【完結】kiss and cry

汐埼ゆたか

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交換条件の行方

交換条件の行方(3)

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***

「おまたせ」

そう言った課長は、あたしの前にコトンとマグカップを置いた。シンプルな白いカップからは、湯気と一緒に特有の香りが立ちのぼる。

「ありがとうございますぅ……」

あたしがそう言うと、彼はあたしの斜め前の床、グレーのラグの上に腰をおろした。

ソファーの上から見下ろすような形で視界に入る彼に、目を向けることが出来ない。
視界の端で感じる視線から逃れるように目の前のカップに手を伸ばすと――。

「本当に良かったのか?」
「え?」
「コーヒー。ミルクは切らしているが、牛乳と砂糖はあるんだぞ?」
「このままで大丈夫ですぅ……」

なんだ、コーヒーのことか。
てっきり『話し合いの場所』のことかと思っちゃった。

あたしが甘いコーヒーを飲むのは、残業かデートの時だけ。
こんな・・・意味不明な話し合いの時にまで、あんな甘ったるいもの飲まなくても結構。あたし、コーヒーはブラック派なんですぅ。

あたしがカップに口をつけると、彼は「そうか……」と呟いて自分のカップに手を伸ばした。


黒田製菓を出たあたしが連れて来られたのは、まさかの“課長の自宅”だった。

『黒田製菓に連れていく代わりに、俺の話を聞いて欲しい』

彼が出したその“交換条件”を呑んだおかげで、あたしは無事に阿部さんの定年退職に間に合ったのだ。
だから、今度は彼の要望を呑まなければならないのは致し方ない。

途中で『大事な用事があるのを忘れとりましたぁっ!』とか言って、なんとか逃れられないものかと考えていたのだけれど、彼に先手を打たれた。『約束通り、このあと話をさせてもらうぞ』と。

観念して頷くと、『じっくり落ち着いて話が出来るところに行こう』と彼は言った。


落ち着いて話が出来るところって?居酒屋の個室?
まさかホテルなんてこと――そう思った時。

『うちでいいか?』
『えっ!』
『誓って手を出したりはしない』

あの・・課長が……?
『手を出さない』なんてことある!?

そういう・・・・付き合いだけは長いせいでにわかには信じがたくて、すぐに返事ができずにいると。

『俺はそんなに信用な――いのも当たり前だよな……』
『べっ、別に疑ってるわけや……』

これまで聞いたことのないしょぼくれた声に思わずそう言ったものの、疑ったことはバレバレ。

『いや……身から出た錆だな。――もし万が一、許可なくおまえに触れるようなことがあったら、殴っても蹴ってもいいし、その上で会社にセクハラとして通報してくれていい』
『はぁ?』
『その時は煮るなり焼くなりおまえの好きにしていいから……だから頼む、俺の話を最後まで聞いてくれないか――希々花』
『っ、』

彼の家に行けば、また傷つくことになるかもしれない。
そんな不安に駆られているのに、乞われるように名前を呼ばれただけで『NO』と言えなくなるあたし。
気が付いたら了承してしまっていた。


そんな経緯で再び訪れた彼のマンション。

『誓って手は出さない』と言った通り彼は、“あの夜”あんなに激しくあたしを揺さぶった玄関ではすばやく靴を脱ぎ、すぐ脇のドアを素通りして、廊下のつきあたりにあるドアの向こう側へとあたしを招き入れた。

そうしてあたしは、“あの夜”ついぞ足を踏み入れることのなかった場所――リビングに辿り着いたのだった。

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