実力で障害を排除するであろう。
「……無茶を言うなよ。仮に伯爵の軍を撃退できても、今度は王国が黙っちゃいない。それに街道を封鎖しただけで、こんな村なんて簡単に滅びちまうんだ」
村の、辺境に住まう者の貧しさをクラッツは骨身に沁みて知っている。
これがクラッツただ一人のことであれば、最初からこんなに悩んだりはしないのだ。
繰り返しになるが、もともとクラッツは、自分自身の武勇は世界に通用するものだと確信していた。
だから義姉を連れて国境を突破することぐらいは、決して不可能なことではないのである。
実際に一時はそれを決意しかけたし、義姉に反対されなければ、本当にそうしていただろう。
『……しかしそれで肝心の義姉が救えなくては意味があるまい』
ベルンストの痛烈な皮肉がクラッツの肺腑をえぐる。
そうなのだ。
人として非道なのは百も承知だが、クラッツにとって大事な義姉の身に比べれば、村の命運など取るに足らない。
問題は潔癖な性格の義姉が、決してそれを容認しないであろうということなのだった。
「恥を忍んで聞くが……どうにか義姉も村も救う手立てはないのか?」
クラッツは、生来策を巡らすタイプの人間ではない。
腕力や体力にものを言わせ、正面から問題を突破するのが本質である。
ベルンストも神に等しい力を手にしてからは同様であったが、かつてまだいち冒険者であった時代には、力だけでは解決できない事態に遭遇した経験が多々あった。
ベルンストも修業の途上では、権力との妥協を強いられてきたのである。
『正面から戦えないというのであれば、伯爵以上の権力者に働きかけてもらうほかあるまいな。我のような規格外の力を、喉から手が出るほど欲している者に心当たりはないか?』
「力が欲しい貴族なら掃いて捨てるほどいるだろうけどな……」
問題は時間がないことだ。
義姉が連れ去られてから協力を得ても意味はない。悠長に貴族の伝手をたどり、売り込みをする余裕はなかった。
『例えば剣闘士の闘技会……あるいは不治の病に侵された深窓の令嬢であってもよいな。移動の時間は考えなくても良いぞ、我の転移術を使えば一瞬じゃ』
ベルンストの言葉を聞いて、クラッツに閃くものがあった。
ひとつには王国騎士を目指す者が、等しく目標とする葡萄月の闘技大会である。
しかし開催まであと半年以上待たなければならない。
可能性がありそうなのはもうひとつの不治の病のほうだ。
イェルムガンド王国第二王女、ルナリア・ハインツ・フォン・イェルムガンドが原因不明の奇病で床に伏し、回復の見込みが立たぬまま半年近くが経過していた。
業を煮やした王が、完治させた者には望みのままの恩賞を与える、という布告を発していたことを、クラッツは思い出したのである。
『なるほどそれは都合がいい、王女とあらば不足はあるまいな』
無造作にベルンストはクラッツに告げた。
『王都まで転移するぞ! 準備せよ』
「どどど、どうやるんだよっ! てか転移って何?」
そもそもクラッツには、魔導を使うという概念自体がない。
辺境の寒村では魔導を見る機会すらなく、傭兵であった両親から噂話を聞いたのみである。
『ええいっ! 魔導の王たる我の血を引きながらなんたる無知! 許されざる! とにかくそれほど難しい術ではない。まず額に光が集まるのを観想しろ』
不満たらたらのベルンストの言葉に、クラッツは大人しく鳶色の瞳を閉じて、眉間に意識を集中した。
この手の集中法は魔導ばかりでなく、剣術の修業でもよく使われる基本中の基本である。
幼いころから身体だけは鍛えてきたクラッツにとって、ベルンストのいう観想はなじみのあるものだった。
心を鏡に、身体を水に……次第に眉間に感じる光が白く強く輝いていくのをクラッツは感じた。
『なるほど、やはり呑み込みがよい……ではそのまま、王都のよく知る景色を思い浮かべるのだ。そしてその場に立つ自分をイメージしろ』
今まで一度も魔導を行使したことがないとは思えないほど、静謐で力強い魔力の流れを感じてベルンストは満足そうに頷く。
そうだ、そうでなくてはならぬ。我がアルマディアノスの姓を冠する者が脆弱であろうはずがないのだ……。
それにしても、自分で術が使えぬというのは何とももどかしいものだ、とベルンストは想像以上のストレスに苦笑した。
そんなことを考えているうちに、クラッツの練り上げる魔力が飽和状態になっていく。
『……よし、魔力が泡のように弾けるのをイメージしろ!! 一気に飛ぶから我の言葉のあとに続け!』
ベルンストからクラッツの脳内に、巨大な知識とイメージの塊が流れ込んでくる。
脳神経に莫大な負担がかかったはずだが、クラッツは自分でも意外なほど冷静にその異形の知識を受け止め、詠唱の言葉を発した。
『閃移!』
「閃移!」
一瞬、白い閃光が世界を塗り替えたかと思うと、気がついたときにはクラッツの足は、見覚えのある王都の石畳を踏みしめていた。
(これがこの男の魔導か――!)
両親に聞いていたものとは比較にならぬ即効性に、クラッツは背筋が寒くなる驚きを禁じえない。
王国魔導のトップである宮廷魔導士長でも、このような高度な術を行使することは容易ではないはずだ。
しかもそれを使ったのが、ほかならぬ自分自身であることも驚きだった。
自慢ではないが魔導の魔の字も知らなかったはずなのに、ベルンストの助言に従っただけで、今では体内を巡る魔力の流れを直に感じることができる。
もう次からはベルンストの補助なしに術を行使することができるだろう。
『ボーッとしておる暇はないのではないか?』
ベルンストの揶揄するような言葉に我に返ったクラッツは、さっそく王城の入り口にあるはずのギルドへ急いだ。
義姉が連れ去られるまで、おそらく三日もないだろう。
もはや一刻の猶予もない。できる限り早く、クラッツはヘイゼル伯爵に対抗するだけの力を手に入れなければならなかった。
「確かこっちに受付があったはず……」
クラッツにとっても王都にやってくるのは、およそ三年ぶりである。
父に連れられて初めて王都を目にした感動を忘れたことはないが、どうやらここ数年で街並みも少し変わったようだ。
どこか人々の空気が刺々しく感じられるのは、王女が原因不明の病に倒れたことも影響しているのかもしれない。
遠い記憶の糸をたぐりながら、それでもどうにか迷うことなく、クラッツは赤い屋根が印象的な古びたギルドの屯所にたどり着いた。
しばらくぶりのギルドの窓口は閑散としていた。
すでに日が高くなっているためか、依頼を探す冒険者の姿も少ない。
それでも十数人の武装した冒険者が、依頼書の掲示板を睨んで品定めを行っているようだ。
掲示板などに用はないクラッツは、営業スマイルを浮かべて座っている受付の女性に足を向けた。
「……王女様の病の治療依頼は今も受け付けておりますでしょうか?」
「はあああ?」
笑顔が可愛いと冒険者の間で評判の受付嬢ヒルダは、少年の口から出たあまりに不似合いな台詞に、思わず疑問符を吐き出してしまった。
しかしそれも無理からぬことであろう。
少年と言えば聞こえはいいが、身長は二メートル超。体重も百キロ以下ということはありえない堂々たる巨躯である。
隆々と盛り上がった筋肉は、歴戦の戦士もかくやというほど見事に完成していた。
見覚えのない少年だが、てっきり冒険者として討伐依頼を受けにきたものと、ヒルダは思い込んでいたのである。
「い、いえ、失礼いたしました。まだ王女殿下の診療依頼は取り下げられていません」
かろうじてヒルダはそう返したが、いかにも肉体労働系の少年が、この高度な依頼に手を出すのは不審であった。
仮にも治療の対象は、尊き一国の王女である。
ものは試しでやってみましたとか、気力で治しますとかいう戯言が通じる相手ではない。
場合によっては治療中に王女の容態の悪化を招き、物理的に首が飛ぶという可能性もあるのである。
これは冗談ではなく、すでに大言壮語したあげく治療に失敗した王宮医師の一人の首が、文字通り飛んでいた。
この事件後、王女を診察しようとする者の数はめっきり減っていた。
「では早急に王宮にお取次ぎ願いたい。我が名はクラッツ・ハンス・アルマディアノス……魔導士にございます」
「ええええええええええっ!」
ギルドの受付として滅多にうろたえたことのないヒルダが、思わず叫んでしまった。
人は見かけによらないとはこのことであろうか。
クラッツの見事な体躯と、童顔だが端整な面立ちを改めて見直して、ヒルダは言葉を失った。
偏見かもしれないが、ヒルダの経験上、魔導士は大概痩身で暗い面差しの者ばかりだったからだ(偏見である。マッチョな魔導士も少なからずいる)。
厳密には、クラッツの使う魔導は一般的な意味での魔導とは違うが、ヒルダにそのような知識はそもそもない。
いずれにしろ事は一介の受付嬢にすぎないヒルダの手に余るものだった。
「しばらくお待ちください……今、城に確認を取りますので」
一向に治療者が現れないため、王宮からは早く適格者を探し出すよう圧力を受けていたところである。
正直なところクラッツが引き受けてくれるのならギルドにとってはありがたい。
ただひとつ、よほどの大失敗をやらかしさえしなければ。
果たして自分のような氏素性の知れぬ平民の男が、すんなり王宮に入れるものか?
クラッツは表情には出さないが、内心では不安を募らせていた。
この策はベルンストの高度な魔導によって、無事王女の危急を救うことが前提となっている。
しかし前提条件が崩れてしまっては策そのものが成り立たない。
『そう恐れることはない……あの娘の表情を見ていなかったか? あきらかにホッとしていたではないか……おそらくみなに匙を投げられて、このところは名乗りを上げる者もいなかったのであろう』
ベルンストの想像は正鵠を得ていたと言っていい。
「おいおい、悪いことは言わねえからやめとけって。お前も若いのに命を無駄に捨てたくはないだろう?」
ヒルダとクラッツの会話を聞いていた冒険者の一人が立ち上がった。
彼は知り合いの冒険者が依頼に失敗して、王都を追放されたことを知っていたのである。
彼の目には、クラッツがそのベテラン冒険者以上の力量を持つとはとても思えなかった。
「お気遣いありがとうございます。でもこう見えて勝算はありますので」
ニコリ、と自然な頬笑みを浮かべるクラッツの瞳を見て、男はクラッツに対する評価を改めた。
自慢するわけでも、虚勢を張るわけでもない。
ということはよほどの勘違い野郎か、はたまた本当の実力者のいずれかであろう。
「まあ、お前さんがそう言うなら止めんがよ。老婆心までに、ひとつ魔導を見せてくれるかい?」
「そうですね――こんなもんでどうです?」
そう言った瞬間、クラッツの身体は男の背後に移動していた。
瞬間移動――魔法陣の力も借りずに、無造作に発動できる魔導ではない。
クラッツが白兵戦の能力も備えているのなら、自分は確実に死んでいた。
ごくりと喉を鳴らして、男は冷や汗とともに、クラッツが並みの魔導士でないことを確信した。
「……俺はマルティン・ハーディング。このギルドじゃちょっとした顔だ。困ったことがあったら顔を出しな」
豪傑マルティンが新人の冒険者を認めた、という驚きが、さざめきのようにギルド内に広がっていく。
マルティンの人を見る目の確かさを知る冒険者数人が、この機会にクラッツと知り合っておこうと腰を上げた、その時だった。
「……クラッツ・ハンス・アルマディアノス様! お待たせいたしました!」
連絡を受けて佇まいを正したヒルダが、クラッツに対して腰を折った。
ヒルダの態度が突然変わったことにクラッツは戸惑ったが、ベルンストは冷静に事態の推移を洞察していた。
諦めかけていたところに得体の知れぬ魔導士が現れたことで、藁にもすがる思いで、丁重にお出迎えしろという指示が来たのだろう。
どうやら王女の容態はよほど危ないと見える。まあ、危ないほうが恩の売り甲斐があるのだが。
「すぐに案内の者が参ります。そのまま急ぎ登城するように、とのお達しです」
リアストラ大陸――五つの大国を中心に多くの小国が乱立する大陸。
ガウラはその五大国のひとつ、イェルムガンド王国の西部辺境、ヘイゼル伯爵領にあるしがない村だった。
どうやらこの世界は、ベルンストが予想していた以上に文明レベルが低いようだ。
クラッツがベルンスト譲りの素養を持つにもかかわらず、魔導のひとつも使えないのは、そもそもこの辺境に魔導の技術者がまったく存在しないためである。
さすがにベルンストの分身といえども、教えられていないものを覚えることはできない。
(まさか魔導を見たことすらないとは。我としたことがぬかったわ!)
しかし王都には宮廷魔導士もいるようだし、魔導技術が存在しないというわけではないようである。
たまたまクラッツの生まれた場所が悪かった。その事実にはベルンストも落胆の念を禁じえない。
たとえ三流の魔導士でもよい。きっかけさえ与えることができれば、たちまちクラッツはその才能を表したであろうに。
それに我が分身がこれほど柔弱にすぎるというのが気に入らない。まったく、たかがあれしきの状況でうろたえおって――!
世界各地に認識の手を伸ばしながらベルンストは憤っていた。
義姉を守りたければ守ればいい。それだけの力がクラッツには十分備わっている。
むしろ貴族の男に、生まれてきたことを後悔させるほどの報復をしてしかるべきだった。
村の連中のためにそれができないと言うのなら、そもそも義姉など最初から見捨ててしまえばよいのだ。
でなければ、村ごとすべて守れる力を手に入れるしかない。
それが男子たるの覚悟ではないか。
クラッツの行動は、ベルンストに言わせればいずれにしても中途半端なものであった。
だがそうした憤りを感じられること自体が、クラッツと感覚を共有した証なのだろう。
常のベルンストであれば不快を感じた時点で相手を殲滅するので、こうした歯がゆい苛立ちを感じること自体がありえないからだ。
(……ふむ、かつての人間らしい感情を思い出すという点では、ひとまず成功と言っていいようだな)
やはり同じ遺伝子を持つ分身だけあって共感性は高い。これならばクラッツの感情をトレースして、自ら擬似的な感情を得る日も遠くはあるまい。
だがこのやりきれない不快さはどうだ?
我はこんな不愉快な感情のために世界を超えて来たわけではない。
大いなる歓喜が!
お互いに命を懸け、好敵手と戦う、あの思わず叫びたくなるような熱い高揚が!
美女を己が手で組み敷き、存分になぶって自分の所有物であることを刻印するときの劣情が!
それこそ我が再び味わいたいと願ってやまなかったものではないか!
(障害が多いほどに達成感は大きいとは言うが……)
ベルンストという男は神に等しい存在である。自制や屈服などという言葉から、もっとも縁遠い存在と言ってもいい。
優しいと言えば聞こえはいいが、どうにも柔弱なクラッツと共存するとなると、自分で力を行使する誘惑に耐えるのは、なかなか忍耐が必要そうであった。
しかし仮想人格であるクラッツを乗っ取ってしまえば、生の感情を味わうという本来の目的が失敗に終わるのは明らかだ。
なんとも歯がゆいことだが、今は裏からクラッツを助けるしかない。
(……もっともっと楽しませよ、我が分身よ! お前は最強の男、アルマディアノスの魂を継ぐ男ぞ!)
◆ ◆ ◆
クラッツとコーネリアの姉弟は、もともとこの村の生まれというわけではなかった。
父ケンプは若いころ、それなりに名を知られた傭兵であったそうだ。
そして古い戦友であった傭兵仲間に託された一人娘が母フリッグ。
戦友に先立たれた父は、どうした運命の変転か、その娘と結ばれるに至ったわけだ。
「死んだら俺はあの世でリックの奴に殺されるかもしれん」
そう言って生前の父は笑っていた。
しかし父が忍耐の限界を超えて母に手を出してしまったのも、わからないではなかった。
それほどにフリッグは、誰もがうらやむ佳人だったからである。
と言っても、フリッグの性格は狡猾で一途であり、実際はフリッグのほうからケンプを誘惑したそうだが。
クラッツの義姉コーネリアはその母の美貌を受け継いでいる。
滑らかな曲線を描く優美な肢体も。
濡れたように妖しい輝きを帯びた黒髪も。
男を惹きつけずにはおかぬ切れ長で妖艶な眼差しも。
すべては絶世の美女である母、フリッグに勝るとも劣らぬものであった。
――ただちょっと、いやかなり胸が残念なのはここだけの秘密である。
そしてもっとも肝心なことは、クラッツはケンプとフリッグの子ではない。
戦場で死にかけていた見ず知らずの娘から、ケンプが託された子供である。
いつもならそんな子供は見捨てるのだが、大金を渡されたことに加え、不思議と見捨ててはいけない気がしたという。
そしてフリッグも、健やかに笑う赤ん坊にどこか惹かれるものを感じたらしい。
クラッツは奇跡的な偶然によって一家に迎えられ、コーネリアの弟となり、アルマディアノスの姓を受け継ぐこととなった。まさに因果律のなせる業だ。
十二歳のときにその事実を知って以来、クラッツは日に日に高まる懊悩を抱えてきた。
義姉をほかの男に渡したくない。
この美しい義姉と、姉弟二人でいつまでも平和に暮らしたい。
それが不自然な願いであることは百も承知だったが、クラッツは願わずにはいられなかったのである。
幸運にも義姉は男性に興味が薄い性格であったので、これまで二人の平和が乱されることはなかったのだが――まさかこんな最悪の相手に見初められようとは。
こんなことならいっそ俺が義姉さんを……。
ずっと心の奥に秘めていた禁忌の感情が溢れ出るのを、クラッツは必死で抑えた。
『――そんな相手など殺してしまえばよいではないか。何をためらう?』
それだけの隔絶した力がクラッツにはあるはずだ、とベルンストは当然のように言う。
「できるわけないだろう! 仮にできたとしても、どれだけ村のみんなに迷惑がかかるか……」
『まったく、育ちというものは厄介だの。我としたことが、我が遺伝子を過信し環境を甘く見たか……許されざる!』
「俺のなかにいるあんたはなんなんだ? 亡霊か? 悪魔か?」
いかにも気分を損ねたという声で、ベルンストは拗ねたように答えた。
『そんな矮小なものと比べてもらっては困るな。我はドルマント世界の魔導の王にして、こことは異なる世界のもう一人のお前じゃ』
もちろんベルンストに真実を語るつもりはない。
お前は自分の遊戯のためにつくられた存在なのだ、と言ったところで信じるはずもないし、万が一自殺などされてはベルンストが困る。
「……夢のような話だが、もう一人の自分というのはなぜか納得できる……」
言葉や理屈ではなく、精神を共有するという特異な感覚がクラッツにこの事実を認めさせた。
ベルンストがクラッツの喜怒哀楽を共有するように、クラッツもまたベルンストの人間離れした平衡な思考を感じ取っていたからだ。
さすがに細かな思考までは読み取れなかったのだが……。
クラッツを説得する困難さを覚悟していたベルンストにとって、これは僥倖と言ってよかった。
『我は向こうの世界では神に等しき魔導の王……正直こんな田舎の伯爵の軍勢程度なら、片手で蹴散らせるぞ。その気になればお前にもそれは可能なはずなのだ』
クラッツはベルンストの分身である。特別な修業など行わなくとも、きっかけを与えるだけで当代一流の魔導士になることは疑いない。
もしもベルンストがクラッツの立場なら、直接間接を問わず、とりあえず実力で障害を排除するであろう。
「……無茶を言うなよ。仮に伯爵の軍を撃退できても、今度は王国が黙っちゃいない。それに街道を封鎖しただけで、こんな村なんて簡単に滅びちまうんだ」
村の、辺境に住まう者の貧しさをクラッツは骨身に沁みて知っている。
これがクラッツただ一人のことであれば、最初からこんなに悩んだりはしないのだ。
繰り返しになるが、もともとクラッツは、自分自身の武勇は世界に通用するものだと確信していた。
だから義姉を連れて国境を突破することぐらいは、決して不可能なことではないのである。
実際に一時はそれを決意しかけたし、義姉に反対されなければ、本当にそうしていただろう。
『……しかしそれで肝心の義姉が救えなくては意味があるまい』
ベルンストの痛烈な皮肉がクラッツの肺腑をえぐる。
そうなのだ。
人として非道なのは百も承知だが、クラッツにとって大事な義姉の身に比べれば、村の命運など取るに足らない。
問題は潔癖な性格の義姉が、決してそれを容認しないであろうということなのだった。
「恥を忍んで聞くが……どうにか義姉も村も救う手立てはないのか?」
クラッツは、生来策を巡らすタイプの人間ではない。
腕力や体力にものを言わせ、正面から問題を突破するのが本質である。
ベルンストも神に等しい力を手にしてからは同様であったが、かつてまだいち冒険者であった時代には、力だけでは解決できない事態に遭遇した経験が多々あった。
ベルンストも修業の途上では、権力との妥協を強いられてきたのである。
『正面から戦えないというのであれば、伯爵以上の権力者に働きかけてもらうほかあるまいな。我のような規格外の力を、喉から手が出るほど欲している者に心当たりはないか?』
「力が欲しい貴族なら掃いて捨てるほどいるだろうけどな……」
問題は時間がないことだ。
義姉が連れ去られてから協力を得ても意味はない。悠長に貴族の伝手をたどり、売り込みをする余裕はなかった。
『例えば剣闘士の闘技会……あるいは不治の病に侵された深窓の令嬢であってもよいな。移動の時間は考えなくても良いぞ、我の転移術を使えば一瞬じゃ』
ベルンストの言葉を聞いて、クラッツに閃くものがあった。
ひとつには王国騎士を目指す者が、等しく目標とする葡萄月の闘技大会である。
しかし開催まであと半年以上待たなければならない。
可能性がありそうなのはもうひとつの不治の病のほうだ。
イェルムガンド王国第二王女、ルナリア・ハインツ・フォン・イェルムガンドが原因不明の奇病で床に伏し、回復の見込みが立たぬまま半年近くが経過していた。
業を煮やした王が、完治させた者には望みのままの恩賞を与える、という布告を発していたことを、クラッツは思い出したのである。
『なるほどそれは都合がいい、王女とあらば不足はあるまいな』
無造作にベルンストはクラッツに告げた。
『王都まで転移するぞ! 準備せよ』
「どどど、どうやるんだよっ! てか転移って何?」
そもそもクラッツには、魔導を使うという概念自体がない。
辺境の寒村では魔導を見る機会すらなく、傭兵であった両親から噂話を聞いたのみである。
『ええいっ! 魔導の王たる我の血を引きながらなんたる無知! 許されざる! とにかくそれほど難しい術ではない。まず額に光が集まるのを観想しろ』
不満たらたらのベルンストの言葉に、クラッツは大人しく鳶色の瞳を閉じて、眉間に意識を集中した。
この手の集中法は魔導ばかりでなく、剣術の修業でもよく使われる基本中の基本である。
幼いころから身体だけは鍛えてきたクラッツにとって、ベルンストのいう観想はなじみのあるものだった。
心を鏡に、身体を水に……次第に眉間に感じる光が白く強く輝いていくのをクラッツは感じた。
『なるほど、やはり呑み込みがよい……ではそのまま、王都のよく知る景色を思い浮かべるのだ。そしてその場に立つ自分をイメージしろ』
今まで一度も魔導を行使したことがないとは思えないほど、静謐で力強い魔力の流れを感じてベルンストは満足そうに頷く。
そうだ、そうでなくてはならぬ。我がアルマディアノスの姓を冠する者が脆弱であろうはずがないのだ……。
それにしても、自分で術が使えぬというのは何とももどかしいものだ、とベルンストは想像以上のストレスに苦笑した。
そんなことを考えているうちに、クラッツの練り上げる魔力が飽和状態になっていく。
『……よし、魔力が泡のように弾けるのをイメージしろ!! 一気に飛ぶから我の言葉のあとに続け!』
ベルンストからクラッツの脳内に、巨大な知識とイメージの塊が流れ込んでくる。
脳神経に莫大な負担がかかったはずだが、クラッツは自分でも意外なほど冷静にその異形の知識を受け止め、詠唱の言葉を発した。
『閃移!』
「閃移!」
一瞬、白い閃光が世界を塗り替えたかと思うと、気がついたときにはクラッツの足は、見覚えのある王都の石畳を踏みしめていた。
(これがこの男の魔導か――!)
両親に聞いていたものとは比較にならぬ即効性に、クラッツは背筋が寒くなる驚きを禁じえない。
王国魔導のトップである宮廷魔導士長でも、このような高度な術を行使することは容易ではないはずだ。
しかもそれを使ったのが、ほかならぬ自分自身であることも驚きだった。
自慢ではないが魔導の魔の字も知らなかったはずなのに、ベルンストの助言に従っただけで、今では体内を巡る魔力の流れを直に感じることができる。
もう次からはベルンストの補助なしに術を行使することができるだろう。
『ボーッとしておる暇はないのではないか?』
ベルンストの揶揄するような言葉に我に返ったクラッツは、さっそく王城の入り口にあるはずのギルドへ急いだ。
義姉が連れ去られるまで、おそらく三日もないだろう。
もはや一刻の猶予もない。できる限り早く、クラッツはヘイゼル伯爵に対抗するだけの力を手に入れなければならなかった。
「確かこっちに受付があったはず……」
クラッツにとっても王都にやってくるのは、およそ三年ぶりである。
父に連れられて初めて王都を目にした感動を忘れたことはないが、どうやらここ数年で街並みも少し変わったようだ。
どこか人々の空気が刺々しく感じられるのは、王女が原因不明の病に倒れたことも影響しているのかもしれない。
遠い記憶の糸をたぐりながら、それでもどうにか迷うことなく、クラッツは赤い屋根が印象的な古びたギルドの屯所にたどり着いた。
しばらくぶりのギルドの窓口は閑散としていた。
すでに日が高くなっているためか、依頼を探す冒険者の姿も少ない。
それでも十数人の武装した冒険者が、依頼書の掲示板を睨んで品定めを行っているようだ。
掲示板などに用はないクラッツは、営業スマイルを浮かべて座っている受付の女性に足を向けた。
「……王女様の病の治療依頼は今も受け付けておりますでしょうか?」
「はあああ?」
笑顔が可愛いと冒険者の間で評判の受付嬢ヒルダは、少年の口から出たあまりに不似合いな台詞に、思わず疑問符を吐き出してしまった。
しかしそれも無理からぬことであろう。
少年と言えば聞こえはいいが、身長は二メートル超。体重も百キロ以下ということはありえない堂々たる巨躯である。
隆々と盛り上がった筋肉は、歴戦の戦士もかくやというほど見事に完成していた。
見覚えのない少年だが、てっきり冒険者として討伐依頼を受けにきたものと、ヒルダは思い込んでいたのである。
「い、いえ、失礼いたしました。まだ王女殿下の診療依頼は取り下げられていません」
かろうじてヒルダはそう返したが、いかにも肉体労働系の少年が、この高度な依頼に手を出すのは不審であった。
仮にも治療の対象は、尊き一国の王女である。
ものは試しでやってみましたとか、気力で治しますとかいう戯言が通じる相手ではない。
場合によっては治療中に王女の容態の悪化を招き、物理的に首が飛ぶという可能性もあるのである。
これは冗談ではなく、すでに大言壮語したあげく治療に失敗した王宮医師の一人の首が、文字通り飛んでいた。
この事件後、王女を診察しようとする者の数はめっきり減っていた。
「では早急に王宮にお取次ぎ願いたい。我が名はクラッツ・ハンス・アルマディアノス……魔導士にございます」
「ええええええええええっ!」
ギルドの受付として滅多にうろたえたことのないヒルダが、思わず叫んでしまった。
人は見かけによらないとはこのことであろうか。
クラッツの見事な体躯と、童顔だが端整な面立ちを改めて見直して、ヒルダは言葉を失った。
偏見かもしれないが、ヒルダの経験上、魔導士は大概痩身で暗い面差しの者ばかりだったからだ(偏見である。マッチョな魔導士も少なからずいる)。
厳密には、クラッツの使う魔導は一般的な意味での魔導とは違うが、ヒルダにそのような知識はそもそもない。
いずれにしろ事は一介の受付嬢にすぎないヒルダの手に余るものだった。
「しばらくお待ちください……今、城に確認を取りますので」
一向に治療者が現れないため、王宮からは早く適格者を探し出すよう圧力を受けていたところである。
正直なところクラッツが引き受けてくれるのならギルドにとってはありがたい。
ただひとつ、よほどの大失敗をやらかしさえしなければ。
果たして自分のような氏素性の知れぬ平民の男が、すんなり王宮に入れるものか?
クラッツは表情には出さないが、内心では不安を募らせていた。
この策はベルンストの高度な魔導によって、無事王女の危急を救うことが前提となっている。
しかし前提条件が崩れてしまっては策そのものが成り立たない。
『そう恐れることはない……あの娘の表情を見ていなかったか? あきらかにホッとしていたではないか……おそらくみなに匙を投げられて、このところは名乗りを上げる者もいなかったのであろう』
ベルンストの想像は正鵠を得ていたと言っていい。
「おいおい、悪いことは言わねえからやめとけって。お前も若いのに命を無駄に捨てたくはないだろう?」
ヒルダとクラッツの会話を聞いていた冒険者の一人が立ち上がった。
彼は知り合いの冒険者が依頼に失敗して、王都を追放されたことを知っていたのである。
彼の目には、クラッツがそのベテラン冒険者以上の力量を持つとはとても思えなかった。
「お気遣いありがとうございます。でもこう見えて勝算はありますので」
ニコリ、と自然な頬笑みを浮かべるクラッツの瞳を見て、男はクラッツに対する評価を改めた。
自慢するわけでも、虚勢を張るわけでもない。
ということはよほどの勘違い野郎か、はたまた本当の実力者のいずれかであろう。
「まあ、お前さんがそう言うなら止めんがよ。老婆心までに、ひとつ魔導を見せてくれるかい?」
「そうですね――こんなもんでどうです?」
そう言った瞬間、クラッツの身体は男の背後に移動していた。
瞬間移動――魔法陣の力も借りずに、無造作に発動できる魔導ではない。
クラッツが白兵戦の能力も備えているのなら、自分は確実に死んでいた。
ごくりと喉を鳴らして、男は冷や汗とともに、クラッツが並みの魔導士でないことを確信した。
「……俺はマルティン・ハーディング。このギルドじゃちょっとした顔だ。困ったことがあったら顔を出しな」
豪傑マルティンが新人の冒険者を認めた、という驚きが、さざめきのようにギルド内に広がっていく。
マルティンの人を見る目の確かさを知る冒険者数人が、この機会にクラッツと知り合っておこうと腰を上げた、その時だった。
「……クラッツ・ハンス・アルマディアノス様! お待たせいたしました!」
連絡を受けて佇まいを正したヒルダが、クラッツに対して腰を折った。
ヒルダの態度が突然変わったことにクラッツは戸惑ったが、ベルンストは冷静に事態の推移を洞察していた。
諦めかけていたところに得体の知れぬ魔導士が現れたことで、藁にもすがる思いで、丁重にお出迎えしろという指示が来たのだろう。
どうやら王女の容態はよほど危ないと見える。まあ、危ないほうが恩の売り甲斐があるのだが。
「すぐに案内の者が参ります。そのまま急ぎ登城するように、とのお達しです」
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