62 / 76
最後の賭け
最後の賭け(4)
しおりを挟む「そうかぁ……けっこう難儀しとるんやなぁ、きみ。しかもその彼を連れて帰られへんかったら、実家の料亭を継ぐことになるん?」
「そうなんですぅぅっ! そうなったらぁのんの人生詰みですわぁ」
口から「あはは」と乾いた笑いが漏れた。
そんなん一周回って笑えるわ。恋も人生も、すべての“賭け”に惨敗やなんて。
思わずカウンターに突っ伏した――のだけど、聞こえたセリフに弾かれるように顔を上げた。
「それなら僕にせぇへん?」
「はっ 」
「今日バッタリ会うたんは偶然やない。きっと運命や」
「はっ⁉」
こんチャラ坊々がっ!
お生憎さま。こちとら、そげん使い回しのセリフでコロッと行くような安か女じゃなかたい!
仕事相手だということをすっかり忘れて思い切り睨んだのに、彼はまったく気にも留めずあたしに言った。
「僕らピッタリやと思わへん?」
「はぁ……」
「僕、自分で言うのもなんやけど、それなりの家の息子やろ? ゆくゆくは会社の運営にかかわるポジションに就く。てことは、僕と結婚したら女将にならんで済むんとちゃう、希々花ちゃん?」
なんて売り込み上手な……さすが営業部長。
何を言っても言葉巧みに“ボンボン”を売りつけられそうで、あたしは敢えて何も言わずグラスに口をつける。
相槌ひとつ打たないあたしに気を悪くすることなく、彼は言った。
「それにきみもピッタリやわ」
「何が」と視線だけ向ける。
「僕の奥さん」
「ぶっ、」
うっかりビールを噴きかけた。思い切り睨みつけながら横を向くと、人好きのする笑顔。
「冗談ちゃうで? 最初に会うた時から可愛いな思うとったし。もちろん見た目だけやなくて、物怖じせんとことか、見てないようで結構しっかり見てるとことか」
意外。
チャラ坊がそんなふうにあたしのことを思っていたなんて。
この男、ただの御曹司ではないのかも。
言われ慣れない賛辞に戸惑いつつも、決して悪い気はしない。
不本意だけどこの男、会話がひどく巧み。口説かれるのは迷惑なのに、なぜか怒りを削がれてしまう。
その隙を逃さないとばかり、敏腕営業マンは畳みかけてきた。
「君みたいな子に奥さんになってもろうたら、僕も会社も安泰や。社長夫人は無理やけど、専務夫人は保証するで?自分を一番にしてくれへんようなヤツのことはもう忘れて、自分が幸せになれるほうに目を向けたらどうやろ?」
「自分が幸せになれる……」
「そうや。よく言うやろ? 恋でできた傷を癒すには新しい恋やって」
「新しい恋……」
その単語が頭の奥に引っかかって、あたしは口を閉じた。
「希々花ちゃん――僕と“賭け”をしよ」
突然そう言い出した黒田太牙は、あたしが黙っているのをいいことに、矢継ぎ早に言葉を繋げる。
「タイムリミットまでに彼が迎えに来たらきみの勝ち。来ぉへんかったり間に合わへんかったら僕の勝ちや。タイムリミットは……そうやな、ここを出るまでにしとこか」
なにを勝手に、と口を挟もうとしたところで、聞こえた言葉に耳を疑った。
「あ、ちなみに君と僕が一緒やってこと、結城課長にちゃんと連絡しといたさかい安心してな」
「はっ、なんで!?」」
「なんでって。賭けの対象やからに決まっとるやんか。彼やろ? 君の想い人」
「えっ! いったい、いつから知って……」
「そんなん最初に会うた時のきみの顔見たらすぐに分かったわ」
ぐぅっと喉が鳴った。
昨日あの一瞬であたしの気持ちがバレてたとは。なんたる不覚。
苦虫を嚙み潰したみたいな顔になったあたしを見て、黒田太牙はそれまで浮かべていた笑顔をふっと消した。
「僕が“賭け”に勝ったら、僕と付き合うてほしい」
今までとは打って変わった真剣な表情に、心臓がドキッと音を立てた。
これまでの軽快なトークの中に織り交ぜた口説き文句じゃない。真っ向から向けられる熱を孕んだ瞳に、胸の内がざわざわと落ち着かなくなる。
「あたし帰る」
こんなバカバカしい賭けになんて付き合っていられない。
そもそも課長は今、静さんと客先に向かっている頃。
仮に黒田太牙からのメールに気付いたとしても、ここに来ることなんて出来っこないのだ。
飲みかけのグラスをそのままに、スツールから立ち上がる。
すると「待って」と伸びてきた手に腕を掴まれた。
「離して」
「今帰ったらきみの負け。僕との『結婚を前提とした交際』を認めるっちゅうことやねんで、希々花ちゃん」
「なっ! あたしはそんな賭けなんて、」
「その代わり、負けたらきみのことはスパッと諦める。正直に言うとな、僕も困っとるんよ。縁談はあちこちから持ち込まれるし、実の兄からは耳にタコができるほど見合い結婚の惚気話を聞かされるわで」
そんなん知らんばい!
「だからきみの話を聞いて『これは運命や』と思った。こんなに境遇が似た者もおらん。僕ときみ、一緒になるんがお互いが幸せになれる近道やろ」
そう言うと、いきなり腕を強く引かれる。体が傾いて「わっ」と声を上げた次の瞬間には、あたしは黒田太牙に抱きしめられていた。
「ちょっ…! 離してっ!」
いくら藻掻いてみても、全然腕がゆるまない。
スツールに座ったままの黒田太牙は、腕だけでなく、両脚でもあたしを挟み込んで動きを封じている。こっちは立っているというのに全然ビクともしない。
こんな時に限ってバーテンダーはどっかに行っちゃってるし、ほかの客も全然通らない。
こいつ、一発殴ってやろうか。
うっかり取引先の相手だということを忘れ、こぶしを握り締めた時。
「あんなしんどそうな顔させるやなんて、同じ男としてどうかと思うわ。稼ぎのいい男なら僕だって負けとらん。結婚すればできる限り贅沢させたるし、実家の料亭のこともなんとかしたる。やから、自分こと一番にしてくれへんようなろくでなしは忘れて、僕と――」
「課長はろくでなしじゃなかっ!」
そう叫びながら目の前の体を両手でめいっぱい突き離した。
体が離れた反動でよろめいた足に力を込め、目の前の相手を睨めつけながら口を開く。
「あんたみたいなチャラ坊々に何が分っとね! あん人は、ヘタレで腹黒でニブチンの片想い拗らせ男やけど、人の気持ちが分らんようなろくでなしやなか! よう知らんとそげんこと言わんどって! 」
相当の剣幕で言ったにもかかわらず、黒田太牙は怒るどころか「くくっ」と笑う。
こっちが真剣に言っているのにバカにされたのだとカチンときたあたしは、さっきよりもさらに声を張り上げた。
「あたしはエリートやから彼を好きになったんじゃなかとっ! たとえ離島に左遷されて貧乏になってもあたしの気持ちは変わったりせんし、この先何があってもあたしが好きなんはずっと彼だけたい……新しい恋なんかいらんっ!」
言い終わってあたしが肩で息をついていると。
「ああ、噂をすれば影っちゅうヤツやな」
そう呟いた黒田太牙の視線が、あたしを通り越した向こう側に。
「ヘタレヒーローのお出ましや」
あたしは弾かれるように振り返った。
0
お気に入りに追加
104
あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。

お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。


甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。


【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる