耳が痛い話にご注意を。

はじめ

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第二章 恋の闇

社会と野生

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「なるほどな」
 ビールを飲み干し空になったジョッキを机に置いた大志が俺の方をキッとした目つきで見る。
「理也の予想としては、片蔵が理也の悪評を触れ回ることで片蔵の味方をつくり、かつ逢坂との接触を拒もうとしている、ということだな」
「被害妄想かもしれんがな。けどタイミング的には……」
「まあ、あらかた間違いないと思うぞ」
 大志に、片蔵との間で何が起こったのか、事実と推論を伝えると、「だから言っただろ。無駄なことだって」と言われてしまった。ちなみに心が読めるとかそういうことに関してはもちろん伏せてある。言ったところで信じないとは思うが。
 店員を呼ぶためのボタンを押しながら、重めの口調で大志が話し出した。
「……一応研究室内の状況を伝えておこう。今朝のことだが、研究室に来た片蔵は俺以外の男を集めて何かを吹き込んだようだ。その後、戻ってきた男たちは理也に対してヘイトが上昇していた」
「研究室でもか?」
「おそらく火元はな。そこから情報という名の煙が蔓延していったんだろう」
 全く面倒なことをしてくれる。どんな意図があるのかわからないが、自分にとっての危険分子を傷付けることで再起不能にしておけば刃向かってこないとでも思ったのだろうか。
 俺が頭を抱えてため息をついているところを見て、大志が口を開く。
「除名」
「まあ待てよ」
「お前が被害を受けてるんだぞ? どこまでお人好しなんだよ」
「自分でもおかしいとは思ってるけどな」
 正直自分の中でも迷っていた。
 報復に出るようなやつを野放しにしておいていいとは思わない。何か片蔵の内心を揺さぶることがあるたびにこんなことをしていたらキリがないし、一度痛い目を見させてやらないとわからないとは思う。
 だが除名は違う。あくまで最終手段だ。大学という研究機関にきちんと試験を受けて入ってきているんだから、何かしら夢とか目標があるはずだ。それが片蔵の理想と現実が大きくズレてしまったために暴走しているんだ。
「あら?」
 唐突に背後から声がかかる。振り向くとそこには、居酒屋の制服に身を包んだ逢坂が注文伝票を持って立っていた。腰に巻くタイプのエプロンをしているためか豊かな胸が強調されている。
 と、急に逢坂が何かに気付いたようにハッとしてこちらに背中を向けるように体をひねりながら胸元を腕で隠した。そしてジト目でこちらを見てくる。
「おい」
「すんません」
 本当にふわっとした肯定感でも読み取れるんだな。というかそもそも、胸が大きいって肯定なのだろうか……。そこまで来るとエロいっていうのはどうなるんだろうな。
 なんてことを考えていると、とうとう頭に拳骨が飛んできた。
「逢坂智美、か」
 その様子を表情一つ変えずに見ていた大志が逢坂に声をかける。
「どうも。あなたが話に出てた穴熊くん?」
「穴熊大志。大志でいいぞ」
「よろしく、大志くん」
 二人とも礼を交わす。なんだろう、大学生っぽくない。
「そうだ、私もう少ししたら上がりなんだけど、二人はまだ飲む?」
「ん? まあそうだな。まだ何も解決してないし」
「そ、なら私も混ざるわ」
「は?」
 言うが早いかこちらの反応を見ずにお店の厨房の方へ駆けていく逢坂。せめて注文くらいとれよ。
「思ったより慌ただしいやつだな」
「まあ、割と自由気ままなやつではある」
 学校一の美少女・逢坂智美ともなればさすがの大志でも知っているようだった。絶賛、見た目と中身のギャップに困惑中なのだろう。
「しかし確かに実物は綺麗な人だな」
「お? 惚れたか?」
「ここで俺が惚れたなんて言ったら理也はショックで心臓が止まるだろうな」
「ま、確かに」
 あれだけ人の心の中に興味のない大志に好きな人でもできた日には俺の内心が大騒ぎだ。恋人なんていっときも必要のないもの、とまで言ったことがあるからな。
「このタイミングでこんな風に出逢うのも何かの巡り合わせかもしれんな」
「お? 酒が回ってきたか? 珍しくロマンティックなことを言うじゃん」
「余計なお世話だ。運命論も一応理論だからな。然るべき時に然るべき人物が現れるのは、いわば物理法則と同じレベルのこと。たとえどんなルートを通っていたとしても、この日のどこかでこの3人で会っていたのかもしれない」
「スケールがでかすぎる」
 理論に結び付けられるようになると大志の話はそのうち世界真理とか宇宙理論まで跳躍する。聞いていて飽きないが、そこまでいくと多少こじつけだな、と感じることもあるが。
「おまたせ」
 逢坂が小走りでやってくる。さっきまでの制服と違って、紺のロングスカートに少しゆったりした白のパーカー、その上に丈長のコートを着ていた。
 ごく自然に、逢坂は俺の隣に座る。
「暑くね?」
「もちろんコートは脱ぐわよ。……それで、何の話をしていたの? だいたい察しはつくけど」
「お察しの通り、片蔵のことだ」
 大志が答える。
「ま、そうよね。あれからどうなったの?」
 逢坂は所用で学校に来ていなかったらしい。俺は今朝の状況を伝える。
「ふーん。なんだか大変そうね」
「逢坂、お前当事者だぞ」
 どこか他人事のような感じの態度をとる逢坂。まあ実際にその場に行けてないならこんなもんか、とも思うがもう少し緊張感をもっていただきたい。
「当事者だからといってここで焦っても仕方ないわ。まずは状況整理しましょ」
 そう言って、前と同じように紙とペンを取り出す。そしてスラスラと先ほどの話を箇条書きにしてメモしていった。
「いい? 現状、私たちの大学という小社会の一部が片蔵さんが作り出したと思われる虚構の噂に踊らされているわけ」
 図示しながら逢坂は現状を整理していく。
「その一部っていうのは片蔵さんにご執心な人たち、言い換えるなら片蔵教徒ね。多いとは言え大学中の数パーセントのもんよ。別に怖がる必要はないわ」
「まあその数パーセントが過激派な気もするが……」
 いきなり、面貸せよ、なんていつの時代だよって思ったぞ。
「とにかく今は安全な場所でじっくり考えるのがいいと思うわ。二人とも研究に余裕はある?」
「まあ多少は」
 と俺。
「その辺りは抜かりないぞ」
 と大志。
「そ。なら極力自分の研究室にはいかないこと。今あそこは片蔵さんの城よ。新倉くん本人は言わずもがな、大志くんも味方という認識はされてないだろうから危険ね」
「……すごいな、一瞬でそこまで考えられるのか」
 珍しく大志が感心している。
 そう言えば、どうして逢坂と仲良くできるんだろうって思ったけど、よくよく考えたらこいつ大志と似てるんだ。だから気にせず話すことができるんだろう。
「ここまではただのリスクマネジメントよ。余計なことにならないようにしてるだけ。問題はここから、どうやって解決に向かわせるか、ね」
 あくまで自分の研究室に行かないというのはその場しのぎであって根本の解決にはならない。どのみちいつかは研究するためにまた行かなければならない。
「……じょ」
「除名はなしよ、大志くん。そもそも私情で他人を除名したいなら研究室の署名が必要よ。今片蔵さんの城となっている研究室の署名が集まると思う?」
「くっ」
 言いかけてすぐに制される。
 たしかに個人の思惑だけで他人を排斥できたら、今頃気に入らないっていうだけで研究室から登録抹消される人が後を絶たないだろう。
「あれ、でも逢坂って除名賛成派だったんじゃ?」
 確か初めてこのことを話した時に、除名してもいいと思うと言っていた気がする。いつの間に心変わりしたのか。
「そ、それは今はいいわ。それより解決法を一つ提案するわ」
 何かを隠すように話題を転換する。こういう時の心情はなかなか読みやすいのだが、やはり逢坂相手だと見ることはできなかった。
「まあ、いろいろ考えてるのか」
「ええ、少なくとも浅はかではないわ」
 一応、会話のつなぎ目が大志にとって不自然にならないように逢坂に投げかけた。
「今一番強い影響力をもってるのはなんだと思う?」
 逢坂が大志に問うた。さっきの会話中何かを考えていたため、何かしらの結論が出てると思ったのだろうか。
「そうだな……片蔵が生み出した虚偽の噂、だと思うが」
「そうね。その偽りの情報が社会の一般解になってるわけ。じゃあきちんと答えあわせをしてあげないとね?」
 逢坂は紙の上に二つの線を描いて3分割すると、それぞれ片蔵教徒、野次馬、無関心と書き加えた。
「現在の社会はこんな派閥に分かれるわ。片蔵さんに心酔するあまり他の意見を聞き入れない片蔵教徒。単純に面白がってるだけの野次馬。そして全く関心のない無関心。さあ、この中で一番影響があるのはどれでしょう?」
「そのクイズ形式どうにかならんのか」
 いちいち変に凝るなぁ。
「確実な問題解決に必要なのは確実な同意、よ。私が全て指示してそれを実行する、なんていうのはどこでボロが出るかわからないし、やってることの意味がわからないとうまくいかないでしょ?」
「ごもっともだな」
 単に面白がっているわけじゃないとは思っていたが、なるほど、言われてみればたしかにそうだ。
「超理論派だな」
「あなたに言われたくないわ、大志くん」
「それもごもっとも」
「まあなんにせよ、大志くんや新倉くんも自分のルートでこの考えに行き着いて欲しいの。だから問題提起するのよ」
「理に適ってるな」
 実際、問題点なんていうのは自分の力で問題点だと思わない限りは解決できない部分だ。どうやったって、それを良かれと思ってやっていたり、どうしてそうなるのかわからないまま続けている人に、やっちゃダメと頭ごなしに否定するのは全く無意味である。
「で、どう思うの? 二人は」
「そうだな……」
 少し虚空を見つめて考える。正直、今の状態で俺たち三人が誰かに弁解しても全く効力はないだろう。だから、答えとしては誰も影響を受けない、な気もする。
 だが、そんな簡単な考え方でいいのだろうか。逢坂はそんな短絡的なことを考えるような人なのだろうか。
「無関心、じゃないか?」
 大志が口を開く。
「それはどうして?」
「関心がないなら少なくともその情報を信用しているわけじゃない。弁明はしやすいと思う」
「なるほどね。たしかにそうとも言えるわね」
 とは言いつつも、逢坂は次に話を進めようとはしない。
「どうやら違ったみたいだな」
「正解不正解はないわ。ただ私の考え方と比較して少し不十分、と言ったところね」
「それを不正解っていうんだがな」
 そう言って再び考え始める大志。
 たしかに弁明をしやすいのは無関心勢だろう。ただ弁明したところで、あっそうですか、で終わることも明白な気がする。
 弁明しやすく、かつその後に影響力がある派閥……この三つの中にあるだろうか?
 ……いや、ないな。弁明できる可能性があるのは無関心派閥ただ一つだろう。野次馬たちはただ面白くなってほしいと思ってるだけだから、本人たちから否定が入るのはむしろ火に油だろう。片蔵教徒はそもそも話にならないと思う。
 ん、待てよ? 本人たちから否定が入るのは面白くないのかもしれないが、本人以外から別の情報を摑まされた場合はどうなる?
「野次馬、かな」
「それはどうして?」
 大志の時と同じように逢坂が問う。
「最初、重要視したのは、弁明できることと、きちんと情報が伝わること。すると片蔵教徒と野次馬組には弁明ができないだろうし、無関心組は弁明はできても情報がその場から動く可能性は低い」
「そうね」
「だとしたらどうするつもりなんだ? 全員影響されない、という結論じゃないだろう」
「最初は俺もそう思ったよ。だから弁明しないことにした」
「どういうことだ」
 少し食い気味に身を乗り出す大志。これは怒っているのではなく、瑣末が気になる時の反応だ。
「俺たちと関係なさそうな第三者に別の情報を流してもらう。一番影響がある野次馬に対してね」
 俺は黒い点を無関心のエリアに書き、そこから矢印を野次馬に対して伸ばした。
 逢坂は影響を受けやすい、ではなく、影響がある、と言っていた。俺たちが発信元でない情報であれば、すんなりと社会に流してくれそうだ。
「ふむ」
 顎に手を当てて俺の考えを吟味する大志。
「……考え方的にはすごく有用なものだと思う。だがその第三者はどうするんだ? 俺たちの交友関係はお世辞にも広いとは言えないぞ?」
「まあ、そうなんだが……」
 少なくとも俺たちの交友関係に、無関心派を維持しながら俺たちとの協力関係になってくれそうな人はいない。
 だが、この人ならあるいは……。
「いい意見ね。私もそんな感じのことを考えていたわ」
 沈黙していた逢坂が口を開く。
「第三者は任せなさい。私に心当たりがあるわ」
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