Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか

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8. すきといえる

人波を掻き分けて

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 店から飛び出して、雨宮が立っていたところを一目散にめざす。

 千紗子の頭の中は真っ白で、『雨宮に合わす顔がない』とか、『なにを話せばいいのか』とか、そんなことすら頭の中から消え去っていた。

 (いない……)

 さっき彼が立っていた場所で、顔を左右に動かしながら三百六十度見渡すけれど、雨宮の姿はどこにも見当たらない。背の高い彼なら、行き交う人々の間でも見付けることが出来そうなのに。

 暗い空からは、いつの間にかポツリポツリと雨が落ちてきていた。

 (目が合ったのに…私だって分かってて、避けられたの…?)

 最初に逃げ出したのは千紗子の方だ。
 
 彼のところから逃げ出して、電話での会話も拒否し、彼を避けていたのは自分の方だったのに。
 けれどこうして雨宮に避けられたと思った時、千紗子は大きなショックを受けていた。

 (私、なんて自分勝手なんだろう。)
 
 あんなに千紗子を大事に優しく扱ってくれた彼に、自分がどんなに酷いことをしたのかを思うと、心臓を掻きむしりたいほどの痛みが襲う。

 (私はまだ、雨宮さんに何一つ伝えてない…)

 足が勝手に動き出した。

 一歩踏み出した足がすこしずつ早くなる。
 一歩また一歩、千紗子の足は雨宮の姿を探して走り出した。

 人の波を掻き分けながらあちこちを見渡す。けれども、雨宮の姿はどこにも見当たらない。
 本格的に降りだした雨とあちこちで広がりはじめた傘で、千紗子の視界は塞がれていく。

 (どこに行ったの!?)
 
 雨宮が消えたのは駅の方へと向かう道だった。彼のマンションとは反対の方向だったから、これから出かけるところだったのかもしれない。
 
 (もしかして、電車に乗った…?)

 そうしている間にも雨は強さを増していく。
 
 鞄の中に入っている折り畳み傘を広げる時間すら惜しんで走り回っていた千紗子の体に、湿り気を帯びたコートが重く体にのしかかっていく。

 千紗子の足が、とうとうその場から動かなくなった。


 次々と落ちる雫が、地面に跳ねかえって千紗子の靴を濡らしていく。

 駅の明かりを少し離れた場所から眺める。
 人々の足音と傘に落ちる雨音。時々高架の上を電車が通って行く音も耳に入ってくる。

 本降りの雨の中、傘を差さずに立ち止まっている千紗子の姿を、時折すれ違う人がチラリと振り返る。
 こんな姿で雨宮に会ったとして、いったい自分は何を伝えたかったのか。

 (帰ろう……)

 肩を落とし、駅の光に背を向けた千紗子の背中に、それは突然投げかけられた。

 「千紗子っ!!」

 背中から聞こえた声に、千紗子の体が震える。
 振り返ると同時にきつく抱きすくめられた。
 
 千紗子をすっぽりと覆うその人からは、いつもと同じ甘く爽やかな香りがして、千紗子の胸が切なく震える。瞼がじわりと熱くなった。

 「こんなに濡れてっ、何かあったのか!?またあの彼に何か言われた?」

 焦った声で立て続けに問いながら、彼は千紗子の濡れた頭を、露を払うように手で拭っていく。
 抱きしめた腕から千紗子の服がしっとりと濡れていることに気付いたのか、千紗子に自分が差していた傘を握らせると、突然着ているダウンジャケットを脱ぎ始める。そして、持たされた傘を手に呆然と立ちすくむ千紗子の肩に、それをさっと羽織らせた。

 「あ、雨宮さん!?」

 千紗子は驚いた。
 十二月も半分を過ぎ、夜は上着なしでは寒すぎる。しかも降ってくる雨は、素肌に当たれば痛いくらいの冷たさなのだ。

 「風邪引いてしまいますっ!」

 焦って上着を脱ごうとする千紗子の手を、大きな手が掴んだ。

 「風邪を引くのはどっちだ…いいから、着てろ」

 唸るような低い声でそう言った雨宮は、ファーの付いたフードを千紗子の頭の上に被せると、千紗子の手を取って歩き出した。

 「あ、雨宮さんっ!?」

 雨宮は千紗子の呼びかけに答えることもせずに、前を向いたまま彼女の手を引いて歩き続ける。
 千紗子に傘を持たせたままで自分は上着すら着ていないのに、雨宮は濡れることを気にも留めない様子だ。

 「雨宮さんっ!」

 これ以上濡れたら今度は彼が熱を出してしまうかも、と千紗子は背伸びをしながら彼に傘をさしかける。自分は雨宮のジャケットで守られているから雨に濡れる感じはしなかった。

 千紗子のそんな様子に雨宮が気付いていないはずはないのに、彼は千紗子の方を見ようともせず、足早に歩いていく。


 そうやって数分歩いているうちに、千紗子は気付いた。雨宮がどこに向かっているのか、そしてここがどこなのかを。

 道の先には、ここ数日ですっかり馴染みになったコンビニがぼんやりと光っている。

 (雨宮さんはきっとこの道を通って自分のマンションに私を連れて行くつもりなんだ……)

 そう思いながら見つめる背中が随分と濡れている。

 (雨宮さんのマンションまで、まだ五分くらいあるわ……このままだと彼が風邪を引いてしまう……)

 千紗子は意を決して口を開いた。

 「雨宮さん」

 呼びかけるけれど、彼からの返事はなく、振り向きもしない。

 怒っているのかもしれないし、その理由にも心当たりがある。

 (雨宮さんがもし私のことを嫌いになったとしても、今は風邪を引かせるわけにはいかないわ)

 千紗子はさっきより大きな声で彼を呼んだ。

 「雨宮さん待ってください!」

 千紗子は握っている手にぐっと力を込めて引っ張ると、雨宮は足を止めた。

 「あの、このままだと雨宮さんが風邪を引いてしまいます!」

 「俺なら大丈夫。千紗子こそ風邪を引くぞ。早く帰ろう」

 雨宮の眼鏡にはいくつもの水滴が着いていて、その向こうの瞳がよく見えない。口元は引き締められたままで、いつもの柔らかさは感じられなかった。

 けれど今の千紗子には雨宮の雰囲気に気を配る余裕はない。
 逸る気持ちを抑えられずに口を開いた。

 「ここっ!」

 「え?」

 「ここからすぐのマンションに今は住んでます。寄ってください」

 雨宮の目が大きく開かれた。
 立ち止まったままの彼を、今度は千紗子が腕を引いて歩く。
 
 ―――早くしないと、彼が風邪を引いてしまう。

 今の千紗子の頭の中には、その思いだけでいっぱいだった。


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