異世界転生騒動記

高見 梁川

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9巻

9-2

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「で、元気のいいのばかり三百ほど連れてきましたがどうします?」

 こうしてジュスティニアーニは初めてバルドと面会した。
 育ちの良い色男だが、思い上がった様子のない好男子である。
 無謀な攻撃を始める貴族にありがちな、尊大さを欠片かけらも感じられないことがジュスティニアーニには意外であった。
 だがその印象も、バルドが次の言葉をくまでであった。

「僕一人が相手しますので、どれくらい持つか賭けませんか?」

 ピキリ、とジュスティニアーニのこめかみに青筋が走る。
 即座にバルドを殴らなかったのを自分でめてやりたいくらいであった。十年前なら間違いなく拳で応じているところである。

「それは坊っちゃんが何分立っていられるか、ってことでいいのかい?」

 少々言葉遣いが荒くなってしまったが構うことはない。

「いいえ、あなたたちが全員立っていられなくなるまで」
「いい度胸だ。手加減はいらねえってわけだな?」

 そこまで自分たちの実力を安く見られているならば容赦ようしゃはいらない。泣いていつくばるまで叩きのめしてやる。それで解雇されるならこっちのほうから出ていってやる!
 ジュスティニアーニが覚悟を決めたのを察して、ピアージョやバルバリーノは気が気でなかった。
 なんといってもジュスティニアーニの手腕なしに、これまでマルベリーを守りきるのは難しかったことを二人は知っているのだ。

「野郎ども、いいか? 楽しい授業の始まりだ。お上品な軍隊はどうか知らんが、俺たちはめられたら終わり、わかってるな?」
「もちろんでさあ」
「――威勢がいいねえ、大盾のジュティー」

 どこかで聞いたことがあるような声であった。
 それが誰か、記憶の糸を手繰たぐり寄せ、思い出すまでに三秒近い時間を必要とした。
 同時にジュスティニアーニの背筋を、氷柱つららを押し込まれたような戦慄せんりつが走った。

「銀光……マゴット?」
「お互いよく生きてたもんだねぇ。あんたとはいつも敵同士だったからうれしいよ」

 ジュスティニアーニの全身から、一気に冷たい脂汗が噴き出した。
 まだジュスティニアーニが一介の傭兵であったころ、マゴットは手のつけられぬ災厄さいやくそのものとして有名だった。
 いつも戦場の激戦区に現れるマゴットの手で、どれだけ知り合いを殺されたかしれない。
 あの女を人間と思うな。一個大隊の重装騎士部隊と思え。
 マゴットが参戦していると知った時は、ジュスティニアーニは口を酸っぱくしてそう説いたものだ。
 それが、まさかこんな場所で再会することになろうとは。
 もしやバルドの強気の理由は彼女の存在にあるのだろうか?
 確かにマゴットに加勢されたら、この場にいる三百人の兵ではとても太刀打ちなどできはしない。
 そうなったら逃げよう、恥も外聞がいぶんもなくそう決心するジュスティニアーニであった。

「久しぶりだな。お前はお坊っちゃまの用心棒か?」
生憎あいにくとそいつは私の息子さ。せいぜい可愛がってやっておくれ」
「じょ、冗談だろっ?」

 バルド・アントリム・コルネリアスはトリストヴィー王家の血を引く王位継承者である。
 とするならば、銀光マゴットもまた王女ということになる。いや、そんなことよりバルドが彼女の息子であり、それを笑顔で送り出すということは……。

「も、もしかして鍛えちゃったり……した?」
「もちろん鍛えまくったとも。良かったな、お前がバルドを倒せれば、晴れて銀光マゴットを倒した男になれるぞ?」
「銀光マゴットより強い? 冗談だよね? 冗談だと言って!」

 真っ青な顔で、ジュスティニアーニがピアージョのほうに向き直った。鬼気きき迫る表情であった。
 しかし無情にも、ピアージョは冷たく首を左右に振った。
 ジュスティニアーニの人生で、今ほど自分の選択を後悔したことはない。

「悪いがこの話はなかったということに……」
「やっておしまい! わかっているね?」
「全力を尽くします! お母様!」
「いやあああああああああああああああああ!」

 バルドの出撃が満場一致で了承されたのは、それからおよそ三十分ほど後のことであった。




「やはりオルテンの気配がしないな」

 アントリムの精鋭四百名とともに、輸送船団に座乗していたラミリーズは、バルドにやや遅れてマルベリーに上陸した。そしてその城壁から公国軍を見下ろした。
 数こそ多いが、統率の取れていない雑多な編成だ。
 それでも致命的になっていないのは、長い戦争による経験の蓄積ちくせきがあるからだろう。
 思ったより傭兵の数が少ないが、公国も軍事予算が厳しいのかもしれない。

「大人しく引退している奴とも思えんが……」

 ラミリーズの知るオルテンは、積極果敢せっきょくかかんを絵に描いたような男だ。
 間違っても手をつかねて、敵の内部崩壊を待つような男ではない。ということは、やはり公国軍の指揮に介入できる立場にないのだろう。
 現在の公国軍の大将軍はチェーザレとかいう男であったはずだ。
 ラミリーズは若い日の記憶を辿たどって目を閉じるが、チェーザレという男が部下にいた記憶はなかった。
 もっとも、ガストーネの反乱が失敗した程度で次の手段を見失うようであれば、恐れる必要は何もない。

「どこにいる? オルテン。貴様は絶対にこの戦場のどこかにいるはずだ。そうでなくては我が友オルテンではない」

 オルテンが王家に謀反むほんしたと聞いたとき、ラミリーズは耳を疑った。
 主君の剣であることを生涯しょうがいの誇りとしてきたオルテンである。
 その彼がつかえる主君を変えたのには、どれほどの憤怒ふんぬと絶望を必要としたか想像もつかない。
 だが、その後の彼の行動からひとつだけわかることがある。
 オルテンは公国を裏切らない。二度と主君を変えないということだ。
 騎士としての誇りを捨て、かつての仲間たちのしかばねを積み上げて築いた公国は、オルテンにとって主であると同時に実の子以上の存在であろう。
 何より主君を殺し、仲間を裏切った自分には、公国を理想の故国として育て上げる義務がある。オルテンならそう考えるに違いなかった。
 なればこそ、年老いてゆっくり引退を受け入れるはずなどない。

「さて、長年のライバルとの決着をつけるのは騎士の本懐ほんかいじゃが、貴様を敵に回すのは少々骨が折れるぞ。オルテン」

 かつては頼もしい味方であった旧友も、今やあなどれぬ強敵である。
 同じ騎士として背中を預け、共に戦場を駆け巡った相手とはやはり戦いづらい。
 特に性格やくせを互いに知り抜いているのが問題であった。
 おそらくこうして考えていることの大半を、オルテンは洞察しているだろう。

「……だが、わしにあって貴様にないものがある。あるいは貴様にあってわしにないものもあるかもしれんが、主の差を埋めるほどのものではあるまい」

 ラミリーズの心は、かつてヴィクトールに仕えていた一介の騎士のころに戻っていた。
 何の迷いもなく命をささげられる絶対的な主君がいる。
 対照的にオルテンは主君の代わりに自らが迷い、そして多くのものを背負っているに違いなかった。
 騎士として旧友として、オルテンの現状には同情を禁じ得ない。もっとも、微塵みじんほども容赦する気はなかった。

「せめて我が手で引導を渡してくれる」




「――ラミリーズは出撃してくる。それがチェーザレの阿呆あほうにはわかるまい」

 ラミリーズが城壁から公国軍を見下ろしていたころ、オルテンもまた天幕てんまくから城壁を見上げていた。

「夜襲ですか?」

 参謀のシルヴァはラミリーズの顔色をうかがうように尋ねる。

「その可能性もあるが、私なら昼を狙うな」
「まさか……」

 兵力で圧倒的に劣る側がしばしば使うのが奇襲攻撃である。
 敵の弱点を突き、一時的な優勢を確保し敵に損害を与えるという手法は、古来より有効な戦術とされてきた。

「奇襲による攻撃は、よほどうまくやらないと、与える損害よりも受ける損害のほうが大きくなる。ことに、ここのような見晴らしのよい戦場ではな」

 市街戦や山岳戦といった障害物の多い戦場ならばともかく、マルベリーの城壁の外はほとんどが平野である。
 物流の拠点であったために街道が整備され、また、マルベリーという大消費地を維持するための開発や耕作が進んだ。
 隠密裏おんみつり迂回うかい奇襲などできる状況にはない。だからこそシルヴァは、夜襲という予想に達したのである。

「心理的死角というものは、存外昼のほうが大きい。何より今の公国軍相手なら昼でも勝てる。もし私が敵の将ならそう思うだろう」

 オルテンの言葉に、シルヴァはさすがに表情をくもらせた。
 現役の参謀であるシルヴァは、チェーザレの無能はともかく、味方である公国軍の練度には一定の信頼を置いていたからだ。

「何より参謀たる人間が敵の昼間出撃はない、と予想している。ましてチェーザレが総攻撃の準備中に突撃されたら……どうかな?」
「逃げます、ね。自分の命が危なくなれば間違いなく」

 参謀たる者、常に最悪の事態を予想せよ。これが基本的な心構えであったはずなのに、いつの間にか常識という枠にとらわれていたことを自覚し、シルヴァは赤面した。

「総司令官が逃げるだけで戦線は崩壊する。良くも悪くも軍というのはそうしたものだ。敵の奇襲はおそらくチェーザレを狙ったものとなるだろう」
「では、我らの息のかかった者で前線を固めますか?」

 指揮命令系統さえ無事ならば結局兵の数が物を言う。うまくすれば敵の奇襲部隊を捕捉殲滅ほそくせんめつすることも不可能ではない。
 奇襲が来るとわかっていれば、対処するのはそれほど難しいことではないのである。
 オルテンは暗い水底のような目でシルヴァを凝視ぎょうしした。

「いらん。もしできることなら戦線の後方に下げて、チェーザレのお気に入りと入れ替えろ」
「な、なぜそのような……?」

 まるで精神の奥の奥まで見透かされるような気がして、シルヴァは背筋を震わせた。

「――総攻撃の督戦とくせんのためと言ってチェーザレを前線に呼び出すのだ。ラミリーズならその隙を見逃すはずはない」
「敵に勝利を譲れとおっしゃるのですか!」

 信じられないことを聞いた、とばかりに激昂げきこうするシルヴァに、オルテンはなおも冷めた目を向けている。

「チェーザレを排除して軍権を取り戻すにはそれしかない。暗殺するための手駒はないしな。リスクが高すぎるが、戦場で倒れてくれるなら問題も少ない」
「別にチェーザレを殺すのは構いません。しかしむざむざ友軍の被害を拡大させるのは看過できませんぞ!」
「あの男に指揮を続けさせれば国が滅ぶ! ここで軍を壊滅させることだけは避けなければならんのだ!」

 決して声を張り上げたわけではない。
 しかしオルテンの静かな言葉に、シルヴァははっきりと萎縮いしゅくした。くぐり抜けてきた修羅場しゅらばの差がこれ以上の反論を許さなかった。

「貴様はまだ敵の強さを知らぬ。今は私の言うことを聞け。もし私の言葉に嘘があれば、いつでもこの首をくれてやる」
「それほどに……ラミリーズという男は恐ろしいのですか?」

 シルヴァの知るかぎり、オルテンという人物は有能であるとともに猛将型で、敵をあまり恐れるタイプではない。
 そのオルテンがここまで警戒する相手とは、いったいどれほどの男なのだろうか。

「剣の技量ならほぼ互角だが、中隊を率いた演習で私はラミリーズに勝ったことがない。あのまま公国に身を置いていれば、私より先に大将軍になっていただろう」

 だが、主を失い一度は騎士であることを放棄したラミリーズを、再び騎士に戻したアントリム辺境伯はそれ以上に恐ろしい。
 かろうじてオルテンはその言葉を呑み込んだ。
 根拠もなくシルヴァを恐れさせるのは愚策ぐさくだったし、オルテン自身それを認めたくなかった。
 オルテンの人生を懸けたトリストヴィー公国ではあるが、その主君であるジャックは果たして剣を捧げるのに相応ふさわしい主なのか。
 家臣として疑ってはならないことを、ラミリーズとアントリム辺境伯は思い出させるのであった。

「この身はもはやあのころのオルテンではない。護国の鬼となった成れの果てにどれほどのことができるか、教えてやるぞラミリーズ」

 ラミリーズとオルテンとには決定的に違う点がある。
 大将軍として公国の存続に関わり続けたオルテンは、政治闘争と謀略というけがれに身を浸しきっていた。なればこそ、たとえ味方を殺そうと友をだまそうとも、公国の未来だけは守らなければならなかった。
 清廉せいれんな騎士であったオルテンはあのクーデターの日に死んだのだから。

「手を貸せシルヴァ。いかなる手段をろうしても、公国は生き残らなくてはならないのだ」
「――閣下のお言葉とあらば」

 そしてまた一人、魂を売って護国の鬼となった男がいた。




 チェーザレはあせりの色を隠せずにいた。
 大公ジャックに大見栄を切って大軍を預り遠征したにもかかわらず、なんの成果も得られないとなれば、軍を掌握しょうあくするどころか、失脚してこれまでの地位を失うことにもなりかねない。
 まして王国の復興を掲げるアントリム辺境伯に、公国を撃退したという実績を与えてしまうのは明らかに問題であった。
 勝たなくてはならない。たとえどれほど犠牲が出ようとも。
 幸いアントリム辺境伯が伴った軍勢は四百程度の小勢であることがわかっていた。
 一縷いちるの望みをかけて、ガストーネとともに活動していた間諜かんちょうに探らせると、結果は惨憺さんたんたるものであった。
 海戦でほぼ半数以上が命を落とし、ガストーネの死が明らかになると、残る間諜はすべて海運ギルド側へ寝返ったのだ。
 彼らはもともと公国に忠誠を誓ったわけではない。
 沈没する船に乗る気がないから公国へ尻尾を振っただけで、海運ギルドが勝てるのなら元のさやへ収まるのは当然であった。

「――くそっ! 恩知らずな奴らめ!」

 少なからぬ工作資金を渡していただけに、チェーザレは怒髪天どはつてんく思いである。
 チェーザレの戦略構想は完全に破綻はたんしていた。
 あとはなりふり構わぬ総攻撃しかない。それはわかっているのだが、小細工こざいくなしの全面戦争で勝利する確固たる自信がチェーザレにはなかった。
 これまで常になんらかの詐術さじゅつを用い、誰かの犠牲の上に勝利してきたチェーザレにとって、なんの小細工もなしに戦うというのは、それだけで十分大きな精神的重圧なのである。
 いっそ前線指揮をオルテンに任せるという選択肢も考えたが、今オルテンにフリーハンドを与えると大手柄を挙げてしまいかねない。
 なんといっても味方の兵力は敵の五倍を上回るのである。勝利する確率は決して低くはなかった。
 ではオルテンにわずかな兵力を与えて捨て駒にするか?
 露骨ろこつに捨て駒にするにはオルテンという存在は大きすぎるうえ、彼に心酔する部下が余計な力を発揮しないとも限らない。
 結局はチェーザレが自分の力でげる以外に方法はなかった。

「閣下、意見具申の許可を願います」
「許可する」

 普段のチェーザレならば聞き流したかもしれない。手柄を独占したがるチェーザレにとって参謀とはただの飾りにすぎなかった。しかし今は少しでも何かすがるものが欲しかった。

「アントリム辺境伯の登場により敵の士気が上がっています。こちらも何らかの対処をするべきかと」
「具申は具体的に言いたまえ」
「まずは総攻撃に備え、比較的士気の高い部隊を前線に配置。さらに司令部を前進させ、閣下自ら督戦に出られるがよろしいかと」

 悪くない、とチェーザレは思った。
 士気の高い――チェーザレが掌握している子飼いを自ら見舞う総司令官という絵面えづらは、美談としてはなかなかのものだ。総攻撃の前に司令部に戻れば、我が身に危険が及ぶこともない。
 劣勢の敵がわざわざ出撃してくるなど、チェーザレは夢にも考えていなかった。

「よかろう。準備したまえ」

 機嫌よさそうにチェーザレは応じた。
 シルヴァの提案は一見勝利の可能性を高め、さらにチェーザレの尊大な自尊心をくすぐるものであった。


 公国軍がにわかに動き始めたのは、すぐにバルドの察知するところとなる。

「まずはお手並み拝見といこうか」

 配置転換の混乱に乗じて出撃する、というのもひとつの手だが、多少の損害を与えてもこの兵力差では意味がない。

「敵の大将が、のこのこ前線に姿を現わすお馬鹿さんなら助かるんだけどな」
捕虜ほりょの情報では小心者で積極性にはとぼしいらしいですな」

 厳しい表情を崩さぬラミリーズにバルドは尋ねた。

「前大将軍オルテンはどう出るかな?」
「私の知るオルテンなら、部隊の先頭に立って遮二無二しゃにむに攻めてくるでしょう。ですが、もしそうでないとすれば、私の知らないオルテンが相手になるということです。正直、それが恐ろしくも楽しみでなりません」

 面映おもはゆそうに、ラミリーズは莞爾かんじと笑った。


「忠勇なる我がトリストヴィー公国の兵士諸君!」

 チェーザレは気分よく兵士たちの前で声を張り上げた。
 不安が無くなったわけではないが、やはり雲霞うんかのごとき味方に囲まれていれば気が大きくなるのも無理はない。

「諸君の前にはかつてない栄誉えいよが待っている。我らが公国が願ってやまなかったマルベリーの陥落かんらくが手の届くところまできているのだ!」

 困ったことにチェーザレは、戦意高揚のために言っているのではなく、心からそれを信じていた。
 犠牲の数にさえこだわらなければ、必ずやマルベリーは落ちる。
 ガストーネが倒されたのは残念だったが、彼から仕入れることができた情報はなくならない。
 とりわけマルベリーの兵力数やその配置、さらには指揮官の性格まで把握している事実は大きかった。
 いかに指揮官のジュスティニアーニが防御の天才だといっても、彼も一人の人間。不眠不休で戦い続けることはできないのだ。

「誓って勝利を捧げましょう! マルベリーなにするものぞ!」

 ドンと胸を叩いて大言壮語たいげんそうごしたのは、チェーザレの子飼いの連隊長ウィルコーである。
 チェーザレの後釜を狙うこの男は、この機会になお一層チェーザレの寵愛ちょうあいを得ようと考えていた。
 爵位と違い、大将軍の地位は子供に譲り渡すことができない。
 任命するのはもちろん国王だが、大将軍の助言を無視するものではないから、チェーザレに気に入られるかどうかというのは非常に大きな問題であった。

「その意気やよし」

 チェーザレもそんなウィルコーに満足の意を示した。思惑がどうあれ、上司の望みをんでくれる部下は可愛いものだ。
 もっともチェーザレは己の野心のための道具として、ウィルコーを気に入っているにすぎないのだが。

「獣人のけがらわしい僭称者せんしょうしゃが連れてきた兵など、たかが四百。我らの優位はいささかも揺らいでおらぬ。奮い立て我が兵士諸君、恩賞は必ずや手厚いものとなろう!」

 バルドの連れてきた兵がわずか四百であることに、安堵する兵士は多かった。
 だが古参の兵ほど、チェーザレに対して呆れにも似た視線を投げかけるのであった。
 これまでマルベリーが難攻不落であった一番の理由は、海上交通路シーレーンが海運ギルドの手にあったからだ。
 マルベリーの守りの要は傭兵であり、傭兵は補給が途絶えるとたちまち士気が低化する。
 それどころか下手をすると味方にまで牙をく。
 彼らの士気を維持するためには食糧や恩賞、そして安定した援軍の存在が欠かせなかった。
 ジュスティニアーニが優秀な戦術指揮官としての能力を発揮できるのは、そうした土台があってこそなのである。
 つまり、ギガンテを突破して現れたバルドの存在は、マルベリーがやはり難攻不落であるという傍証ぼうしょうにしかならないのだ。

「――やれやれ、味方が多いのは悪いことじゃないが、真っ先に犠牲になるのは御免だぜ」

 彼ら一般兵士のほとんどは、手柄を立てて褒美ほうびをもらうことより、生きて故郷に帰ることのほうが大事なのである。間違ってもチェーザレの虚栄心きょえいしんのために命を投げ出すつもりはない。
 だが彼らの指揮官である連隊長や中隊長の騎士は、大きく出世欲を刺激されたようであった。

「公国に勝利を!」
「公国に栄光を!」
「マルベリーを叩きつぶせ!」

 チェーザレの思惑通り、士気を上げることには成功した。
 指揮官だけでなく、出世の糸口をつかんで騎士に、と望む平民もいないではないのだ。
 チェーザレは満足そうに頷いて次の連隊へと向かった。


「――随分と舐められたもんだ」

 城壁の上から、公国軍が上げるときの声を、バルドは困ったように苦笑して聞いた。
 あまりにあからさま過ぎて、これからの作戦行動を隠そうという意図がない。
 気勢を上げて、さあ攻めるぞ、と言わんばかりである。
 しかも総司令官がわざわざ最前線まで出てきているのだから、よほどこちらが出撃してこないと思われているのだろう。
 もちろん、敵の希望にこたえてやるほどバルドはお人好しではない。
 ごちそうを目の前に出されたら、遠慮なく平らげてやるのが礼儀というものであった。

「さて、行こうか」


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