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6・甘い楔(くさび)と苦い逃亡
押し寄せてくる激しい恋情に
しおりを挟む柔らかくしっとりとしたその感触が雨宮の唇なのだと気付いた時、千紗子の視界いっぱいに綺麗な顔が映っていた。
閉じた瞳の睫毛は長く、きめ細やかな肌にはしみ一つない。
重ね合わせた唇が離れながら千紗子の唇を吸い『ちゅっ』と音を立てる。
目の前の瞳がゆっくりと開かれ、視線が絡み合った。
千紗子はまるで魔法にでもかかったみたいに、そこから目を逸らすことが出来ずに、しばらくの間見つめ合っていた。
その時間はものの数秒のようで、永遠のよう。
「―――好きだ、千紗子」
濡れたような光を湛えた瞳が瞬いた時、千紗子の胸が大きく震えた。
「どこにも行くな…ここにいて」
それだけ呟いた唇は、再び千紗子の唇に降りてきた。
角度を何度も変えて啄ばまれる。舌先で上唇をなぞられて、思わず吐息がもれた瞬間、開いた隙間から熱い舌が割り込んできた。
『好きだ』
『離さない』
重ね合わせた唇から、想いがさざ波のように押し寄せてくる。
息をする余裕すら奪う口づけは、激しいけれど乱暴ではない。どちらかというと千紗子の反応を窺っている気配すらある。
少しだけ余裕を持たせてくれるのは、千紗子に呼吸を促すためなのか、逃げ出す隙を与えているのか。
「はぁっ」
息継ぎの為なのに、漏れる吐息が自分のものではないくらいになまめかしくて、千紗子の体が熱くなる。
雨宮は背中に回していた手を千紗子の頭と腰に移動させ、彼女の体をしっかりと支える。
咥内で動く彼の舌は千紗子の歯列を撫で、舌を吸って離さない。
口づけに翻弄された千紗子の体から徐々に力が抜け落ちて行き、それと同時に思考もぼんやりと霞んでいく。
雨宮の口づけはどこまでも甘く、どこか切なかった。
***
千紗子の意識が眠りの淵から浮かび上がる。
重い瞼を無理やり持ち上げると、カーテンの向こう側はまだ暗く、夜明け前までまだ時間があるようだった。
体がやけに重くて寝返りをするもの億劫なくらいだったけれど、なんとか体勢を変えようとしたとき、千紗子は自分の体が重くて温かい何かに縛られていることに気付いた。
(んんっ…動けない……)
寝ぼけ眼で重たい何かを退けようと手を当てた時、千紗子の意識が一気に覚醒した。
(腕っ!?)
自分の体に巻きついている重たいものが、雨宮の腕だ言うことに気付いた瞬間、昨夜自分と彼との間に起きた出来事が甦る。
布団の中の自分一糸まとわぬ姿であること、そして自分を抱きしめたまま眠っている雨宮も同じ姿であることに否が応でも気付いてしまう。
(私…ゆうべ、雨宮さんと………)
覚醒したばかりの千紗子の肌に雨宮の素肌がしっとりと触れ合う。その感触に、千紗子の体がカーッと燃えるように熱くなった。
けれどそれと同時に昨夜の記憶が甦り、今度は頭から冷水を被ったように血の気が引いて行くのを感じた。
ソファーで何度も口づけを交わした後、千紗子を軽々と抱え上げた雨宮は寝室に移動し千紗子をベッドの上にそっと横たえた。
すでに着ている服は乱され、下着だけの状態になっていることに千紗子が気付いたのは、自分の真上にいる雨宮を見上げた時だった。
ソファーの上で息も絶え絶えなほど乱された千紗子の頭は、ぼんやりと霞みがかったみたいにもう何も考えられない。
最初のほうの窺うような口づけは、千紗子が驚きのあまり思考を停止させている間に激しくなっていき、彼女が抵抗しないことをいいことに、だんだんと遠慮なく熱いものになっていった。
力強く抱きしめられて、何度も何度も唇を重ねる。
触れ合う度にそこから流れ込んでくる雨宮の激しい恋情に、千紗子は酩酊したようにくらくらと何も考えられなくなっていったのだ。
雨宮に組み伏せられた千紗子は為すがままで、抗うことすら思いつきもしなかった。
ただ雨宮から与えられる熱情と快感に流されながら、散々乱され啼かされ続けるだけ。
その大きな体に必死にしがみ付いて激しく揺さぶられ続けた千紗子は、幾度となく絶頂から突き落とされ、最後の方の記憶は途切れてしまっていた。
千紗子を抱きしめながら眠っている雨宮と素肌が触れ合う。
あの夜、決して自分の衣服を脱ぐことのなかった彼の素肌は、滑らかなのに固くたくましいことを自分は知ってしまったのだ。
(わたしっ、なんてことを……!)
数時間前の出来事をハッキリと覚えている千紗子は、ベッドの中で慌てふためいた。
恋人でもない男性と体を繋げることが、自分の人生に起こるなんて―――。
雨宮が自分に好意を持っていることは分かっていた。
けれど彼はいつでも紳士的で、一緒に暮らしていても千紗子の嫌がることはしなかった。それどころか、千紗子が警戒心を表に出す前に彼の方が一歩下がって距離を取っていたので、千紗子の緊張はいつしか緩んでしまっていたのだ。
(なんて軽率なことを!雨宮さんの好意に応えることなんて、私には出来ないのに……)
あまりの不甲斐なさに両目に涙が溢れだす。けれど、今は泣いている場合ではない。
千紗子の体に腕を巻き付けたまま、雨宮は良く眠っている。眼鏡がないせいかいつもより若く見える。閉じた瞳に並ぶ睫毛は、千紗子よりも長いかもしれない。
千紗子は眠っている雨宮を起こさないように細心の注意を払いながら、そっとベッドを抜け出した。
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