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7.卵焼きレッスン
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ふたりきりになった途端、部屋がしんと静まり返った。仕事柄、初対面の相手との会話は苦手ではないが、相手が相手だ。プライベートということもあって、柄にもなく緊張気味だ。
「すみません、私がお願いしたばっかりにご家族の時間を……」
「本当に気にしないでください。私も北山さんとお話してみたくて」
「わたしと……」
「はい」
真剣な顔でうなずいたさやかさんに、〝やっぱり〟と思った。きっと彼女もあの日のことで言いたいことがあるのだ。
それならなおのこと私から切り出さなければ。
「さやかさん」
居住まいを正した私に彼女が目を丸くする。
「先日は大変失礼いたしました」
深々と、ひざに置いた手に額がつきそうなほど頭を下げた。
「憶測だけでひどい言葉を投げつけたこと、なんて愚かだったのだろうと猛省しています。本当に申し訳ございませんでした」
再び沈黙が降りた。
やはりこれくらいで許してもらおうだなんて甘いのかもしれない。彼女にはこの所の言い分があるはずだ。それを聞いた上で何度でも謝罪するしかない。頭を下げたまま彼女の言葉をじっと待った。
「私、よかったなって思っているんです」
「え?」
言葉の意味が全然つかめず、思わず顔を上げた。目が合った途端、黒目がちな瞳が柔らかく細められる。
「裏表のない真っすぐな言葉で、外交官としての彼の仕事ぶりを聞けたこと、本当にありがたかったです」
「それは」
「彼の仕事がとても重要で大変なものだってわかっていたつもりでしたが、一緒に働く方の口から直接聞けると全然違いますね。彼のことをしっかり支えて行こう、安らげる場所になれるよう努力しようって、そう思いました」
穿った見方をすれば、これは盛大な嫌味とも取れる。けれど、そうではないと直感が告げた。
「気づいてらっしゃるんでしょ? 私が首席のことを……その、一方的に……」
言葉を濁したら、彼女は困ったように眉を下げる。
「それは、なんとなくですが、もしかして、とは思っていました。でもそれに対して私はどうこう言える立場ではありませんでしたから」
どこか悲しげに微笑んだ彼女は、わけあってプロポーズを断った後に彼の子を身籠っていることに気づき、黙って産んだのだと口にした。
衝撃の事実に目を見張った。
そんな話は聞いていない。首席は拓翔君の父親は自分だ、とだけ言っていた。
詳しく話を聞くと、どうやら結城首席が在米日本国大使館の一等書記官に就任した前後の話だとわかった。
米国で一緒に働いている間、首席に恋人の気配がしなかったのは彼女のことを想い続けていたからなのだと確信する。
「そう……だったんですね。直接聞いてみないとわからないことばかりですね、世の中」
「ですよね。だからもしよかったら、また職場での彼ことをお聞かせください。あ、北山さんのお話も」
「わたしのも、ですか?」
「はい。お仕事の中身じゃなくていいんです。どこでランチを食べるのかとか、どんな方が働いてらっしゃるのかとか、ささいなことで。外務省の中のことを全然知らなくて」
そう言われてみれば、私達にとっては当たり前のことでも、ほかから見れば新鮮なこともたくさんあるのだろう。わかりましたとうなずいたら、心底うれしそうな笑顔が返ってきた。
「やだもうこんな時間! そろそろ始めましょうか」
「ですね。よろしくお願いいたします、さやか先生」
立ち上がった彼女がピタリと停止した。白い頬が見る見る桃色に染まっていく。
「せ、先生はやめてください」
「じゃあ私のことも名前で呼んでくれたら考えます」
「わかりました。きょ、香子さん」
あたふたするさやかさんをかわいく思いつつ、「はい」と真面目な顔で返事をして、彼女の後に続きキッチンへと向かった。
「すみません、私がお願いしたばっかりにご家族の時間を……」
「本当に気にしないでください。私も北山さんとお話してみたくて」
「わたしと……」
「はい」
真剣な顔でうなずいたさやかさんに、〝やっぱり〟と思った。きっと彼女もあの日のことで言いたいことがあるのだ。
それならなおのこと私から切り出さなければ。
「さやかさん」
居住まいを正した私に彼女が目を丸くする。
「先日は大変失礼いたしました」
深々と、ひざに置いた手に額がつきそうなほど頭を下げた。
「憶測だけでひどい言葉を投げつけたこと、なんて愚かだったのだろうと猛省しています。本当に申し訳ございませんでした」
再び沈黙が降りた。
やはりこれくらいで許してもらおうだなんて甘いのかもしれない。彼女にはこの所の言い分があるはずだ。それを聞いた上で何度でも謝罪するしかない。頭を下げたまま彼女の言葉をじっと待った。
「私、よかったなって思っているんです」
「え?」
言葉の意味が全然つかめず、思わず顔を上げた。目が合った途端、黒目がちな瞳が柔らかく細められる。
「裏表のない真っすぐな言葉で、外交官としての彼の仕事ぶりを聞けたこと、本当にありがたかったです」
「それは」
「彼の仕事がとても重要で大変なものだってわかっていたつもりでしたが、一緒に働く方の口から直接聞けると全然違いますね。彼のことをしっかり支えて行こう、安らげる場所になれるよう努力しようって、そう思いました」
穿った見方をすれば、これは盛大な嫌味とも取れる。けれど、そうではないと直感が告げた。
「気づいてらっしゃるんでしょ? 私が首席のことを……その、一方的に……」
言葉を濁したら、彼女は困ったように眉を下げる。
「それは、なんとなくですが、もしかして、とは思っていました。でもそれに対して私はどうこう言える立場ではありませんでしたから」
どこか悲しげに微笑んだ彼女は、わけあってプロポーズを断った後に彼の子を身籠っていることに気づき、黙って産んだのだと口にした。
衝撃の事実に目を見張った。
そんな話は聞いていない。首席は拓翔君の父親は自分だ、とだけ言っていた。
詳しく話を聞くと、どうやら結城首席が在米日本国大使館の一等書記官に就任した前後の話だとわかった。
米国で一緒に働いている間、首席に恋人の気配がしなかったのは彼女のことを想い続けていたからなのだと確信する。
「そう……だったんですね。直接聞いてみないとわからないことばかりですね、世の中」
「ですよね。だからもしよかったら、また職場での彼ことをお聞かせください。あ、北山さんのお話も」
「わたしのも、ですか?」
「はい。お仕事の中身じゃなくていいんです。どこでランチを食べるのかとか、どんな方が働いてらっしゃるのかとか、ささいなことで。外務省の中のことを全然知らなくて」
そう言われてみれば、私達にとっては当たり前のことでも、ほかから見れば新鮮なこともたくさんあるのだろう。わかりましたとうなずいたら、心底うれしそうな笑顔が返ってきた。
「やだもうこんな時間! そろそろ始めましょうか」
「ですね。よろしくお願いいたします、さやか先生」
立ち上がった彼女がピタリと停止した。白い頬が見る見る桃色に染まっていく。
「せ、先生はやめてください」
「じゃあ私のことも名前で呼んでくれたら考えます」
「わかりました。きょ、香子さん」
あたふたするさやかさんをかわいく思いつつ、「はい」と真面目な顔で返事をして、彼女の後に続きキッチンへと向かった。
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