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7.卵焼きレッスン

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櫂人かいとさん。でも私が」
「今日の俺はきみのアシスタントだよ。先生はきみなんだ」
「先生だなんて、そんな……からかわないでください」
「からかったわけじゃないが、照れるきみもかわいいな」

思わず耳を疑うほどの甘い言葉の数々を口にした首席に、さやかさんは真っ赤になってうつむいてしまった。そんな彼女を見て蕩けそうな笑みを浮かべ瞳を細める。

「たっくん、ママをよろしくな」

 息子さんの頭をポンっと撫でた手でさやかさんの頬をひと撫でしてからキッチンに入って行った。

 はたで見ているこちらが妙にドギマギして変な汗が出そう。中身は普通の会話なのに、まるでねや睦言むつごとを盗み聞きした気分だ。今さらながら、このふたりの間に割って入ろうなんて無謀なことをしなくてよかったと実感する。

 ソファーセットに敷かれたラグに直接座ったさやかさんには、拓翔たくと君がずっとしがみついている。こちらが気になるのかときどき視線を感じるが、目が合うとすぐに顔を背けられるのでなるべく見ないようにする。

「ごめんなさい、人見知りで」
「いえ、大丈夫です」

 あまり目を合わせないように視線をずらしたら、パンダが目に飛び込んできた。幼児用のイスやカップ。至る所にパンダ柄がある。そう言えば最初からずっとパンダのぬいぐるみを抱えたままだ。

「もしかして、拓翔君はパンダがすきなのですか?」
「はい、そうなんです。キャラクターものよりもパンダがすきみたいで」
「ぱんらしゃーしゅき」

 自分のすきなものが出てきたことでつい反応したのだろう。腕に抱いたパンダの頭の上から出したつぶらな瞳をキラキラとさせていて、自然と顔が緩む。

「そっかぁ。だから動物園に」
「あかたんぱんらしゃ」
「そうそう。赤ちゃんパンダさん、かわいかったわよね」

 思えば、彼らと最初に遭遇したのは動物園だった。

 そうだ。せっかく貴重な時間をいただいているのだから、悠長にパンダの話に花を咲かせている場合でない。
 持参した手土産を紙袋から出してテーブルに乗せた。

「こちら、つまらないものですがよかったら」

 箱の中身は有名店のフルーツがたっぷり入ったゼリーだ。小さなお子さんがいるのでアレルギーには気をつけたい。このゼリーには卵、乳、小麦粉が入っていない。数種類のフルーツゼリーが詰め合わせになっているので、どれか食べられるものがあればいいと思ったのだ。

「そんな、お気遣いいただかなくても」

 戸惑ったようにさやかさんは差し出されたものをなかなか受け取ってくれない。私はにこりと笑顔を作る。

「拓翔君、ゼリーはすき?」
「しゅき」
「よかった。じゃあ冷蔵庫で冷たくしてから食べてね」

 にこりと微笑みながら箱をもうひと押しすると、小さな手が伸びて来て「あい!」とつかんだ。

 キッチンの方から「ははっ」と笑う声がする。

「北山の勝ちだな。ありがたくいただこう、さやか」

 トレイにグラスを乗せて戻ってきた首席にそう言われ、さやかさんは申し訳なさそうに「ありがとうございます」とこちらに頭を下げた。

 首席がさやかさんの隣に腰を下ろした後、皆でそろってアイスティ飲んだ。拓翔君はオレンジジュースだ。思いのほか喉が渇いていたようで、アイスティが喉を滑り落ちて行くのが心地よい。茶葉の清涼感のある香りとほのかな渋みに口と心を潤される。

 そろそろかしら。

 グラスをテーブルに戻し、息を吸い込みながら背筋を伸ばす。

「あの――」
「ぱんらしゃ!」

 突如として立ち上がった拓翔君が、首席の服を引っ張った。

「ああ、そうだな。そろそろ行こうか」

 拓翔君を抱えて立ち上がった彼に、思わず目を丸くした。

「あの、どちらへ」
「ああ、これから近くのショッピングモールで子ども向けのイベントがあるんだ。そこに連れて行く約束をしていたから」

 思わず「え!」と声が出た。じゃあ私は本当にお邪魔ではないか。

「最初からイベントにはふたりで行く予定だったんだ。だから気にしないでいい」
「そうなんです、北山さん。実家からパンダのイベントがあるって聞いて、そしたら拓翔がどうしても行きたいと言うので」
「ぱぱ、ぱんらしゃー」

 ぷっくりと柔らかそうな頬を桃色にし、ビー玉のような瞳をキラキラとさせた拓翔君に、これは確かに連れて行ってあげたくなるわね、と思う。

「たまには男同士の時間も大事だよな、拓翔」
「な!」

 顔を見合わせて同じ方向に首をかしげたふたりの仕草がまったく同じで、ほほえましさに頬が緩む。

「というわけで、男同士の時間を楽しんでくるな」
「お願いしますね、櫂人さん」

 首席は部屋の隅にあったトートバッグを肩にかけると、拓翔君を抱いてあっという間に出かけて行ってしまった。
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