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スローライフ満喫中?

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 アルが来てから二日がたった。
 午前中は大人しく自室にこもっていたリリィだったが、昼下がりにはこっそりと部屋を出た。

 物音を立てないよう気をつけながら、手すりを伝って階段を下りる。マノンに見つかると叱られて部屋に戻されてしまうだろう。

 優秀な専属侍女の彼女は今、お昼の休息中だ。朝早くから夜遅くまでひとりでリリィの面倒を見てくれているため、昼食の後のひと眠りが欠かせない。

 いつもならリリィも彼女の休憩に合わせて自分の自室でまったりと過ごすのだが、いかんせん昨日からずっとほとんどを部屋で過ごしている。読書も裁縫も昼寝も、いいかげん飽きてしまった。

 よかった、見つからなかったわね。
 玄関ドアをそうっと閉めた後、ほっと胸をなで下ろした。青空の下にゆっくりと踏みだす。

「思ったよりも大丈夫そうね」

 丸一日半ベッドの上で大人しくしていたのがよかったのか、足の痛みは一昨日ほどひどくない。包帯を巻いているおかげもあり、なんとか支えなしで歩けそうだ。

 片足を引きずりながらゆっくりと庭の端にある畑へ向かった。

「リリィねえちゃん!」

 こちらに気がついたジャンが走って来る。

「ジャン。ずいぶんがんばってくれたのね、ありがとう」

 一面にうねができていて、ずいぶん畑らしくなっている。ジャンは「だろ?」と得意げだ。
 
 アルが屋敷に滞在することが決まったとき、ジャンが自分もなにか手伝わせてほしいと言い出した。
 聞けば彼は寝込みがちな母親と幼い弟妹の四人暮らしだそう。父親はここより都会の街に出稼ぎに行っているという。
 それならと、リリィは彼に畑仕事や雑用などを頼むことにした。

「もう少ししたらおやつだから、適当に切り上げてね」
「やったー!」

 大喜びするジャンに、「今日はドーナッツよ」と告げる。

「ドー……やっつ?」

 あ、この世界にドーナッツはないんだわ。
 そういえば王都にいたときに自分も食べた記憶はない。てっきり庶民のおやつなのだろうと思っていた。

「ドーナッツよ。どんなものかはお楽しみに」

 ふふふと笑ってから、手を振ってその場を離れた。

 ジャンは昼食も人一倍食べていたが、おやつもしっかり食べそうだ。育ち盛りはお腹が空くのだろう。明日のお昼はなにを出そうかとわくわくしながら考える。

 この数日間、食事は簡単なものばかりだった。足の痛みが治まるまでは台所に立つのをマノンに禁じられていたのだ。
 幸い焼いておいたパンや前日のシチューが残っていた。少ない品数でどうにか食いつないで来たけれど、そろそろまともな料理を作りたい。

 頭の中でメニューを組み立てながら歩いていると、背後から「おい」と声をかけられた。

「アル」
「うろうろしているとまた侍女殿に叱られるぞ」

 肩に木材を担いだ彼がリリィの脇を通り抜けていく。
 彼が昼食のときに、午後から本格的にニワトリ小屋作りを始めると言っていたため、こうして出てきたのだ。

「そばで作業を見ていてもいいかしら」
「邪魔にならない場所でなら好きにしたらいい。そもそも小屋のあるじはおまえだ」
「ありがとう」

 アルについて行こうとしたが、足を引きずっているためどうしても遅れてしまう。
 自分に構わず先に行っておいてと言おうとしたら、彼がすっと手のひらを差し出した。思わずきょとんと小首をかしげる。

「ごめんなさい、おやつはもう少しあとなのです」

 飲み物のひとつでも差し入れに持ってくればよかった。
 自分の至らなさを省みていると、アルがため息をついた。

「ジャンと一緒にするな」

「え?」と言ったと同時に手を取られ、腕にかけられる。そこでやっと彼がしようとしたことに気がついた。

「ありがとうございます」

 アルの腕に少しだけ寄りかかりながら歩きだした。

 もともとのニワトリ小屋はあまりにぼろぼろすぎるため、アルから作り直した方が早いと言われた。古い方は追々なんとかするとして、昨日は新しい鳥小屋の設計図などを念入りに打合せし、今日の午前中は必要な材料を手配しに行ってもらったのだ。

「場所は日当たりが良くて北風が当たらないところにしてください」

 歩きながらきょろきょろと周りを見回す。

「板は隙間なくしっかりとつなぎ合わせてくださいませ。隙間からヘビが入ってきたら大変ですもの。あと、窓用の金網は二重に貼っていただけますか? イタチなんかは破って入ってくることがあるそうですわ」
「やけに詳しいな」
「あっ、えっと……当家の庭師に聞きましたの」

 慌ててごまかす。前世で本を読み漁り、実現を夢見てきたことのひとつが叶うのだ。楽しみすぎてすっかり今の自分の立場を忘れていた。

「あ! あの辺りとかいかがですか?」

 アルの腕から離れ、生垣に近づく。多少雑草は生えているが、地面は平らで日当たりもよい。なによりアルの背丈と同じくらいの生垣が山からの冷たい風を防いでくれるだろう。

「さっそく草取りをしましょう! そうだわ、ジャンにこちらを手伝ってもらうように頼んできます」

 両手をパチンと打ったとき、草むらからガサガサと音がした。振り返るとにょろにょろとした姿が草の合間を這っていく。

「きゃっ!」

 ヘビの姿に驚いて、反射的に後ずさったら、うっかりくじいた足の方を引いてしまった。

「痛……っ」

 痛みに顔をしかめた瞬間、体がぐらりと傾く。

 転んじゃう!

 思わずぎゅっと目をつぶったとき、二の腕をつかまれた。

「まったく」

 あきれたような声が頭上から降ってくる。恐る恐る目を開くと、アルの胸が目の前にあった。腕を引かれた勢いで、彼の胸に抱き着くような形になってしまった。

 心臓が大きく跳ね上がって変な声が漏れそうになったが根性で飲み込み、ゆっくりと体勢を戻す。

「ありがとう、アル。おかげで転ばずに済みましたわ」

 にこりと微笑みを貼りつける。

 内心は大慌てだが顔には出さない。元受付嬢、現役伯爵令嬢(※追放中)を侮ることなかれだ。
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