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連載
番外編 ジーナの恋
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ジーナは一人の男を尾行していた。
男の名はヴィクトール、ジーナの上司にあたる男である。
現在の遠征軍の指揮官として決して欠くことのできない男であり、危機感が薄すぎるヴィクトールを守るのはやむを得ない。
――と、少なくともジーナはそう認識していた。
「むむっ? 奴め、何を楽しそうにパン屋などと……」
明るくパン屋の娘に声をかけてヴィクトールは焼き立てのパンを頬ばった。
その娘が年頃の見目好い少女なので、ジーナには全く関係のないことなのだが、ジーナの機嫌は急速に悪化した。
(軍人たるもの、民間人を危険に巻き込むことは許されない。暗殺の危険があるのだから、年頃の少女に愛想を振り撒くなどもってのほかだ!)
そんなジーナの思いも知らず、ヴィクトールは美味しそうにパンを食べて少女に礼を言っているようであった。
パッと花が咲いたように笑う少女の健康的な笑顔がジーナには眩しかった。
(ふん! 私だってパンを焼くくらいはできるのだぞ!)
そもそもどうして自分がパンを焼くこと前提なのか、理解せぬままにジーナは尾行を続行する。
腹が膨れたのか、ヴィクトールは今度は貧民街へと赴いた。
生活に窮したものが多く住む貧民街は、治安が悪いことでヴィクトールのような上級指揮官が近づいてよいところではない。
いっそ止めようかとジーナは思案したが、尾行していた言い訳をどうしようか考えている間にヴィクトールはどんどん奥へと進んでいく。
(ああっ! もう! あの馬鹿!)
慌てて後をついて行くジーナの足元に置かれていた鉢植えが音を立てて倒れた。
(やばっ!)
しかしその物音に気付いた素振りもなくヴィクトールは歩きつ受けた。
ほっとするジーナであるが、こんな大きな物音がしているのに振り向こうともしないヴィクトールに理不尽な苛立ちを募らせるジーナである。
ジーナは気づいていなかった。
ヴィクトールが俯きながら愉快そうに笑っていたということに。
「ああっ! おじちゃん!」
「お兄さんと呼べと言っているだろう?」
ヴィクトールの行手にわらわらと子供たちが集まってきていた。
親し気で慣れた様子から察するに、こうして訪れたのは一度や二度ではないのだろう。
(いつの間に…………!)
「風邪を引いている子はいないか? テミル、仕事には慣れたか?」
「うん! おじちゃんが紹介してくれたお店、すごく優しいんだ!」
「だからおじちゃんではないと言っているだろう!」
ヴィクトールとしてはそこは譲れぬところであるらしい。
珍しくむきになるヴィクトールを見たジーナは、思わずくすりと笑みを零した。
おそらくこの子どもたちは戦災孤児だ。
もしかしたらトリストヴィー王国の兵士に親を殺された子供だっているかもしれない。
現にヴィクトールになついている子供はおよそ半分ほどで、残り半分はどこか恨めし気な顔をしている。
「お兄さんはしばらく来れなくなるから、今回は多めに用意してある。早く力をつけろよ?」
そういってヴィクトールはテミルにおそらくは金の入った袋を渡した。
「もちろん、父ちゃんの仇を討つまで頑張るさ」
「――――なっ!」
一瞬ジーナは剣の束に手をかけてしまうほど、明らかな殺気だった。
テミルと呼ばれた少年の殺気がヴィクトールに向いているのを見逃すジーナではない。
するとヴィクトールは自分から仇とつけ狙う戦災孤児を保護しているということなのか。
「生憎と相手は手ごわいぞ? まずは仲間を守れるくらいにはならんとな」
「すぐに追いつくよ。だって僕は父ちゃんの子なんだから!」
鼻息を荒げるテミルに、ヴィクトールは満足そうに頷く。
「楽しみに待っているよ」
貧民街を離れたヴィクトールはしばらく散策を続けた後、宿舎への戻り足、一軒の花屋に立ち寄った。
「いらっしゃいませ!」
「可愛いね」
「うちの子はどれも可愛いですよ! ほら、この子とかこの子とか」
「いや、君のことさ」
バキバキバキッ!
唐突にへし折れる名もなき木の枝。
木っ端みじんとはまさにこのことかと思うほどの壊れっぷりである。
「あのう……店内でナンパはお断りしております」
赤毛の大きな瞳が可愛らしい花屋の娘は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ああ、すまない。それじゃあそのミモザアカシアの鉢をひとつもらおうかな」
「ありがとうございます! 大事にしてくださいね」
そうして店を出たヴィクトールは無残に折れた人の腕ほども太い枝のほうに向かって声をかけた。
「護衛ごくろうさま。これは今日のご褒美だよ」
ザワリと木の陰でジーナの肩が揺れる。
「気づいてたんですか!」
気づいていたなら声をかけてくれればよかったのに。
憤然と肩を怒らせるジーナは気づかない。ミモザアカシアの花言葉は『秘められた恋』である。
「あの女のどこがいいんだ?」
親友の趣味の悪さをヴァレリーはなじるように言った。
容姿将来性ともにどこに出しても恥ずかしくないヴィクトールの相手にジーナは相応しくないように思われたのだ。
すでに四人の妻を持つ漁色家のヴァレリーには親友の趣味は理解しがたいものであった。
「…………可愛くて素直じゃないところ、かな」
あえては言わないが、からかい甲斐のあるところがとてもいい。
好きな女をいじめるのは男の特権である。
ヴィクトールもまた素直でない困った性癖の持ち主であるようだった。
「明日はどうやって遊んであげようかなあ……」
男の名はヴィクトール、ジーナの上司にあたる男である。
現在の遠征軍の指揮官として決して欠くことのできない男であり、危機感が薄すぎるヴィクトールを守るのはやむを得ない。
――と、少なくともジーナはそう認識していた。
「むむっ? 奴め、何を楽しそうにパン屋などと……」
明るくパン屋の娘に声をかけてヴィクトールは焼き立てのパンを頬ばった。
その娘が年頃の見目好い少女なので、ジーナには全く関係のないことなのだが、ジーナの機嫌は急速に悪化した。
(軍人たるもの、民間人を危険に巻き込むことは許されない。暗殺の危険があるのだから、年頃の少女に愛想を振り撒くなどもってのほかだ!)
そんなジーナの思いも知らず、ヴィクトールは美味しそうにパンを食べて少女に礼を言っているようであった。
パッと花が咲いたように笑う少女の健康的な笑顔がジーナには眩しかった。
(ふん! 私だってパンを焼くくらいはできるのだぞ!)
そもそもどうして自分がパンを焼くこと前提なのか、理解せぬままにジーナは尾行を続行する。
腹が膨れたのか、ヴィクトールは今度は貧民街へと赴いた。
生活に窮したものが多く住む貧民街は、治安が悪いことでヴィクトールのような上級指揮官が近づいてよいところではない。
いっそ止めようかとジーナは思案したが、尾行していた言い訳をどうしようか考えている間にヴィクトールはどんどん奥へと進んでいく。
(ああっ! もう! あの馬鹿!)
慌てて後をついて行くジーナの足元に置かれていた鉢植えが音を立てて倒れた。
(やばっ!)
しかしその物音に気付いた素振りもなくヴィクトールは歩きつ受けた。
ほっとするジーナであるが、こんな大きな物音がしているのに振り向こうともしないヴィクトールに理不尽な苛立ちを募らせるジーナである。
ジーナは気づいていなかった。
ヴィクトールが俯きながら愉快そうに笑っていたということに。
「ああっ! おじちゃん!」
「お兄さんと呼べと言っているだろう?」
ヴィクトールの行手にわらわらと子供たちが集まってきていた。
親し気で慣れた様子から察するに、こうして訪れたのは一度や二度ではないのだろう。
(いつの間に…………!)
「風邪を引いている子はいないか? テミル、仕事には慣れたか?」
「うん! おじちゃんが紹介してくれたお店、すごく優しいんだ!」
「だからおじちゃんではないと言っているだろう!」
ヴィクトールとしてはそこは譲れぬところであるらしい。
珍しくむきになるヴィクトールを見たジーナは、思わずくすりと笑みを零した。
おそらくこの子どもたちは戦災孤児だ。
もしかしたらトリストヴィー王国の兵士に親を殺された子供だっているかもしれない。
現にヴィクトールになついている子供はおよそ半分ほどで、残り半分はどこか恨めし気な顔をしている。
「お兄さんはしばらく来れなくなるから、今回は多めに用意してある。早く力をつけろよ?」
そういってヴィクトールはテミルにおそらくは金の入った袋を渡した。
「もちろん、父ちゃんの仇を討つまで頑張るさ」
「――――なっ!」
一瞬ジーナは剣の束に手をかけてしまうほど、明らかな殺気だった。
テミルと呼ばれた少年の殺気がヴィクトールに向いているのを見逃すジーナではない。
するとヴィクトールは自分から仇とつけ狙う戦災孤児を保護しているということなのか。
「生憎と相手は手ごわいぞ? まずは仲間を守れるくらいにはならんとな」
「すぐに追いつくよ。だって僕は父ちゃんの子なんだから!」
鼻息を荒げるテミルに、ヴィクトールは満足そうに頷く。
「楽しみに待っているよ」
貧民街を離れたヴィクトールはしばらく散策を続けた後、宿舎への戻り足、一軒の花屋に立ち寄った。
「いらっしゃいませ!」
「可愛いね」
「うちの子はどれも可愛いですよ! ほら、この子とかこの子とか」
「いや、君のことさ」
バキバキバキッ!
唐突にへし折れる名もなき木の枝。
木っ端みじんとはまさにこのことかと思うほどの壊れっぷりである。
「あのう……店内でナンパはお断りしております」
赤毛の大きな瞳が可愛らしい花屋の娘は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ああ、すまない。それじゃあそのミモザアカシアの鉢をひとつもらおうかな」
「ありがとうございます! 大事にしてくださいね」
そうして店を出たヴィクトールは無残に折れた人の腕ほども太い枝のほうに向かって声をかけた。
「護衛ごくろうさま。これは今日のご褒美だよ」
ザワリと木の陰でジーナの肩が揺れる。
「気づいてたんですか!」
気づいていたなら声をかけてくれればよかったのに。
憤然と肩を怒らせるジーナは気づかない。ミモザアカシアの花言葉は『秘められた恋』である。
「あの女のどこがいいんだ?」
親友の趣味の悪さをヴァレリーはなじるように言った。
容姿将来性ともにどこに出しても恥ずかしくないヴィクトールの相手にジーナは相応しくないように思われたのだ。
すでに四人の妻を持つ漁色家のヴァレリーには親友の趣味は理解しがたいものであった。
「…………可愛くて素直じゃないところ、かな」
あえては言わないが、からかい甲斐のあるところがとてもいい。
好きな女をいじめるのは男の特権である。
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