【完結】kiss and cry

汐埼ゆたか

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最後の賭け

最後の賭け(2)

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***

【トーマビール関西うち工場】の見学ツアー会場には、小さな売店がある。

ツアーに参加されたお客様がお土産や記念品を購入するためのものなので、来客数はそこまで多くないけれど、ツアー終了後はいつも賑わっている。
あたしが以前発注ミスをしたウィスキーボンボンもここで売っているものだ。

その売店で人気を集めているのが、『出来たてビール』という商品。
見学に来られたお客様が、うちの工場で出来たばかりの缶ビールをご購入することができる、というもの。

缶でも出来立ては鮮度が高く風味も味も良い。二十四缶ひとケースから配送もするので、ご自宅用だけでなくご贈答としてひそかに人気のある商品なのだ。

その『出来たてビール』をご購入いただいたお客様が、『到着指定日になったのにまだ届かないがどうなっているのか』――という問い合わせが発端だったそう。

聞けばどうやらそのお客様は、明日そのビールをご入用いりようで(町内会に使うらしい)、今日中に手元に届かないと困るのだとか。

急いで調べたところ、配送伝票の日付指定は『明日』。

そのことを売店担当のパートさんが電話口で説明したそうだけれど、それがかえってお客様の怒りに油を注いでしまったみたい。

『今日の日付でお願いしました!そちらのミスをこっちのせいにしはるんですかぁ!?』とお客様はかなりご立腹されたという。

結局パートさんの手には負えないクレーム案件となり、主任の指示を仰ごうと事務所に電話が回ってきたのだ。

パートのフォローは社員であるあたしたちの役目。特にこういうクレーム案件のリカバリーは主任である静さんの仕事だ。

そういうわけで、静さんが直接お客様のところに商品をお届けすることとなった。

幸いなことにお客様のご自宅はそんなに遠い場所じゃない。電車を使っても一時間かからずに行くことができる場所のようだけれど、さすがに二十四缶入りをふた箱も一人で抱えて電車に乗るのは難しい。

(これはぁ、のん・・も一緒に行った方がええやつですよねぇ……)

それを口にしようとした直前、頭をよぎった “今夜の約束デート
あたしは思わず口を閉じてしまった。

でもやっぱり――そう思った時。

「俺が車を出そう」

聞こえた声に振り向くと、上着を羽織りながら課長がやってきた。

「その方が早く行けるだろう」

静さんがうなずくと、今度はあたしに視線を移した。

「森」

ドクンと心臓が大きく波打つ音。

あたしは何を言われるのか悟った。
彼の口が開きかけたのが見えた瞬間、あたしは咄嗟に言っていた。

「あのっ、なんやちょっと頭痛がぁ! そぉいうわけでぇ、今日はもう上がらせていただきまぁすぅっ!」
「頭痛……大丈夫なのか?」
「大丈夫ですぅっ」

あたしはそれだけ返すと、脱兎のごとく事務所を後にした。


勢いのままに更衣室で制服を脱ぎ工場を出て、駅までの道のりを全速力で歩く。
追ってくるわけないと分かっているのに、少しでも早く、少しでも遠く、あの場から遠ざかりたかった。

『頭痛がする』なんてバレバレのウソをついてまであの場から逃げ出したのは、彼の口から『今夜はキャンセルだ』と聞きたくなかったせい。

喜び浮かれた直後のそれは、打撃ダメージが大きすぎる。

だけどそれだけじゃない。
もう見たくなかったのだ。彼が彼女のために・・・・・・あたしに背を向けるところを――。

誰が悪いわけじゃない。
クレームなんだから仕方ない。
部下のフォローは上司の役目。
デートなんてしている場合じゃない。

頭の中で必死に言葉を並べてみるのに、“あの場面”が頭から出て行ってくれない。

一本の電話であたしに背を向けた彼の後ろ姿。
一人取り残されたベッドからみるみる消えていく温もり。

あの時ドアの向こうに消えていった彼の背中を、今でも鮮明に思い出せる。

今日はタイミングが悪かっただけ。
あたしより静さんを選んだわけじゃない。

だけど――。

馬鹿バッカやなかろうか……」

そんなふうに考えている時点で、あたしはそれを確信しているんだ。

どんなにあたしのことを『好き』だと言ってくれても、それは“二番目”。
やっぱり彼の“一番”は、静さんなんだ。

「“二番手以下セフレ”から昇格できたけんよかろうもん・・・・・・

口に出した途端、目の縁に留まっていたしずくがぽたぽたとこぼれ落ちた。

化粧が落ちることも気にせず、手の甲で乱雑に目元を拭う。
いつの間にか止まっていた足を踏み出そうとした時、背後から軽いクラクション音。
振り返ったと同時に、白い車があたしの横に停車した。


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