70 / 92
9. 笑顔と唇
一彰と再び訪れたのは
しおりを挟む「ちぃ、これで全部か?」
「はい。必要な物は全部詰めました」
千紗子と一彰の公休日が重なった最初の日、二人は千紗子が裕也と暮らしていたマンションに来ていた。
裕也は仕事で留守にしているが、前もって今日千紗子の荷物を運び出すことは連絡済みである。そのメッセージを送った時、裕也からは短く『了解』と返信があっただけだった。
「そんなに多くないから二往復で運び終わりそうだな。じゃあ、俺は荷物を車に乗せてくるから、ちぃは忘れ物がないかチェックしてて」
「はい」
玄関に三つ重ねた段ボールのうち二つを一彰が軽々と持ち上げているのを見ながら、千紗子は玄関扉を押さえて彼を送り出す。
千紗子の借りたマンスリーマンションには家電や家具が備え付けてある為、ここから持って出る必要はないし、食器類などは殆どが裕也との揃いのものばかりだったので今後使おうとも思えず、ここから運び出すのは自分の衣類と本や雑貨くらいだ。
そもそも千紗子は多くのものを買い込むタイプではなく、洋服やアクセサリーなどは気に入ったものを大事に長く使う方だ。
その他の雑貨などもそんなに多くないが、唯一本だけはそこそこの量があった。
(よし、忘れ物はないわね)
部屋をぐるりと見回した後、千紗子はダイニングテーブルの上にあらかじめ用意してきた手紙をそっと置くと、踵を返して、玄関に向かった。
【 佐々木 裕也 様
私の荷物は全て運び出しました。
残ったものの処分はあなたの判断に任せます。
鍵はドアポストの中にいれます。
これまでありがとう。お元気で。
木ノ下 千紗子 】
千紗子が玄関に戻ると、ちょうど一彰が戻ってきたところだった。
「一彰さん、ありがとうございます。忘れ物はないです」
「そうか。じゃあ行こうか」
玄関にある最後の段ボールを持ち上げようとした一彰は、横からの視線を感じて顔を上げた。
「ん?どうかしたのか?やっぱり忘れ物でも思い出した?」
「えっ!?いえ、大丈夫、なんでもないです……」
千紗子は慌てて首を振ると先に玄関扉を開けて外に出て、扉を押さえたまま、一彰が出るのを待つ。
「ありがとうございます」
千紗子は持っていた鍵を鍵穴に入れてくるりと回すと、カチャンという音を立て鍵がかかるのを確認してから、持っていた鍵をドアポストの中へと滑り込ませた。
【ガラン】
鍵がポストの内側に落ちる音が、千紗子の胸の底にぶつかる音のように聞こえる。
(……さようなら、裕也)
「―――千紗子」
少しの間ドアを見つめていた千紗子だけど、斜め上から届いた低音の声に視線を移す。振り仰ぐとそこには、自分のことを見つめる瞳があった。
千紗子だけに見せる、甘さを含んだその表情に、千紗子は意識して微笑みを向ける。
「行きましょうか、一彰さん」
何かを振りきったような揺るぎない彼女の表情に、一彰は軽く目を見開いたけれど、すぐに彼女に微笑み返して頷くと、一歩踏み出し、二人で部屋の前を後にした。
「大丈夫か?」
「すっかり元気なんで、あんまり心配しないでください」
車のシートに乗った途端降ってきた一彰の問いかけに、千紗子はにっこりと笑顔を作る。
実は、二人がお互いの気持ちを通じあわせたあの夜、千紗子は一彰の腕に抱かれて熱を出したのだ。
雨に濡れて体が冷えたせいというよりも、張りつめていた緊張が緩むと同時に、それまでの複雑な感情の起伏、寝不足からくる疲れなどが、ここに来てどっと千紗子の体に押し寄せたせいだろう。
自分の体の下に閉じ込めている千紗子が、驚くほど熱いことに気付いた一彰は、すぐさま乱れていた彼女の服を整え布団をきちんと掛け直すと、千紗子に「少しだけ待ってて」と言い残し、半乾きの服を着直して、どこかへ行ってしまったのだ。
朦朧としたまま一彰をベッドの中から見送った千紗子は、そのままあっという間に意識を手放した。そして次に目を覚ました時、そこは自分のベッドの上ではなかったのだ。
0
お気に入りに追加
186
あなたにおすすめの小説
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
冷徹上司の、甘い秘密。
青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。
「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」
「別に誰も気にしませんよ?」
「いや俺が気にする」
ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。
※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお断りいたします。
汐埼ゆたか
恋愛
旧題:あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。
※現在公開の後半部分は、書籍化前のサイト連載版となっております。
書籍とは設定が異なる部分がありますので、あらかじめご了承ください。
―――――――――――――――――――
ひょんなことから旅行中の学生くんと知り合ったわたし。全然そんなつもりじゃなかったのに、なぜだか一夜を共に……。
傷心中の年下を喰っちゃうなんていい大人のすることじゃない。せめてもの罪滅ぼしと、三日間限定で家に置いてあげた。
―――なのに!
その正体は、ななな、なんと!グループ親会社の役員!しかも御曹司だと!?
恋を諦めたアラサーモブ子と、あふれる愛を注ぎたくて堪らない年下御曹司の溺愛攻防戦☆
「馬鹿だと思うよ自分でも。―――それでもあなたが欲しいんだ」
*・゚♡★♡゚・*:.。奨励賞ありがとうございます 。.:*・゚♡★♡゚・*
▶Attention
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
同級生がCEO―クールな彼は夢見るように愛に溺れたい(らしい)【番外編も完結】
光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
「二度となつみ以外の女を抱けないと思ったら虚しくて」
なつみは、二年前婚約破棄してから派遣社員として働く三十歳。
女として自信を失ったまま、新しい派遣先の職場見学に。
そこで同じ中学だった神城と再会。
CEOである神城は、地味な自分とは正反対。秀才&冷淡な印象であまり昔から話をしたこともなかった。
それなのに、就くはずだった事務ではなく、神城の秘書に抜擢されてしまう。
✜✜目標ポイントに達成しましたら、ショートストーリーを追加致します。ぜひお気に入り登録&しおりをお願いします✜✜
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる