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9. 笑顔と唇
千紗子が怖いのは
しおりを挟む「えっと、一彰さん…?」
「ん?どうかしたのか、ちぃ」
ショッピングモールで必要なものをあれこれと買い込んでから、一彰の車で帰宅した場所に、千紗子は困惑していた。
「あの、私の引越しの段ボールまでここに持って上がることはなかったと思うのですが……」
買い物の荷物も結構な量だったけれど、それに加えて裕也のマンションから引き上げてきた段ボール三箱をも、一彰はマンションの部屋に持って上がってきた。
ここが自分の部屋なら、千紗子も困惑することはない。
けれど、ここは一彰のマンションの部屋なのだ。
「どうして?これはちぃが暮らすのに必要な物なんだろう?」
小首を傾げて眼鏡の奥の瞳をきょとんと丸くする。
「はい…だからそれらは自分のマンションに持って帰ります」
千紗子はてっきり一彰は荷物を千紗子のマンションに持って行ってくれるのだと思っていた。
一彰が千紗子と荷物を送って帰った後は、その荷物を整理して過ごそうかと思っていたのだ。
「ちぃ……。ちぃは俺と一緒にいるのは嫌?君が疲れてるなら今日はもう送っていくけれど」
一彰の口から出た言葉に、千紗子は目を見開いた。
唐突に、彼がどうしてそんなことを言い出したのか分からない。しかもその表情は、明らかに不機嫌そうだ。
「い、嫌ではありません…。でも……」
「でも?」
正直、千紗子はそろそろ自分の部屋に帰らなければいけない、と思っていた。
あの雨の夜。熱を出してここに連れて来られてから、実はほぼ自分のマンションには帰宅してない。
昨日仕事に行く前に、仕事に行く服に着替える為に一旦帰ったけれど、それは『立ち寄った』レベルだ。一彰の車での職場に向かう途中だった為、とりあえず着替えと必要な物を持っただけの短時間だった為空気の入れ替えも何も出来なかった。
何より、一彰にお世話になってばかりなのが、千紗子にとっては一番の気がかりなのだ。
(なんて言ったらいいのかしら……)
下を向いて眉を寄せ、考え込んでいると、千紗子の頭に大きな手がポンと乗せられた。
「千紗子」
温もりと共に柔らかな声が頭上に降る。
千紗子はゆっくりと顔を上げた。
優しい瞳が千紗子を見下ろしていた。
その瞳に見つめられると、千紗子は自分が幼い少女に戻っていく気がする。
なんでも許してくれそうな温かな瞳。
それは千紗子を愛し甘やかし、すべてを溶かしてしまう。
「………ダメに、……なるかもしれません…………」
「え?」
「私、…ダメな子になりそうなんです」
思っていることを、正しく相手に伝えるのはとても難しい。くじけそうになるけれど、千紗子は一言一言を丁寧に紡ぐ。
恥ずかしくて頬が熱くなってくるが、一彰から目を逸らさないように体に力を入れる。
「熱を出して寝込んでいる間、沢山お世話になってしまって、甘えっぱなしだったと、本当に申し訳ないと思ってます」
「ちぃ、それは、」
「一彰さんと一緒にいるのは、本当に心地良くて、…楽しいです。でも、いつも甘やかされてばかりで…私、それに慣れてしまうのが、…きっと怖いんです」
一彰の言葉を遮るように言った千紗子の言葉に、一彰が眉をひそめる。
今まで千紗子自身にもよく分からなかった、漠然とした不安。
それが今、はっきりとした形になって浮かび上がってくる。
自分が口から出す言葉を自分で聞きながら、千紗子は「ああ、そうだったんだ……」と実感を持ち始めていた。
「怖い?どうして?」
「甘やかされて、…それが当たり前になってしまって、もし…もしも、また……」
そこまで言ったところで、千紗子は唇をグッと噛みしめた。
一彰から目を逸らして、まばたきを堪える。そうしないと、熱くなった瞼を落ち着かせることが出来そうにない。
千紗子の体が、ふわりと温かなものに包まれた。
「―――千紗子」
柔らかなバリトンボイスが自分の名を呼ぶ。
それを耳にした途端、千紗子の喉から熱い何かがせり上がって来た。
「こっ、こんなふうに、優しくされて、甘やかされて、一彰さんといることが当たり前になってしまって……、それにズルズルと甘えて、いつのまにか……気付かないうちにあなたの気持ちが私から離れてしまったら……、そう考えたら…こ、怖くって…私……」
千紗子の頬をボロボロと大粒の雫が伝い落ちていく。
嗚咽を飲みこんで震える小さな体を、一彰はギュッと力強く抱きしめた。
「そんなこと怖がる必要なんてないんだ、千紗子」
ひっくひっくと肩を揺らして泣く千紗子に、一彰は優しく諭すように語りかける。
「俺の心が君から離れることなんて、これから先、永遠に来ない。―――絶対に」
最後の言葉を力強く言い切ると、一彰は大きな溜め息を着く。
「むしろ、俺の方が千紗子に愛想を尽かされないか心配だ」
それまでときおりしゃくりあげていた千紗子の肩が、ピクリと止まる。
どうして、という千紗子の疑問を感じ取った一彰は、今度は小さく息を吐いて千紗子の髪を優しく撫でた。
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