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5・オンとオフ
垣間見えた牙と爪
しおりを挟む「じゃあ、ほらもう、おやすみ。ゆっくり寝て明日もお互い頑張ろう」
幼子に諭すようにゆっくりとそう言いながら、雨宮は千紗子の髪をもう二三度撫でる。
「ベッドで寝てください……」
「千紗子、………君をソファーで寝かせられないって何度も、」
「私もベッドで寝ます、だから雨宮さんも………」
言葉の最後の方が小さくすぼんでしまう。
千紗子は雨宮の腕の中で、息を詰めてじっとしていた。
髪を撫でていた雨宮の手が、千紗子の背中で止まったままだ。
(どうしよう……、聞こえなかった?それとも、嫌だって思った?それとも…。嗚呼どうしよう!でも、もう一度言うなんて出来そうにない…)
グルグルと思考が回って、千紗子の背中に冷たい汗が流れる。
「それはどういう意味?」
低く問う声が上から聞こえる。その声は、硬い。
「どういう、いみ……」
「ああ。一緒のベッドで寝ようと言ったんだよな?」
「……はい」
「『一緒に寝る』ってどういう意味で言ってる?」
「………」
「千紗子を抱いていい、ってことか?」
「っ!!ち、違いますっ!」
反射的に雨宮を振り仰いだ。
射抜くような瞳で千紗子を見下ろす雨宮と目が合った。
千紗子は大きな瞳がこぼれ落ちそうなくらい開いて、動きを止めた。
獰猛な肉食獣の前足に押さえつけられて、大きな爪が体に食い込んで動けない小さな獲物。少しでも目を逸らせば、一瞬でその体を喰いちぎられてしまう。
百獣の王さながらの雨宮の瞳に、千紗子はその場に縫い付けられた。
千紗子は両目を見開いて雨宮を見続ける。
(なんで……)
千紗子はそんな意味で誘ったわけではない。
敏い雨宮がそれを分からないはずがないのに……
雨宮はまるで自分自身のことなんかどうでもいいみたいに扱っている。食事も睡眠も。
千紗子はどうしてもそのことが気になってしまうのだ。
睡眠に関しては圧倒的に千紗子のせいなのだけれど、どうせお互いが寝る場所を譲り合ってしまうくらいなら、一緒のベッドで譲り合えばいいのでは、と思っただけなのだ。幸い雨宮のベッドはダブルサイズで、二人がくっつかなくても充分眠れるはずなのだから。
(く、くやしい……)
迷惑を掛けているのは確かに自分なのだけど、こんな風に勘違いされた上に蹂躙されるのは我慢がならない。
千紗子はお腹の底から沸々と何かが湧き出るのを感じた。
「うそ、だったんですか…?」
絞り出した声が震えている。
一言ずつハッキリと発した千紗子の声は、小さいながらも雨宮の耳にきちんと届いた。
雨宮が眉間に皺を寄せて、目を細める。
「私の好きにしていい、って。嫌なら触れない、って、言ったのに………」
言いながらじわじわと瞼が熱くなっていく。
「私は雨宮さんがここで寝るのが嫌なんです。触れない、て言ってくれたのを信じてるから、同じベッドでも寝ればいいかも、て………」
熱くなった瞳からポロポロと滴がこぼれ落ちていく。
「千紗子………」
雨宮の声からは、さっきまでの険が取れて、逆に弱ったふうに聞こえる。
「ううっ、ひっく…」
しゃくり上げて泣き出した千紗子の肩に、雨宮の手が触れる。
その手は壊れ物を扱うように、そっと、おそるおそる千紗子を抱き寄せた。
千紗子が嫌がらないのを確認した雨宮は、少しだけ両腕に力を込めた。
「ごめん、千紗子」
胸の中でグズグズと泣いている千紗子に、雨宮が謝る。
「千紗子の良心を疑って悪かった」
雨宮の声がいつもの柔らかなバリトンボイスに戻っていて、千紗子は次第に落ち着いてきた。
「俺が一緒のベッドで寝ても、千紗子は大丈夫なのか?」
雨宮にそう聞かれて、千紗子は頷く。
大丈夫かそうでないか、と聞かれると、本当は大丈夫じゃない。
雨宮と一緒のベッドでなんて眠ることができるのか、と聞かれたら、千紗子の答えは『NO』だ。
けれど、彼一人を硬い床の上に寝かせるくらいなら、眠れなくてもいい、と千紗子は決めたのだ。
「分かった。じゃあお言葉に甘えよう」
千紗子を抱き寄せていた腕を解くと、雨宮は彼女の手を引いて寝室に移動した。
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