Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか

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5・オンとオフ

「上司」のオフ

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 「…こ、…さこ、…千紗子」

 自分を呼ぶ声がする。
 千紗子は閉じていた瞼をそっと持ち上げた。

 「千紗子、こんなところで寝ていたらまた熱が出るぞ」

 「きゃっ!」

 目を開けた途端、端整な顔が視界いっぱいに飛び込んできて、千紗子は短い悲鳴をあげた。

 千紗子は入浴後、雨宮の帰宅を待ちながらソファーで本を読んでいたはずだ。
 けれど、疲れた体にソファーの柔らかさが心地良くて、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。

 肘掛けにもたれていた体を起こすと、千紗子の体からブランケットがずり落ちた。

 「これ………」

 掛けた覚えのないブランケットを持って雨宮を見上げると、スーツ姿の彼がブランケットを千紗子の膝の上に戻した。

 「風呂に入ったんなら温かくしていないと。体が冷えてる」

 「あ、ありがとうございます………」

 「先に寝てて良かったのに。好きに過ごしてて良いって言ったろ?」

 「えっと、はい…。読みたい本も有ったので」

 いつのまにかソファーの下に落ちている文庫本を拾い上げる。

 「雨宮さん、夕飯は食べましたか?」

 「いや、まだだ」

 「じゃあ準備しておきますので、先にお風呂どうぞ」

 「いいのか?」

 雨宮が目を丸くする。

 「はい、食事を準備するって、昨日言いましたよね?あ、別に強制ではありませんよ。食べるか食べないかは雨宮さんの自由なので、気にしないでください」

 食事の用意は、あくまでお礼の一環だ。だから無理に食べなくてもいいと、いう意図で千紗子はそう言った。

 「千紗子が用意してくれた食事を、食べないわけないだろ?楽しみにしてる」

 満面の笑みでそう言われると、千紗子はどうしていいか分からなくなる。
 ただでさえ、今は『上司の姿』をした雨宮なのだ。それなのに、オフの時の態度で接してくる彼に、千紗子だけがいつまでもオンオフを切り替えられずに、あたふたしてしまうのだった。


 雨宮が風呂に行くと、千紗子は食卓の準備に取り掛かった。

 肉じゃがと味噌汁の鍋をそれぞれ火に掛け温め直す。既に小鉢に盛り付けて冷蔵庫に入れておいたほうれん草の胡麻和えは、テーブルに運ぶだけだ。
 箸とグラスをそれぞれに並べると、あっという間に夕餉の支度が整った。

 「おっ、美味そうだな」

 ちょうど風呂から戻ってきた雨宮が、タオルで頭を拭きながらダイニングテーブルの上を見て言った。
 まだ濡れたままの黒髪が艶々と光って、色っぽい。
 さっきまで『職場仕様』の姿だったのに、すっかりラフな『家モード』になっている。その証拠に、彼の眼鏡がブラウンの太フレームのものに変わっていた。

 食卓準備の最後に、千紗子がトレーにご飯と味噌汁をそれぞれ二つずつ乗せてダイニングテーブルに運ぶと、雨宮が少しだけ動きを止めた。

 「あれ、千紗子もまだ食べてなかったのか?」

 「………はい」

 時刻はもう九時半を回ろうとしている。夕食にしては遅い時間だ。雨宮は、千紗子は既に食事を済ませているのだとばかり思っていた。

 「先に食べてて良かったんだぞ」

 申し訳なさそうな雨宮の表情を浮かべる雨宮に、千紗子はもごもごと言い訳を連ねる。

 「えっと、先にお風呂を頂いてから食べようと思っていたんですが、読みかけの本を手に取ったらつい時間を忘れてしまって……気付いたら寝てたんです」

 半分本当だが、半分は嘘だ。
 本当は、雨宮と一緒に食べようと待っているうちに寝てしまったのだから。

 「ありがとう」

 雨宮が柔らかく微笑む。
 その嬉しげな表情に、千紗子はホッと肩を降ろした。

 「せっかくだから、冷めないうちにいただこう」

 「はい」

 二人で手を合わせて「いただきます」と挨拶をしてから、箸を付けた。
 雨宮の手元のグラスにはビールが、千紗子のグラスにはお茶が入っている。

 「うん、美味い!」

 肉じゃがを大きく一口頬張った雨宮が、声を上げる。

 「良かったです…お口に合ったみたいで」

 「すごく美味しいよ、千紗子」

 次々と料理を口に運ぶ雨宮に、千紗子は目を奪われる。
 箸の進み方は早いけれど、雨宮の食べ方はとても綺麗だ。姿勢もいいし、マナーも完璧なので、ガツガツした感じは少しもない。
 美しいのに気持ち良いくらいの食べっぷりに、千紗子はしばらくく釘づけになっていた。

 「千紗子は食べないのか?」

 「え?あ、はい、食べます」

 千紗子が自分用によそった料理はどれもごくわずかだ。
 普段は食が細いわけではないけれど、あんなことがあってから、千紗子の食欲はすっかり落ちていて、食べ物を美味しいとあまり思えないのだ。
 昼もロッカーに常備してあるカロリー補助食品を食べただけだった。

 「思っていた通り、千紗子は料理が上手だな」

 「そんなことはありません…でも、『思っていた通り』って?」

 「いつも手作りの弁当を持ってきていただろう?休憩室で食べているのが見えた時なんかに、美味しそうだと思っていたんだ。ずっと千紗子の作った弁当を食べてみたいと思っていたから、思いがけず千紗子の手料理が食べれて、本当に幸せだ」

 ほくほくとした顔で、また肉じゃがを口に入れる雨宮に、千紗子は衝動的に口から言葉が衝いて出た。

 「あのっ、もし良かったらお弁当も作りましょうか?」

 「え?」

 「や、その、えっと…迷惑じゃなければ、ここに居る間だけ………」

 千紗子は尻すぼみにそう言いながら、テーブルの上に視線をさまよわせる。
 
 (余計なことを言ってしまったかも……)

 何も言わない雨宮に、千紗子は焦りを感じた。
 やっぱりさっきの提案は取り下げようと、もう一度口を開く。と同時に正面から声がした。

 「いいのか?」

 「え?」

 「本当に?俺の弁当を作ってくれるのか?」

 「は、はい…私の分を作るついでで良ければ………」

 そう千紗子が口にした途端、雨宮の雰囲気がぱ~っと明るくなった。キラキラと輝く笑顔が眩しすぎる。

 「嬉しいよ。楽しみにしてるな、千紗子」

 「えっと、大したものでないんですが、それでもいいですか?」

 「もちろんだ。千紗子の手作り弁当が食べられるなら、明日は一日どんな嫌な仕事でもこなせそうだな」

 雨宮の大げさな言い方に、千紗子は明日の弁当作りに内心気合を入れた。

 そのあと夕飯を食べながら、千紗子は雨宮の食の好みを聞いてみることにした。
 三日間だけとはいえ、三食準備するに当たって、アレルギーや好き嫌いは把握しておきたい。
 
 千紗子の質問に、雨宮はアレルギーも好き嫌いもない、と答えた。
 雨宮が『食に頓着しない』というのは本当のようで、『嫌い』もない代わりに特別『好き』もないらしい。
 けれど、千紗子の作ったものを嬉しそうに食べている姿から、食べること自体が嫌いなわけではないのだと、千紗子は感じていた。

 (雨宮さんは単に、『食事に手間をかける煩わしさ』が嫌なのかもしれないわね)

 そう推測すると、千紗子は自分が彼の家にいる間だけでも、その『煩わしさ』から彼を助けたい、と思うのだった。
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