4 / 18
新天地
[1]ー3
しおりを挟む
「ああ? なんだおまえは」
「子ども相手に大人の男性がすることじゃありませんわ」
「関係ないやつぁ黙ってろ。こいつは俺の金を取ろうとしたんだ」
「違う! そっちが靴磨きの代金を払わなかったんじゃないか!」
「うるさい! 磨き方がなってないやつに金なんか払えるか」
「ちゃんと磨いたじゃないか! どうせ最初からぼったくるつもりだったんだろ! 金持ちのくせにケチなおっさんだな!」
「なんだとぉ!」
男が腕を振り上げた。少年に振り下ろそうとする瞬間、リリィは反射的にその腕に飛びついた。
「やめて!」
「うるせー!」
「きゃあっ」
腕を振り払われて地面に尻もちをつく。
「その髪、もしかして……」
男の視線に気づいてはっと頭に手をやった。帽子がない。倒れた拍子に脱げたのだ。
「おまえか、うわさの悪女ってやつは」
鼓動が速まる。こんなところまでうわさが届いていたなんて。
「悪女? なんのことかしら」
「とぼけても無駄だ。俺は確かな筋から聞いたんだぞ」
男は王都でのうわさを声高に話し出した。
「第四王子の許嫁でありながら、夜な夜な男漁りを繰り返したり他の令嬢に卑劣な嫌がらせをしたりして、とうとう追放されたんだってな」
うわさはまさに男が今言った通りだ。真実とはかけ離れているが、ここで否定してもなんの意味もなさないことはわかっている。
「なんのことかおっしゃっているのかさっぱりわかりませんわ」
平然と立ち上がり、スカートの砂ぼこりを手で払ってから顔を上げた。
「それよりも、相手が子どもだからと労働の対価を踏み倒す方が、よっぽど卑怯でいやしい人間だと思いますが」
「なにを!」
怒りで顔を真っ赤にした男が腕を振り上げた。殴られる、と身構えた瞬間、突然剣の刃が割り込んできた。
「手を下ろせ」
低い声が聞こえた。
「どんな理由があろうとも、か弱い婦女子に暴力を振るうのはいただけないな」
青ざめた男がそろそろと腕を下ろした。
横を見ると剣の主は見上げるほど背が高かった。黒い髪は襟足で小ざっぱり整えられているものの、前髪が長くて目が完全に覆われている。そのせいで年齢はよくわからない。リリィより少し年上ではないだろうか。
身なりは悪くないが、詰襟のボタンは胸もとまでくつろげて、袖もまくり上げているので。騎士、というよりも雇われ護衛といった風体だ。
「くそっ、払えばいいんだろ!」
男はそう言って小銭を投げつけて去って行った。
「ありがとうございました」
リリィが礼を言うと男性がこちらに顔を向けた。
「勇敢と無謀はまったくの別物だ」
「なっ!」
「あんたみたいな世間知らずのお嬢様がガラの悪い男に向かって行くと普通はどうなるか。育ちがよすぎて知らないのか」
ぐっと言葉に詰まった。
知らないわけはない。前世はそれなりに経験値を積んできた。どれだけ危険なことだったかなんて自分でもわかっている。震える手をぎゅっと握り締めたとき、「ああ!」と悲壮な声が聞こえてきた。
「全然足んねーじゃねぇか! あのくそジジイ!」
地面に散らばったお金を拾い集めた少年が叫ぶ。
「いくらでしたの?」
「三十リュカス」
少年の手の中にはどう見ても十リュカスほどしかない。
「殴られなかっただけでもよしとしたらどうだ。けがをしたら元も子もない」
「母ちゃんに精がつくもの食べさせてやりたかったのに……」
今にも泣き出しそうな顔で小銭を握り締めた少年に、リリィははっとした。
「そうだわ!」
パチンと手を合わせる。
「あなた、ちょっとわたくしの手伝いをしてくださらない?」
「は?」
「あの坂の上までわたくしの荷物を運んでくださいな。思ったより買い過ぎて困っておりましたの」
「やだね。なんで俺が」
少年がくるりと背を向ける。さっきの男に代金を踏み倒されかけたことが尾を引いているのだろう。背中に金持ちなんか信用できないと書いてある。
「もちろんただでとは言いませんわ。お代はきちんとお支払いいたします」
『お代』の言葉に少年が足を止めて少しだけ振り返る。
「……いくら」
口の端が持ち上がらないように気をつけながら、はっきりと言った。
「百リュカスです」
「ひゃっ……やる!」
リリィはにっこりと微笑んだ。
「通りすがりのあなた様も。どうもありがとうございました。本当に助かりましたわ」
ついいつものようにカーテシーをしようと右足を後ろに引いた途端、ずきんと鋭い痛みが走った。しかめそうになった顔に、にこりと笑みを貼りつける。
「では、わたくしたちはこれで」
軽く会釈をしてそっと足を踏みだそうとした瞬間。
「無謀の次はやせ我慢か」
「きゃっ」
ふわりと体を持ち上げられて声が飛び出す。
「さすが稀代の悪女様だな」
「なっ、どうしてそれを……というか、下ろしてくださいませ!」
顔を上げると、思わぬほど近くに彼の顔があった。心臓がどきっと跳ねた。
シャープな輪郭にすっと高い鼻梁と薄い唇。前髪の隙間からのぞく瞳は、深くて美しい緑色をしている。
「さっさと行くぞ」
ついうっかり見惚れているうちに男性は歩きだし、リリィの荷物を持った少年が慌ててついてきた。
「子ども相手に大人の男性がすることじゃありませんわ」
「関係ないやつぁ黙ってろ。こいつは俺の金を取ろうとしたんだ」
「違う! そっちが靴磨きの代金を払わなかったんじゃないか!」
「うるさい! 磨き方がなってないやつに金なんか払えるか」
「ちゃんと磨いたじゃないか! どうせ最初からぼったくるつもりだったんだろ! 金持ちのくせにケチなおっさんだな!」
「なんだとぉ!」
男が腕を振り上げた。少年に振り下ろそうとする瞬間、リリィは反射的にその腕に飛びついた。
「やめて!」
「うるせー!」
「きゃあっ」
腕を振り払われて地面に尻もちをつく。
「その髪、もしかして……」
男の視線に気づいてはっと頭に手をやった。帽子がない。倒れた拍子に脱げたのだ。
「おまえか、うわさの悪女ってやつは」
鼓動が速まる。こんなところまでうわさが届いていたなんて。
「悪女? なんのことかしら」
「とぼけても無駄だ。俺は確かな筋から聞いたんだぞ」
男は王都でのうわさを声高に話し出した。
「第四王子の許嫁でありながら、夜な夜な男漁りを繰り返したり他の令嬢に卑劣な嫌がらせをしたりして、とうとう追放されたんだってな」
うわさはまさに男が今言った通りだ。真実とはかけ離れているが、ここで否定してもなんの意味もなさないことはわかっている。
「なんのことかおっしゃっているのかさっぱりわかりませんわ」
平然と立ち上がり、スカートの砂ぼこりを手で払ってから顔を上げた。
「それよりも、相手が子どもだからと労働の対価を踏み倒す方が、よっぽど卑怯でいやしい人間だと思いますが」
「なにを!」
怒りで顔を真っ赤にした男が腕を振り上げた。殴られる、と身構えた瞬間、突然剣の刃が割り込んできた。
「手を下ろせ」
低い声が聞こえた。
「どんな理由があろうとも、か弱い婦女子に暴力を振るうのはいただけないな」
青ざめた男がそろそろと腕を下ろした。
横を見ると剣の主は見上げるほど背が高かった。黒い髪は襟足で小ざっぱり整えられているものの、前髪が長くて目が完全に覆われている。そのせいで年齢はよくわからない。リリィより少し年上ではないだろうか。
身なりは悪くないが、詰襟のボタンは胸もとまでくつろげて、袖もまくり上げているので。騎士、というよりも雇われ護衛といった風体だ。
「くそっ、払えばいいんだろ!」
男はそう言って小銭を投げつけて去って行った。
「ありがとうございました」
リリィが礼を言うと男性がこちらに顔を向けた。
「勇敢と無謀はまったくの別物だ」
「なっ!」
「あんたみたいな世間知らずのお嬢様がガラの悪い男に向かって行くと普通はどうなるか。育ちがよすぎて知らないのか」
ぐっと言葉に詰まった。
知らないわけはない。前世はそれなりに経験値を積んできた。どれだけ危険なことだったかなんて自分でもわかっている。震える手をぎゅっと握り締めたとき、「ああ!」と悲壮な声が聞こえてきた。
「全然足んねーじゃねぇか! あのくそジジイ!」
地面に散らばったお金を拾い集めた少年が叫ぶ。
「いくらでしたの?」
「三十リュカス」
少年の手の中にはどう見ても十リュカスほどしかない。
「殴られなかっただけでもよしとしたらどうだ。けがをしたら元も子もない」
「母ちゃんに精がつくもの食べさせてやりたかったのに……」
今にも泣き出しそうな顔で小銭を握り締めた少年に、リリィははっとした。
「そうだわ!」
パチンと手を合わせる。
「あなた、ちょっとわたくしの手伝いをしてくださらない?」
「は?」
「あの坂の上までわたくしの荷物を運んでくださいな。思ったより買い過ぎて困っておりましたの」
「やだね。なんで俺が」
少年がくるりと背を向ける。さっきの男に代金を踏み倒されかけたことが尾を引いているのだろう。背中に金持ちなんか信用できないと書いてある。
「もちろんただでとは言いませんわ。お代はきちんとお支払いいたします」
『お代』の言葉に少年が足を止めて少しだけ振り返る。
「……いくら」
口の端が持ち上がらないように気をつけながら、はっきりと言った。
「百リュカスです」
「ひゃっ……やる!」
リリィはにっこりと微笑んだ。
「通りすがりのあなた様も。どうもありがとうございました。本当に助かりましたわ」
ついいつものようにカーテシーをしようと右足を後ろに引いた途端、ずきんと鋭い痛みが走った。しかめそうになった顔に、にこりと笑みを貼りつける。
「では、わたくしたちはこれで」
軽く会釈をしてそっと足を踏みだそうとした瞬間。
「無謀の次はやせ我慢か」
「きゃっ」
ふわりと体を持ち上げられて声が飛び出す。
「さすが稀代の悪女様だな」
「なっ、どうしてそれを……というか、下ろしてくださいませ!」
顔を上げると、思わぬほど近くに彼の顔があった。心臓がどきっと跳ねた。
シャープな輪郭にすっと高い鼻梁と薄い唇。前髪の隙間からのぞく瞳は、深くて美しい緑色をしている。
「さっさと行くぞ」
ついうっかり見惚れているうちに男性は歩きだし、リリィの荷物を持った少年が慌ててついてきた。
22
お気に入りに追加
928
あなたにおすすめの小説
10日後に婚約破棄される公爵令嬢
雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。
「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」
これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。
悪役令嬢より取り巻き令嬢の方が問題あると思います
蓮
恋愛
両親と死別し、孤児院暮らしの平民だったシャーリーはクリフォード男爵家の養女として引き取られた。丁度その頃市井では男爵家など貴族に引き取られた少女が王子や公爵令息など、高貴な身分の男性と恋に落ちて幸せになる小説が流行っていた。シャーリーは自分もそうなるのではないかとつい夢見てしまう。しかし、夜会でコンプトン侯爵令嬢ベアトリスと出会う。シャーリーはベアトリスにマナーや所作など色々と注意されてしまう。シャーリーは彼女を小説に出て来る悪役令嬢みたいだと思った。しかし、それが違うということにシャーリーはすぐに気付く。ベアトリスはシャーリーが嘲笑の的にならないようマナーや所作を教えてくれていたのだ。
(あれ? ベアトリス様って実はもしかして良い人?)
シャーリーはそう思い、ベアトリスと交流を深めることにしてみた。
しかしそんな中、シャーリーはあるベアトリスの取り巻きであるチェスター伯爵令嬢カレンからネチネチと嫌味を言われるようになる。カレンは平民だったシャーリーを気に入らないらしい。更に、他の令嬢への嫌がらせの罪をベアトリスに着せて彼女を社交界から追放しようともしていた。彼女はベアトリスも気に入らないらしい。それに気付いたシャーリーは怒り狂う。
「私に色々良くしてくださったベアトリス様に冤罪をかけようとするなんて許せない!」
シャーリーは仲良くなったテヴァルー子爵令息ヴィンセント、ベアトリスの婚約者であるモールバラ公爵令息アイザック、ベアトリスの弟であるキースと共に、ベアトリスを救う計画を立て始めた。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
ジャンルは恋愛メインではありませんが、アルファポリスでは当てはまるジャンルが恋愛しかありませんでした。
悪役令嬢の取り巻き令嬢(モブ)だけど実は影で暗躍してたなんて意外でしょ?
無味無臭(不定期更新)
恋愛
無能な悪役令嬢に変わってシナリオ通り進めていたがある日悪役令嬢にハブられたルル。
「いいんですか?その態度」
悪役令嬢扱いの私、その後嫁いだ英雄様がかなりの熱血漢でなんだか幸せになれました。
下菊みこと
恋愛
落ち込んでたところに熱血漢を投入されたお話。
主人公は性に奔放な聖女にお説教をしていたら、弟と婚約者に断罪され婚約破棄までされた。落ち込んでた主人公にも縁談が来る。お相手は考えていた数倍は熱血漢な英雄様だった。
小説家になろう様でも投稿しています。
農地スローライフ、始めました~婚約破棄された悪役令嬢は、第二王子から溺愛される~
可児 うさこ
恋愛
前世でプレイしていたゲームの悪役令嬢に転生した。公爵に婚約破棄された悪役令嬢は、実家に戻ったら、第二王子と遭遇した。彼は王位継承より農業に夢中で、農地を所有する実家へ見学に来たらしい。悪役令嬢は彼に一目惚れされて、郊外の城で一緒に暮らすことになった。欲しいものを何でも与えてくれて、溺愛してくれる。そんな彼とまったり農業を楽しみながら、快適なスローライフを送ります。
婚約破棄された令嬢は変人公爵に嫁がされる ~新婚生活を嘲笑いにきた? 夫がかわゆすぎて今それどころじゃないんですが!!
杓子ねこ
恋愛
侯爵令嬢テオドシーネは、王太子の婚約者として花嫁修業に励んできた。
しかしその努力が裏目に出てしまい、王太子ピエトロに浮気され、浮気相手への嫌がらせを理由に婚約破棄された挙句、変人と名高いクイア公爵のもとへ嫁がされることに。
対面した当主シエルフィリードは馬のかぶりものをして、噂どおりの奇人……と思ったら、馬の下から出てきたのは超絶美少年?
でもあなたかなり年上のはずですよね? 年下にしか見えませんが? どうして涙ぐんでるんですか?
え、王太子殿下が新婚生活を嘲笑いにきた? 公爵様がかわゆすぎていまそれどころじゃないんですが!!
恋を知らなかった生真面目令嬢がきゅんきゅんしながら引きこもり公爵を育成するお話です。
本編11話+番外編。
※「小説家になろう」でも掲載しています。
【完結】婚約破棄され処刑された私は人生をやり直す ~女狐に騙される男共を強制的に矯正してやる~
かのん
恋愛
断頭台に立つのは婚約破棄され、家族にも婚約者にも友人にも捨てられたシャルロッテは高らかに笑い声をあげた。
「私の首が飛んだ瞬間から、自分たちに未来があるとは思うなかれ……そこが始まりですわ」
シャルロッテの首が跳ねとんだ瞬間、世界は黒い闇に包まれ、時空はうねりをあげ巻き戻る。
これは、断頭台で首チョンパされたシャルロッテが、男共を矯正していくお話。
悪役令嬢に仕立てあげられて婚約破棄の上に処刑までされて破滅しましたが、時間を巻き戻してやり直し、逆転します。
しろいるか
恋愛
王子との許婚で、幸せを約束されていたセシル。だが、没落した貴族の娘で、侍女として引き取ったシェリーの魔の手により悪役令嬢にさせられ、婚約破棄された上に処刑までされてしまう。悲しみと悔しさの中、セシルは自分自身の行いによって救ってきた魂の結晶、天使によって助け出され、時間を巻き戻してもらう。
次々に襲い掛かるシェリーの策略を切り抜け、セシルは自分の幸せを掴んでいく。そして憎しみに囚われたシェリーは……。
破滅させられた不幸な少女のやり直し短編ストーリー。人を呪わば穴二つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる