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3・裏切りと告白
甘いのはココア?それとも――――
しおりを挟む雨宮の後からリビングに入ると、一番に目に飛び込んできたのは大きな窓だ。ブラインドが上げられていて、バルコニーの向こうから柔らかな陽射しが降りそそいでいる。
昨夜の千紗子は、周りのことを見る余裕なんて欠片も持っていなかった。だからこの部屋が何階なのかすら分からない。けれど、窓の向こう側の景色はおそらく10階以上のもの。
駅の周りの商業施設の屋根が少し手前に見えて、その向こうには大きな河が流れている。遠くには緑や茶色の交じり合った山の色が美しい。
「ここに座って」
じっと立ったまま、目の前の景色に圧倒されていた千紗子をソファーの前にそっと誘導した雨宮は、言われた通りに千紗子が座るのを見届けてから、キッチンの方へと歩いて行った。
ぼんやりとそれを眺めながら千紗子は考える。
昨夜はおそらくリビングには入らなかった。
タクシーを降りた後は雨宮に抱えられてエレベーターに乗り、彼の部屋までやってきた。そして玄関からはベッドルームに直行した―――はずだ。
ずっと瞳を硬く閉じていた千紗子は、そのことを確認したわけではないけれど、雨宮の動く気配や物音でなんとなくそう確信している。
所在なくソファーに腰かけた千紗子は、頭をゆっくりと動かして部屋の中を見渡した。
LDKになっている部屋はシンプルで余計なものはない。
今千紗子が座っているソファーは、無垢材フレームにネイビーのソファカバーで、高級感のあるがシックで落ち着いた雰囲気。優しく沈む感触に、うっかり身も心も委ねてしまいたくなる。
ソファーとテレビの間には、ガラス板のソファーテーブル。足元は茶色いラグが敷かれていて、リビングコーナーとして統一感を出している。
全体的にシックな雰囲気の部屋だけれど、無機質な感じがしないのは、大きな窓の側に置かれた観葉植物のお陰だろう。
ソファーの背の向こうはダイニングテーブルが置いてあるのが、座る前にチラリと見えたけれど、流石に振り返ってまで他人の家をじろじろ見るのは憚られた千紗子は、あとは大人しく窓の外を見ていることにした。
「観察は済んだのか?」
窓の外をぼんやりと眺めていたところに声を掛けられて、千紗子はハッとそちらを振り仰いだ。
「気になるなら、あとで他の所も見てきていいぞ」
両手に湯気の立つマグカップを持った雨宮は、そう言うと、千紗子の前に持っていたカップを置いた。
「でも今はとりあえずこれを飲んで」
彼の置いたカップの中を覗き込むと、茶色くてとろりとした液体が湯気を上げている。
キョロキョロしていたところを見られていたのが気恥ずかしくて、彼の方を向かずにカップを手に取る。カップを手に取って口を近付けると、甘いココアの香りがふんわりと鼻から入って来た。
「いただきます………」
カップの中に息を吹きかけて、火傷に気を付けながら淹れたてのココアを一口すする。
ココアの甘さと温かさが、千紗子の体の中にポトリと落ちた。
「おいしい………」
体の中に熱が入ってホッと力が抜ける感覚に、千紗子は思わず呟いた。
「良かった」
安堵したような声色が聞こえた千紗子がそちらを向くと、いつのまにか隣に座っていた雨宮と視線がぶつかった。
千紗子は雨宮から視線を外すことが出来なかった。
ブラウンのフレームの向こうから、黒い瞳が千紗子をじっと見下ろしている。
濡れたようにきらめく瞳に見つめられるだけで、千紗子の体から力が抜けそうになる。
(なんで………?なんでそんな目で私のことを見るの!?)
いつも丁寧な指導する上司の姿は今はない。
彼の目は部下に向けるものではないことくらい、今の千紗子でも分かってしまう。
それくらい、とろけそうなほど甘い瞳で見下ろされているのだ。
視線だけで人を釘付けにしてしまうのは、雨宮だから成せる業なのかもしれない。
老若男女から好まれる端整な顔。仕事の時はサイドに流してある髪が、今は無造作に下されているせいか、いつもの何倍もの色気に溢れていた。
そんな雨宮に、近距離で甘く見つめられたら、千紗子でなくても逃げ出すことは出来ないだろう。
まして千紗子には昨夜の記憶があるのだ。今の状態は、虎の前の仔猫のようなものだ。
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