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8. すきといえる
あれは嘘、だったんですか…?
しおりを挟むどくん、どくん……
白い布一枚越しに雨宮の鼓動が耳に伝わってくる。
「千紗子……」
千紗子を抱きしめる腕に力を込めた雨宮は、狂おしいほど切なく甘い声でその名を呼んだ。
身じろぎできないほどきつく抱きすくめられているのに、体よりも心のほうが苦しくて、千紗子は無性に声を上げて泣きたくなってしまう。
しばらく無言で千紗子を抱きしめていた雨宮が、突然腕を解き、その腕で千紗子の体を自分から引き離した。
温もりから突然切り離された千紗子は、ハッとなった。
「こんなふうに君を困らせてしまって、すまない……」
そう言う雨宮の表情が曇っている。
なぜ雨宮がそんなことを言い出したのか、千紗子には全く分からない。『困らせている』というなら、それは自分の方なのに。
眉をひそめる千紗子に雨宮は言葉を続ける。
「俺と二人っきりでいることが分かったら、彼が怒るんじゃないのか?」
千紗子は、両目をこれ以上ないくらい大きく見開いた。
「彼が本当に改心して千紗子がそれを許したのなら、俺にはもう口を出すことはない……」
そう言うと雨宮は、辛そうに眉間にしわを寄せて千紗子から目線を逸らす。
千紗子の頭の中は真っ白になり、体が小刻みに震え出した。大きな瞳のふちには、じわじわと水が溜まっていく。
そして彼が次に発した言葉に、千紗子の中で何かが爆ぜた。
「千紗子が彼を選ぶのなら……俺は、」
「ちがうっ!!!」
悲鳴のような声が千紗子の口から飛び出した。
「どうして?…どうしてそんなこと、言うの……?」
「千紗子…?」
「私がいつ、裕也を許したの?……いつ彼を選んだの?」
「千紗子……」
わなわなと震える口から出る言葉は震えている。
両目に溜まっていく涙は今にもこぼれ落ちそうだったけれど、千紗子はぐっとお腹に力を込めて、ありったけの気持ちを振り絞って言葉を続けた。
「………するって、言ったじゃない……」
「千紗子?」
「『好きな人が幸せじゃなかったら、全力で奪って幸せにする』って言ったじゃない!!……あれは嘘、だったんですか…?」
言い終わると、千紗子の瞳から堰を切ったように涙が溢れだした。
大粒の涙がぽろぽろと次々に落ちていく。
こぼれ落ちる涙を拭いもしないで自分を見つめる千紗子に、雨宮は瞠目した。
「それとも、もう…私のことなんて、嫌いに、なりましたか……?」
しゃくりあげながら、切れ切れに千紗子が続けた言葉に、雨宮はカッとなった。
「そんなわけないだろっ!!」
千紗子の肩がびくりと大きく跳ね上がる。初めて聞く雨宮の怒声に、千紗子の涙は勢いを増した。
けれどその涙は、すぐに白いシャツの上に吸い込まれることになる。
「すまない…大きな声を出して。でも、俺は千紗子を嫌いになったりなんてしない」
千紗子はその声を雨宮の腕の中で聞いていた。
少しかすれ気味の低い声が耳に届くだけで、胸が静かに震えるのを感じながら。
「俺が君を嫌いになる日なんて、きっと一生来ないだろう。千紗子、君をずっと愛してる。たとえ君が俺のことを好きじゃなくても……」
それを聞いた時、千紗子の体は勝手に動いた。
彼女を囲う大きな体の中から勢いよく伸びあがり、雨宮の唇に自分の唇を重ねた。
ほんの一瞬だけ触れ合っただけなのに、その感触はとても懐かしく愛おしい。
いつもそこから伝わってくるのは、彼が千紗子のことを大切に思う気持ちばかり。
千紗子がそっと離れながら目を開けると、すぐ鼻先にある雨宮の目は大きく見開かれていた。
「好きです……雨宮さんのことが好き」
千紗子は雨宮の目を見つめたまま、そう告げる。感情と共にこぼれ落ちる涙をそのままに。
雨宮の瞳がこれ以上ないくらい大きく見開かれた。
次の瞬間、千紗子の唇は雨宮の唇によって塞がれていた。
最初から激しく荒々しい口づけに、千紗子は息が止まりそうになる。
まるでお腹を空かせた獣がやっと餌にありつけた時みたいに、今にも千紗子を貪り尽くそうとしているような、そんな口づけだ。
けれど千紗子はその口づけになんとか応えようと、精一杯彼の舌を受け入れる。
雨宮の服にしがみ付きながらも必死に反応する千紗子に煽られたのか、口づけは激しさを増した。
千紗子は雨宮の胸の辺りのシャツをギュッと握りしめる。
が、すぐに体から力が抜け落ち、為す術もなく身を委ねることしか出来なくなってしまった。
長い時間熱い口づけに翻弄された千紗子は、気付くとベッドに横になっていた。唇が腫れぼったく濡れているけれど、そんなことに構っている余裕すらない。ただ荒い呼吸を繰り返すだけだ。
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