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第ニ話【ひんやりさっぱり梅ゼリー】こぼれる想いはジュレで固めて

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常連二人が帰った後、客足が途絶える。この隙に、とマスターがいつものように美寧にお昼の賄いを出してくれた。

カウンターの一番端に座ってマスターの作ったナポリタンを食べる。小食の美寧に合わせて麺は少なめだが、代わりに野菜やウィンナーがたっぷりだ。美寧はそれをフォークで綺麗に巻き付け口に入れた。

マスターの作ってくれる賄いはいつもとても美味しい。手早く出来るのに、一流レストランのような深い味わいがして、美寧は賄いを口にする度に感嘆の声をあげてしまうのだ。

いつもならこの賄いも、口にした途端「美味しい!」と笑顔になっていたであろう美寧は、何も言わずにもぐもぐと食べ進めている。そんな美寧をカウンターの中からマスターが心配そうに見つめていた。

美寧の賄いが半分ほどになった時、ラプワールの扉がカランカランとベルの音を立てて開いた。美寧は反射的に「いらっしゃいませ」と言いながら立ち上がってそちらを見た。

「あら、ちょうどいいところに来たかしら?」

「奥さん!」

入って来たのはマスターの奥さんだった。
べっ甲色の眼鏡をかけた彼女は、カウンターの中のマスターに手をひらりと振ると、そのまま美寧のところまで歩いて来て隣のスツールに腰を下ろした。

「美寧ちゃん、お疲れさま。ここ、いい?」

「もちろんです、奥さん」

「ありがとう。―――あら、今日のお昼はナポリタンなのね」

隣に腰を下ろしながら美寧の手元を見た奥さんは、カウンターの向こうのマスターに向かって言う。

「マスター、私も同じの頂戴。あと、食後にブレンドね」

「了解」

マスターが奥さんの前にお冷のグラスを置くと、彼女はそれをごくごくと飲んでから美寧の方に向き直った。

「で?どうだったの?」

「え?」

「仲直り。出来たかしら?」

「なかなおり……」

そう口にした途端、努力して頭から追い出していた怜の顔が浮かんだ。しかも長い睫毛が揺れるのがはっきりと分かるほどのドアップで。

「あららら…くすっ、真っ赤ね」

一瞬で朱に染まった美寧に、奥さんは笑う。

「その様子だとちゃんと仲直り出来たみたいね、良かったわ」

片手で頬杖をついて長い髪を垂らしながら微笑ましげにこちらを見る彼女に、美寧は頭を下げた。

「昨日はありがとうございました」

彼女に話しを聞いてもらったお陰で、美寧の落ち込んでいた気持ちはずいぶん軽くなったのだ。

「たまにする、恋人との喧嘩もいいものよ。仲直りでより一層仲良くなれるわ。ね、マスター」

「ああ…そうだな」

急に話を振られたマスターが複雑そうな顔で頷いている。

「恋人…なんでしょうか、私とれいちゃんは……」

頼りない声でそう言った美寧のことを、二人が一斉に見た。

「「恋人じゃないの?」か?」」

ユニゾンする夫婦の声に、美寧は目をしばたかせる。

「一緒に住んでるんでしょ?」

「はい……」

「一緒に水族館に行く予定だったよな?」

「はい……」

夫婦が代わる代わるする問いかけに返事をする。

「恋人じゃないの?」

「……………恋人って、どうやってなるんでしょうか……」

美寧の台詞に二人は絶句した。

美寧は誰かと付き合ったこともなければ、これまで誰かを好きになったこともない。だから昨日のキスの意味も当然分からない。

「マスター…」

「なんだ?」

「大人の男の人って、恋人じゃなくてもキスするんでしょうか……」

「……っ」

美寧の唐突な質問にマスターは声を詰まらせ、なぜかくるっと反対を向いてしまった。その為、彼が「あいつ…」と憎々しげに呟いた声は美寧には届かない。

美寧の隣で奥さんが大きな溜め息をついた。

「美寧ちゃんは、彼のこと嫌い?」

「嫌いなんて…そんなことありえません」

「でしょうね。じゃあ、彼とのキスは嫌だった?」

ストレートな聞き方に、美寧の顔が真っ赤に染まる。怜とキスをしたと言わなかったのにばれてしまっている。

「…嫌……じゃなかった、です」

小さな声でそう答えた美寧に、ホッと息をついた奥さんは

「じゃああとは本人に同じことを訊いてみたらいいわ」

「同じことを?」

「そう。『大人の男の人は恋人じゃない人にキスするのか』って」

「………」

「もしあなたが納得できない答えが返って来たら……」

「返って来たら?」

「うちに来たらいいわ。空いている部屋、あるわよ?」

そう言った彼女は眼鏡の奥から素敵なウィンクを送ってくる。カウンターの奥では、マスターが無言で頷いていた。

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