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5.お弁当とイレギュラー***
[3]ー3
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談話コーナーにあるベンチの端に座り、自動販売機で買ったレモンティを飲む。乾いた喉を冷たい感触が通って気持ちがいい。レモンと紅茶の爽やかさと、ほどよい甘みがひと仕事終えた私の体に染み込んでいるようだ。
すぐ横の窓から見えるアスファルトに、街路樹が濃い影を作っているのを眺めながら、すこしぼうっと頭を休める。
今日の夕飯なんにしよう。
圭君は仕事で遅くなるため食べたり食べなかったりまばらなので、基本的には平日は用意しなくていいことになっている。その分休日はふたりで一緒に作ったり食べに行ったりすることが多かった。
今まで仕事ばかりしてきたので、料理のレパートリーはあまり多くない。それこそ卵焼きを焦がしてしまうくらいのレベルだ。
でもあれは、動揺していたせいだもの。
だれに向けた言い訳をしているのか自分でもわからないが、もう少しきちんと料理を勉強した方がいいのは確かだ。
今日はこっそり練習をしておいて、うまくいったら休みの日に彼に作ろう。
「お疲れ様です」
不意に声をかけられ振り向いた。入り口のところにかわいらしい雰囲気の若い女性が立っている。
「菊池さん。お疲れ様です」
軽く会釈をすると、向こうも同じように返してくる。彼女はまっすぐに自販機へと向かったので、メニューを検索しようとスマートフォンの画面に指を滑らせた。
「朝比奈先生の妹さんなのですか?」
唐突な質問に「え?」と顔を上げると、すぐそばに菊池さんが立っていた。
「『お兄ちゃん』とお呼びになっていたので」
どうやら最初のあれを聞かれていたらしい。長年の癖が抜けず、動揺すると反射的に口から出るのだ。名字が違うのは、私を既婚の妹だと思ったからだろう。
「幼なじみなんです。圭……朝比奈弁護士とは」
「幼なじみ……そう、だったんですか……」
顔を曇らせた菊池さんに、やっぱりと思った。いくら驚いたからとはいえ、仕事相手にその呼び方はよくなかった。プライベートを持ち出したことを謝ろうと口を開きかけたとき。
「じゃあ、朝比奈先生がご結婚されたことをご存じですか?」
「えっ……あ、はい……」
知ってるもなにもその相手は自分だ。知らない方がおかしい。
「お相手の方のことも?」
「え!」
頭の中を読まれたのかと思って、思わず大きめの声が出た。『イエス』と捉えたのだろうか、彼女が身を乗り出してくる。
「ご存じなら教えてください。どんな方なのですか? 年齢は? ご職業は? 同じ弁護士の方とか……もしくはどこかのご令嬢ですか?」
十センチほど背の低い彼女から間近で見上げられ、無意識に足が後ろに下がる。
くりくりとした二重まぶたの瞳。ハーフアップの髪は、ふんわりと自然なカーブを描いて肩口で揺れる。
子犬のようなかわいらしい女の子に、頬を上気させながら必死の形相で尋ねられれば嫌でもわかってしまう。彼女が圭君に想いを寄せているのは一目瞭然だ。
相変わらずモテモテなのね……。
こんな若くてかわいい子に好意を持たれているのだから、わざわざお見合いなんてする必要はなかったんじゃないだろうか。私が強引に結婚を迫っていなければ、きっと彼はもっと素敵な相手と恋愛結婚できていたかもしれない。例えばこの目の前の初々しくかわいらしい新人アシスタントとか――。
ズキン、と胸が痛む。
私なんて仕事だけが取り柄でかわいげもない。幼なじみという立場がなければ、見向きもしてもらえなかっただろう。再び胸の痛みが襲ってきて、眉をしかめそうになる。
「あの……ご存じないんですか?」
「あ、いえ、それは」
訝しげに問われ、答えに迷う。
『知らない』と逃げたいが嘘もつけない。いっそ『私です』と言ってしまおうか。
一瞬の逡巡の後、彼女を見据えた。
「プライベートのことですから、ご本人に直接お尋ねください」
たとえ夫婦だろうと幼なじみだろうと、彼のプライベートを勝手に話すわけにはいかない。
これで大人しく引き下がってくれるわよね。
そう思ったが――。
「それができたらとっくの昔にしています」
ピシャリと言われて呆気にとられる。今日びの若い子って、メンタルが強いのか弱いのかよくわからない。
すぐ横の窓から見えるアスファルトに、街路樹が濃い影を作っているのを眺めながら、すこしぼうっと頭を休める。
今日の夕飯なんにしよう。
圭君は仕事で遅くなるため食べたり食べなかったりまばらなので、基本的には平日は用意しなくていいことになっている。その分休日はふたりで一緒に作ったり食べに行ったりすることが多かった。
今まで仕事ばかりしてきたので、料理のレパートリーはあまり多くない。それこそ卵焼きを焦がしてしまうくらいのレベルだ。
でもあれは、動揺していたせいだもの。
だれに向けた言い訳をしているのか自分でもわからないが、もう少しきちんと料理を勉強した方がいいのは確かだ。
今日はこっそり練習をしておいて、うまくいったら休みの日に彼に作ろう。
「お疲れ様です」
不意に声をかけられ振り向いた。入り口のところにかわいらしい雰囲気の若い女性が立っている。
「菊池さん。お疲れ様です」
軽く会釈をすると、向こうも同じように返してくる。彼女はまっすぐに自販機へと向かったので、メニューを検索しようとスマートフォンの画面に指を滑らせた。
「朝比奈先生の妹さんなのですか?」
唐突な質問に「え?」と顔を上げると、すぐそばに菊池さんが立っていた。
「『お兄ちゃん』とお呼びになっていたので」
どうやら最初のあれを聞かれていたらしい。長年の癖が抜けず、動揺すると反射的に口から出るのだ。名字が違うのは、私を既婚の妹だと思ったからだろう。
「幼なじみなんです。圭……朝比奈弁護士とは」
「幼なじみ……そう、だったんですか……」
顔を曇らせた菊池さんに、やっぱりと思った。いくら驚いたからとはいえ、仕事相手にその呼び方はよくなかった。プライベートを持ち出したことを謝ろうと口を開きかけたとき。
「じゃあ、朝比奈先生がご結婚されたことをご存じですか?」
「えっ……あ、はい……」
知ってるもなにもその相手は自分だ。知らない方がおかしい。
「お相手の方のことも?」
「え!」
頭の中を読まれたのかと思って、思わず大きめの声が出た。『イエス』と捉えたのだろうか、彼女が身を乗り出してくる。
「ご存じなら教えてください。どんな方なのですか? 年齢は? ご職業は? 同じ弁護士の方とか……もしくはどこかのご令嬢ですか?」
十センチほど背の低い彼女から間近で見上げられ、無意識に足が後ろに下がる。
くりくりとした二重まぶたの瞳。ハーフアップの髪は、ふんわりと自然なカーブを描いて肩口で揺れる。
子犬のようなかわいらしい女の子に、頬を上気させながら必死の形相で尋ねられれば嫌でもわかってしまう。彼女が圭君に想いを寄せているのは一目瞭然だ。
相変わらずモテモテなのね……。
こんな若くてかわいい子に好意を持たれているのだから、わざわざお見合いなんてする必要はなかったんじゃないだろうか。私が強引に結婚を迫っていなければ、きっと彼はもっと素敵な相手と恋愛結婚できていたかもしれない。例えばこの目の前の初々しくかわいらしい新人アシスタントとか――。
ズキン、と胸が痛む。
私なんて仕事だけが取り柄でかわいげもない。幼なじみという立場がなければ、見向きもしてもらえなかっただろう。再び胸の痛みが襲ってきて、眉をしかめそうになる。
「あの……ご存じないんですか?」
「あ、いえ、それは」
訝しげに問われ、答えに迷う。
『知らない』と逃げたいが嘘もつけない。いっそ『私です』と言ってしまおうか。
一瞬の逡巡の後、彼女を見据えた。
「プライベートのことですから、ご本人に直接お尋ねください」
たとえ夫婦だろうと幼なじみだろうと、彼のプライベートを勝手に話すわけにはいかない。
これで大人しく引き下がってくれるわよね。
そう思ったが――。
「それができたらとっくの昔にしています」
ピシャリと言われて呆気にとられる。今日びの若い子って、メンタルが強いのか弱いのかよくわからない。
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