リリィ=ブランシュはスローライフを満喫したい!~追放された悪役令嬢ですが、なぜか皇太子の胃袋をつかんでしまったようです~

汐埼ゆたか

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新天地

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 鼻歌を歌いながら、弾むような足取りで坂道を下ること数十分。街までたどり着いたリリィは色々な店をのぞいては、あれもこれもと購入する。

 出てくるときにやって来た馬車は伯爵家からの物資便だ。生活に必要なものから娯楽品まで様々なものが詰まっているだろうが、そこにリリィが欲しいものはない。父親をはじめ、伯爵家の屋敷の人々は、リリィが本当にやりたいことなんてなにも知らないのだ。

 ずっと長い間無理だろうと諦めていたことも、ここなら叶えられる。
 マノンはまるでリリィが不幸のように言っていたけれど、むしろ逆だ。この境遇を心から喜んでいた。

 王都の伯爵邸では常にマノンをはじめとした侍女たちに囲まれていて、ひとりきりで出歩くなんてできなかった。本当はずっと〝昔のように〟ひとりで気兼ねなく動きまわれる生活が恋しかったのだ。

 前世のリリィは有名企業の受付で働く二十九歳のOLだった。女同士の嫉妬やマウントをかいくぐり、より良い条件の結婚相手と巡り合うため日夜合コンや婚活に励んでいた。

 幾度かの失敗の末、とうとう総合病院の後継ぎという医者との交際にこぎつけることができた。

『よっぽど前世で徳を積んだんだわ』

 諸手を上げて大喜びしたのもつかの間。元カノだか浮気相手だか知らないが、その男のストーカーに突き飛ばされて階段から転落。あっけなく〝ジ・エンド〟だ。

『もうたくさん! 生まれ変わったら修道女みたいに清く正しく生きてやるんだからー!』

 そう心の中で叫んだのが最後の記憶だった。

 それなのにふたを開けてみれば伯爵令嬢このざまだ。

 物心つく前に決められた許嫁が素行不良や派手な異性関係でうわさの絶えない第四王子とくれば、平穏な暮らしなど永遠に叶えられそうにない。
 女好きの第四王子のせいで逆恨みを買う可能性が高い。今度は刺されたり毒を盛られたりするかもしれない。
 あんな恐ろしい思いはもうたくさんだ。
 なんとしても回避しなければ。

 そう思ったリリィは、第四王子から婚約破棄してもらえるよう努力を重ねた。

 ダンスでは王子の足を踏みまくり、事あるごとにわがままを言った。第四王子が気にしている背の低さを無神経に話題にしてみたり、宝石やドレスなど贅沢三昧もアピールした。

 第四王子がうんざりした表情をし始めた頃、顔見知りの中から王子の好きそうなタイプの令嬢をそれとなく引き合わせた。ほどなくして二人は恋仲になった。

 ここまで来たらあとは〝王子の心変わりに心を痛めながらも、ふたりの幸せを願って自ら身を引く〟だけだ。
 田舎でのスローライフへの夢が膨らませながら、社交界から去る頃合いを見計らっていたところに、不測の事態が起こった。リリィを許嫁の座から引き下ろそうと、相手の令嬢がありもしない悪行を王子に吹き込んだのだ。鵜呑みにした王子は怒り、婚約解消をした上に恋人から聞いたことをそのまま宮廷で吹聴した。

『リリィ=ブランシュ・ル・ベルナールは稀代の悪女である』

 根も葉もないうわさは尾ひれをつけて瞬く間に王都中に広まり、リリィは辺境の山すそにある伯爵家の別邸へと身を寄せることになった。

「まあ、色々あったけど、終わりよければすべてよしですわ」

 弾むように歩きながらひとり言ちる。

 社交会は嫉妬や陰謀が渦巻いていて、合コンより何十倍も難易度が高かった。
 補正下着よりもコルセットの方が苦しく、大仰なドレスは重たくて身動きが取りづらい。
 身についたことといえば、裾を踏まれるのを察知してそれとなくかわしつつも相手をよろけさせる、そんなどうでもいい技くらいだ。

 悪女? その通りですけどなにか。

 一度死んだアラサー女はそれくらいではへこたれない。
 人間いつ終わりを迎えるかわからないのだから、今度こそ貪欲に夢を叶えていかなければ。

「それにしても少し買い過ぎたかしら」

 両手で抱えた紙袋がずしりと重い。野菜の種を買いに来たはずなのに、どうしてこんなに重たくなってしまったのだろう。
 次はいつひとりで来られるかわからないと思ったら、ついあれもこれもと欲張ってしまった。荷物を抱えて坂道を上らないと屋敷に帰れないことをすっかり失念していた。

 やっぱり馬車で来ればよかったかしら。
 田舎の街にあんな立派な馬車で来たら、一発で伯爵令嬢だと知れるだろう。こんな辺境の地まで悪女のうわさは届いていないとは思うが、できることなら静かに暮らしたい。

「よいしょっ」と令嬢らしからぬ掛け声を口にしながら荷物を抱え直したとき、道の反対側から騒ぐ声が聞こえてきた。見ると、十歳くらいの男の子の胸ぐらを身なりのいい男がつかんでいる。考えるより早くリリィの体が動いた。

「おやめなさい!」

 少年の胸ぐらをつかんだまま男がこちらに顔を向けた。
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