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鉄仮面の正体

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レオナルド・ディカプリオの映画をご覧になった読者も多いだろう。
管理人ぐらいの年代であれば、少女漫画「アリシア白の輪舞」を知っているかもしれない。いや、知っていたらかなりのマニアである(笑)
鉄仮面は大デュマの小説「鉄仮面」が有名で、日本でも黒岩涙香が翻訳して出版されている。
まず、はじめに、「三銃士」で有名なアレキサンドル・デュマ(父親はナポレオンの将軍であり、息子は椿姫の作者小デュマ)の名作の一つ、「鉄仮面」のあらすじから紹介しよう。

ルイ13世の妃アンヌは双子の王子を産み落とすが、将来、この2人が王位継承権をめぐって争うのを避けるため、弟の方だけを遠く離れた所へ人知れず預けることにした。
ところがある日、ふとしたことから弟は自分の出生の秘密を知ってしまうことに・・・。
王家の秘密を知ってしまった弟は兄の命令で捕らえられ、仮面をつけられて牢獄に幽閉されてしまう。

デュマの書いた小説は、世紀を超えて楽しめる超一流のエンターテイメントとして、現在でも繰り返し映画化されたり、アニメ化されたりしている。
それ故に、物語に登場する謎の人物「鉄仮面」も、ただのフィクションの主人公だと考えている人が多いらしい。
だが、「三銃士」にモデルがあるのと同様、「鉄仮面」の男は、1600年代にフランスのバスティーユ監獄に幽閉されていた実在の人物がモデルとなっているのだ。

デュマが小説の中で明かした「鉄仮面」の正体は、実はある偽造文書をもとにしたなの創作だが、1669年にバスティーユ牢獄に入獄し、1703年に獄中で死ぬまでの34年間、鉄の仮面をつけられたままの謎の囚人が存在したのは複数の文書で確認することのできる事実なのである。

ちなみに、「鉄仮面」は、最初からバスティーユ牢獄にいたわけではない。
1669年にピネロル牢獄に投獄され、その後、1687年に南フランスのサント・マルグリット島に移されたのち、1698年にバスティーユ牢獄に移送されている。約10年ごとに、おそらくはあえて場所を変えて幽閉されていたことになる。

その男は、「マルシェル」という仮名以外は身元不明だった。
また男が名前で呼ばれることはなく、「古い囚人」などと呼ばれていたようだ。
入獄した頃は若く長身で、どことなく気品があり、高貴な生まれであることを連想させたという。
男の仮面については、アゴの部分に鉄のバネがはめ込んであり、仮面をつけたままで食事ができるように作られていたという説と、黒いビロードの頭巾のようなものをかぶらされていたという説がある。

「鉄仮面」は、牢獄の中では特別な存在として丁重に扱われていたようだが、これはルイ14世自身から出された命令によるものだった。
しかしルイ14世が出した命令の中には「彼が仮面をはずしたり、必要以上のことを話そうとしたり、身の上について語ろうとした時は殺せ」というものもあった。
そのため、診察した医者でさえ鉄仮面の顔を見ることはなかったという。

さて、顔であった「鉄仮面」とは一体何者だったのだろう?
『鉄仮面』の正体については、これまでの300年間、実に様々な説が出されている。
中でも主だった説は次のような説である。
 
ルイ14世の異母兄弟説―その1 
ルイ13世と愛人とのあいだに生まれた子供が鉄仮面であるという説。
しかしこれは考えにくい。当時、国王の庶子であれば、十分な年金を与えられた上、領地を分け与えられるなど、捕らえられるどころか優遇されていたのだ。
嫡子がいる以上、王位争いを心配する蓋然性も低い。

ヴォルテールの仮説=ルイ14世の異父兄弟説 
ルイ13世は性的不能者だったというのは当時から有名な話。
そのため、王妃アンヌが宰相のマザランと不倫関係にあるという噂が当時流れていた。
直木賞作家である佐藤賢先生の「二人のガスコン」ではこの説が取られている。
そんなこともあって、当時はこの説が有力視されていた。
「鉄仮面」は、王妃アンヌと、宰相のマザランの間に生まれた私生児だという仮説である。
王妃は、不義の子を実子だと国王に信じさせる必要があった。
悩んだ王妃は子供のことを枢機卿リシュリューに打ち明け、相談した。
そこでリシュリューは、国王と王妃が一夜を共にするように画策し、なんとか成功したが、皮肉にもその一夜で王妃が本当に懐妊してしまった。こうして生まれたのがルイ14世である。
王妃らは不義の子が国王にばれないよう、慌てて私生児をよそに預けた。ところが、成人したルイ14世は、ふとしたことから自分にそっくりの兄がいることを知ってしまう。
いつかこの兄が王位を要求してくるのではと警戒したルイ14世は、仮面をつけさせた上で幽閉することにした。

と、これが思想家ヴォルテールが立てた仮説だが、この説は、現在では信憑性が低いといわれている。
その理由は、記録に矛盾な点が多いこともあるが、第一に挙げられるのは、当時、王妃の出産は全廷臣が見守る中、公開で行われていたため、出産した子供を入れ替えることなど不可能だからだ。
これはフランスだけではなくスペインなどでも行われていたことだが、王が王妃と初夜を行うには証人が監視していたし、出産も公開されていたので、不正を行う余地はなかった。

ルイ14世の双子の弟説 
デュマの小説の筋書きと同じ、王位継承権問題説
主だった説を挙げるとこのような感じで、あとは似たり寄ったりの説だが、有力視されて残っている説には、いずれも共通した箇所がある。
それは、「ルイ14世が仮面をつけさせたのは、鉄仮面の顔が、国王自身の顔にそっくりだったからに違いない」という点である。
事実、映画やドラマでは鉄仮面の素顔はルイ14世とそっくりであるのがデフォと化している。

鉄仮面にまつわる様々な疑問点について、現在有力とされている説をピックアップしてみよう。


それでは「なぜ殺さずに生かしておいたのか?」についての有力説だが、王家の血筋の者だったので、おいそれとは殺せなかったというのが有力な仮説である。
しかし管理人は、もし鉄仮面が双子の弟であれば、殺すのは躊躇っただろうと考えている。
当時双子は忌み嫌われていたが、双子の間に共時性――特殊なシンクロニシティのようなものがあることもまた知られていたからである。
もし鉄仮面を害すれば、ルイ14世になんらかの影響が及ぶ、と迷信的に信じられても不思議ではなかった。



『鉄仮面』は、かなり特殊な規則にのっとった、他の囚人とは比べ物にならない待遇を受けていた。
たとえば、『鉄仮面』には専用の部屋や食器が与えられ、わざわざ看守長が食事を運んでいた。
しかもこの囚人の食事中、看守長は座ることを許されず、起立したままでいることが決められていたのだが、この「食事中には起立したままでいること」という規則は、王家の人々が会食する時の作法なのである!

「鉄仮面」に関する当時の記述には、こんな不思議な話がいくらでも出てくるのだが、中でも特に興味を惹かれたものをいくつか紹介しよう。
それを読めば有力説がなぜ有力視されるのか、より理解を深めることができる。

1698年にバスティーユに「鉄仮面」が送られて来た時の様子 看守の手記より 

9/18 午後3時、サント・マルグリット島から新司令官のサン・マール氏が転任してきた。
マール司令の輿にはピネロル監獄で託された1人の囚人が乗っていた。
この囚人は鉄の仮面をつけられており、素性も一切秘密にされている。
夜の9時に私と副官とで囚人をベルトー塔の第3独房に収容した。
マール司令からの事前通達に従い、囚人の部屋には私が前もって家具や調度品などを備え付けておいた。
身辺の世話をするのはロザルシュ氏、食事の世話をするのは看守長ということになった」
「仮面をつけた囚人がバスティーユの門に着いたとき、マール司令の命令のより城壁近辺の商店の戸はすべて閉ざされた。門番たちも囚人の顔を見ないように、全員が後ろ向きになって迎えた」

「鉄仮面」自身の口から出た言葉 医師の証言
バスティーユ監獄づきの医師マルゾランは、「鉄仮面」が1698年にバスティーユに到着した時、自分のことを「だいたい60歳ぐらいだ」と言ったと聞いている。

※ もしこれが本当なら「鉄仮面」は、ルイ14世(1638年生)とほぼ同い年ということになる!

逮捕理由を誰も知らない 
「ルイ14世の命令」ということ以外、捕まった理由は誰にも知らされなかった。
裁判もなく投獄されたため、裁判記録も残っていない。

国王から「鉄仮面」の管理を任されていたのは誰? 
ルイ14世からじきじきに「鉄仮面」の管理を一任されていたのは陸軍大臣のルヴォワだった。

なんで陸軍? しかも大臣?
この事実から「鉄仮面」は、軍人かその係累で最重要政治機密に関係していたのではないかと見られている。

ルイ14世が「鉄仮面」のために費やした莫大な費用は?
まず、通常の囚人のために費やされていた費用は、1日15スー(約1500~1700円)なのに対し、「鉄仮面」の1年間の生活費は、4380リーブル(約4380万円)なので1日/12万円にも及んでいたのだ!
しかもルイ14世は「鉄仮面」の世話をする看守の給料も激しく昇給していたのだが、バスチーユの司令サン・マールの給与は、年間4万リーブル(約4億円)+ボーナス数万リーブル(約2億円)当時の兵士の週給は2リーブル(約2万円)程度が平均だった時代にだ。
これは口止め料込としか思われない。      

「鉄仮面」の死後の異常な措置 
バスティーユ監獄に来てから5年目の1703年11月19日、謎の囚人「鉄仮面」はこの世を去った。前日、具合が悪いと言って床に入った翌日、あっけなく死去したという。
前兆もなかったため、心不全か脳卒中だと思われる。
その直後に緊急要請があり、「鉄仮面」の使用していた家具や衣類はすべて焼却され、灰はトイレに捨てられた。
金属製品は高熱で溶かされ、独房の壁はすべて白く塗りつぶされ、床のタイルは剥がして新しいものに取り替えられた。
さらに、教会墓地に葬られた「鉄仮面」の棺に収められていた遺体は、無残に顔を潰されていた。
その後、バスチーユの監獄記録の鉄仮面が存在した記録は抹消されている。
だが、看守や医師などの個人的な忘備録などまではさすがに抹消することはできなかった。
※ これらの異常な措置は、小さな痕跡から『鉄仮面』の正体がばれるのを防ぐためだったのではないかと考えられている。
ルイ14世は、囚人の正体が露見するのを神経質すぎるほど恐れていたようだ。
そこまで重要な秘密を握っていた「鉄仮面」を、なぜ34年間も生かしておいたのだろうか。
 
フランス革命後に出てきた古文書
ルイ14世自身が逝去した1715年から70年以上も後のフランス革命後、つまりルイ16世が処刑される1793年頃になって、軍事省の古文書の中から、先述にあった「サン・マール司令」と「陸軍大臣ルヴォワ」の往復書簡が大量に出てきた。
その中から実に重要な記述が発見されたのだ。


陸軍大臣ルヴォアの書簡
「勅命により、ユスターシュ・ドージェという者をピネロル監獄に護送する。厳重に隔離の上、他者に自分の身の上を語らせないように。事前連絡したのは、この囚人を収容する独房を用意する必要があるからである。」
※ 通常勅命(=王の命令)により囚人が護送されるなどということはありえない。すなわち尋常でない囚人なのだ。

この手紙で陸軍大臣ルヴォワが指示した内容はこのようなものだった。

どんなことがあろうと、この囚人が語ろうとする言葉には耳をかしてはならない。また本人にも余計なことを話したら、その時は死刑だと厳重に言い渡しておくこと。

この囚人への食事は囚人専用のメニューではなく、特別の食事を用意すること。そして、1日分を1回、バスチーユ監獄の司令官であるサン・マールの手で囚人の房まで運ぶこと。

明かりとり用の窓は誰も近づけない高さと方向に設けること。 扉は監視兵らに何も聞こえないよう配慮した多重扉にすること。     

貴殿の指示する作業に従事し、囚人の日常生活に必要な調度類を準備するよう、他の者にも命令済みである。
またその代金や囚人の食費など、一切の費用はすべてこちらで清算する。
つまり囚人の予算はバスチーユ監獄の予算とは別に支給されていたということである。

ちなみに、ルヴォワはこの囚人について、「一介の下僕である」と語っていたらしいが、この内容からは、下僕どころか、むしろ「一介の貴族」よりもずっと身分の高い扱いである。
後に大蔵卿であるニコラ・フーケがピネロル監獄に収容されるが、これほどの扱いは受けていない。

そう、このユスターシュ・ドージェなる人物こそ、現在ダントツで「鉄仮面」の男だと目されている人物である。
しかも、この〔ユスターシュ説〕には、かなり信頼出来る根拠があるのだ。
まず逮捕年度が「鉄仮面」と同じ1669年。
その時の異常な警戒態勢は前述の手紙の通り。
       
サン・マールが転任するたび、つねに「鉄仮面」も一緒に移送されたため、
「鉄仮面」は監獄を3度も移されているのだが、なんとサン・マールは、
ユスターシュが1669年6月(ピネロル監獄)に来る

「鉄仮面」が1687年(サント・マルグリット島)に移される

「鉄仮面」がバスティーユに移送される
ここまでの29年間ずーっと、ほぼ毎週のようにルヴォワに報告書を送っていたのだ。

ユスターシュ=「鉄仮面」が有力視されるのは当然だという気がしてくる。
それにしても報告書提出の頻度から垣間見える、この報告への異常な執着ぶりは何だろう。
直接の命令はルヴォワから出されていても、報告を欲しがったのは、もちろんルヴォワのバックにいる国王ルイ14世だろう。
これらの報告書は、29年間つねにルイ14世がユスターシュを監視していたことを示しているといわれている。
※ おそらくは数千通は交わされたと思われる手紙は、大半が散逸してしまったが現在でも約100通ほどが残っている。
       
さて、1687年、サン・マールがサント・マルグリット島に転任された年、「鉄仮面」も移されることになったが、この移送時の警戒態勢も異常だった。

 サント・マルグリット島へ移送した1687年の手紙 
 < サン・マールからルヴォワへ > 

「囚人を運ぶ時、一番安全な乗り物は、蝋引きの布でまわりを包んだカゴではないかと思います。囚人が息苦しくならないように中の空気の通りをよくしなければいけませんが、これだと誰も外から中を見ることはできないし、中の囚人に話しかけることもできません。」

上記の1687年の移送時、4~5名の兵士が護衛もついたが、カゴの「運送人」8人は、大金を支払い、わざわざイタリアのトリノで雇い入れて呼び寄せている。 
もちろん、イタリアの庶民ならフランス語を話せないはずだからだ。
   
サント・マルグリット島の「鉄仮面」用の独房は、当時、7200リーブル(1リーブル=約1万円)も費やして造られたという。現在も残るこの贅沢な房は、カンヌ湾が見渡せる2m四方の窓があり、4.5mもの高さの天井に、総面積が約30平方メートル もあるという。

しかし悲しいかな、やはり独房なのである。
警戒は厳重で、窓には縦横に鉄格子があり、扉は三重扉になっている上に鋲が打たれているのだそうだ。
怪盗ルパンでも逃げられそうにない。

1698年、ついにサン・マールは看守あがりとしては最高の地位に当たるバスティーユ牢獄の司令官に任命される。
田舎の看守長がバスティーユの司令官に任命されるなんてことは異例中の異例で、ほとんど異常なのに、サン・マールは、自分の副官はもちろん身分の低い牢番まで全員残らず連れてバスティーユに転任してきたのだ。
これは異例中の異例と言えるもので、そのような人事異動はこの後二度と確認されていない。


 1698年7月19日付 鉄仮面に関する最後の往復書簡 
 < ルヴォワからサン・マールへ> 

「陛下は貴殿がバスティーユ牢獄で職務に励むことを命じておられる。
バスティーユに赴く際には、貴殿の「古い囚人」を伴うように。
ただし、この囚人が人目にふれたり外部の者に声をかけたりせぬよう、細心の注意をはらうこと。
転任に先立ち、囚人の到着後ただちに収容できるよう、バスティーユ牢獄の国王代理官に監房を用意しておくことを手紙にて要請しておくこと。」


こうして往復書簡から多くの事実が浮かび上がったわけだが、肝心の『鉄仮面』の正体については決定的な決め手となるものがなく、依然不明のままだった。

ところが、20世紀になって、フランスのある歴史家が、国立図書館に保存されていた古文書をたどって、ついにルイ14世の身近にユスターシュと同じドージェという姓を持つ男がいたことを突きとめたのである。
これにより鉄仮面の研究は新段階に入った。

このドージェは、一族の姓はたしかにドージェなのだが、地方に所有していた領地の名前からとって、カヴォワと呼ばれていたため、それまで見落とされてきたのだという。
その男のフル・ネームは、フランソワ・ドージェ・ド・カヴォワという。
フランソワは宰相リシュリューの銃士隊の隊長で、4人の息子を持つ父親だった。
このフランソワ夫妻がリシュリューに取り入って宮廷へ出入りしていたため、息子たちも宮廷に行くことがあり、幼いこれにはルイ14世と遊んだ仲であったという。

このフランソワの4番目の息子ルイは、宮内長官として出世の道を順調に歩んでいたようだ。
ルイの兄にあたる3番目の息子ユスターシュは、ルイ14世の親衛隊の士官として名をつらねていた。
それを頼りに調べ進むうちに、このユスターシュが、大変な問題児だったことが分かってきた。

ユスターシュは、しょっちゅう喧嘩や決闘などの騒動を起こしており、家族も手を焼いていたようだ。
23歳の頃には黒ミサにも参加していたこの放蕩息子は、次々と巨額の借金を作り、一家を破産の一歩手前に追いやったこともあるという。

そして挙句の果てには、大酒を飲んだ上、王宮の庭で流血騒ぎを起こしてしまい、それを機にとうとう国王親衛隊の士官をクビになり、宮廷への出入りも禁止となっていた。

その後、ユスターシュはパリで毒殺事件に関わり、ダンケルクで逮捕されるなど、放蕩ぶりはますますエスカレートしていった。やがて借金まみれになっていったようだ。
そしてユスターシュの記録を調べ続けると、出生記録はあるが死亡記録はなく、彼の消息は1668年以降プッツリと途絶えてしまっており、行方不明になっていたことが判明したのだ。


さて、そこから歴史研究家たちの推理が始まった。
彼らの考えはこうである。
「ユスターシュはとうとう一文無しになり、家族からも見放されてしまった。そこで、あることで国王ルイ14世をゆすって金を手に入れようとしたが、捕らえられて、幽閉されてしまった」

その、ルイ14世のゆすりに使ったネタこそが、「鉄仮面」に関する重大な秘密だったのだ。
実はユスターシュは、ルイ14世の腹違いの兄弟だったのである。
しかしこのあとが問題なのだ。ここまでなら、今まで仮説として唱えられてきた「異母兄弟説」に歴史的事実が加わったという過程を説明しただけになってしまう。

鉄仮面の最新説 

ルイ13世は女嫌いの上に不能だったというのは有名な話だが、そもそも性に対する関心も、これっぽっちもなかったらしい。
そんなルイ13世が、なによりも嫌っていたのはスペイン人だった。強烈な偏見を持っていた。
そのためスペインハプスブルグ家から嫁いできた王妃アンヌには嫌悪感を持っており、2人は宮殿内別居状態にあった。

それでもやはり一国の王としては、なんとしても世継ぎを誕生させなくてはならなかった。
そうでなければ、ルイ13世は弟のガストンに王位継承権を譲ることになるが、ルイ13世としては、なんとしてもそれだけは避けたかったらしい。
なぜなら、もしガストンが王位を継承すれば、王妃アンヌは現在の地位を追われることになり、宰相のリシュリューやマザランも命を奪われることになるだろう。
事実、2人はこれまでにもガストンの差し向けた刺客に何度か襲われていたのだ。
枢機卿という宗教指導者でありながら、宰相でもある二人は様々なところで批判の目を向けられていた。

ルイ13世は悩んだが、やはりガストンに王位を譲るのだけは避けなければならないと思い、ついにその気持ちをリシュリューに相談する。
悩みを打ち明けられたリシュリューも、国王と全く同じ気持ちだった。
そこで何とか方法を考えようと画策したところ、ひとつのプランにたどり着いた。
それは、父親の代理を立て、王妃に世継ぎを出産させようというものだった。
種付け役には、心から忠実で、社会的に認められており、王と王妃の双方と知り合いで、王位を要求したりしない者でなければならない。
さらに王妃を説得する都合上美男であるのが望ましかった。
そう考えたリシュリューは、条件に当てはまる男を思い出した。
銃士隊隊長のフランソワ・ドージェ・ド・カヴォワなら、王とリシュリューのためなら何でもやってきた男だ。
申し分ない。ルイ13世も王妃アンヌもカヴォワ夫妻をよく知っており、人柄が信用できる人間であることも承知していた。
しかし、その誤魔化しがきくとしても、実際問題、事はかなり深刻だった。フランス王室の血は、ルイ1人を通して伝えられるもので、アンヌはフランス王家と血縁がない。
すなわち、ブルボン王家が断絶することを意味していた。


以上の説をまとめた結論はこうだ。

ルイ14世はフランス国王の血を引いていない嫡子であることをネタにゆすられていたのではないか?
それが自分と血縁のある者であったため殺さずに幽閉していたのではないか?
そう、この説は同時に、ブルボン王家の血はここで絶えていたと推測しているのだ。


少年時代には陽気で社交的だったルイ14世は、成人になって宰相のマザランが死去したころから、一転して人が変わったという。
その後半生は戦争に明け暮れ、またナントの勅令を廃止しプロテスタントの弾圧にも踏み切っている。
ルイ14世は、子供時代とはうってかわって、近い関係の大臣たちさえも信用しようとはしなかったという。なにかを境に、他人に対して根深い猜疑心を抱く人間に変わってしまったのだ。

その変化の原因に彼の出生に対する疑惑があったのではないだろうか?


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