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7. 聞こえる声と見えない心
元恋人と
しおりを挟むコーヒーショップはそんなに混んでおらず、一番奥の窓際の席に向かい合って座った。
裕也はホットコーヒーを、千紗子はチャイミルクティを選び、二人の手元にはそれぞれのカップが置かれている。
千紗子は手元のカップに口を付けた。
シナモンやその他のスパイスの香りが鼻に抜けていく。生姜が入っているせいか体がじんわりと温かくなって、まろやかな甘さがが波立った千紗子の心を幾分落ち着けてくれた。
一方で目の前の裕也はカップを手で弄ぶようにしながらも、それには口を付けずにずっと俯いている。
千紗子は彼が何を口にするのをじっと辛抱強く待ち続けた。
千紗子のカップの中身が半分になった頃、裕也がおもむろに口を開いた。
「千紗…俺が悪かった」
テーブルに両手を着いて頭を下げる彼に、千紗子は息を飲んだ。
頭を下げたままの姿勢で裕也は言葉を続ける。
「こんなことで許して貰えるとは思ってはいないけど、でも、本当に馬鹿なことをしたと後悔してるんだ。済まなかった…千紗子」
裕也に久々に『千紗子』と呼ばれた瞬間、千紗子は自分の胸の奥の、どこか柔らかい場所が萎んでいくのを感じた。
いつもそう呼んでくれるあの人が千紗子の脳裏に浮かんで、その声が頭の奥に響く。
キュッと縮まる心臓を感じながら、千紗子は目の前の元恋人に意識を集中させた。
「裕也…とりあえず頭を上げて。ね?」
周りの視線も心なしか気になって、千紗子は裕也に顔を上げてくれるように頼んだ。
ゆっくりと頭を上げた裕也に、千紗子はずっと気になっていたことを尋ねた。
「もしかして、裕也は何度か図書館に来てた?」
「ああ。営業で出た時に何度か…俺、あの晩もショッピングモールでも、お前に酷いことばかりしたから……ちゃんと謝りたくて……」
裕也の視線はテーブルの上をさまよい、千紗子の目を見ようとしない。そのまま裕也は言葉を続けた。
「千紗…俺、お前の優しさに甘えてたんだ。お前とこれからも一緒にいたくてプロポーズしたのに、いつのまにかそのことを忘れて、つい魔が差したんだ……」
目の前の彼が、心の底から謝ってくれているのは千紗子にも分かっていた。一週間前までの自分なら、彼の謝罪を受け入れていたかもしれない。
(『一度だけなら』って許して、流されてそのまま結婚していたのかしら……)
そう考えた時、千紗子の背中に小さな震えが走った。
「あの女とは本気じゃなくて…もちろん誘惑に負けてしまった俺が悪いんだけど……でも、ずっと続けていた関係とかではないんだっ!もう千紗を裏切ったりしない。約束する。だから俺とやり直して欲しいっ!!」
彼は自分の言い訳ばかりを口にして、その実千紗子の気持ちには一切触れようとしない。
千紗子の唇がわなわなと震えた。
(私がどんなに傷付いたか、そんなことはきっとどうでもいいのね……)
目の前の裕也は黙ったままの千紗子に、言い訳の言葉を連ね続けている。千紗子はそれをどこか遠い瞳で見ていた。
きっとこのまま千紗子が口を噤んでいたら、そのことにも気付かないのだろう。
心の中は怒りを通り越して何も感じない。ただ画面の向こう側で彼が何かを必死に説明しているだけ。
(もう、私が何を言っても彼にとっては同じことかもしれない……)
このまま何も言わず、彼に別れを告げてここから立ち去ろう。
そんな考えが千紗子の頭を過った。
グッと唇を噛みしめた。その時―――
『そんなに噛んだら傷になるぞ』
ここにはいない人の声が耳の奥でそう囁いた。
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