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第一話—5 心來人の日々はいま始まる
しおりを挟む火事場の馬鹿力——という言葉を聞いた事が無い人は居ないだろう、義務教育を受けていない僕でも聞いた事がある。
白空が僕に、命の危機に陥れば反射的に心來式を使えるとか言っていたけれど、あれは火事場の馬鹿力と——力のリミッターが解除されて、咄嗟に、文字通り馬鹿みたいな力を出せる事と同じ理論なのだろう——が、これには一つ問題がある。
一体何故、力にリミッターが付けられているのかといえば、それは本当の意味での全力を出してしまえば、その力に自身の肉体が耐え切れないからであり——つまり、心來式が火事場の馬鹿力の様にリミッターが解除され、ようやく使える物であるならば、何か大きな代償——負の副産物があるはずなのだ。
白空の使っていた心來式によって、白空自身が被害を被っている様子は無かったけれど、少なくとも僕の使った、僕が秘めていて……そして遂に解放された心來式は、僕自身に……というより、周囲の全てに害を加える結果をもたらした——副産物というか、結果そのものが害を成す物であった。
「心 世 來 散」
その言葉……僕の心來式の名を、僕は口にした。
心濫獣に、命の危険に恐怖して、咄嗟に……気が付いた時には口にしていて——そして発動した心來式……心世來散が引き起こした事というのは——
「これが心來式……」
「中々派手な心來式——というかこれは……流石に派手過ぎる気がしますね」
決して浅くは無いのに、底が見える程透き通っていた川は赤く染まり上がり、氾濫し……、周囲の木々は枯れ果て、鮮血の様に赤い豪雨が、上を向いて口を開けば一瞬で溺れてしまいそうな程なくらいに降り注ぐ——そんな光景が生まれる、という事象であった。
「……あれ、さっきまでは誰も居なかったのに」
まるで地獄であるかの様な景色を見渡していると、向かい岸の方に二人の人間が、男と女が倒れているのを見つける。
「あの2人と会った事は?」
「遠くてよく見えないけど……無いと思う、会った事も話した事も——戦ったり、殺した事も無い」
「心來式は自身の心を元としている——はずなのに、見知らぬ何者かを作り出している……、少し捻りのある効果を持った心來式なのかもしれませんね」
捻りというか……ひねくれているんじゃないだろうか?
別に僕は僕の事を、弑抒 忍の事をひねくれた奴だとは思わないが……それでもこの能力は自己防衛の手段としてはあまりにも危険である。
もしつまづいて、川に少しでも踏み入ってしまったら一瞬にして波に流され、溺れさせられてしまいそうだ。
「というか、心濫獣はどこに行った? 姿が見当たらないんだけど」
敵を見失うのはあまり良い状況ではない……その状況を作ったのは僕であるのだが。
「探す術は無いですし……、向こうから来るのを待つしかないですね。まぁ、私を殺そうとしていた時、貴方はそういう思考回路で、オムニスのアジトでのんびりとソファーに座っていたんでしょうし、対象が変わるだけですよ」
「対象が人間から怪物に、何の策も練らずに襲いかかってくる奴になってるんだ。変わるだけとか言って、侮る事は出来ないよ」
それも、移動に認知させない程の隠密能力を持った相手である。
まぁ白空は認知出来ていたので、単に僕の力不足……経験不足だからかもしれないが。
経験というのは、ただの戦闘経験ではなく、怪物との戦闘経験の事である。
「とりあえず、周りを見渡すしかッ——」
そう言って、白空が周囲を……地獄の景色を見渡し始めてすぐだった。
「永 劫 束 縛」
白空の纏う白のローブ——その内側から、無数の……煌々と光を放つ銀の鎖が放出される。
八つの鎖は雨に打たれ、雨水を伝わせながら、天翔る龍の如く……空に向かい飛ばされていく。
「心散徒になっている……、つまり向こうの男と女、そのどちらかが寄生されていた人間で、そして解放された……?」
「そんな悠長に分析してる場合じゃないんじゃないか!?」
鎖の飛ばされた先——空中には、浮遊し……、そして僕と白空に向かって、矢の如く、空から迫る鎖があった。
その鎖は黒く……、まるで意志を持っているかの様に銀の鎖の間をすり抜けながら、その槍の様に鋭く尖らされた先端を僕達に迫らせる。
意志を持っているかの様、とは言ったが、白空の言葉をそのまま受け取るならあの鎖は心散徒——つまり生物であり、確実に意志を持っているのだろう。
「速ッ——」
どうやら僕の心來式が引き起こした状況は——心濫獣が人間と分離し、心散徒に戻るという状況は、白空にとって完全に想定外らしい。
彼女の判断は遅れ、心散徒の飛行は止められる事無く、そのまま僕達の肉体を貫く——事は無かった。
「なッ……」
突然の出来事である。
川というのは本来、意志を持たない。
僕達人間や、心散徒の様に生きている訳ではないのだから当然である——当然のはずだった。
たとえ血の様に赤くなろうとも川が、流れを持っただけのただの水が意志を持つ事は無い、ただ下流に向かい流れていくだけだと……そう思っていたのだが……
「なんだ……川が動いて……?」
僕の心來式は、僕の中の固定観念を簡単に壊してしまった。
赤い川はまるで意志を持ち……、昔話に出てくる龍のみたいに飛び上がる——水から龍が飛び出すみたいに、水が、自らが龍のみたく飛び出していく。
獲物に向かって飛ぶ蛇の如く、
獲物に向かって飛ばされるカエルの舌の様に——
そして心散徒を荒ぶる赤い波の中に、捕食するみたいにして取り込んだ。
「……違う、川は意志を持っていない」
まるで意志を持つ様に——と、そう言ったが、やはり川は意志を持たない……持つはずがない。
じゃあ何故……、一体全体どうして川がこうして、まるで生物であるかの様に動いているのかといえば——
「僕の、弑抒 忍の意思が動かしたから」
僕が変色させた川を、僕が操作していたからである。
自分でも気付かない内に、さっき心來式の名を口にした時の様に、仕組みも分からず、咄嗟に川を動かしていた。
自分でもどうやって身体を動かしているのかよく分かっていないのと同じ様に、理屈は分からない。
だが、僕の心來式——心世來散によって作り出された、または変質させられた物は全て、操れるというその事実だけは理解出来る。
「沢山の……手?」
「川の底に転がってたから使ってみた……!」
川の底——川を失った川底を、川の底と呼んでいいのかは分からないし、他の呼び方も分からない。
だがまぁ、とにかく、川の底に無惨に転がっていた無数の赤い腕——全身を持ちはしない腕だけの物体を操作してみる。
操って、空中でとぐろを巻く川に飛び込ませた、川から引き離させて、すぐに川の中に戻させた——キャッチアンドリリースである。
そして未だ赤い波の中に囚われている心散徒を、その腕の群れに掴ませる、争奪戦に狂う——狂おうとする人々の如く。
腕達はそれぞれ別の方向に、川に溺れた誰かを救い出そうとするみたいに心散徒を引っ張り合い、鎖を軋《きし》ませて——
鎖の心散徒を引き裂いた、粉砕した——その命を終わらせた。
「消えてく……、勝ったからか?」
「心來式の解除は本人の意思によるものなはずなのですが……、貴方の心來式——心世來散は謎が多いですね」
心散徒を殺した直後。
赤い雨は、赤い川は、赤い腕は消え、
涼し気な風が、透明な川が、川の中を悠々と泳ぐ魚達が現れる——
入れ替わる様にして、元の綺麗で心が落ち着かせられる景色が帰ってきた。
「……あれ」
向かい岸の方に視線を向けてみる。
するとそこには一つの人影、男物の服——赤いパーカーを着た一人の姿しか無かった。
さっきまでは、赤い川があった時は二人だった気がしたんだけど——もしかして気のせいだった?
その人は、その場から逃げ出す様に——というよりは、何かを追い求める様にして駆け出し、立ち去っていく。
「なぁ、白空さん、心散徒ってのは、心が不安定になった人間に寄生するんだよな?」
「そうですね、感情の抑制に限界が来た人間が心を氾濫させる……その最後の後押しをして、心濫獣に変貌させてしまう——それが心散徒です」
という事は……、さっき立ち去った人が心濫獣となっていた人間だったのだとしたら、あの人は心散徒に寄生される程追い詰められていた事になる。
さっきまでの赤い川の様に、心が溢れ出し……、周囲を危険に晒してしまう程に心を不安定にしていた——となるとだ。
「あのまま放置ってのは良くないんじゃないか?」
放っておいてしまったら、また心散徒に寄生されてしまうのではないだろうか?
今までは人間ごと心散徒を倒していたらしいから、特に心のケアだとかをする必要は無かったのだろう。
だが、僕の心來式によって人間が助かったのなら必要になる——しなければまた心濫獣になって、何度も戦う羽目になる。
「……とにかく、今は一度本部の方に行きましょう。貴方には色々と検査を受けてもらわなければなりません」
「え、検査? 検査って……健康診断的な?」
「はい、健康診断的な奴です……それだけじゃ無いですけどね。もしかすると痛い思いをする事になるかも——ですねぇ?」
と……愉快そうな声でそう言う白空は、笑い声を出しはせずとも、心の中では転げ回りながら笑っていそうである。
冷酷というか、残酷というか……単純に性格が悪いのではないのだろうか?
「ハハハ」
「声に出しちゃったよ」
性格の悪さを包み隠さず露呈させちゃったよ。
まぁ、人が死なない程度の苦しみに恐怖したり、悶えたりしている様子が面白いのは分かるけど——もしかすると、僕も大概性格が悪いのかもしれない、ひねくれ者なのかもしれない……僕の心來式と同じ様に。
「それじゃあ痛い思いをしに行きましょうか……、逃亡彼方」
「痛い思いから逃亡させてくれ」
本来の目的に沿って使えよ……痛い思いをしに行くんじゃなく、痛い思いから逃げる為に使わせてよ。
そうして僕達は河原から、砕け散った心散徒の破片を残して消え去った。
少し先の時間からの目線で語るが、やはり急いで、すぐにあの男物の服を着た人と関わるべきだったと思う——今となってはもう、後の祭りではあるのだけれど。
初仕事から面倒を後回しにして、前述の通り後悔したりはしてしまったが……とりあえず、こうして僕の心來人としての日々は始まった。
日々の始まり、そのお話はこれにてお終い……、ここからは心來人としての日々が本格的に始まり、そして、やがて——
「全ての終わり——という祝福が訪れる」
僕の、主人公のモノローグに乱入して、何やら意味深な言葉を呟くのは、薄暗い部屋の中で、高そうな灰色のソファーに腰掛け、灰色の仮面で素顔を隠す男であった。
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