Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか

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6・甘い楔(くさび)と苦い逃亡

ダメかって……

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 ***


 日曜日の午後からの仕事はあっという間に過ぎた。
 土日は平日にはあまり来れない会社員や学生に加え、親子連れも多く来館する。平日も忙しいには忙しいのだけれど、休日には平日とは違う賑わった忙しさがあるのだ。



 「お疲れ様でした。」

 無事に閉館を終え、片付けまできっちりと終えた千紗子は、事務所に残っている同僚に挨拶をしてから、更衣室に向かった。

 バックヤードの薄暗い廊下を千紗子のローファーの音が鳴る。片手に持ったデスク用の小さなポーチの中から携帯電話を取り出した。
 珍しく新着を知らせるランプに気が付く。
 手に取って画面を開いた瞬間、そこにある名前に「えっ!」と声が出た。


 更衣室で制服から着替えた千紗子は、小走りで職員出入り口へと向かう。古くて重い扉を開くと、向かいの道を挟んだ向こう側に、一台の車が停まっていた。

 「お待たせしましたっ!」

 「お疲れ様。乗って」

 「は、はい……」

 助手席の扉を開けて迎え入れて貰うままに、千紗子は車に乗り込んだ。

 「お疲れさま、千紗子。閉館まで何事もなかったか?」

 「はい、大丈夫でしたよ」

 「そうか。良かった」

 千紗子を横目に見て微笑んだのは、ブラウンフレームの眼鏡姿の雨宮だ。
 彼は千紗子がシートベルトを締めたのを確認すると、ゆるやかに車を発進させた。

 図書館を出て車に乗り込むまで、ものの一分くらい外気に当たっただけなのに、千紗子の手足はすっかり冷えていて、車のエアコンの風が当たると、氷が解けるように体が温まって行く。
 車内はしっかりと暖房が効いていてとても暖かいことから、雨宮が車にいる時間が随分長かったのではないかと、千紗子は気が付いた。

 「メッセージに気付くのが遅くなってしまってすみません。随分とお待たせしてしまいましたよね?」

 遅番は八時半までの勤務だけれど、日曜日の今日は午後から閉館までずっと忙しく、結局三十分の残業をしてからやっと上がることができたのだ。

 雨宮からのメッセージは八時前くらいに入っていて、シンプルに『勤務後、職員用出口の前に車で待っている』とあった。
 千紗子は普段から、携帯はデスク用のポーチの中に入れておいて休憩と勤務後にしか見ない。
 万が一、実家や友人から緊急の連絡があるとしても、図書館に電話を掛けてくれば確実に自分に繋がるし、それで今まで不便を感じたことがなかったのだ。

 (ちゃんとメッセージに気付いていたら、『遅くなりそうだし、迎えは要りません』て言えたのに…)

 結果として、雨宮を無駄に待たせてしまったことが悔やまれる。

 「そんなに待ってはいないから大丈夫。千紗子は仕事だったんだから気にしないで。むしろ勤務中に私用の携帯をチェックしたり返信したりしない千紗子は、真面目でえらいな」

 変なところで褒められて、千紗子は途端に面映ゆくなる。当たり前だと思って特に気にしていなかったことを、こうして改めて褒められると、嬉しい反面すこし恥ずかしい。

 「あ、ありがとうございます……」

 微妙な居心地の悪さを感じて助手席から外に目を遣ると、街路樹に巻かれた電飾がキラキラと光っているのが目に入ってきた。

 ちらりと横目で雨宮を見ると、なぜか目が合ってしまい、千紗子は慌てて顔を逸らした。

 「ふっ、―――どうした?」
 
 軽やかにハンドルを操作しながら、少しだけこちらを向いて笑う雨宮の表情は柔らかい。
 入浴を済ませた後なのか、無造作に下された髪がサラサラと揺れ、彼が身に着けている甘くて爽やかなフレグランスの香りに交じって、ほのかなシャボンの香りが鼻に届く。
 軽く捲ったニットから見えるその腕は細いように見えて、触れると意外と固くて逞しい感触を思い出してしまって、千紗子は頬がうっすらと赤くなってしまうのを感じた。

 「熱いのか?」

 「い、いえ……大丈夫です。えっと、コートを着てるから少し暖かいですけど、外が寒かったからちょうど良いくらいです」

 なぜかしどろもどろに話す千紗子に、また「ふっ」と息を吐きながら笑った雨宮は、前方を見たまま「じゃあ他に何か言いたいことでもあったか?」と言った。

 「言いたいこと…?」

 「ああ。さっき俺の方を見たから、何かあったのかと思ってな」

 「あ、…えっと、その……『お迎えは要りません』てメッセージのお返事をすれば良かったな、と思って。迎えに来ていただかなくてもちゃんとバスで帰れますよ」

 「ああ。別に迷子になるとか思っていないけど、夜だし暗いだろ?千紗子に何かあったらと心配するくらいなら迎えに行った方が早い」

 「心配って…これまでもこの時間に一人で帰ることが普通ですよ?」

 千紗子は少し呆れて、瞬きを数回した。
 美香や他の先輩と勤務時間が重なれば、途中まで一緒に帰ることもあるけれど、基本的に暗かろうと明るかろうと、一人で道を歩いて帰るのが普通の毎日だ。天候次第でバスに乗って駅まで帰ることもあるけれど、図書館から駅までは徒歩圏内なので、健康のためにも歩くことにしている。

 「仮にそれが普通でも、俺がそうしたいんだ。ダメか?」

 「ダメか…って………」

 首を少し傾けた雨宮におねだりする態で言われて、千紗子はクラッと目が回るような気持ちになる。
 耳に入る声色は甘く、隣を見なくても彼が今どんな顔をしているか分かる。きっとあの吸い込まれそうな瞳を輝かせて自分を見つめているに違いない。
 思わず頭を縦に振ってしまいたくなるけれど、このまま流されてはいけないと思い直した千紗子は、お腹に力を入れて口を開いた。
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