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交換条件の行方
交換条件の行方(1)
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予定通り担当ツアーが終わってすぐ、あたしは課長の車で黒田製菓さんへと向かった。
昼休憩返上で注文しておいたお花とお菓子の回収を終えると、あとは狭い車内に二人きり。
あたしはいったい何を話せばいいのか分からず黙っていたら、彼のほうからこれから行く黒田製菓さんの話を色々としてくれた。
黒田製菓さんはもう六十年以上、家族経営で昔ながらのウィスキーボンボンを作り続けているそう。
うちの工場の売店のウィスキーボンボンを置くようになったのは、工場見学ツアーを開始した当初からで、中に入っているウィスキーをトーマグループが卸したのが始まりだと、課長が説明してくれた。
付き合いの長い取引相手なので、色々と融通を利かせてくれるけれど、さすがに百個もの返品を受けてくれるとは流石の課長も思わなかったらしい。
そんな話を助手席で聞いているうちに、あっという間に目的地へと到着。
何か少しくらい『聞いてほしい』と言っていた中身を言われるだろうと身構えていたけれど、結局彼は車の中ではひと言もその話をしなかった。
「わざわざおおきにですわ、森はん。課長はんまで」
退社時刻の三十分前に訪問したにも関わらず、阿部さんは電話口と変わらない朗らかな口調でそう言い、ふくふくとしたお顔をほころばせてあたしたちが用意したお祝いの品を受け取ってくれた。
「せっかくお越しいただいたんやから、次の担当をご紹介しときたかったんですけどねぇ。ちょうど出先からまだ帰っとらんのですわ。まあ、うちのもんはみな、トーマさんのとこのことはよぉ分かっとりますさかい、担当者なんて便宜上みたいなもんですから。困った時に相談する先くらいのつもりでおってくれはったらええですわ」
軽快な口調で阿部さんはそう言うと、自分のデスクの片付けがあるからと戻って行った。このあと社内で退職のご挨拶をしてから、ご帰宅されるという。
せっかくだから最後までお見送りさせていただくことにして、あたしと課長は事務内のパーテーションで区切られた応接コーナーにそのまま留まることにした。
すると阿部さんと入れ替わるようにして、専務さんが顔を出しにきた。あたしたちが来ていることを聞きつけたらしい。
行きがけの車中で、黒田製菓の専務は社長の息子さんだと聞いたばかりだったけれど、課長より少し歳上に見えるから、あたしはその若さに内心で驚いてしまう。
その専務さんが「結城課長、今よろしいですか?」と言って課長をどこか連れて行ってしまった。
その際、課長はあたしに「俺が戻ってくるまで、絶対ここを動くなよ」と念を押すように言い含めた。
(別にそんなん言われんくてもぉ、一人で帰ったりしませぇんっ)
最寄り駅まではかなり距離がある場所みたいだし、住宅街の奥まった場所なのでタクシーも通りそうにない。
行きと同じく帰りも課長の車に乗るしかなさそうなのに、よっぽど目を離したらすぐに逃げ出すとでも思われとるんやろうか。
なんて、散々今逃げ回っていたことを棚に上げて、そんなふうに考えながら、よそ様の会社のすみっこで、借りてきた猫のように大人しくソファーに腰掛けていた。
【黒田製菓】の事務所は思ったよりも広くて、事務机やキャビネットの数のわりにスッキリと広く感じる。
滅多に来ることのない他業種の仕事ぶりが興味深くて、ついつい事務所内をきょろきょろと見回してしていると。
「あれぇ?こんなところに見たことないコぉがおる」
軽い口調の低い声に振り返ると、若い男の人がパーテーションの入り口に立っていた。
「あの、」
相手が誰だか全然分からないけれど、とりあえず自己紹介をしようと立ち上がりかけた時。
「きみ可愛いね。どこのコ?」
「は?」
「あ、もしかして新しく入るっちゅうアルバイトさん?」
「や、あの、あたしはぁ、」
「こんなに可愛いんやし事務じゃもったいないわ。良かったら僕の秘書にならへん?」
「はぁ?」
思わずここがどこだか忘れて“素”で返してしまった。
目の前のチャラ男(即認定)は、話の内容から黒田製菓さんの社員さんなのだと思う。
年はあたしより少し上かな。仕立ての良さそうなスリーピースのジレ姿。上着は脱いで腕にかけている。
ギンガムチェックのシャツに同系色でグレーのペイズリー柄のネクタイを合わせるところからしたらおしゃれ上級者なんやろうけど、ハッキリ言ってチャラさ全開。
正直ドン引き寸前やけど、一応ここは取引先の会社。あまり表立ってイヤな顔も出来ない。
仕方なくあたしはカバンの中から名刺を取り出し、立ち上がりながら口を開いた。
「お世話になりますぅ、トーマビールコミュニケーションズ関西支部、工場見学事業課の森と申しますぅ」
やる気がないので語尾が伸びた。
静さんが聞いとったらぁ絶対怒られるやろなぁ。
だけど目の前のチャラ男は「あっ、ビール工場のアテンダントさんか! どうりで可愛いはずや」と顔をほころばせた。
『可愛い』と連呼されたら、あたしだって悪い気はしない。
目の前の男は、見た目もそんなに悪くない。ドストライクとまではいかないまでも、憎めない感じの整った塩顔。身長も百八十センチ近くありそう。
チャラいのはとりあえず置いておいたとしても、こういういかにも“ボンボン”そうで軽いノリの男性、ここが合コン会場なら間違いなく“いい物件”でロックオンだ。
昼休憩返上で注文しておいたお花とお菓子の回収を終えると、あとは狭い車内に二人きり。
あたしはいったい何を話せばいいのか分からず黙っていたら、彼のほうからこれから行く黒田製菓さんの話を色々としてくれた。
黒田製菓さんはもう六十年以上、家族経営で昔ながらのウィスキーボンボンを作り続けているそう。
うちの工場の売店のウィスキーボンボンを置くようになったのは、工場見学ツアーを開始した当初からで、中に入っているウィスキーをトーマグループが卸したのが始まりだと、課長が説明してくれた。
付き合いの長い取引相手なので、色々と融通を利かせてくれるけれど、さすがに百個もの返品を受けてくれるとは流石の課長も思わなかったらしい。
そんな話を助手席で聞いているうちに、あっという間に目的地へと到着。
何か少しくらい『聞いてほしい』と言っていた中身を言われるだろうと身構えていたけれど、結局彼は車の中ではひと言もその話をしなかった。
「わざわざおおきにですわ、森はん。課長はんまで」
退社時刻の三十分前に訪問したにも関わらず、阿部さんは電話口と変わらない朗らかな口調でそう言い、ふくふくとしたお顔をほころばせてあたしたちが用意したお祝いの品を受け取ってくれた。
「せっかくお越しいただいたんやから、次の担当をご紹介しときたかったんですけどねぇ。ちょうど出先からまだ帰っとらんのですわ。まあ、うちのもんはみな、トーマさんのとこのことはよぉ分かっとりますさかい、担当者なんて便宜上みたいなもんですから。困った時に相談する先くらいのつもりでおってくれはったらええですわ」
軽快な口調で阿部さんはそう言うと、自分のデスクの片付けがあるからと戻って行った。このあと社内で退職のご挨拶をしてから、ご帰宅されるという。
せっかくだから最後までお見送りさせていただくことにして、あたしと課長は事務内のパーテーションで区切られた応接コーナーにそのまま留まることにした。
すると阿部さんと入れ替わるようにして、専務さんが顔を出しにきた。あたしたちが来ていることを聞きつけたらしい。
行きがけの車中で、黒田製菓の専務は社長の息子さんだと聞いたばかりだったけれど、課長より少し歳上に見えるから、あたしはその若さに内心で驚いてしまう。
その専務さんが「結城課長、今よろしいですか?」と言って課長をどこか連れて行ってしまった。
その際、課長はあたしに「俺が戻ってくるまで、絶対ここを動くなよ」と念を押すように言い含めた。
(別にそんなん言われんくてもぉ、一人で帰ったりしませぇんっ)
最寄り駅まではかなり距離がある場所みたいだし、住宅街の奥まった場所なのでタクシーも通りそうにない。
行きと同じく帰りも課長の車に乗るしかなさそうなのに、よっぽど目を離したらすぐに逃げ出すとでも思われとるんやろうか。
なんて、散々今逃げ回っていたことを棚に上げて、そんなふうに考えながら、よそ様の会社のすみっこで、借りてきた猫のように大人しくソファーに腰掛けていた。
【黒田製菓】の事務所は思ったよりも広くて、事務机やキャビネットの数のわりにスッキリと広く感じる。
滅多に来ることのない他業種の仕事ぶりが興味深くて、ついつい事務所内をきょろきょろと見回してしていると。
「あれぇ?こんなところに見たことないコぉがおる」
軽い口調の低い声に振り返ると、若い男の人がパーテーションの入り口に立っていた。
「あの、」
相手が誰だか全然分からないけれど、とりあえず自己紹介をしようと立ち上がりかけた時。
「きみ可愛いね。どこのコ?」
「は?」
「あ、もしかして新しく入るっちゅうアルバイトさん?」
「や、あの、あたしはぁ、」
「こんなに可愛いんやし事務じゃもったいないわ。良かったら僕の秘書にならへん?」
「はぁ?」
思わずここがどこだか忘れて“素”で返してしまった。
目の前のチャラ男(即認定)は、話の内容から黒田製菓さんの社員さんなのだと思う。
年はあたしより少し上かな。仕立ての良さそうなスリーピースのジレ姿。上着は脱いで腕にかけている。
ギンガムチェックのシャツに同系色でグレーのペイズリー柄のネクタイを合わせるところからしたらおしゃれ上級者なんやろうけど、ハッキリ言ってチャラさ全開。
正直ドン引き寸前やけど、一応ここは取引先の会社。あまり表立ってイヤな顔も出来ない。
仕方なくあたしはカバンの中から名刺を取り出し、立ち上がりながら口を開いた。
「お世話になりますぅ、トーマビールコミュニケーションズ関西支部、工場見学事業課の森と申しますぅ」
やる気がないので語尾が伸びた。
静さんが聞いとったらぁ絶対怒られるやろなぁ。
だけど目の前のチャラ男は「あっ、ビール工場のアテンダントさんか! どうりで可愛いはずや」と顔をほころばせた。
『可愛い』と連呼されたら、あたしだって悪い気はしない。
目の前の男は、見た目もそんなに悪くない。ドストライクとまではいかないまでも、憎めない感じの整った塩顔。身長も百八十センチ近くありそう。
チャラいのはとりあえず置いておいたとしても、こういういかにも“ボンボン”そうで軽いノリの男性、ここが合コン会場なら間違いなく“いい物件”でロックオンだ。
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