Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか

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7. 聞こえる声と見えない心

嫌な視線

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 休み明けの火曜日。重い気持ちを抱えたまま、足を引きずるように出勤した千紗子は、雨宮が出張で居ないことを知って拍子抜けした。

 『どんな顔をして彼と顔を合わせればいいのか』
 『逃げ出したことを責められたら、なんて言おう』

 そんなことばかりを考えてしまう休日は、あっという間に過ぎ、今日も朝からぐるぐると同じようなことばかり考えながらここに来たのだ。


 「千紗ちゃん、おはよう」

 「おはようございます、美香さん」

 「あら、顔色があまり良くないわよ?大丈夫?」

 カウンター内に入ると、早番で来ていた美香が千紗子の変化にめざとく気付く。

 「大丈夫です」

 さらっと返事をして、これ以上追及されないように、何事も無いふりを装って業務に取り掛かる。
 
 昨日からずっと抱いていた緊張感が緩んだ千紗子は、足元の力が抜けるような気がしたけれど、仕事に集中することでなんとか乗り切ろうとしていた。

 遅番で出勤した千紗子は、事務所のホワイトボードを見て雨宮の出張を思い出したのだ。
 
 課長である彼の今回の出張は、数か月前から決まっていたことだった。
 千紗子達が勤める図書館の母体となる市が、姉妹都市協定を結んでいる市の図書館との交流会なるものに、雨宮は代表として出席するため二泊三日の出張に出ることになっていた。

 すっかりそのことを忘れていた千紗子は、しばらく雨宮と顔を合わせなくて済むことにホッと肩を撫で下ろした。

 (木曜日は休館日、金曜日は雨宮さんが公休日、か……)
 
 勤務表を見ながら、平日の間は雨宮とは会わないことを確認する。
 ほとぼりを冷ますのにちょうど良い期間ではあるけれど、毎日仕事中もプライベートでも一緒にいた彼の顔を当分見ることがないのだと思うと、千紗子の心に少しだけ冷たい風が吹き抜けるような気がした。

 けれど張りつめていた緊張感から解き放たれた千紗子は、自分の心の微妙な変化に気付かなかった。

 
 業務の間、千紗子は出来るだけ自分の業務に集中することで、余計なことを考えないようにしていた。

 夕方、返却された蔵書を書架に戻す作業をしている時に、どこからか自分を見ているような視線を感じて顔を上げてキョロキョロと見回したけれど、周りに変わった人もおらず、気のせいかと作業に戻った。

 (神経過敏になってるのかしら……)

 この数日間で色々なことが次々と起こっている為、頭がパンク気味なのは事実だ。きっとそのせいで感覚がおかしくなっているのかもしれない、と千紗子は考えたのだった。


 次の日も千紗子はその嫌な視線を何度も感じることになる。

 背中に何かを感じて振り向く。けれど、周りには誰もおらずに業務に戻る。
 そんなことが何度かあった後、千紗子はさすがに自分の気のせいではないのかもしれない、と思うようになっていた。

 だけど何の確証もなく、誰かに訴えることも出来ない。
 実際何の被害も受けておらず、ただ何度も強い視線を感じて気味が悪いからと、同僚や上司を巻き込んで騒ぎを起こしたくはなかった。

 そんな午前中を終えて、やっと昼休憩になって千紗子は休憩室に入ることで強張っていた体をやっと緩めることが出来た。

 「どうしたの?千紗ちゃん顔色が良くないわよ?」

 あとから休憩に入って来た美香が、千紗子の様子に気付く。

 「お昼ご飯、全然減ってないみたいだけど、具合でも悪いの?」

 「いえ、そう言うわけではないのですが……」

 コンビニのおにぎりが千紗子の前に手つかずのまま置かれている。

 「千紗ちゃんにしては、珍しくコンビニのご飯が続いてるみたいだし、何かあったのなら遠慮なく相談してよ?私に出来ることは少ないけど、話すだけでもきっと楽になると思うわよ。」

 裏表のない美香の言葉が、千紗子の胸にストレートに届く。

 「美香さん……」

 千紗子は残り少なくなった休憩時間いっぱいを使って、昨日から気になっている視線のことを話した。

 「う~ん…、何度も続いたんだったら勘違いじゃないかもしれないわね……。千紗ちゃんは何か思い当たることはないの?」

 そう問われた時、千紗子の頭には一瞬裕也のことがよぎった。

 (でも裕也は平日はずっと仕事だし、それに、私のことなんかもうどうでもいいみたいなことを言っていたし……)

 他に何も心当たりはなく、千紗子は頭を左右に振るしかない。

 「そっか…。う~ん、こんな時に限って雨宮さんは出張中だしなぁ」

 美香の口から雨宮の名前が出た瞬間、千紗子の心臓が大きな音を立てた。

 「ど、どうして、雨宮さん、…なんですか?」

 「ん?なんとなく?」

 「なんとなくって……」

 千紗子は美香の発言に目を丸くした。

 「なんとなく・・・・・なんとなく・・・・・よ。雨宮さんが居たら千紗ちゃんのことを頼めるのにな、と思っただけよ。つい最近もお世話になったんでしょ?全然事情を知らない人よりもよっぽど頼りになるじゃない?」

 平然とそう言ってのける美香の、動物の勘のようなものに、千紗子は内心感服していた。

 「でも、雨宮さんは出張中だから、今日は念のため私と帰ろう。千紗ちゃんは今どこに住んでる?前の彼のマンションに戻ってるの?」

 千紗子はこの時初めて、自分が誰にも居場所を伝えていないことに気が付いた。

 (職場にも住所の変更をしないといけないわ……)

 千紗子は雨宮の留守の間に、それを済ませてしまおうと心に誓う。

 業務終了後、タクシーで送るからと言って聞かない美香に押し切られた千紗子は、乗り込んだタクシーの中で、自分の住んでいるところを美香に説明することになったのだ。

 
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