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6.大人の華金デート***
[1]ー3
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「そうか、あの頃と一緒か」
口もとを緩ませた彼の表情が若干ほぐれたことに内心安堵するが、顔には出さず、じろんと睨む。
「もらってくれるのくれないの、どっち?」
「もちろんいただくよ。それで許してくれるのか?」
コクンとうなずくと、「じゃあ」と言って皿ごと引き取ろうとする。
「待って。シイタケだけでいいの」
シイタケは海鮮手毬寿司の横にそえられている。昔と違い、今は少しくらい味が移っていても平気だ。シイタケだけを箸でつまんで持ち上げる。彼の方の皿に移動させようとしたそのとき。
「あっ!」
手首をつかまれ軌道を変えられる。彼はそのまま箸先をパクリと口に入れた。
「え……」
空になった箸先にまばたきを三回くり返してやっと、なにが起こったのか理解した。
まさか圭君がこんな――いかにも頭に『馬』がついたカップルみたいなことをするなんて思わなかった。しかもここは、しっとりとした大人のムード漂うおしゃれなバーラウンジだ。
顔を赤くした私とは逆に、彼はなにくわぬ顔で飲み込んでから、「ごちそう様」を告げ、爽やかな笑みで「ありがとう」と続けた。言い出したこちらの方がなんだか居たたまれなくなってくる。
カクテルグラスをあおると、シャンパンの泡が舌ではじけ、フランボワーズの香りがふわりと口の中に広がっていく。完全に私の負けだ。
グラスをテーブルに戻し、圭君に向き直った。彼にだけ聞こえるように体を寄せる。
「今朝のこと、私もごめんなさい」
彼が目を見張った。なにか言おうと口を開くのがわかったが、それを遮るように急いで続きを言う。
「あんな言い方、冗談でも言っちゃダメだった。出勤に間に合わないと思って必死だっただけで、あの……それ自体は本気で嫌だったわけじゃなくて……」
えっと、と言葉が詰まった。見る見る顔が赤くなって恥ずかしさのあまり顔を伏せる。
うつむいたまま彼の反応を待つが、なにもない。気になって恐る恐る視線を持ち上げると、なぜか彼は顔を反対側に向けている。
怒っているの?
いや、彼はこんなことで今さら腹を立てるほど狭量な人ではない。
「圭君……?」
彼は口もとに手を当て「こほん」と咳ばらいをひとつしてからこちらへ向き直った。
「とにかくもう勝手なことはしないと約束する」
「う、うん」
耳の端が赤くなっているのは気のせいだろうか。
それからは一気に場が和やかになった。好き嫌いの話から子どもの頃の思い出話になり、当然のように実家の話になる。
「母さん、引きこもっていた間に体力が落ちたからって、ジム通いを始めたらしいよ」
「すごいわ、美奈子ママ」
私達の結婚のきっかけとなった彼の母は、近頃ずいぶん気力を取り戻しているそうだ。今度おじ様――お義父様とふたりで旅行に行きたいと言い出したらしい。どうやら私達を見ていて、自分たちの新婚時代を振り返ることも増えたらしい。
強引に結婚を迫ったのだから、目的の達成に貢献できていると思うとほっとする。
テーブルの向こうに視線をやれば、黒い鏡のようになった窓ガラスにふたりの男女が並んでいる。
私達っていったいどう見えているのだろう。
友人? 恋人? 夫婦?
愛のないご都合婚夫婦だなんて、誰が気づくというのだろう。
もともとが幼なじみなので基本的に仲は悪くない。むしろいい方だと思う。年の差のわりに気安く話せるのは、子どもの頃からお互いをよく知っているからだろう。
なんだかんだで彼は私に甘い。
今朝のことだってそう。本当なら彼だって不満を口にしてもいいはずだ。あんなきつい言葉を投げつけたせいで、彼に罪悪感を与えてしまった。
それなのに彼は一切私を責めず、自分が一方的に悪かったと謝ってくれた。
もしかしたらこの食事もあのときのお詫びかもしれない。そう考えたら胸がズキンと痛む。
傷つけたかったわけじゃない。仕事の邪魔をしたかったわけでもない。
どうして私はいつもうまくできないのだろう。
「どうした、香ちゃん。酔ったのか?」
彼の声に、思考の沼に沈んでいた意識が引き上げられる。
「ううん、ちょっとぼうっとしていただけ」
「イレギュラーもあって疲れたんだろう」
そろそろ出ようかという彼の手元を見たら、グラスすっかりは空になっている。私も最後のひと口をあおった。
口もとを緩ませた彼の表情が若干ほぐれたことに内心安堵するが、顔には出さず、じろんと睨む。
「もらってくれるのくれないの、どっち?」
「もちろんいただくよ。それで許してくれるのか?」
コクンとうなずくと、「じゃあ」と言って皿ごと引き取ろうとする。
「待って。シイタケだけでいいの」
シイタケは海鮮手毬寿司の横にそえられている。昔と違い、今は少しくらい味が移っていても平気だ。シイタケだけを箸でつまんで持ち上げる。彼の方の皿に移動させようとしたそのとき。
「あっ!」
手首をつかまれ軌道を変えられる。彼はそのまま箸先をパクリと口に入れた。
「え……」
空になった箸先にまばたきを三回くり返してやっと、なにが起こったのか理解した。
まさか圭君がこんな――いかにも頭に『馬』がついたカップルみたいなことをするなんて思わなかった。しかもここは、しっとりとした大人のムード漂うおしゃれなバーラウンジだ。
顔を赤くした私とは逆に、彼はなにくわぬ顔で飲み込んでから、「ごちそう様」を告げ、爽やかな笑みで「ありがとう」と続けた。言い出したこちらの方がなんだか居たたまれなくなってくる。
カクテルグラスをあおると、シャンパンの泡が舌ではじけ、フランボワーズの香りがふわりと口の中に広がっていく。完全に私の負けだ。
グラスをテーブルに戻し、圭君に向き直った。彼にだけ聞こえるように体を寄せる。
「今朝のこと、私もごめんなさい」
彼が目を見張った。なにか言おうと口を開くのがわかったが、それを遮るように急いで続きを言う。
「あんな言い方、冗談でも言っちゃダメだった。出勤に間に合わないと思って必死だっただけで、あの……それ自体は本気で嫌だったわけじゃなくて……」
えっと、と言葉が詰まった。見る見る顔が赤くなって恥ずかしさのあまり顔を伏せる。
うつむいたまま彼の反応を待つが、なにもない。気になって恐る恐る視線を持ち上げると、なぜか彼は顔を反対側に向けている。
怒っているの?
いや、彼はこんなことで今さら腹を立てるほど狭量な人ではない。
「圭君……?」
彼は口もとに手を当て「こほん」と咳ばらいをひとつしてからこちらへ向き直った。
「とにかくもう勝手なことはしないと約束する」
「う、うん」
耳の端が赤くなっているのは気のせいだろうか。
それからは一気に場が和やかになった。好き嫌いの話から子どもの頃の思い出話になり、当然のように実家の話になる。
「母さん、引きこもっていた間に体力が落ちたからって、ジム通いを始めたらしいよ」
「すごいわ、美奈子ママ」
私達の結婚のきっかけとなった彼の母は、近頃ずいぶん気力を取り戻しているそうだ。今度おじ様――お義父様とふたりで旅行に行きたいと言い出したらしい。どうやら私達を見ていて、自分たちの新婚時代を振り返ることも増えたらしい。
強引に結婚を迫ったのだから、目的の達成に貢献できていると思うとほっとする。
テーブルの向こうに視線をやれば、黒い鏡のようになった窓ガラスにふたりの男女が並んでいる。
私達っていったいどう見えているのだろう。
友人? 恋人? 夫婦?
愛のないご都合婚夫婦だなんて、誰が気づくというのだろう。
もともとが幼なじみなので基本的に仲は悪くない。むしろいい方だと思う。年の差のわりに気安く話せるのは、子どもの頃からお互いをよく知っているからだろう。
なんだかんだで彼は私に甘い。
今朝のことだってそう。本当なら彼だって不満を口にしてもいいはずだ。あんなきつい言葉を投げつけたせいで、彼に罪悪感を与えてしまった。
それなのに彼は一切私を責めず、自分が一方的に悪かったと謝ってくれた。
もしかしたらこの食事もあのときのお詫びかもしれない。そう考えたら胸がズキンと痛む。
傷つけたかったわけじゃない。仕事の邪魔をしたかったわけでもない。
どうして私はいつもうまくできないのだろう。
「どうした、香ちゃん。酔ったのか?」
彼の声に、思考の沼に沈んでいた意識が引き上げられる。
「ううん、ちょっとぼうっとしていただけ」
「イレギュラーもあって疲れたんだろう」
そろそろ出ようかという彼の手元を見たら、グラスすっかりは空になっている。私も最後のひと口をあおった。
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