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14巻
14-1
しおりを挟むネドラス王国陥落――。
しかも、バルド率いる新生トリストヴィー王国の侵攻から陥落までの間はわずか数週間。一国の滅亡に要した時間としてはおそらく最短であろう。
バルドと敵対するアンサラー王国やエウロパ教団だけでなく、隣国テネドラ公国が受けた衝撃も大きかった。ネドラス王国と同じように、アンサラー王家の血を引く大公が即位して属国化したテネドラ公国は、まさしく次は自分たちの番だと考えたのである。
「明日にもトリストヴィー王国が攻め込んでくるぞ!」
そんな空気が充満し、貴族や民衆はパニックに陥った。
誰より驚愕したのはテネドラ公国大公、ベンリアック・テネドラである。
「……アンサラー王国は、本当にネドラス王国を守る気があったのか?」
大公はその点を危惧していた。
ネドラス王国の危機に際して、アンサラー王国側の対応が過小だったように思えたのだ。
教団の支援もあったとはいえ、アンサラー王国の国力を考えれば、もっと兵力を出せたのではないか。
それは取りも直さず、アンサラー王国がどれだけテネドラ公国を助ける気があるか、という疑問に直結していた。
「――あなた」
普段は気高く侵しがたい雰囲気をまとっている妻――アンサラー国王アレクセイの娘でもある――も、この成り行きに不安を隠せないらしい。
不安なのはこっちのほうだ、と大公は言いたかったが、プライドが高い以外に取り立てて欠点のない妻に八つ当たりするのも憚られた。
「義父上は我が国を見捨てずにいてくれるだろうか……」
「当たり前ですわ! 今ここでテネドラ公国を見捨てれば、アンサラー王国の威信は地に落ちます!」
ネドラス王国が陥落したことで、二大勢力の天秤はバルド率いる同盟諸国へとやや傾いた。
対するアンサラー王国を頂点とした枢軸国は、テネドラ公国を失えば一気に信用をなくすだろう。
中立の国々は雪崩を打って同盟諸国へ寝返り、教団とアンサラー王国だけでほぼ全世界を相手にすることになる。
それでも相手にできてしまうところがアンサラー王国の恐ろしいところだが、さすがにジリ貧は避けられまい。
「あなたは父上を裏切りませんわよね?」
すでにネドラス王国はバルドの軍門に下り、独立を放棄したに近い状態だという。
王国軍司令官に獣人族であるラグニタスが就任したものの、宰相や高級官僚には変わらず人間が登用されたことで、国民の不安は大幅に軽減されていた。
加えて、トリストヴィー王国からの人道支援も功を奏した。アンサラー王国に搾取されるばかりであったネドラス王国の国民は、目を疑ったという。
少なくとも占領の初期段階において、バルドは所定の成果を収めた。
こうした治安の安定がないと、ただでさえ少ない兵力を治安維持に吸い取られ、決戦兵力が不足する本末転倒な事態になる。
古来より征服地が肥大化した大帝国が衰亡していくのは、この戦力の希薄化にうまく対応できないためだ。
大英帝国がわずかな人口で世界帝国を維持することができたのは、この占領維持の技巧がずば抜けていたからに尽きる。伊達にブリカスと呼ばれてはいないのである。
「無論、我が国はアンサラー王国とともにある。ただし、アンサラー王国の考えが異なるのなら、そのかぎりではない」
つまり具体的な支援と対策を求めたい。ネドラス王国と違って獣人の反乱など起きていないテネドラ公国には、同盟諸国に対抗できる軍事力が存在しないのだから。
「――アンサラー王国が守ってくれないとなれば、もはや降伏するしかなくなる。その点を義父上によく伝えてくれ」
ところが、公国内は一枚岩ではなかった。
ネドラス王国ほどではないにしろ、テネドラ公国もアンサラー王国に搾取される属国であり、その立場から解放されたいと思う勢力が存在した。
当然ながら、彼らはトリストヴィー王国に対し、テネドラ公国侵攻の際には協力することを申し出たのである。
「――情報をリークしろ。内密にな」
情報を独断で公国側へ漏洩させたのは、宰相アウグストであった。
父ヴァレリーから受け継いだ諜報組織、そしてダウディンググループと連携した巨大な情報網を掌握しているのは、実はバルドでなくアウグストである。
そうして収集された情報を厳選し、必要な分だけをバルドに届ける。そうでなければあまりに膨大な情報量によって、バルドの時間が不必要に割かれてしまうからだ。
これは、並大抵の信頼関係でできることではなかった。アウグストがその気になれば、情報を操作してバルドを死地へと追いやることすら可能なのである。
だからといって、二人が厚い友情で結ばれているかといえばそうでもない。
「女たらしはもげてしまえばよいのです」
「尻に敷かれているからといって、僻むなよ……」
この二人、どちらかといえば、プライベートではいがみ合うことのほうが多かった。
のちの歴史書に、「どうしてこれほど相性の悪い二人が、史上最高の国王と宰相となったのかは謎である」と決まり文句のように書かれるとは、さすがの二人もあずかり知らぬ話であった。
アウグスト――正確には彼の有する諜報部隊によって、臣下の裏切りを知らされたベンリアック大公は恐怖した。
ネドラス王国のヴァシリー公爵のように、自分も殺されるのではないか? そう考えるだけで居ても立ってもいられなかった。
恐怖する者が選択する手段は大抵ふたつ。逃げるか、より強い恐怖で抑えつけるか、だ。
「――皆殺しにせよ。一人たりとも生かしておくな」
疑心暗鬼に囚われたベンリアック大公は、同盟諸国に協力を申し出た国民や貴族を家族もろとも処刑した。
その結果、一時は鎮静化したものの、アンサラー王国から派遣されてきた軍がテネドラ公国の物資を食いつぶし始めると、再び反抗の火が燃え上がる。
ましてや、降伏したネドラス王国がトリストヴィー王国からの物資援助で潤っているのだから、なおのことであった。
公国も必死で情報を統制しようとしたが、国境を接する隣国の情報を完全に防ぐことはできない。しかもダウディンググループの影響下にある商会が、せっせと情報を広めているのだ。
「まあ、そろそろでしょうかね」
アウグストが酷薄な笑みを浮かべたころ、テネドラ公国では貴族たちが中心となってクーデターを画策し始めていた。
――それはなぜか?
アンサラー王国の属国であるテネドラ公国は、これまで必須物資である塩を、そして通貨の製造に必要な金を、アンサラー王国から輸入することを強いられてきた。
もちろんトリストヴィー王国と国境を接する一部地域では密売も横行していたが、基本的に国家が専売することに関して、貴族も国民も反対することはできなかった。
その結果、ツケを払わされるのは国民である。ごく少数の上層部がさらに代金を上乗せしているから始末におえない。
果たしてそこに、別ルートによる安価で大量な供給をちらつかせればどうなるだろうか? しかもこれまで、旨味にありつけなかった者たちの前に、である。
国民を貧困から救うため――大義名分としては十分すぎる。彼らがトリストヴィー王国へと軸足を移すのは当然の結果であった。
「物資と情報は協力してやりなさい。別に、バレてつぶされても問題はありません。混乱が拡大すれば我が国の利益になります」
アウグストは部下のタリスカに命じると、天を仰いで嘆息した。
「……まったく、このところ父と同じことばかりしているな」
「恐れながら、似て非なるもの、と言うべきですな」
ヴァレリーから託された諜報部隊の長であるタリスカは、感慨深げに笑う。
アウグストには、ヴァレリーのような見ていてつらくなる悲壮さがない。
陽のあるところに影がある。しかし陽のない世界では、影は影でなく、無限大の闇と化す。
その闇のなかで影である意志を貫くのに、ヴァレリーがどれほどの執念と怨念を必要としたか。
影であることを使命とするタリスカだからこそ、闇に呑まれず影であり続けたヴァレリーの意志力が、いかに規格外なものだったかがわかる。
だがアウグストにその心配はなかった。なぜなら彼にはバルドという太陽がいる。だからこそ安心して影に徹することができるのだ。
(まあ、二人とも絶対に認めないだろうから言わんが)
「……いやな目ですね。手のひらの上で踊る私を、父が眺めていた目を思い出しますよ」
「滅相もない」
うっかり感情を表に出しすぎていたようだ。アウグストの冷たい視線を浴びて、タリスカは背中にいやな汗をかいた。
「それにしてもよろしいので? その気になれば、クーデターを成功させることもできますが?」
「クーデターに成功した連中が、全力ですがりついてくるほうが厄介です。あの国にはラグニタス殿のような、我が国の意を汲んで行動してくれる人材はいないのですから」
せいぜいしばらく混乱してくれればよい。恩を売りつける最高のタイミングで、最高値をふんだくってやる。
(ああ、楽しそうに悪だくみするときのそういう表情、先代ヴァレリー様そっくりですよ)
「――何か?」
「いえいえ、それではただちに手はずを整えますので」
「ふふふふふふふふふ」
「うにゃにゃにゃにゃにゃ」
ネドラス王国侵攻と陥落をもっとも喜んだのは、ウラカとサツキであったかもしれない。
海を隔てた異国でバルドと二人っきり、いや、三人っきり。ここには邪魔なシルクも、最近腹黒さを増しつつあるセリーナとレイチェルもいないのである。
帰国までの時間、バルドとの甘いアバンチュールを期待するのも無理はなかった。
問題は、どちらが先んずるか――。
「恨みっこなしにゃ」
「はん! 吠え面かかせてやるよ!」
「猫耳族は犬耳みたいに吠えないのにゃ!」
二人の乙女たちが期せずして不敵に嗤い合う。
それはかつてのシルクとウラカの戦いの再現であった。男を懸けた、乙女のプライドとプライドのぶつかり合いである。
しかしさすがのウラカも、王門を相手にするのはあまりに分が悪いと言わざるを得ない。
あるいはここが海であれば、勝負の行方もわからなかったであろう。海をゆりかごとして育ってきたウラカは、足元が安定しない船上での戦いに慣れている。
「安心するにゃ。痛いとも感じないうちにおねんねさせてやるにゃ」
「大丈夫かい? お子様はおねんねの時間だよ?」
「誰がお子様にゃ! ……ぐう」
まるで人形の糸が切れたように、サツキはくたりと前のめりに倒れ、安らかな寝息を立て始めた。
「どうやら眠り薬が効いたようだね」
ウラカはしてやったりと、うつぶせに倒れたままのサツキを見て嗤う。
実は最初から、サツキのワインに眠り薬を仕込んでおいたのである。わざわざ海の彼方の南方大陸から取り寄せた、効果抜群の睡眠薬であった。
「ふっふっふっ……バルド、今夜は朝まで寝かせないよ?」
意気揚々とバルドの寝室を訪れたウラカは、この日のために用意した、サンファン王国の王妃マリア直伝の真っ赤なシュミーズを身に着けている。
この時点で、どうしていまだにマリアを信じているのか、ウラカの常識を疑った人間は正しい。
あのマリアが、まっとうなアドバイスを素直に教えるはずがなかった。
「バルド~~、あなたのウラカが来たわよ?」
「……」
「あれ? 寝てる? バルドのワインには睡眠薬は入れてないはずだけど……」
睡眠薬ではない別の何かは入れたけれど。
なんでも、マリアが手づから作ってくれた強精薬だという。
今夜は孕むくらいバルドに頑張ってもらおう、と思って飲ませたはずなのに。
「……もう辛抱たまらああああん!」
「きゃっ!」
「ふしゅー、ふしゅー」
「ど、どうしたのバルド? なんだか怖い」
「晩にワイン飲んでから滾るリビドーが抑えられーん!」
「や、やられた……強精薬なんかじゃない、発情薬だ」
あらあら、うふふ……と、楽しそうなマリアの笑顔がウラカの脳裏をよぎった。
「で、でもそれはそれで……」
「覚悟しろよウラカ!」
もともとバルドの寝込みを襲い、愛し合う覚悟は出来ている。むしろバルドがヤル気なのは歓迎すべきことだ。
しかしそのウラカの覚悟は、暴走した王門持ちの体力を完全に見損なっていた。
「……ひどい有り様にゃ」
翌朝、ベッドの惨状を見たサツキはすべてを悟ったかのようにポツリと呟いた。
「しゅごかった」
「シルクと同じこと言うな、なのにゃ」
「でもしゅごかった」
「……とりあえず、バルドに使った薬、私にもよこすのにゃ」
その日の晩は、サツキの悲鳴のような叫び声が深夜まで響き渡ったとか。
ガルトレイク王国の獣神殿に設けられた秘密の研究室で、獣神ゾラスに仕える巫女頭サクヤ・カゲツは、深まっていくばかりの謎に頭を悩ませていた。
「やれやれ、私としたことが手掛かりのひとつもつかめないとは、情けないねえ……」
バルドから渡された王門封じの聖遺物。そこに古代獣人語らしき文字を見つけたまではよかった。
しかし意味を解読するのは困難を極める。
古代獣人族は、獣王の登場よりもはるか前に絶滅したとされていて、現在の獣人にとっても謎の種族なのだ。
「ひとつ確実に言えるのは、古代獣人族は魔力を使えたということだな」
はるか昔、獣人族は魔法が使えた――。
その事実にサクヤは背筋が冷たくなる。
いわれのない中傷、差別、迫害。それらの多くは獣人が魔法が使えないことに起因していた。
魔法が使えない代わりに、身体強化の『変生』を使える事実が、獣人を人間とは異なる種族にさせたのである。
もし獣人が普通に魔法を使えれば、たとえ人間との間に利害関係の対立があったとしても、ここまでの差別はなかったであろう。
先ごろ解放されたネドラス王国では、獣人の半数近くが命を落とした。エウロパ教の本場であるアンサラー王国で暮らしていた獣人にいたっては、ほぼ絶滅したに等しい。
かろうじて生き残っている獣人がいたとしても、奴隷か、それ以下の扱いを受けている可能性が高かった。
「いつからだ? いつから我々は魔力を失った? どうして王門持ちは魔力を使える?」
王門持ちは先祖返りとでもいうのだろうか?
仮に遠い祖先が魔力を使えたとして、彼ら自身の作った遺物が王門の力を封じる理由はなんなのだろうか?
バルドやサツキがいないので実験は進んでいないが、聖遺物に魔力を封じる効果がないことははっきりしている。ガルトレイク王国の宮廷魔法士に何度も確認した結果、聖遺物は人間の魔法行使には一切影響を与えなかった。
さらに不可思議なのは、獣人特有の変生にも影響しないことであった。
人間に獣人が唯一勝る、爆発的な身体能力向上。
それに影響を与えないにもかかわらず、王門だけはその力の大半を封じられてしまう。
そんなことがありうるのだろうか。
この聖遺物を作ったと思われる古代獣人族は、なんのために、獣人の希望であり王である王門を封じる道具を作らなければならなかったのか。
「……悔しいが、まともに研究が進んだのはジーナの予測のおかげとはね」
現在は共闘関係にあるとはいえ、長年のライバルであったジーナに助けられるのは決して気分の良いことではない。
たとえそれが、獣人のために必要だとわかっていても、である。
ジーナの予測とはすなわち、アンサラーの猛将ミハイル・カラシニコフから聞いた、彼の生い立ちにヒントがあった。
――王門持ちは過去に死にかけた経験を持つ、という事実である。
サツキが幼い日に生死の境を彷徨ったことを知るだけに、どうしてその発想を得られなかったか、とサクヤは悔しくてならなかった。
もっともジーナとて、バルドやマゴット、そしてミハイルの話を聞いたからこそ、その結論に達することができた。サツキの例しか知らないサクヤには土台無理な話であった。
サクヤが歴代の王門持ちについて調べたところ、結果はすべてジーナの予測を裏づけていた。
病や怪我、あるいは事故など要因の違いこそあれ、王門持ちは例外なく死にかけた経験がある。
これまで誰も気づくことのなかった共通点だった。
「ま、共通するからといって、それが原因と決まったわけでもないんだがね」
もちろん、ただ死にかけたというだけでは、王門の条件としては足りない。年に死にかける獣人などいくらでもいるだろう。
サクヤはそれ以上の追及を一旦諦めた。
聖遺物が古代獣人族の文明に関連している可能性が高い以上、古代獣人族の神話を読み解くところからアプローチしようと考えたのである。
「そのために、ジーナに下げたくもない頭を下げて、向こうの古い経典まで借りたんだから」
猫耳族も犬耳族も、獣神ゾラスによって生み出された眷属である、という認識は共通している。
これは狼耳や虎耳の少数部族も同様で、この大陸のすべての獣人は獣神によって誕生した。
かつて獣神ゾラスは、ミルミナという世界を支配していたという。
そのミルミナが成熟し、もはや自分の手を離れたと判断したゾラスは新天地を求めて旅立った。
――そして降り立ったのがこのアウレリア大陸。
新たな大地に祝福を授けたゾラスであるが、この世界に自分の眷属がいないことを寂しく思い、獣人族を生み出した。
彼らは、ミルミナでもっともゾラスに忠義の厚かった眷属を模して創造されたという。
ゾラスの祝福を受けたアウレリア大陸は栄え、そのなかでも獣人族は中心的な役割を果たした。
未開であった人間は獣人から知識を与えられ、耕作と文明を持てるようになった。
飢えから解放され、支配できる土地が増えて豊かになると、やがて人間と獣人との間にいさかいが増え始める。
これを悲しんだ獣神ゾラスは、地上を離れ天界から見守ることにした……。
英雄の逸話や魔物との戦いなどのエピソードを除けば、だいたいの物語はこんなものだ。
不思議なことに、竜退治のような英雄寓話があるにもかかわらず、神話のなかに獣王の記述は見当たらない。
それは獣神が直接統治していたから当然だ、というのが従来の解釈であったが、人間にはきちんと王が現れている。
直接統治とはいえ、社会とは上下関係なしには動かない。その割には理屈に合わないほど、獣人の支配構造は不明なままであった。
そしてゾラスが天界へ去ったのち、獣人は数に勝る人間によって迫害され、現在に至る。
獣王が誕生し、獣人族の王国を打ち立てるのは、それから大分経った後のことである。
「……ふむ」
獣神に仕える巫女としてあるまじきことかもしれないが、サクヤはゾラスが天界へ去ったことを、説話の一種であると考えていた。神は天から自分たちを見守るものであって、実際に神が地上でその力を振るっていたとは信じていなかった。
だが、古代獣人族が魔力を有していたのに現在の獣人族が魔力を使用できないことに、ゾラスが関係していた可能性は捨てきれない。
どうしてゾラスは天界へと去ったのか。
ゾラスによって創造されたのが獣人族だけであることは何を意味しているのか。
「とるにたらぬ異端本と思っていたが……」
サクヤは装丁がボロボロに崩れた写本を手に取って、訝しげに眉をひそめた。
『ゾラス降臨神話』
焚書されるところをジーナの先祖が密かに隠し持ったというその異端本には、ゾラスは一人でなかったと記されている。
ゾラスとは二百人ほどの集団だった。彼らはミルミナという世界からやってきた神であり、この大陸に文明と魔法をもたらした……。
そんな馬鹿な、と笑うことが今のサクヤにはできない。
魔力を持ち、魔法を使用していたと思われる古代獣人族の話と、一部とはいえ一致するからだ。
「ではどうして古代獣人族は消えたのか? どうして彼らは獣人族の王門を封じる遺物を製作しなくてはならなかったのか?」
わからないことが多すぎる。聖遺物の実験と並行して、これまで無視されてきた異端本の調査もしなくてはならないようだ。
膨大な作業量に思わずため息が漏れた。
「まったく厄介な仕事を押しつけてくれたもんだ。やっぱりあの女は大嫌いだよ!」
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