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7.卵焼きレッスン
[1]ー6
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「北山が帰国してからこんなに早く結婚するなんて驚いたよ」
「え?」
「いや、すまない。失言だったな、忘れてくれ」
急いで謝る首席に「いえ、大丈夫です」と口にする。
「でも、それを言うなら首席もじゃないですか?」
あえて真面目顔を崩さずに言うと、彼が「ははっ」と声に出して笑う。
「そうだったな。お互いあっちでは仕事ばかりだったからな」
在米大使館時代を思い返し、思わず苦笑いが込み上げる。
『それはあなたに認めてもらいたかったからです』と告げたら、この人はどんな反応をするのだろうか。今さら言うつもりもないけれど。
どうやら彼は、あの頃の私の気持ちには気づいていないようだ。
意外と鈍感なのかしら。
外交ではあんなに鋭い洞察力を持っているのに不思議だ。
拓翔君の父親は自分だと私に告白したのも、牽制ではなく、たださやかさんを守りたかっただけかもしれない。
色々と繋がってほっとしたら、心が嘘のようにふわりと軽くなった。
「正直、自分が一番驚いています。夫とは幼なじみで、十数年ぶりに再会したらなぜかとんとん拍子にことが運びました」
かなり大雑把ではあるが嘘はついていない。
「なるほど、幼なじみか」
「はい」
今日、久しぶりに首席とさやかさんが一緒にいるところを見たが、まったく胸が痛まなかった。むしろ『幸せそうでよかった』と思えたくらいだ。
失恋旅行から帰ってきてからしばらくは、本省で彼を見かけるだけで居たたまれなくて、顔を合わせないように避けていた。けれど、すぐに結婚式の準備で忙しくなり、頭の中は圭君との結婚――というより初夜――のことでいっぱいになった。
結婚生活が始まってからもそれは同じで、仕事の合間にもふと彼のことを思い出してふわふわしてしまうので、余計なことは考えないようにしていたのだ。
そんな状態だったので、先週中庭で首席とばったり出会ったときも気まずさはあったものの胸の痛みはすっかり消えていた。多分その頃にはもう、圭君のことをすきになっていたのだ。首席のことを完全に吹っ切れたのは、間違いなく彼のおかげだ。
数時間前に別れたばかりの彼に、無性に会いたくなった。待ち合わせの時間が待ち遠しい。
「大切にしてもらっているんだな」
「え?」
「その顔を見ればわかるよ」
思わず頬を両手で覆った。圭君のことを思い出したせいで、無意識ににやけていたようだ。
「首席こそ、幸せが顔に出っぱなしですよ」
照れ隠しにそう言って反撃すると、「あはは」と楽しそうに笑われる。
「そうだな。幸せすぎて夢の中にいるようだよ」
「隠す気自体なさそうですね」
ふたりで顔を見合わせて吹き出した。
ひとしきり笑い合った後、首席は足を止めてこちらを向く。
「北山、結婚おめでとう。アメリカで苦楽を共にした部下の幸せを、心から願っている」
真摯な瞳を真っすぐに見つめそう言った彼は、これまでで一番穏やかで優しい微笑みを浮かべている。
「結城首席……ありがとうございます!」
ほどなくして拓翔君の手を引いたさやかさんが戻って来た。拓翔君の胸には『ぱんださん』がしっかり抱えられている。
あらためて三人に心からのお礼を伝え、拓翔君に手を振ってマンションを後にした。
『次はぜひ、旦那様と一緒に来てくださいね』
そう言ってくれたさやかさんの腰に当たり前のように結城首席が手を添えていたのを思い出し、お互いのことを心から大事にし合っているのが、なんだかとてもうらやましい。私達もそんな夫婦になれるだろうか。いや、なりたい。
今度こそちゃんとしたお弁当を作って彼に渡す。そのときに気持ちを伝えよう。
びっくりさせてしまうだろうか。
喜ぶ――とまではいかなくても、笑って受け入れてくれる気はしている。
今朝、ベッドの中でいつまでも私を離さなかった彼のことを思い出し、気づけばゆるゆると持ち上がってしまう頬を隠すように、足元ばかり見ながら駅までの道を歩いて行った。
「え?」
「いや、すまない。失言だったな、忘れてくれ」
急いで謝る首席に「いえ、大丈夫です」と口にする。
「でも、それを言うなら首席もじゃないですか?」
あえて真面目顔を崩さずに言うと、彼が「ははっ」と声に出して笑う。
「そうだったな。お互いあっちでは仕事ばかりだったからな」
在米大使館時代を思い返し、思わず苦笑いが込み上げる。
『それはあなたに認めてもらいたかったからです』と告げたら、この人はどんな反応をするのだろうか。今さら言うつもりもないけれど。
どうやら彼は、あの頃の私の気持ちには気づいていないようだ。
意外と鈍感なのかしら。
外交ではあんなに鋭い洞察力を持っているのに不思議だ。
拓翔君の父親は自分だと私に告白したのも、牽制ではなく、たださやかさんを守りたかっただけかもしれない。
色々と繋がってほっとしたら、心が嘘のようにふわりと軽くなった。
「正直、自分が一番驚いています。夫とは幼なじみで、十数年ぶりに再会したらなぜかとんとん拍子にことが運びました」
かなり大雑把ではあるが嘘はついていない。
「なるほど、幼なじみか」
「はい」
今日、久しぶりに首席とさやかさんが一緒にいるところを見たが、まったく胸が痛まなかった。むしろ『幸せそうでよかった』と思えたくらいだ。
失恋旅行から帰ってきてからしばらくは、本省で彼を見かけるだけで居たたまれなくて、顔を合わせないように避けていた。けれど、すぐに結婚式の準備で忙しくなり、頭の中は圭君との結婚――というより初夜――のことでいっぱいになった。
結婚生活が始まってからもそれは同じで、仕事の合間にもふと彼のことを思い出してふわふわしてしまうので、余計なことは考えないようにしていたのだ。
そんな状態だったので、先週中庭で首席とばったり出会ったときも気まずさはあったものの胸の痛みはすっかり消えていた。多分その頃にはもう、圭君のことをすきになっていたのだ。首席のことを完全に吹っ切れたのは、間違いなく彼のおかげだ。
数時間前に別れたばかりの彼に、無性に会いたくなった。待ち合わせの時間が待ち遠しい。
「大切にしてもらっているんだな」
「え?」
「その顔を見ればわかるよ」
思わず頬を両手で覆った。圭君のことを思い出したせいで、無意識ににやけていたようだ。
「首席こそ、幸せが顔に出っぱなしですよ」
照れ隠しにそう言って反撃すると、「あはは」と楽しそうに笑われる。
「そうだな。幸せすぎて夢の中にいるようだよ」
「隠す気自体なさそうですね」
ふたりで顔を見合わせて吹き出した。
ひとしきり笑い合った後、首席は足を止めてこちらを向く。
「北山、結婚おめでとう。アメリカで苦楽を共にした部下の幸せを、心から願っている」
真摯な瞳を真っすぐに見つめそう言った彼は、これまでで一番穏やかで優しい微笑みを浮かべている。
「結城首席……ありがとうございます!」
ほどなくして拓翔君の手を引いたさやかさんが戻って来た。拓翔君の胸には『ぱんださん』がしっかり抱えられている。
あらためて三人に心からのお礼を伝え、拓翔君に手を振ってマンションを後にした。
『次はぜひ、旦那様と一緒に来てくださいね』
そう言ってくれたさやかさんの腰に当たり前のように結城首席が手を添えていたのを思い出し、お互いのことを心から大事にし合っているのが、なんだかとてもうらやましい。私達もそんな夫婦になれるだろうか。いや、なりたい。
今度こそちゃんとしたお弁当を作って彼に渡す。そのときに気持ちを伝えよう。
びっくりさせてしまうだろうか。
喜ぶ――とまではいかなくても、笑って受け入れてくれる気はしている。
今朝、ベッドの中でいつまでも私を離さなかった彼のことを思い出し、気づけばゆるゆると持ち上がってしまう頬を隠すように、足元ばかり見ながら駅までの道を歩いて行った。
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