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【番外編】男の矜持(プライド)と斜め上の彼女***
男の矜持と斜め上の彼女(3)
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***
食後の片付けの最中、水切り籠と食器棚を往復しながらふとあることを思い出した。
「そういえば、あのクレーム処理のビール配達。ドライバーを代わってくれた人が誰か、静川から聞いているか?」
「え……? 特になにも聞いてませんよぉ」
「CMO」
「へ?」
「代わってくれたのは当麻聡臣CMOだ」
彼女の手から泡のついたスポンジがポロリとシンクに落下した。
「え、え、え……? そ、それってぇ王子にドライバーやらせはったってことですかぁ、あきとさん!」
「『やらせた』なんて人聞きが悪いな。本人が是非にと買って出てくださったんだ」
「王子ってことはぁTohmaの後継者ですよぉ!? 未来のTohmaトップに運転手やなんてぇ……」
信じられないとつぶやく希々花。
俺だって信じられないが、運転手の代役を申し出たのは、正真正銘CMO本人なのだ。
あの日、客先に届けるビールを急ぎトランクに積み込んだ俺のところに、突然彼はやって来た。
『私が客先まで彼女を連れて行きましょう』
彼が斜め後ろに目配せをして初めて、彼の後ろに静川がいることに気が付いた。
CMOに運転手なんて頼めるわけない。すぐに断ろうとしたのだけれど――。
CMOの後ろから数歩前に歩み出て、彼の横に並んだ静川が俺を真っすぐに見て言った。
『結城課長、ずっと森ちゃんのこと気にされていますよね? 心配なんじゃないですか?』
『いや……それはそうだが、仕事が』
『気になるのなら行ってあげてください。きっと森ちゃんも待っていると思います』
静川の言葉に『いや、でも』と煮え切らないでいると、艶のある声が間に入ってきた。
『優先すべき事柄とタイミングを見誤ってはいけませんよ、結城課長』
希々花は部下だが、頭痛への見舞いは上司の範疇を超えている。やはり公私混同するわけにはいかないと断ろうとしたとき。
『では言い方を変えましょう。彼女の運転手役を代わっていただきたい』
『え?』
『その役目を私に譲っていだだきたいとお願いしているのですよ、結城課長』
これはもしかして、目の前の上等な三つ揃えを着こなしたこの御曹司は、『静のドライバーをしたい』と駄々をこねているのだろうか。
いやいやいやいや……、そんなことをTohmaの後継者たる彼がするはずがない。品行方正で有能。将来有望な御曹司だと、社内外共に有名なのだ。
頭の中に浮かんだことを速攻で打ち消そうとしたとき、CMOが耳の横に顔を寄せてきた。
同性でも思わず見惚れるほど整った端正な顔が、これまでになく近くにあることに思わず息を止める。
『僕も公私混同はしませんよ、吉野のこと以外はね』
俺にだけ聞こえる声で囁いた後、体勢を元に戻して浮かべた優雅な笑み。
その目が怖いくらい笑っていなくて、背筋がぞっとした。
真に「腹黒い」とは彼のような人のことを言うのではないだろうか。
「そうなんですかぁ……王子もええとこありますねぇ」
スポンジを取り直した希々花が、感心したように言う。彼女には『たまたまCMOの手が余っていたらしい』としか言っていない。
あれは“助言”のように見えて、実は“牽制”だったのだと後になって気がついた。
『たとえ仕事でも、あなたの助手席に彼女を乗せるのは我慢ならない』と。
以前彼に、静川のことを『大学の先輩後輩で今も仲が良い』と話したことがある。その時に俺の気持ちに気付かれていたというのならうなずける。
素直に社用車の鍵を差し出さなければ、本気で僻地に飛ばされそうな予感すらした。
実は新年度の職場残留は内々で決定しているのだ。それは直々にかのCMOから打診されたことでもある。
静川は彼の仕事を手伝うことになるらしく、早晩この職場から出て行くことになる。
さすがに主任と課長が同時に変わるわけにはいかないからと、今年度は残ってもらえないだろうかと言われたのだ。『後々のこともきちんと考慮していますので』と言い添えられて。
そう言うわけだから黒田(ボンボン)部長に『そろそろ転勤では』と言われた時、内心では『その予定は当分ない』と思っていたのだった。
「でも案外ぃ、静さんとドライブしたかっただけかもしれませぇん」
意外と的を射た発言に内心では感心しつつも、「まさか」と笑っておいた。
食後の片付けの最中、水切り籠と食器棚を往復しながらふとあることを思い出した。
「そういえば、あのクレーム処理のビール配達。ドライバーを代わってくれた人が誰か、静川から聞いているか?」
「え……? 特になにも聞いてませんよぉ」
「CMO」
「へ?」
「代わってくれたのは当麻聡臣CMOだ」
彼女の手から泡のついたスポンジがポロリとシンクに落下した。
「え、え、え……? そ、それってぇ王子にドライバーやらせはったってことですかぁ、あきとさん!」
「『やらせた』なんて人聞きが悪いな。本人が是非にと買って出てくださったんだ」
「王子ってことはぁTohmaの後継者ですよぉ!? 未来のTohmaトップに運転手やなんてぇ……」
信じられないとつぶやく希々花。
俺だって信じられないが、運転手の代役を申し出たのは、正真正銘CMO本人なのだ。
あの日、客先に届けるビールを急ぎトランクに積み込んだ俺のところに、突然彼はやって来た。
『私が客先まで彼女を連れて行きましょう』
彼が斜め後ろに目配せをして初めて、彼の後ろに静川がいることに気が付いた。
CMOに運転手なんて頼めるわけない。すぐに断ろうとしたのだけれど――。
CMOの後ろから数歩前に歩み出て、彼の横に並んだ静川が俺を真っすぐに見て言った。
『結城課長、ずっと森ちゃんのこと気にされていますよね? 心配なんじゃないですか?』
『いや……それはそうだが、仕事が』
『気になるのなら行ってあげてください。きっと森ちゃんも待っていると思います』
静川の言葉に『いや、でも』と煮え切らないでいると、艶のある声が間に入ってきた。
『優先すべき事柄とタイミングを見誤ってはいけませんよ、結城課長』
希々花は部下だが、頭痛への見舞いは上司の範疇を超えている。やはり公私混同するわけにはいかないと断ろうとしたとき。
『では言い方を変えましょう。彼女の運転手役を代わっていただきたい』
『え?』
『その役目を私に譲っていだだきたいとお願いしているのですよ、結城課長』
これはもしかして、目の前の上等な三つ揃えを着こなしたこの御曹司は、『静のドライバーをしたい』と駄々をこねているのだろうか。
いやいやいやいや……、そんなことをTohmaの後継者たる彼がするはずがない。品行方正で有能。将来有望な御曹司だと、社内外共に有名なのだ。
頭の中に浮かんだことを速攻で打ち消そうとしたとき、CMOが耳の横に顔を寄せてきた。
同性でも思わず見惚れるほど整った端正な顔が、これまでになく近くにあることに思わず息を止める。
『僕も公私混同はしませんよ、吉野のこと以外はね』
俺にだけ聞こえる声で囁いた後、体勢を元に戻して浮かべた優雅な笑み。
その目が怖いくらい笑っていなくて、背筋がぞっとした。
真に「腹黒い」とは彼のような人のことを言うのではないだろうか。
「そうなんですかぁ……王子もええとこありますねぇ」
スポンジを取り直した希々花が、感心したように言う。彼女には『たまたまCMOの手が余っていたらしい』としか言っていない。
あれは“助言”のように見えて、実は“牽制”だったのだと後になって気がついた。
『たとえ仕事でも、あなたの助手席に彼女を乗せるのは我慢ならない』と。
以前彼に、静川のことを『大学の先輩後輩で今も仲が良い』と話したことがある。その時に俺の気持ちに気付かれていたというのならうなずける。
素直に社用車の鍵を差し出さなければ、本気で僻地に飛ばされそうな予感すらした。
実は新年度の職場残留は内々で決定しているのだ。それは直々にかのCMOから打診されたことでもある。
静川は彼の仕事を手伝うことになるらしく、早晩この職場から出て行くことになる。
さすがに主任と課長が同時に変わるわけにはいかないからと、今年度は残ってもらえないだろうかと言われたのだ。『後々のこともきちんと考慮していますので』と言い添えられて。
そう言うわけだから黒田(ボンボン)部長に『そろそろ転勤では』と言われた時、内心では『その予定は当分ない』と思っていたのだった。
「でも案外ぃ、静さんとドライブしたかっただけかもしれませぇん」
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