【完結】kiss and cry

汐埼ゆたか

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kiss and cry ***

kiss and cry (1)

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「焦った……」

閉じたばかりのドアに背中をもたせかけ、課長はそう言って深い息を吐き出した。

「おまえが帰ったあと、どうしても気になって探したんだ。頭痛がするなら家まで送ろうかと。探してもいないから遅かったかと思ったら、遠くに姿が見えて……慌てて追いかけたら、おまえは後ろから来た車に……息が止まるかと思った」
「えっ! あの時……そうだ、クレームは!?」

今さらながら彼がクレーム処理に行くはずだったことを思い出すと、本人は驚くことを言った。

「運転手は別の人に頼んだ」
「別の人に!?」

それって頭痛がすると言ったあたしのことが心配で、自分の仕事を誰かに肩代わりしてもらったってこと? まさかそんな――。

思わず「うそ……」と呟くと、「嘘じゃない」と言われ、背中と腰に回された腕がギュッと締まった。

「おまえが車に乗ってすぐ、何度も電話したけど繋がらなくて……焦れば焦るほどどうしていいか分からなくなった」
「あっ……」

仕事中はいつもサイレントにしてあるスマホの設定を元に戻すのを忘れていた。

「そうこうしているうちに黒田部長からメールが」

黒田太牙がメールを送ったのはきっとエレベーターの中だ。
あのチャラ坊々ボンボン、あたしの苦情を右から左に流しながら何やらスマホを触っていたし。

慌てて「ごめんなさい」と言おうと顔を上げようとしたら、課長の腕がぎゅっと締まって固い胸に顔を押し付けられる。

彼は縋るようにあたしを抱き締めながら、苦しげに言った。

「手遅れだったらと……おまえが俺以外の誰かを選ぶかもと思ったら、居ても立ってもいられなかった。俺は、いつもおまえにこんな思いをさせてたのか……」

瞬間、ぶわりとまぶたが熱くなった。
喉元からが込み上げてきた熱い塊を、押しのけるようにして声を振り絞る。

「クレームやからって……仕事やからって……そう何度なんべんも考えた! ばってん頭ん中で誰かが言うんよ! 『課長の一番はやっぱ静さんなんたい。あんたは一番にはなれんと』って!」
「希々、」
「だってずっとそうやった! その場所にはいつも静さんがった!」

彼が息を呑む気配がしたけれど、あたしはそれに構わず続けた。

「ばってん、それも仕方しょんなかやん!? あたしは静さんみたくにごと仕事もできんし、仕事よりデートやし。そのくせ一番になられんって傷ついて……そんなそげんわがままな自分が一番いっちゃんかんったい!」

自分でも何を言っているのか分からないくらい支離滅裂な言葉を一気に吐き切って。息を吸い上げたらしゃくり上げるみたいになったけど、坂道を転がるように言葉が飛び出す。

「こげんあたし、課長だってすぐに好きじゃなくすかんごとな……っ」
「不安にさせて悪かった」

あたしをきつく抱きすくめ、耳元で彼が言う。

「俺はこれまで一度だって、仕事より恋愛を選んだことはない。会社で上を目指すことが俺にとって一番重要なことで、誰とどんな付き合いをしようと仕事より相手を優先したことはなかった」

それは知ってる。
この一年、あたしはずっと見てきたのだ。静さんへの想いと同じく、彼の上昇志向も出世欲も。

すると課長は言った。

「昔、静川が当時付き合っていた相手と別れたことを聞いた時もそうだった。関西赴任が決まったばかりだった俺は、遠距離恋愛に注ぐ余力はないと、彼女に手を伸ばすことすらしなかった」

その言葉に驚いて顔を上げると、真上にある彼の顔は口調と同じ。坦々としていて、その瞳の中に後悔や未練は見当たらない。

「おまえは知っているから敢えて言うけど。あいつのことを長いこと引きずっていたのは確かだが、多分それは自分の気持ちを中途半端に放置したせいだと思う。今考えれば、形振なりふり構わず追いかけようとしなかったのは、所詮それくらいの気持ちだったということだな」

半ば声を失いながら「う…そ……」と呟くと、彼はあたしから少しも目を逸らさずに言った。

「そんな俺が仕事を放ってまでそばに行きたいと思ったのは、希々花――おまえだけだ」
「……っ」

心臓がドクンと跳ねた。息を呑んで固まっていると、彼が頬に手を添え眉根を寄せた。

「具合が悪くて家まで無事に帰れるのか。俺じゃなくほかの男のものになってしまったら。そんなことを考えて居ても立ってもいられなくなるなんて……自分でもまだ信じられない」

今度は「うそ」と言う言葉すら出てこなかった。それどころか呼吸すら忘れて彼をただ見つめるだけ。

「そんな俺のせいでおまえにはつらい思いばかりさせてしまって……。ごめんな、そう思わせた俺が全部悪い。だから言いたいことは全部言っていいし、殴ってくれてもかまわない。だけど、自分のことをそんなふうに言わないでくれ」

せつなげに瞳を揺らし、彼は言った。

「おまえは俺にとって“一番”じゃない。“特別”なんだよ、希々花」

その瞬間、あたしの中で何かが弾け飛んだ。
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