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5巻
5-1
しおりを挟む新しく領主に着任したバルドによって、未曾有の発展を遂げるマウリシア王国アントリム領。そこに潜入した仇敵ハウレリア王国の密偵たちは、そのことごとくが始末された。
しかし、捨て身の戦術に出た密偵の一人ソバト・ドレーンは、己の命と引き換えに、その任務を果たそうとしていた。
ソバトの遺骸とともに、故郷であるサヴォア伯爵領に帰還した仲間のダリオは、この十年の間にすっかり肥えて、肝っ玉母さんと化していた義妹に息子を預けると、伯爵の私邸へ足を向けた。
サヴォア伯の抱える密偵のなかでも、ダリオの存在を知る者は特に限られており、伯爵に面会するためには正規の手続きを取らざるを得なかったのである。
「伯爵さまが御面会になる。ついて参られよ」
門衛を訪ねてから案内の執事がダリオを迎えに来るまでに、数時間のときが必要であった。
ことがことだけに、入念なチェックがされたのであろう。
促されるままに、ダリオは執事の後に付き従った。
「――そなたがダリオか」
「御意」
薄暗く、貴族のものとしては狭い執務室で待ち受けていた、サヴォア伯爵フェルナンドの表情は沈鬱であった。
その理由がダリオには痛いほどによくわかる。同じ胸の痛みを、故郷に戻る道すがら、自分も常に感じ続けてきたのだから。
「ご苦労であった。ソバトは任務を果たしたのだな?」
「はい。その命を懸けて、見事情報を持ち帰りました」
「……惜しいことだ。あれは、わしには過ぎた部下であった」
事実、ソバトの力量は辺境の伯爵家には相応しくないほど素晴らしいものであった。
しかしそれは、情報を重要視するフェルナンドの識見が高いことの裏返しでもあり、ソバトは決して仕える主を間違えたとは思っていないだろう。
だからこそ、ソバトは何のためらいもなくフェルナンドのために命を捨てたのだ。
爵位を継ぐ前から仕え続けてくれた老臣の死は、サヴォア伯爵家にとっても、フェルナンドにとっても無視することのできない痛恨事であった。
「……そなたも長年、敵地で苦労をかけたな」
「お言葉だけで身に余る光栄でございます」
「では早速だが、ソバトが遺してくれたものを見せてもらおうか。決して無駄にするわけにはいかんからな」
「御意」
ダリオはフェルナンドの前に、透明な水晶眼球を差し出した。
「これは……?」
「ソバトの義眼です。文書に残せば遺体を確認されたときに露見する可能性がありますので、我々間諜は、本当に重要な情報は身体に刻むのです。胃の中に呑み込むこともありますし、骨に彫り込むこともあります。ソバトの奥の手が、この義眼だったのです」
「……そうか」
あまりにも苛烈な闇に生きる者の覚悟に、フェルナンドは二の句が継げなかった。
華やかに戦場を彩る騎士と違い、闇に生きる彼らは、何の名誉も表立って与えられないのだから。
「忠臣に報いてやれぬ我が身の口惜しきことよ」
「影に生きる者の運命なれば」
地位も名誉も得ることのできない間諜は、騎士などよりもよほど高い忠誠心が要求される。
彼らの任務は言うなれば貧乏くじであるが、誰かがやらなくてはならない必要不可欠なものでもあるのだ。主君のため、故郷のため、己を殺す覚悟のない人間に間諜は務まらない。
ちなみに、バルドが職業的な間諜を組織することを諦め、商人たちを使って集めた情報を分析する体制にシフトしたのは、そうした理由があるからだった。
この観点から見れば、ハウレリア王国の君臣関係のほうが、マウリシア王国のそれよりも忠誠が深いと言っても差し支えなかった。
「この義眼は魔道具であろう? 魔法士を呼ぶか?」
「いえ、この程度であれば私だけで事足りるかと」
そう言ってダリオは、無造作に手のひらを義眼に向ける。
義眼の構造はそれほど複雑なものではない。ソバトの義眼と同じ転写式の魔法式を、ダリオはかつて何度か扱ったことがあった。
「投影」
発動術式とともに、およそ二メートル四方の巨大な映像が二人の前に映し出された。
まず目を引いたのは、領内を警備する兵士の多さである。
これは、アントリムで生活していたダリオにはよくわかる変化であった。
領主がバルドに変わってからというもの、アントリムの兵力は少なく見積もっても十倍以上に膨れ上がっている。
おそらくマウリシア側の国境の要であるコルネリアス伯爵家と比較しても、それほどそん色のない兵力を維持していると見て、間違いあるまい。
果たして一介の子爵家にそんな経済力があるものか。
フェルナンドはアントリムの強化の背後にマウリシア国王がいることを、このとき信じて疑わなかった。アントリムでのバルドの高評価を知っているダリオですら、これに関してはフェルナンドと同意見である。
次に映し出されたのは、国境線に沿って配置された鉄条網。
生まれて初めて見る鉄条網の異形に、二人ともあんぐりと口を開けて絶句した。
なんの変哲もないただの針金なのに、防御陣地に利用された場合の厄介さは、一目見ただけで明らかであった。
間違いなく大量の軽傷者を生み、突破するには長い時間を浪費するに違いなかった。
戦いにおいて負傷者の存在は、死者以上に大きな負担となる。
戦場は間違っても衛生的な場所ではないし、薬品も治癒師も限られている以上、負傷者という存在はその数に倍する健常者の助けを必要とするからだ。
さらに、鉄条網の背後に見える巨大な石の塊のような不可思議な施設と、その施設を繋ぐように張り巡らされた堀。
「……何故堀が陣の中にあるのだ?」
「面目次第もございませんが、私には想像もつきませぬ」
通常、堀とは歩兵や騎兵の進撃を阻むために、陣の前方に作られるものだ。それをわざわざ味方の陣地内で掘る理由が、二人にはわからなかった。
地球における塹壕線の概念は、銃が普及した後、歩兵が身を隠しつつ立射できるようにと考案されたものだ。
未だ銃が開発されていないこの世界では、理解が及ばぬのはむしろ当然であった。
そして攻城用の投石機と思われる巨大な機械が数台、置かれているのが確認できるのだが、これにもフェルナンドとダリオは首をかしげざるを得なかった。
「なぜこんなところに投石機が置かれているのだ?」
「残念ながら……」
城壁の破壊などに用いられる投石機は、攻撃側の使用する兵器であって、守備側が用意するものではない。
見れば見るほどアントリムの守備陣地は、堅固なばかりでなく不可解であった。
普通であれば無視するレベルの疑問ではあるが、ことアントリムに関しては、そうした不可解さの裏に隠された秘密があるような気がしてならない、とフェルナンドは感じた。
あのソバトが命を賭して手に入れた情報の価値は、それほど安いものではないはずである。
「……そして、これが最後になるのですが……」
最後の画像は、ソバトの絶命の瞬間なのだろうか。ブレてはっきりとしない画像である。
画像の中心には、大きな筒のようなものがあり、それが灰色の岩のような建造物に向かって延びていた。
「これは……なんだ?」
「ただの筒にしか見えませんが……ソバトが着目した以上、きっとなんらかの兵器ではないかと」
仮に兵器だとすれば、弩の亜種であろうか?
しばし考えていたフェルナンドだが、もはや自分の手には負えない、と判断した。
何より、この情報が有効に活用されなかったならば、ソバトの死が無駄になってしまう。
「国王陛下に使者を立てよ! サヴォア伯爵よりルイ国王陛下に至急言上の儀、これ有りとな」
謎が解決したわけではないにせよ、フェルナンドの心はすでに決まっていた。
アントリムの防衛体制が未完成であるうちにこれを排除しなければ、ハウレリア王国はアントリム、引いてはマウリシア王国征服の野望を諦めなくてはならなくなる予感がしたからであった。
「なんとも小面憎い餓鬼よ……」
ボーフォート公アーノルドは、王権を失墜させる第一歩としてバルドを孤立させる自らの策謀が失敗に終わったことを知って、屈辱に顔を歪めた。
今年七十二歳を迎えるアーノルドだが、まるで八十を過ぎているかのように瞼は深い皺に蓋をされ、唇はカサカサに乾いてひび割れていた。
枯れ木のようにやせ細った身体からは、彼がマウリシア王国十大貴族のナンバー2である、という覇気は一切窺うことができない。
「ランドルフ家を正面から敵に回すことを嫌がる貴族が多くございまして……小僧を義絶したのは、我が家を含め五家のみにとどまっております」
そう答えたのは、ヘイスティングス伯爵ヘンドリックであった。
大仰な身振りや、いかにも嘆かわしいと言いたげな演技に、アーノルドは内心で唾を吐きかけたい思いであった。
(役に立たぬ奴だ。たった五家では、政治的な影響力は皆無に等しいではないか)
アーノルドは焦っている。
このまま無為に時を過ごせば、国王ウェルキンと宰相ハロルドは我が世の春を謳歌するであろう。
息子の命を奪った愚かなる王が、名君としてマウリシアの歴史に名を残すなど、決して認められぬことであった。
しかしそれ以上に危険なのは、ハロルドを中心とした官僚の再編成によって、アーノルドを含めた守旧派貴族の権力が削られつつあることだ。
まだ十七歳の可愛い孫に、王国主流派との権力闘争を期待するのは不可能であることを、長年王宮で生き延びてきたアーノルドは十分によく承知していた。
だからこそアーノルドはウェルキンの力を削ぎたい。
そのためには宿敵ハウレリア王国と手を組むことも、吝かではないと思っていた。
「……アントリムの背後に位置するフォルカーク殿は、我らの理想に賛同しております。あの小僧も所詮は袋の鼠にすぎません」
「袋の鼠になるだけでは困るのだ。アントリムが滅んでも、王家の力を削げなければ我らに未来はないのだぞ!」
「さ、左様でございますとも。うまくランドルフ家に墓穴を掘らせられれば……」
ヘンドリックの言葉に、アーノルドは若き日のアルフォード・ランドルフの姿を思い起こした。
王宮の女性に人気の貴公子として、次世代の十大貴族を代表するとして期待されていた男である。
息子の政敵として油断のならない男だと警戒していたアルフォードが、あえてバルドを庇う理由が不審であった。
(アルフォードめ……何を考えている?)
少なくともあの男であれば、ある程度こちらの思惑を読んでいるに違いない。
アントリムを餌にハウレリアに挙兵させ、戦争でマウリシア王家の戦力と財力を削ぐ。
それを防ぐためとはいえ、バルドを義息とするのはやりすぎだ。
それとも、バルドにはそれほどの価値があるとでもいうのだろうか?
数年前のアーノルドであれば、ここでバルドを味方に取り込もうとするか、もう少し力量を探る時間を置いたであろう。
しかしアーノルドにはもう時間が残されていなかった。
三ケ月ほど前から腹部に感じる腫瘍が、日に日に体力を奪っていくのをアーノルドは自覚している。長くとも、一年後まで自分が生きていることはあるまい。
この命のある間に、孫に安泰な政治権力を渡さなければ、死んでも死に切れるものではなかった。
「もはや引き返すことはできぬ。たとえこの国を売ることになろうとも」
アーノルドが死病に侵されていることを、バルドもアルフォードも知らない。
残り少ない生命を懸け、捨て身となったボーフォート公の策謀は、バルドたちの予想を大きく裏切ろうとしていた。
「今日の気分はどうだい?」
「悪くないわ……バルドもそうだったけれど、うちの子はお腹にいるときからやんちゃで困るわね……」
そう言ってマゴットは、愛おしそうに大きく膨らんだお腹を撫でた。
サバラン商会から紹介された医師は、五十代のよく肥えた女性で、あのマゴットにすら有無を言わせぬ迫力で、マゴットの食事や運動を制限していた。
「いい年齢して脂っこいものばかり欲しがるんじゃないよ! 子供がオヤジ体型になったらどうするんだい!」
「肉を食べずに、どうやって力を出せって言うの?」
「あんたも母親なら、生まれてくる子供のために節制しな! もう若くないんだから、身体を整えないと子供に悪影響が出るんだよ!」
「ぐぬぬ……」
これが医師でなければ殴りかかりたかったが、その衝動をマゴットは必死に抑えた。
気持ちはともかく、マゴットが出産には高齢なことは確かであり、それが子供に悪影響を与えることは絶対に避けなければならなかった。
「す、すごい……あのマゴットが完全に言い負かされるなんて……」
空気を読まずにイグニスは感嘆する。
「あんたも嫁の面倒くらいしっかり見な! あたしの見立てじゃ、ちょいと難産になるよ!」
「なんだって?」
医師の言葉にイグニスは顔面を蒼白にする。
生まれてくる子供も大事だが、愛する妻は自分の命よりも大切な存在であった。
まして高齢出産となるのを承知で子供を望んだのはイグニスであり、医師の口から難産を告げられて平静でいられるはずがなかった。
「大丈夫よ……私が負けるところなんて想像できる?」
「君はいつでも私の最強の女神さ……でも苦戦しそうなときは、心配くらいしてもいいだろう?」
甘い雰囲気でお互いに見つめ合うイグニスとマゴット。
「いちゃつくのは後におしっ!」
やれやれ、とばかりに肩をすくめて医師は笑った。
二人ともいい年齢をしているくせに、妙に微笑ましい夫婦である。
実のところマゴットの消耗は通常の妊婦に比べて大きく、そのことは本人が一番良くわかっているだろう。
それでも前向きに笑える気力さえあれば、あとは自分がなんとかして見せる。言葉には出さずに、医師は柔らかい眼差しで二人を見つめた。
とはいえ、コルネリアス伯爵家の戦力の要であるマゴットの脱落は、敵味方を問わずに影響を与えずにはおかなかった。
『銀光マゴットは一個大隊に匹敵する』という表現は決して誇張ではない。そして攻者三倍の法則を鑑みれば、一個連隊の守備戦力がコルネリアスから失われたに等しいのだ。
さて、敵の不幸は味方の利益となるのが普通であるが、今のハウレリア王国には、いささか困った事情が存在した。
「この好機を逃せと言うのか?」
「……確かに銀光が出産のため身動きできないのはまたとない好機。しかしマウリシア王国に根を張った売国貴族を動かすためには、攻略目標はアントリムでなくてはなりませぬ。何とぞご賢察のほどを!」
荒ぶる主君、セルヴィー侯爵アンドレイを、腹臣の部下ドルンは必死で諌めた。
ドルンとて断腸の思いである。なんといってもイグニスを討ち果たすことは、セルヴィー侯爵家にとって悲願に等しい。
だが、アントリムという火薬庫を餌にして、マウリシア国内の守旧派貴族の取り込みを図ろうとしている今、正面からコルネリアスに侵攻するのはデメリットが大きすぎたのである。
「あの辺境がなんだというのだ! 今の兵力差なら、すべてはコルネリアスを突破してしまえば解決するではないか!」
憤懣やるかたなくアンドレイは叫ぶ。
バルドを代表にした新興貴族と守旧派貴族の対立を煽り、マウリシア王国の弱体化を図った策謀がこんな反動をもたらすなど、予想もしなかった。
よりにもよって、なんというタイミングで妊娠してくれるのだ。どこまでいっても不快な女よ!
理不尽な怒りにアンドレイは駆られたが、さすがに一侯爵家の独断で戦端を開くことはできない。
「口惜しいが、陛下のご聖断にお任せするしかあるまい」
未練を振り払うように、アンドレイは乱暴にソファに腰を下ろした。
ほっと一息ついたドルンもまた、主君の口惜しさを共有して唇を噛みしめていた。
すでに王宮がアントリム討伐に傾きかけているという情報を得ていたからである。
セルヴィー侯爵家で主従が切歯扼腕する数日前のこと。
ハウレリア国王ルイは、サヴォア伯爵から届けられた魔道具の映像に固唾を呑んでいた。
「これがあのアントリムだというのか……?」
ルイの知る限り、アントリムは牧歌的な片田舎のはずであった。
しかもハウレリアとマウリシアの係争地ということもあって、何度も戦火に焼かれ大きな産業が育たずにいた。地政学的にハウレリア王国の中央部を窺う要地でなければ、誰も見向きもしない不毛の地だったろう。
ところが目の前に映し出された映像の中には、見るからに堅固な防御陣地と、予想を何倍も上回る常備兵力があった。
アントリムに新しい子爵として赴任してから半年余り。いくらバルドが天才的な内政家であったとしても、ありえない変化だとルイは思った。
「……ゆゆしき事態でございますね」
絞り出すようにそう呟いたのは、宰相のモンテスパン公爵である。
今年三十四歳になる若き宰相は、ルイとともに悲願であるマウリシア王国征伐を推進する中心人物であった。
対マウリシア王国戦の要は時間との勝負だと知っているだけに、アントリムの要害化は決して見過ごすことのできない問題なのだ。
「ふん、たかがこの程度の兵力で我が軍を食い止められると思ったら大間違いだ」
つまらなそうに鼻を鳴らすのは、軍務卿のリュビニー公爵である。
「防備に手をかけていることは認めよう。だがこの程度で防衛できると考えているのなら自信過剰もいい加減にしろ、と言ってやりたいところだな」
初めて見る有刺鉄線や塹壕は、確かに厄介そうに見える。
しかしアントリムに侵攻する兵力は、アントリムの総兵力の十倍ではきかないのだ。
数の暴力に抵抗するには、有刺鉄線や塹壕はあまりにも頼りなくリュビニー公爵には思われた。
「ここで損害を増すと後の戦略に障害が発生します。アントリムなどで何千もの兵を消耗する余裕は、我が国にはないのですよ?」
モンテスパンが念を押すと、ルイが補足する。
「苦戦することも余は認めぬ。鎧袖一触でなくては日和見どもは動かぬからな」
アントリムが陥落すること自体は、この場に集まった閣僚の誰ひとりも疑ってはいなかった。
問題なのはただ、そこで浪費される時間と兵力である。
ハウレリアの国家戦略は、今も昔もマウリシアとの兵力差を利用した短期決戦であった。
経済力、農業生産力、工業生産力の全てでマウリシアが勝る現状、人口と兵力で勝負する以外にハウレリアに勝ち目はない。
「このアントリムの増強……宰相はどう見る?」
ルイの下問にモンテスパンは困惑した表情で、自信なさげに答えた。
「我が国とマウリシア王国が開戦する場合、アントリムはいつも真っ先に攻められる土地ですから……ここを固めるのは時間稼ぎとしては間違っていません。しかし、いかにも非効率的すぎるという懸念はございます」
アントリムは三方をハウレリア王国に囲まれた、いわば袋の鼠である。わざわざ巨額の投資をして守るには、効率が悪すぎる土地だった。
「軍務卿はどうだ?」
「腑に落ちないことは確かですな。しかし少なくとも、この指揮を執っているのはアントリム子爵で間違いありますまい」
「ウェルキンの指示ではないというのか?」
「資金は提供されているのかもしれませんが、この防御施設からはこれまでのマウリシア軍の色が何ひとつ感じられませんので」
両国とも長年敵対しているだけに、お互いの手の内はある程度見通している。
リュビニー公爵は、アントリムの戦略思想がどこか異質であることを感じ取っていた。
もっとも、それはあまりに素人くさいという意味でしかなかったが。
「では尋ねる。アントリムをどれほどで陥とせる?」
「被害さえ惜しまねば一日で、そうでなくとも三日もいただければ」
「その言葉、嘘はないな?」
リュビニー公爵はいかにも心外な、と言いたげに目を丸くしてみせた。
「陛下におかれては、どうか我が国の鍛え抜かれた兵士たちを信じていただきたい」
平和にふ抜けたマウリシア王国と違い、常に臨戦態勢にあったハウレリア王国軍は、兵の練度で圧倒的にマウリシアを上回る。
戦力に絶対の自信を持つリュビニー公爵は、あれしきの施設でアントリムを守れるはずがないと確信していた。
ハウレリア王国が兵の動員を開始した、という報告はたちまちマウリシア国王ウェルキンの知るところとなった。
どこの国もそうであるが、常備兵力として養うことのできる騎士の数は限られており、限定的な紛争であればともかく、本格的な戦争となれば平民から大量の兵を徴兵しなければならない。
農業国で人口密度の低いハウレリア王国では、この徴兵は大々的にならざるを得なかった。
「――予想の範囲内、というところか?」
人の悪そうなウェルキンの笑みに、ハロルドはため息をついて首を振った。
「いえ、予想以上です。おそらくは我々が考えていた以上に、我が国に巣食う病根は深いかと」
もともとバルドを餌に反国王派を釣り上げるというのがウェルキンの目論見であり、マイルトン家を足がかりとした一連の騒動は当初から監視下にあった。
すでにマイルトン家に同調し、アントリム子爵家排斥に動こうとした貴族は不穏分子としてリストアップされ、内偵が進められていた。
しかし、ハウレリア王国のあからさまな反応を見る限り、もっと多くの内通者がいる可能性が高かった。
「ボーフォート公爵はどうしている?」
ウェルキンは十大貴族の長老にして、かつての筆頭貴族でもあった老人の反応を尋ねた。
王国でも影響力の大きい十大貴族の一角が、本格的に反旗を翻せばその影響は計り知れないものとなる。
何かとウェルキンに批判的なこの守旧派貴族の黒幕が、どの程度覚悟を決めているかによって、ウェルキンの方針も大きく変わるのだ。
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