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8.告白の行方***
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「あなたにっ、なにがわかるのよ……ライバルを必死に追い払ってすこしでも彼に認めて欲しくて一生懸命仕事を覚えて……それなのに、ポッと出の幼なじみに奪われた私の気持ちが!」
彼女のこぶしがトンと二の腕に当たる。それから一拍置いて反対側も。
くり返し、交互にこぶしを当てられる。さほど痛くはないが、何度も叩かれるとそれなりにダメージがある。
「ちょ、ちょっと。ねえ、落ち着いて」
じりじりと押されながらも彼女を止めようと両手を前に出す。それではらちが明かないので手首をつかんだ。
「先生だって言ったもの! あなたは幼なじみで、ずっと妹のように思っているって! だから事務所で結婚相手のことを話さなかったんだわ!」
グサリと言葉が胸に刺さった。唯一補強しきれていない心の割れ目に、見事に刃先を突き刺されたようだ。
痛みに顔をしかめると同時に、手を振り払われた。反動でよろけ、足をついたら歩道のくぼみにヒールが引っ掛かる。あっ、と思うと同時に体が傾いた。
転んじゃう!
ぎゅっと目をつぶった次の瞬間、後ろから肩をグッと引かれ、背中がドンっと誰かに当たる。寸前で誰かが助けてくれたのだ。転倒しなかったことにほうっと息をついた。
「ありがとうござ――っ!」
お礼を口にしながら振り向いた瞬間、吐いたばかりの息をのんだ。
「圭く……っ」
ギロッと睨まれ、思わず声をのみ込む。
「あ、あの……」
「おまえの話は後でだ」
ヒヤッと背筋が冷たくなった。これは稀に見るお怒りモードだ。
後ろから私の肩を抱いたまま、彼は視線を菊池さんの方へ向けた。つられて私も前を向くと、両目を大きく見開いた彼女がその場に凍りついたように立ち尽くしている。
「菊池さん」
地を這うような声に彼女の肩がビクリと跳ねる。薄暗い中でも彼女が顔色を失くしていくのがわかった。
「きみが俺のことをどう思おうが構わない。感情は個人の自由だからな」
「先生……」
菊池さんがホッとした顔になる。きつい叱責を受けると思っていたがそうでもなく、案外すんなり許されると思ったのだろう。
「だが、彼女を傷つけるようなことなら話は別だ。たとえどんなささいなことでも許さない」
どすの効いた声に、菊池さんがさっきにも増して青くなった。
〝逆鱗に触れる〟というのはこういうことか。これは後で私もどれだけ叱られるのかと思ったら震えあがりそうになる。
整った横顔を凝視したまま動きを止めていると、さっきからずっと肩に置かれたままの彼の手に、グッと力が込められた。頬がたくましい胸板に密着する。耳から聞こえる彼の鼓動がやけに早い。
もしかして私を探して走り回っていたの?
『まさかね』と、つい自惚れそうになる自分を戒めたとき。
「彼女は――香子は、俺の一番大事なひとだ。たとえ誰を敵に回しても俺は彼女を守る」
〝一番大事なひと〟という言葉に、胸が痛いくらいに高鳴った。
「本来ならうわさの種にするだけの相手にプライベートを教える義理はないが、きみがあまりにしつこいから彼女が妻だと教えたんだ。これで諦めるだろうと思ったのが……こんなことをするとは。この件は後日あらためて話を聞く。言っておくが、俺を相手に逃げられると思うなよ」
圭君はそう言うと、私の手を引いて歩きだした。
数歩進んだところで「そうだ」と言って足を止めた彼が、後ろを振り向く。さっきと同じ場所に突っ立ったままの菊池さんをもう一度見た。
「『思っていた』だ」
『え?』と彼女の口が動くのが見える。
「ついさっき、きみは俺が彼女のことを妹のように思って〝いる〟と言ったが、それは違う。正しくは妹のように思って〝いた〟だ」
それってどういうこと?
『思っていた』ということは、今は『思っていない』ということ。じゃあ今は? どう思っているの?
私が口を開くより早く、彼は再び前を向いて歩きだす。今度は振り返ることはしなかった。
彼女のこぶしがトンと二の腕に当たる。それから一拍置いて反対側も。
くり返し、交互にこぶしを当てられる。さほど痛くはないが、何度も叩かれるとそれなりにダメージがある。
「ちょ、ちょっと。ねえ、落ち着いて」
じりじりと押されながらも彼女を止めようと両手を前に出す。それではらちが明かないので手首をつかんだ。
「先生だって言ったもの! あなたは幼なじみで、ずっと妹のように思っているって! だから事務所で結婚相手のことを話さなかったんだわ!」
グサリと言葉が胸に刺さった。唯一補強しきれていない心の割れ目に、見事に刃先を突き刺されたようだ。
痛みに顔をしかめると同時に、手を振り払われた。反動でよろけ、足をついたら歩道のくぼみにヒールが引っ掛かる。あっ、と思うと同時に体が傾いた。
転んじゃう!
ぎゅっと目をつぶった次の瞬間、後ろから肩をグッと引かれ、背中がドンっと誰かに当たる。寸前で誰かが助けてくれたのだ。転倒しなかったことにほうっと息をついた。
「ありがとうござ――っ!」
お礼を口にしながら振り向いた瞬間、吐いたばかりの息をのんだ。
「圭く……っ」
ギロッと睨まれ、思わず声をのみ込む。
「あ、あの……」
「おまえの話は後でだ」
ヒヤッと背筋が冷たくなった。これは稀に見るお怒りモードだ。
後ろから私の肩を抱いたまま、彼は視線を菊池さんの方へ向けた。つられて私も前を向くと、両目を大きく見開いた彼女がその場に凍りついたように立ち尽くしている。
「菊池さん」
地を這うような声に彼女の肩がビクリと跳ねる。薄暗い中でも彼女が顔色を失くしていくのがわかった。
「きみが俺のことをどう思おうが構わない。感情は個人の自由だからな」
「先生……」
菊池さんがホッとした顔になる。きつい叱責を受けると思っていたがそうでもなく、案外すんなり許されると思ったのだろう。
「だが、彼女を傷つけるようなことなら話は別だ。たとえどんなささいなことでも許さない」
どすの効いた声に、菊池さんがさっきにも増して青くなった。
〝逆鱗に触れる〟というのはこういうことか。これは後で私もどれだけ叱られるのかと思ったら震えあがりそうになる。
整った横顔を凝視したまま動きを止めていると、さっきからずっと肩に置かれたままの彼の手に、グッと力が込められた。頬がたくましい胸板に密着する。耳から聞こえる彼の鼓動がやけに早い。
もしかして私を探して走り回っていたの?
『まさかね』と、つい自惚れそうになる自分を戒めたとき。
「彼女は――香子は、俺の一番大事なひとだ。たとえ誰を敵に回しても俺は彼女を守る」
〝一番大事なひと〟という言葉に、胸が痛いくらいに高鳴った。
「本来ならうわさの種にするだけの相手にプライベートを教える義理はないが、きみがあまりにしつこいから彼女が妻だと教えたんだ。これで諦めるだろうと思ったのが……こんなことをするとは。この件は後日あらためて話を聞く。言っておくが、俺を相手に逃げられると思うなよ」
圭君はそう言うと、私の手を引いて歩きだした。
数歩進んだところで「そうだ」と言って足を止めた彼が、後ろを振り向く。さっきと同じ場所に突っ立ったままの菊池さんをもう一度見た。
「『思っていた』だ」
『え?』と彼女の口が動くのが見える。
「ついさっき、きみは俺が彼女のことを妹のように思って〝いる〟と言ったが、それは違う。正しくは妹のように思って〝いた〟だ」
それってどういうこと?
『思っていた』ということは、今は『思っていない』ということ。じゃあ今は? どう思っているの?
私が口を開くより早く、彼は再び前を向いて歩きだす。今度は振り返ることはしなかった。
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