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5.お弁当とイレギュラー***
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私の属する『経済局政策課』は、他国との経済技術的な交流や協力関係の中で外交政策を行うことが主な業務である。
近年、外国を拠点とする日系企業が増加する中、外務省では日本企業の海外展開推進に力を入れている。海外の、特にアジアを中心とした経済成長の勢いを日本に取り込むことが狙いだ。
海外では、在外公館に『日本企業支援窓口』を設けたり、現地情報の提供や広報活動の支援をしたりと、様々な取り組みを行っている。
一方、国内でも海外への事業展開を考えている企業向けの企画を開催したりしている。
その一環で、今日の午後からとあるセミナーが開かれることになっていた。
『松元(まつもと)が急遽体調不良で早退した。北山には彼女の穴埋めを頼みたい』
課長は電話でそう言った。
同僚の代わりに仕事をするのは全然構わない。チームワークは仕事をするうえでとても重要なものだと思っている。
問題は、彼女が件のセミナーを取り仕切っていたいたこと。そしてそれがあと一時間半ほどで開催されるということだった。
課長からの指示を仰ぎ、必要なデータを可能な限りかき集めた後、急ぎ会場となる都内の施設へと向かった。
タクシーの中で必死に資料を読み込み、セミナーの開始三十分前になんとか到着する。
会場スタッフに挨拶に行くと、彼らは課からの連絡で代打のことを知っていた。『とにかくプレゼン準備を』と勧められる。仕事の早い同僚たちに感謝しつつ壇上そでに用意されているノートパソコンを開いた。
開場まで二十分を切っている。目の前の資料に意識を集中した。
今回のセミナーは『アジア進出』が主なテーマのため、当たり前だがアジアの国々のことばかりだ。
講義をする予定だった先輩は中国上海やタイの在外公館勤務実績があったが、私はニュージーランドとアメリカしか経験していない。もちろん常に情報交換はしているためそれなりの知識はあるが、参加する企業担当者はより解像度の高い活きた情報を求めて来場するはずなのだ。
このセミナーには外務省だけでなく農林水産省、経済産業省などの他省庁からも職員が参加する。それだけではなく、企業や経済団体からも専門知識を持つ人々が集められていて、いわば官民協力のもと行われる一大イベントだ。失敗はできない。
幸い先輩がまとめた原稿はとてもわかりやすい。タクシーの中で読み込んできた資料よりもさらに簡潔に要点を絞ってある。セミナーに訪れる企業担当者に伝わりやすいよう工夫してあることが読み取れた。これならなんとかなりそうだ。
一度さらりと目を通した後、今度は時間配分を計算しながら原稿を頭に叩き込んでいく。全神経をパソコンに集中していた、そのとき。
「香ちゃん……?」
聞き覚えのある声に、弾かれたように顔を上げる。目に飛び込んできたものに両目を思い切り大きく見張った。
「お兄ちゃん!」
「やっぱり香ちゃんだった」
驚きすぎて呼び方が戻ってしまったことに気づいたが、それどころではない。
「どうしてここに……」
「どうしてって、知らないのか? うちの法律事務所に出演の依頼が入っていたこと」
「あ!」
このセミナーにはアウトバウンド業務――すなわち、日本企業が海外で事業を展開するに当たって必要となる法務――に特化した弁護士を民間の法律事務所からゲストとして出演してもらうことになっていたのだ。
まさかそれが圭君だなんて……。
たしかに資料には『山崎法律事務所』と書いてあった。目には入ったが、それが彼の所属する事務所だなんて思いもしなかった。仮にそうだとしても、二百名以上の弁護士がいる中で彼が来るとは思えなかっただろう。
私の属する『経済局政策課』は、他国との経済技術的な交流や協力関係の中で外交政策を行うことが主な業務である。
近年、外国を拠点とする日系企業が増加する中、外務省では日本企業の海外展開推進に力を入れている。海外の、特にアジアを中心とした経済成長の勢いを日本に取り込むことが狙いだ。
海外では、在外公館に『日本企業支援窓口』を設けたり、現地情報の提供や広報活動の支援をしたりと、様々な取り組みを行っている。
一方、国内でも海外への事業展開を考えている企業向けの企画を開催したりしている。
その一環で、今日の午後からとあるセミナーが開かれることになっていた。
『松元(まつもと)が急遽体調不良で早退した。北山には彼女の穴埋めを頼みたい』
課長は電話でそう言った。
同僚の代わりに仕事をするのは全然構わない。チームワークは仕事をするうえでとても重要なものだと思っている。
問題は、彼女が件のセミナーを取り仕切っていたいたこと。そしてそれがあと一時間半ほどで開催されるということだった。
課長からの指示を仰ぎ、必要なデータを可能な限りかき集めた後、急ぎ会場となる都内の施設へと向かった。
タクシーの中で必死に資料を読み込み、セミナーの開始三十分前になんとか到着する。
会場スタッフに挨拶に行くと、彼らは課からの連絡で代打のことを知っていた。『とにかくプレゼン準備を』と勧められる。仕事の早い同僚たちに感謝しつつ壇上そでに用意されているノートパソコンを開いた。
開場まで二十分を切っている。目の前の資料に意識を集中した。
今回のセミナーは『アジア進出』が主なテーマのため、当たり前だがアジアの国々のことばかりだ。
講義をする予定だった先輩は中国上海やタイの在外公館勤務実績があったが、私はニュージーランドとアメリカしか経験していない。もちろん常に情報交換はしているためそれなりの知識はあるが、参加する企業担当者はより解像度の高い活きた情報を求めて来場するはずなのだ。
このセミナーには外務省だけでなく農林水産省、経済産業省などの他省庁からも職員が参加する。それだけではなく、企業や経済団体からも専門知識を持つ人々が集められていて、いわば官民協力のもと行われる一大イベントだ。失敗はできない。
幸い先輩がまとめた原稿はとてもわかりやすい。タクシーの中で読み込んできた資料よりもさらに簡潔に要点を絞ってある。セミナーに訪れる企業担当者に伝わりやすいよう工夫してあることが読み取れた。これならなんとかなりそうだ。
一度さらりと目を通した後、今度は時間配分を計算しながら原稿を頭に叩き込んでいく。全神経をパソコンに集中していた、そのとき。
「香ちゃん……?」
聞き覚えのある声に、弾かれたように顔を上げる。目に飛び込んできたものに両目を思い切り大きく見張った。
「お兄ちゃん!」
「やっぱり香ちゃんだった」
驚きすぎて呼び方が戻ってしまったことに気づいたが、それどころではない。
「どうしてここに……」
「どうしてって、知らないのか? うちの法律事務所に出演の依頼が入っていたこと」
「あ!」
このセミナーにはアウトバウンド業務――すなわち、日本企業が海外で事業を展開するに当たって必要となる法務――に特化した弁護士を民間の法律事務所からゲストとして出演してもらうことになっていたのだ。
まさかそれが圭君だなんて……。
たしかに資料には『山崎法律事務所』と書いてあった。目には入ったが、それが彼の所属する事務所だなんて思いもしなかった。仮にそうだとしても、二百名以上の弁護士がいる中で彼が来るとは思えなかっただろう。
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