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3.あの頃と同じこと、違うこと。***
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「母が……母さんの調子がよくないんだ」
「え! 美奈子(みなこ)ママ、病気なの⁉」
「いや、病気というわけじゃないのだけど……」
彼は逡巡した後、口を開いた。
母親は更年期障害の症状が重く、気分が塞いで家に引きこもることが増えているそうだ。体調が悪いときは寝込むこともあり、そうでないときでも以前のように明るく溌溂とした様子はない。
「そうだったんだ……全然知らなかった」
在外公館勤務で何年も海外にいたため、彼の母親とは顔どころか話もできていない。
彼女は自分には息子しかいないからと、私達姉妹を実の娘のようにかわいがってくれた。私達も彼女のことを『美奈子ママ』と呼んで慕っている。
せっかく帰国したのに、忙しさにかまけてずいぶん不義理をしてしまった。
「休みの日はなるべく外に連れ出すようにしているのだけど、それも断られることがある。平日は俺も父さんも仕事があるから難しい。だからせめてなにか明るいニュースでもあれば、気持ちが上向くかと思って」
「それで結婚を……」
「ああ。以前から度々結婚のことを言われていたからな」
だからと言ってそんなに慌ててお見合いなんてしなくても。
「一から相手を探して恋愛するよりも、見合いの方が手っ取り早いだろ? 正直言って婚活に費やす時間も労力も惜しいくらいなんだ。幸いうちの所長は顔が広い。頼めば条件の合った相手をすぐにでも探してきてくれるはずだ」
「条件って……」
「ああ。俺の仕事と実家への理解、などかな。守秘義務があるから家を空けても詳しくは言えないし、母のこともある。実家とはうまくやってもらいたい。簡単なようだけど、結婚後に不満が出ないとも限らないからね」
なるほど。家族思いの彼ならそう考えるのも当然だ。そう思うと同時に、私も美奈子ママになにかしたいという気持ちが胸の奥から込み上げた。
「私じゃだめかな?」
「え?」
「結婚相手、私ならちょうどいいんじゃない? 美奈子ママのことだけじゃなくて、朝比奈家のこともよく知ってる。逆もそう。よく知ってるもの同士、お見合いよりもっと手っ取り早いんじゃないの」
「手っ取り早いって……自分のことをそんなふうに言うなよ」
「圭吾お兄ちゃんがそう言ったんじゃない」
じろりと睨むが彼は微塵も怯まない。
「香ちゃんはまだ若いんだ。そんな簡単に結婚を決めるもんじゃないぞ」
「簡単なんかじゃないわ」
即座に言い切り、背筋を伸ばして真っすぐ彼を見る。
「私、今回の失恋でよくわかったの。いつか理想の人に巡り合えるなんて夢を見るのはもうやめる。だからといって結婚のために時間や労力を割く気もないわ。今は仕事が一番だもの。このままだったら私、一生独り身だと思う。それも悪くはないと思っていたけれど、親に心配を掛けたくないという気持ちもあるの。もし圭吾お兄ちゃんと結婚したら、それが解消する上に大好きな美奈子ママに元気になってもらえる。まさに完璧なプランだわ」
決して目を逸らさずひと言ひと言はっきりと言う。彼はしばらくの間黙っていたが、ため息をついてから口を開いた。
「香ちゃんの気持ちはよくわかった」
低い声ではっきりとそう言った彼に、「本当⁉」と喜んだのもつかの間。
「じゃあ俺とできるんだよな?」
「できる?」
「セックスだ」
「セッ!」
言葉に詰まり、一瞬で頬が上気した。そんな私とは裏腹に、お兄ちゃんは顔色一つ変えず、至って真面目な顔つきだ。
「民法第七七〇条第一項には、不貞行為は離婚の理由になると明示してある。仮にも弁護士の自分が法を侵すようなことはできないし、そうでなくともパートナー以外と関係を持つ気はない」
はっきりとそう言い切られ、ぐっと言葉に詰まった。
夫婦になるというのはそういうことなのだ。そんな当たり前のことをすっかり失念していた私に、彼は追い打ちをかける。
「できたら早く孫の顔も見せてやりたい」
「孫!」
「だからさっきのお見合いの条件の中には、〝子作り〟も含まれている。贅沢を言うなら、前もって相性を確かめたいところだけど」
「前もって……」
「ああ。セックーー」
「わっ、わかったから!」
反射的に体を乗り出し、彼の口を両手で塞いだ。一瞬目を見張った彼は、弓なりに目を細めた後、私の手首をつかんでグイっと引いた。
「きゃっ」
体勢を崩して彼の胸に飛び込むような形でひざの上に乗り上げた。
「ちょっ……お兄ちゃん!」
目を尖らせて顔を上げたら、思ったより近くで目が合った。これまで見たことのない妖艶な笑みに息をのむ。
「折角だから確かめてみるか?」
「なっ」
ぼっと火が着いたように一瞬で顔が熱くなる。
「お互いにその気になるかならないか。無理なら無理と早いうちに言った方がいいぞ」
「むっ、理なんかじゃないわ」
「ふーん」
彼は見透かすように微笑むと、私の頬にすっと手を差し込んだ。背中がびくりと跳ねる。そんな私に彼はくつくつと肩を揺らして笑う。
「大丈夫か?」
「大丈夫だってば!」
「じゃあ遠慮なく」
ゆっくりと近づいてくる端正な顔に、心臓の音がドキドキと加速していく。ぎゅっと目を閉じてすぐ、額に柔らかなものが押し当てられた。
「え! 美奈子(みなこ)ママ、病気なの⁉」
「いや、病気というわけじゃないのだけど……」
彼は逡巡した後、口を開いた。
母親は更年期障害の症状が重く、気分が塞いで家に引きこもることが増えているそうだ。体調が悪いときは寝込むこともあり、そうでないときでも以前のように明るく溌溂とした様子はない。
「そうだったんだ……全然知らなかった」
在外公館勤務で何年も海外にいたため、彼の母親とは顔どころか話もできていない。
彼女は自分には息子しかいないからと、私達姉妹を実の娘のようにかわいがってくれた。私達も彼女のことを『美奈子ママ』と呼んで慕っている。
せっかく帰国したのに、忙しさにかまけてずいぶん不義理をしてしまった。
「休みの日はなるべく外に連れ出すようにしているのだけど、それも断られることがある。平日は俺も父さんも仕事があるから難しい。だからせめてなにか明るいニュースでもあれば、気持ちが上向くかと思って」
「それで結婚を……」
「ああ。以前から度々結婚のことを言われていたからな」
だからと言ってそんなに慌ててお見合いなんてしなくても。
「一から相手を探して恋愛するよりも、見合いの方が手っ取り早いだろ? 正直言って婚活に費やす時間も労力も惜しいくらいなんだ。幸いうちの所長は顔が広い。頼めば条件の合った相手をすぐにでも探してきてくれるはずだ」
「条件って……」
「ああ。俺の仕事と実家への理解、などかな。守秘義務があるから家を空けても詳しくは言えないし、母のこともある。実家とはうまくやってもらいたい。簡単なようだけど、結婚後に不満が出ないとも限らないからね」
なるほど。家族思いの彼ならそう考えるのも当然だ。そう思うと同時に、私も美奈子ママになにかしたいという気持ちが胸の奥から込み上げた。
「私じゃだめかな?」
「え?」
「結婚相手、私ならちょうどいいんじゃない? 美奈子ママのことだけじゃなくて、朝比奈家のこともよく知ってる。逆もそう。よく知ってるもの同士、お見合いよりもっと手っ取り早いんじゃないの」
「手っ取り早いって……自分のことをそんなふうに言うなよ」
「圭吾お兄ちゃんがそう言ったんじゃない」
じろりと睨むが彼は微塵も怯まない。
「香ちゃんはまだ若いんだ。そんな簡単に結婚を決めるもんじゃないぞ」
「簡単なんかじゃないわ」
即座に言い切り、背筋を伸ばして真っすぐ彼を見る。
「私、今回の失恋でよくわかったの。いつか理想の人に巡り合えるなんて夢を見るのはもうやめる。だからといって結婚のために時間や労力を割く気もないわ。今は仕事が一番だもの。このままだったら私、一生独り身だと思う。それも悪くはないと思っていたけれど、親に心配を掛けたくないという気持ちもあるの。もし圭吾お兄ちゃんと結婚したら、それが解消する上に大好きな美奈子ママに元気になってもらえる。まさに完璧なプランだわ」
決して目を逸らさずひと言ひと言はっきりと言う。彼はしばらくの間黙っていたが、ため息をついてから口を開いた。
「香ちゃんの気持ちはよくわかった」
低い声ではっきりとそう言った彼に、「本当⁉」と喜んだのもつかの間。
「じゃあ俺とできるんだよな?」
「できる?」
「セックスだ」
「セッ!」
言葉に詰まり、一瞬で頬が上気した。そんな私とは裏腹に、お兄ちゃんは顔色一つ変えず、至って真面目な顔つきだ。
「民法第七七〇条第一項には、不貞行為は離婚の理由になると明示してある。仮にも弁護士の自分が法を侵すようなことはできないし、そうでなくともパートナー以外と関係を持つ気はない」
はっきりとそう言い切られ、ぐっと言葉に詰まった。
夫婦になるというのはそういうことなのだ。そんな当たり前のことをすっかり失念していた私に、彼は追い打ちをかける。
「できたら早く孫の顔も見せてやりたい」
「孫!」
「だからさっきのお見合いの条件の中には、〝子作り〟も含まれている。贅沢を言うなら、前もって相性を確かめたいところだけど」
「前もって……」
「ああ。セックーー」
「わっ、わかったから!」
反射的に体を乗り出し、彼の口を両手で塞いだ。一瞬目を見張った彼は、弓なりに目を細めた後、私の手首をつかんでグイっと引いた。
「きゃっ」
体勢を崩して彼の胸に飛び込むような形でひざの上に乗り上げた。
「ちょっ……お兄ちゃん!」
目を尖らせて顔を上げたら、思ったより近くで目が合った。これまで見たことのない妖艶な笑みに息をのむ。
「折角だから確かめてみるか?」
「なっ」
ぼっと火が着いたように一瞬で顔が熱くなる。
「お互いにその気になるかならないか。無理なら無理と早いうちに言った方がいいぞ」
「むっ、理なんかじゃないわ」
「ふーん」
彼は見透かすように微笑むと、私の頬にすっと手を差し込んだ。背中がびくりと跳ねる。そんな私に彼はくつくつと肩を揺らして笑う。
「大丈夫か?」
「大丈夫だってば!」
「じゃあ遠慮なく」
ゆっくりと近づいてくる端正な顔に、心臓の音がドキドキと加速していく。ぎゅっと目を閉じてすぐ、額に柔らかなものが押し当てられた。
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