異世界転生騒動記

高見 梁川

文字の大きさ
表紙へ
上 下
33 / 252
3巻

3-1

しおりを挟む


 サンファン王国は、マウリシア王国の南部に位置する国である。
 やや東西に長い海洋国家で、国土の南半分は、暑い亜熱帯あねったいに属していた。
 水産業と海運業がさかんである反面、農業生産力にはとぼしく、穀物こくもつの大半をマウリシア王国からの輸入に依存している国でもある。
 基本的にマウリシア王国との関係は良好であり、逆に、同じ海洋国家の隣国であるトリストヴィー公国との関係は悪い。
 しかも近年は、内戦の続くトリストヴィー公国から政治難民せいじなんみんが多数流入して、大きな社会問題になりつつあった。
 そんなサンファン王国の大使に、マウリシア王国史上でもまれに見る若さで任命されたのが、バルド・コルネリアスである。目的はもちろん、サンファン王国に恩を売り、両国の関係を強化することに尽きる。


「もう少し軽装にしておけば良かったかな……」

 汗ばんだ胸元を手のひらであおぐようにして、バルドはつぶやく。
 マウリシア、サンファン両王国のさかいにあるピレル山脈を越えたあたりから、蒸し暑さが倍増したような気がする。
 基本的に、前世(日本)も現世(マウリシア王国)も温帯――四季のある国で生活していたバルドにとっては、この不快指数の高い、身体にまとわりつくような暑さは厳しい。
 ひたいの汗を、セリーナに贈られた白いハンカチでぬぐったバルドは、三日前、涙ながらに恋人たちに王都で見送られた場面を思い出していた。
 まるで、セリーナの香りがハンカチからただよってくるような、そんな気がした。
 ほとんど家族のように暮らしていたセイルーン、あるいは親友のように接してきたセリーナの二人が相手とはいえ、立場が変われば気持ちも変わる。
 晴れて恋人という関係になった以上、バルドを含めた三人は、いろいろと変化を許容きょようしないわけにはいかなかった。それはもう、本当にいろいろと。


「あ、あの……セイルーン、と呼んでいただけますでしょうか?」
「も、もちろんだよセイねえ……セイルーン」

 もじもじとずかしがるように、上目遣うわめづかいでおねだりをしてくるセイルーンを、いったい誰が責められようか。
 つられてバルドの頬も赤く染まってしまうのは、ご愛嬌あいきょうである。

「それでは、わた、私も……だ、旦那だんな様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか……?」
「ホワッツ?」

 なんの羞恥しゅうちプレイだと思いつつも、旦那様という呼び名には、何とも言えぬ官能的な甘い愉悦ゆえつの響きを感じることも、また確かであった。

「……セイルーンがそれでいいなら……」
「だ、旦那様!」
「セイルーン……」
「旦那様……」
「自分らええかげんにしいやっ!」

 れた瞳で見つめ合い、際限なくバカップルぶりを見せつけるバルドとセイルーンの二人に、横合いから鋭い突っ込みが飛んだ。
 控えめに見ても今のバルドとセイルーンは、人目もはばからずイチャつきあう、頭の悪そうなバカップルそのものである。
 ここでセリーナは年長者として、節度せつどある付き合い方というものを見せてやらなくてはならなかった。
 そう、いくら恋人同士といえど、毅然きぜんとしてこちらからバルドをリードしてやらなくては――。

「セイルーンが旦那様なら、うちは何て呼べばええやろなあ……?」

 そう言いつつ、セリーナはもたれかかるようにして、バルドの肩に胸を押し付ける。
 たわわな果実が肩に押されてぐにゃりと形を変える感覚に、バルドは沸騰ふっとうしたように赤面し、セイルーンは不機嫌そうに眉をひそめた。

「…………そういえば、セリーナにお願いしたいことがあったんだけど」
「バルドのお願いか……なんでも言ってや?」
「せっかく恋人同士になったことだし、耳だけじゃなく尻尾しっぽもモフモフしていいよね?」
「ふにゃっ!?」

 自分からリードするという意気込みもどこへやら。
 首筋まで真っ赤に染まって、たちまちカチコチに固まってしまったセリーナは、フサフサな毛並みの尻尾を、お尻ごとバルドに向かっておずおずと差し出した。

「ら、乱暴にしたらあかんで……?」
万事ばんじお任せを」

 夢にまで見たセリーナの尻尾に、爛々らんらんと目を輝かせたバルドは、髪をすくように指を通していく。
 こげ茶と白の入り混じったセリーナの尻尾は、耳とは違ったつやと、いつまでも触れていたくなるような、魅惑的みわくてきな触感に満ちていた。

「すごい……フワフワだ……たまらん」

 丁寧ていねいに丁寧にで続けるバルドの指が、セリーナの敏感な部分に触れたのか、もだえるような声が漏れ始め、その声の甘さがバルドの加虐心かぎゃくしんを刺激した。

「んんっ!」 
「ひゃうっ!」
「うくううぅ!」

 耐えようにも耐えきれぬという色っぽい声が、断続的にセリーナの唇からこぼれ落ちる。
 本人は声を出すまいと口に手を当てているのだが、まったく役に立っていない。
 そのあまりの悩ましい様子に、バルドは鼻息も荒く、さらに尻尾の硬くなった根元をいじめようとするが……。

「――ええかげんにせんかいっ! この女の敵!」
「お仕置きです! バルド様!」

 般若はんにゃと化した二人に正座させられたバルドは、至福しふくの時間を奪われ、長い長い説教を聞かされる羽目となったのだった。


(もう一度、あの尻尾をモフモフしたかった……)
「鼻の下が伸びてるぞ、バルド」
「せめて思い出にひたる時間くらいくれよ!」

 かたわらにいた友人ブルックスの容赦ようしゃのない突っ込みに、バルドは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 当たり前ではあるが、マウリシア王国を代表してサンファン王国に向かう使節しせつのメンバーは、バルドだけではない。
 友人であるブルックスとテレサの他に、紅炎こうえん騎士団から二名の正騎士と、バルドの補佐として宮廷書記官のオリバーが随行ずいこうしている。
 バルドがオリバーから聞いたところでは、予想していた以上に、サンファン王国では難しい政治的判断をいられるようだ。
 あの腹黒いウェルキン国王でなければ、間違ってもバルドのような少年を、親善大使に起用しようなどと思わなかったに違いない。
 通常、今回のような外交的問題への対処には、経験がものを言うからだ。
 今のサンファン王国において、政治的に一番大きな問題は、何と言っても王位継承権けいしょうけん第一位であった第一王子のアブレーゴが、疫病えきびょうで死んでしまったことであった。
 順当にいけば第二王子のフランコが次代の王にくべきなのだが、フランコは第二王妃との間に生まれた子供であり、第三王子ペードロが第一王妃の子供であることから、新たな王太子の地位を巡って、二人の権力闘争が激化しているのだそうだ。
 すなわち、バルドの提供する疫病対策用の技術を手中に収めた者が、王位に一歩近づくという事態も十分に考えられるのだった。

「やれやれ……」

 おそらくはあの国王、最初から知っていやがったな。
 嘆息たんそくとともにバルドは思う。
 サンファン王国に恩を売るのはよい。が、負け組に恩を売っても、それは骨折り損のくたびれもうけというものだ。
 いったい誰に恩を売るべきか――バルド自身の安全保障にも大きく影響する問題であった。
 恐ろしいことだが、ウェルキンはバルドに、サンファン王国に恩を売るばかりでなく、さらに一歩進んで後ろだてにつけよ、と言外げんがいそそのかしている。
 功績こうせきと地位に加え、サンファン王国と太いパイプを持てば、マウリシア王国内でバルドに嫉妬しっとする貴族や、敵対視する官僚たちも、さすがに直接手出しすることを控えるだろう。
 国際関係というのは、国内でしか力を発揮できない官僚にとって、鬼門きもんに等しい。
 もっともその心配は、ウェルキンがバルドの母、マゴットの恐ろしい影響力を知らないゆえの、取り越し苦労に過ぎないのだが。

「もうしばらく学生を楽しんでいたかったなあ……」

 そして余計なしがらみもなく、金を稼いでいたかった。

(もう、夢の金風呂を実践するのも余裕なほどに、資金はまってるんだけどなあ……)

 ようやく見え始めたマラガの街――王都カディスへの中継地――から、一筋の砂塵さじんが上がるのが見えた。
 数人の騎士らしい男たちが、騎馬でこちらに向かって近づいてくる。
 赤銅色の肌に特徴的な極彩色ごくさいしき兜飾かぶとかざり、間違いなくサンファン王国の正騎士の軍装であった。

「さて、鬼が出るかじゃが出るか……」

 バルドは失われた素晴らしき日々への思いを脇へと追いやり、ブルックスに目配せをすると、使節の全員を停止させた。
 少なくとも友好的な相手であることを祈りながら。




「ようこそ、我がサンファン王国へ。心より歓迎申しげます」

 マラガで一行を迎え入れたのは、この街の太守たいしゅであるロドリゲス・デ・ベガであった。
 若々しい風貌ふうぼうだが、頭には白いものが交じった五十代がらみの偉丈夫いじょうふで、もともとは武官だった経験もあるらしい。きたえ上げられた身体は、まだ堂々たる筋肉のよろいを残していた。
 マラガと言えば、サンファン王国にとっては王都カディスに次ぐ巨大都市であり、数少ない穀倉地帯こくそうちたいで、代々の太守は王国内で重い地位をにな重鎮じゅうちんが務める。
 しかし、そんな地位をまったく鼻にかけないロドリゲスの態度に、バルドは好感を抱いた。

過分かぶんなお出迎え感謝いたします。私は大使バルド・セヴァーン・コルネリアス男爵と申す者、なにとぞよしなに」

 バルドの口上こうじょうに面食らったように、ロドリゲスの表情がゆがむのがわかる。大方、年配のオリバーのほうが大使であると考えていたのだろう。
 確かに、普通は十四歳の子供が大使とは考えない。

「……コルネリアス殿と申されましたか?」

 しかしロドリゲスの反応した意味は、バルドの予想とは違っていた。
 彼にとって重要なのは、バルドが大使かどうかではなく、コルネリアス家の人間であるということらしい。

「はい、コルネリアス伯爵はくしゃく家の長子でもあります」

 おお、という言葉にならぬ声が、ロドリゲスの口かられる。
 どこか懐かしむようなかなしむような……そんな複雑な表情をしたロドリゲスは、改めてバルドを見た。
 見事な銀髪に意志の強そうな眼光がんこう、整った鼻筋と凛々りりしさとあでやかさを兼ね備えた口元は、ロドリゲスの知るとある女性を思い起こさせるには十分だった。

「マゴット殿はご息災そくさいですか?」
「――母をご存じで?」

 あまりに意外な取り合わせに、バルドは思わず目を見張った。
 目の前の偉丈夫と、あの傍若無人ぼうじゃくぶじんを絵に描いたような母との接点が、まったく思い当たらなかったからである。

「実はマルマラ海での海賊討伐とうばつの際、マゴット殿には命を救われた恩がありましてな。是非ぜひこの国で士官して欲しいと頼んだのですが……まさか伯爵夫人になられるとは思いも寄りませんでした」
(こんなところまで来て、何をやっているんですか、お母様……)

 今さらながらに思い知らされる、母の規格外ぶりであった。
 あの母のことだ。海で戦ったら面白そう、とかいう興味本位の理由で、嬉々ききとして参戦したに違いなかった。

「……本来水戦というものは、不安定な船上で戦われるために、歴戦の傭兵ようへいでもなかなか使い物になりません。あの時、地の利を得た海賊に海流の流れを読まれた私は、艦隊かんたいを分断され集中攻撃を受け、死を覚悟したものでした。マゴット殿が〝銀光ぎんこう〟の名とともに、勝利の栄光を連れてきてくれるまでは」

 懐かしそうにロドリゲスは目を細めた。
 たしてその瞳の色にあるのは憧憬どうけい畏敬いけいか、はたまた好意か。

「私は生涯しょうがい忘れることはないでしょう……あの海原うなばらきらめく、銀の光の乙女の雄姿ゆうしを……」

 どうやらロドリゲスの話を総合すると、旗艦きかんに乗船していたロドリゲスが集中攻撃を受け、海賊たちが船に乗り込んできて白兵戦はくへいせんになったらしい。
 衆寡敵しゅうかてきせず乗組員の半数が戦死し、ロドリゲスも死を覚悟したところに、味方の船から乗り移ってきたマゴットが、たった一人で海賊を殲滅せんめつしてしまったようだ。
 グラグラと激しく揺れる船上で、マゴットはまるで宙を飛ぶように、いや、実際にほとんど宙を飛んで戦っていたとか。
 あまりの速さに、ロドリゲスにはマゴットが甲板かんぱんを走るというより滑空かっくうしているようにしか見えなかったという。
 本気で母が人間なのか疑ってしまう、薄情はくじょう息子バルドであった。

「マゴット殿のご子息とあらば、私にとって恩人の子息。我が力でお役に立てることなら何なりとおっしゃっていただきたい」
「こうして出会ったのも何かの縁というものでしょう。よろしければ忌憚きたんないところをお聞きしたいのですが……アブレーゴ王子の後継こうけいは、いかな情勢でありましょうか?」

 ロドリゲスは楽しそうにニヤリとわらった。
 目の前の少年にどの程度の知識があるものか、興味を抱いたらしい。

「私の立場はご存じで?」
「第二王妃とは従兄妹いとこのご関係にあられるとか。縁からいって第二王子を支持すべき、とは存じ上げております。しかしそれと第二王子が優勢であるかどうかは、関係のないことでございましょう」
「私が嘘を申し上げるとはお考えにならないので?」
「――簡単に見抜ける嘘をおつきになれば後で後悔することになる、とだけ申し上げておきましょう。それにサンファン王国人としては、下手に他国の介入を許したくはございますまい」

 バルド――すなわちマウリシア王国としては、次代の王位継承者と友好な関係を結ぶことが大切なのであって、決してマウリシアの主導で王位継承者を決めるようなことを望んでいるわけではない。
 また当然サンファン王国としても、あまりマウリシア王国に借りを作るようなことを望んではいないはずであった。

「それでは私も、バルド殿を見込んで忌憚ないところを申し上げましょう……第二王子フランコ殿下はその識見しきけんと能力において、間違いなく第三王子ペードロ殿下に勝っております。しかし残念ながら彼は即位を望まないでしょう」
「フランコ殿下は王位を望んでいない、と?」
「少なくとも母后ぼこうエレーナ殿ほどには。その理由までは存じませんが」

 おそらく、血縁関係のあるロドリゲスだからこそ聞き出せた情報であろうことは、想像にかたくない。 
 こんな話が一般に知られているなら、とっくに王太子レースには決着がついているはずだからである。
 そんな情報をあっさりと提示してくれたロドリゲスに、バルドは感謝すると同時に、戦慄せんりつと凄みを感じるのだった。
 フランコが王位レースに敗れれば、血縁のあるロドリゲス自身も冷や飯を食わされる可能性すらあるというのに。
 あるいは、フランコを王位から遠ざけてやりたいというのが本心なのか?
 どうやらこれから先、常に高度な情報収集と政治的判断が要求されそうな気配に、バルドは諦念ていねんに近い感情を抱いた。

(やっぱり、平穏無事に大使を務め終えられるはずなんてないよね……)

 ここでバルドは、フランコではなくペードロを支援すべきなのか、とは聞かなかった。
 それを決定するべきは他国の人間ではないし、そもそもできうる限り迂闊うかつな介入は避けるべきであるからだ。
 ロドリゲスがこれだけの情報を教授してくれたのは、たとえどんな思惑があるにせよ、好意の表明に他ならない。これ以上情報を求めたり、余計な詮索せんさくをしたりすれば、彼のバルドに対する評価を落とし、最悪の場合、敵に回すことすらあるだろう。

「貴重な情報を感謝いたします。このご恩は忘れません」
「いやいや、マゴット殿に救われた恩に比べればお恥ずかしい程度のもの。どうぞお気になさらずに」

 そう言ったロドリゲスは、にこやかな表情を保ちつつも、内心では舌を巻いていた。
 ロドリゲスを完全に信用するわけでもなく、かといって敬意を失うわけでもない――情報と向き合い自らの立場を踏み外さない分別は、到底少年のものとは思われない。
 見た目はまだ十四歳の少年でも、その中身はほとんど別物と考えるべきだろう。
 思えば母のマゴットも、バルド以上に規格外な人物であった。

(……さて、行く先々で厄介事を呼び込む体質は、母上に似ていないとよいのだがな。彼自身のためにも……)

 もしバルドが聞いていたら、その身に流れる血の不幸に涙したかもしれない。
 そんなことをロドリゲスが考えているとも知らずに、バルドは乾いたのどに果実酒を流しこんでいた。
 地下水で冷やした果実酒は、まるで旱天かんてん慈雨じうのように、蒸し暑さで疲れた身体にみた。




「やったわ! 神は私をお見捨てにならなかった!」

 サンファン王国の第二王妃であるエレーナは、王太子アブレーゴの突然の横死おうしに、快哉かいさいを叫ばずにはいられなかった。
 第一王妃マリアの生んだ長子が存命であれば、長子相続の原則は動かしようもないが、それが死ねば、第二王子である息子フランコが王位に就くのは当然である。
 家臣かしんのなかには、マリアの生んだ第三王子ペードロをこそ王位に就けるべきであるというやからもいる。しかし、マジョルカなどという小さな島国の王女だったマリアには、サンファン王国に確固たる政治基盤がない。
 エレーナの息子であるフランコを支持する家臣の数は、彼女がサンファン王国の有力な大貴族の令嬢であるだけに、ペードロ派よりも多かったのだ。
 三十路みそじを迎え、少し衰えが目立ち始めた肌を興奮で赤らませて、エレーナはわらう。

「思い知るがいいマリア……たかが海賊の小娘の分際で……この私に恥をかかせたことを!」

 本来、国王カルロスの伴侶はんりょとして、最初に婚約を交わしたのはエレーナのほうであった。
 内陸の大都市コルドバの太守を父に持つ少女時代のエレーナは、自分こそがきさきとして、カルロスの隣に立つのだということを疑いもしなかった。
 しかし海外貿易を経済の柱とするサンファン王国が、度重なる海賊の被害にたまりかねて、南部に位置する島国、マジョルカ王国との同盟を選択すると、エレーナの立場は暗転した。
 カルロスの妻として、マジョルカ王国の王女マリアが迎えられたことにより、幼いころから皆にかしずかれてきたエレーナは、第二王妃の地位に甘んじなければならなくなったのである。
 吹けば飛ぶような小国であるマジョルカの王女ごときが、自分よりも立場が高いだけでなく、その息子がこのサンファン王国の王位を継ぐのだという事実に、どれだけの絶望と憤怒ふんぬを覚えてきたことか。
 ――もはや我慢せぬ。
 アブレーゴが死んだ以上、たとえどのような手を使ってでも、我が子フランコを至尊しそんの座に就かせ、あの女マリアの鼻を明かしてくれる。
 ただ気がかりなのは、後ろ盾としてもっとも期待していた父の従兄弟いとこでもある宰相さいしょうホアンが、あの流行はやりやまいで亡くなってしまったことだ。
 そればかりか知り合いの貴族も幾人かが病死しており、宮廷の勢力図にやや混乱が見られた。
 危うく自分や、かけがえのない息子まで流行病に感染する危険があったのである。
 まったく忌々いまいましい。本当にあの女の血筋は余計なことしかしない。

「待っているのですよ、フランコ。あなたに相応ふさわしい地位を、この母が用意して見せますからね」

 燃えるような赤毛をかきあげて、エレーナは嫣然えんぜんと微笑んだ。




 サンファン王国の王都カディスは、天然の良港を抱えた巨大港湾都市こうわんとしであり、トリストヴィー公国が内戦によって保有船舶量を激減させた今、大陸でも有数の貿易取扱い高を誇っていた。
 巨大な城壁が、二重に街の外周を取り巻いており、その長さは三十キロを上回る。
 造りは違えど、マウリシアの王都キャメロンと同じく、難攻不落なんこうふらくな都市だった。
 つくづく世界は広い、という感想を抱きながら、バルドは城門で立哨りっしょうする騎士に向かって声をかけた。

「バルド・セヴァーン・コルネリアス男爵であります。マウリシア王国大使として参りました。陛下へいかにお目通りをたまわりたい」
「……しばしお待ちくださいませ」

 門衛の騎士は丁重ていちょうに頭を下げ、同僚とともにきびすを返した。
 ガチャガチャと鎧の金属音を響かせて、大柄な二人の騎士が消えると、平衛士であろう数人の兵士が残される。
 どうやらロドリゲスから連絡がいっていたらしく、迎えが来るまでにそれほどの時間はかからなかった。

「――ご案内をつかまつる。私は王宮警護隊の騎士セパタ・サルミエントと申す者。どうぞこちらへ」

 門衛の騎士を引き連れて現れたのは、身長二メートルを超えようかという巨漢きょかんだった。
 引き締まった均整きんせいのとれた身体つきをしており、彼がサンファン王国でも有数の強者であることは、数々の傑出けっしゅつした戦士と向き合ってきたバルドにとっては明らかだった。


しおりを挟む
表紙へ
感想 926

あなたにおすすめの小説

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

月が導く異世界道中extra

あずみ 圭
ファンタジー
 月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。  真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。  彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。  これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。  こちらは月が導く異世界道中番外編になります。

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる

十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

転生したら幼女でした!? 神様~、聞いてないよ~!

饕餮
ファンタジー
  書籍化決定!   2024/08/中旬ごろの出荷となります!   Web版と書籍版では一部の設定を追加しました! 今井 優希(いまい ゆき)、享年三十五歳。暴走車から母子をかばって轢かれ、あえなく死亡。 救った母親は数年後に人類にとってとても役立つ発明をし、その子がさらにそれを発展させる、人類にとって宝になる人物たちだった。彼らを助けた功績で生き返らせるか異世界に転生させてくれるという女神。 一旦このまま成仏したいと願うものの女神から誘いを受け、その女神が管理する異世界へ転生することに。 そして女神からその世界で生き残るための魔法をもらい、その世界に降り立つ。 だが。 「ようじらなんて、きいてにゃいでしゅよーーー!」 森の中に虚しく響く優希の声に、誰も答える者はいない。 ステラと名前を変え、女神から遣わされた魔物であるティーガー(虎)に気に入られて護られ、冒険者に気に入られ、辿り着いた村の人々に見守られながらもいろいろとやらかす話である。 ★主人公は口が悪いです。 ★不定期更新です。 ★ツギクル、カクヨムでも投稿を始めました。

月が導く異世界道中

あずみ 圭
ファンタジー
 月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。  真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。  彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。  これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。  漫遊編始めました。  外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。

狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。 街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。 彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。