50 / 76
交換条件の行方
交換条件の行方(1)
しおりを挟む
予定通り担当ツアーが終わってすぐ、あたしは課長の車で黒田製菓さんへと向かった。
昼休憩返上で注文しておいたお花とお菓子の回収を終えると、あとは狭い車内に二人きり。
あたしはいったい何を話せばいいのか分からず黙っていたら、彼のほうからこれから行く黒田製菓さんの話を色々としてくれた。
黒田製菓さんはもう六十年以上、家族経営で昔ながらのウィスキーボンボンを作り続けているそう。
うちの工場の売店のウィスキーボンボンを置くようになったのは、工場見学ツアーを開始した当初からで、中に入っているウィスキーをトーマグループが卸したのが始まりだと、課長が説明してくれた。
付き合いの長い取引相手なので、色々と融通を利かせてくれるけれど、さすがに百個もの返品を受けてくれるとは流石の課長も思わなかったらしい。
そんな話を助手席で聞いているうちに、あっという間に目的地へと到着。
何か少しくらい『聞いてほしい』と言っていた中身を言われるだろうと身構えていたけれど、結局彼は車の中ではひと言もその話をしなかった。
「わざわざおおきにですわ、森はん。課長はんまで」
退社時刻の三十分前に訪問したにも関わらず、阿部さんは電話口と変わらない朗らかな口調でそう言い、ふくふくとしたお顔をほころばせてあたしたちが用意したお祝いの品を受け取ってくれた。
「せっかくお越しいただいたんやから、次の担当をご紹介しときたかったんですけどねぇ。ちょうど出先からまだ帰っとらんのですわ。まあ、うちのもんはみな、トーマさんのとこのことはよぉ分かっとりますさかい、担当者なんて便宜上みたいなもんですから。困った時に相談する先くらいのつもりでおってくれはったらええですわ」
軽快な口調で阿部さんはそう言うと、自分のデスクの片付けがあるからと戻って行った。このあと社内で退職のご挨拶をしてから、ご帰宅されるという。
せっかくだから最後までお見送りさせていただくことにして、あたしと課長は事務内のパーテーションで区切られた応接コーナーにそのまま留まることにした。
すると阿部さんと入れ替わるようにして、専務さんが顔を出しにきた。あたしたちが来ていることを聞きつけたらしい。
行きがけの車中で、黒田製菓の専務は社長の息子さんだと聞いたばかりだったけれど、課長より少し歳上に見えるから、あたしはその若さに内心で驚いてしまう。
その専務さんが「結城課長、今よろしいですか?」と言って課長をどこか連れて行ってしまった。
その際、課長はあたしに「俺が戻ってくるまで、絶対ここを動くなよ」と念を押すように言い含めた。
(別にそんなん言われんくてもぉ、一人で帰ったりしませぇんっ)
最寄り駅まではかなり距離がある場所みたいだし、住宅街の奥まった場所なのでタクシーも通りそうにない。
行きと同じく帰りも課長の車に乗るしかなさそうなのに、よっぽど目を離したらすぐに逃げ出すとでも思われとるんやろうか。
なんて、散々今逃げ回っていたことを棚に上げて、そんなふうに考えながら、よそ様の会社のすみっこで、借りてきた猫のように大人しくソファーに腰掛けていた。
【黒田製菓】の事務所は思ったよりも広くて、事務机やキャビネットの数のわりにスッキリと広く感じる。
滅多に来ることのない他業種の仕事ぶりが興味深くて、ついつい事務所内をきょろきょろと見回してしていると。
「あれぇ?こんなところに見たことないコぉがおる」
軽い口調の低い声に振り返ると、若い男の人がパーテーションの入り口に立っていた。
「あの、」
相手が誰だか全然分からないけれど、とりあえず自己紹介をしようと立ち上がりかけた時。
「きみ可愛いね。どこのコ?」
「は?」
「あ、もしかして新しく入るっちゅうアルバイトさん?」
「や、あの、あたしはぁ、」
「こんなに可愛いんやし事務じゃもったいないわ。良かったら僕の秘書にならへん?」
「はぁ?」
思わずここがどこだか忘れて“素”で返してしまった。
目の前のチャラ男(即認定)は、話の内容から黒田製菓さんの社員さんなのだと思う。
年はあたしより少し上かな。仕立ての良さそうなスリーピースのジレ姿。上着は脱いで腕にかけている。
ギンガムチェックのシャツに同系色でグレーのペイズリー柄のネクタイを合わせるところからしたらおしゃれ上級者なんやろうけど、ハッキリ言ってチャラさ全開。
正直ドン引き寸前やけど、一応ここは取引先の会社。あまり表立ってイヤな顔も出来ない。
仕方なくあたしはカバンの中から名刺を取り出し、立ち上がりながら口を開いた。
「お世話になりますぅ、トーマビールコミュニケーションズ関西支部、工場見学事業課の森と申しますぅ」
やる気がないので語尾が伸びた。
静さんが聞いとったらぁ絶対怒られるやろなぁ。
だけど目の前のチャラ男は「あっ、ビール工場のアテンダントさんか! どうりで可愛いはずや」と顔をほころばせた。
『可愛い』と連呼されたら、あたしだって悪い気はしない。
目の前の男は、見た目もそんなに悪くない。ドストライクとまではいかないまでも、憎めない感じの整った塩顔。身長も百八十センチ近くありそう。
チャラいのはとりあえず置いておいたとしても、こういういかにも“ボンボン”そうで軽いノリの男性、ここが合コン会場なら間違いなく“いい物件”でロックオンだ。
昼休憩返上で注文しておいたお花とお菓子の回収を終えると、あとは狭い車内に二人きり。
あたしはいったい何を話せばいいのか分からず黙っていたら、彼のほうからこれから行く黒田製菓さんの話を色々としてくれた。
黒田製菓さんはもう六十年以上、家族経営で昔ながらのウィスキーボンボンを作り続けているそう。
うちの工場の売店のウィスキーボンボンを置くようになったのは、工場見学ツアーを開始した当初からで、中に入っているウィスキーをトーマグループが卸したのが始まりだと、課長が説明してくれた。
付き合いの長い取引相手なので、色々と融通を利かせてくれるけれど、さすがに百個もの返品を受けてくれるとは流石の課長も思わなかったらしい。
そんな話を助手席で聞いているうちに、あっという間に目的地へと到着。
何か少しくらい『聞いてほしい』と言っていた中身を言われるだろうと身構えていたけれど、結局彼は車の中ではひと言もその話をしなかった。
「わざわざおおきにですわ、森はん。課長はんまで」
退社時刻の三十分前に訪問したにも関わらず、阿部さんは電話口と変わらない朗らかな口調でそう言い、ふくふくとしたお顔をほころばせてあたしたちが用意したお祝いの品を受け取ってくれた。
「せっかくお越しいただいたんやから、次の担当をご紹介しときたかったんですけどねぇ。ちょうど出先からまだ帰っとらんのですわ。まあ、うちのもんはみな、トーマさんのとこのことはよぉ分かっとりますさかい、担当者なんて便宜上みたいなもんですから。困った時に相談する先くらいのつもりでおってくれはったらええですわ」
軽快な口調で阿部さんはそう言うと、自分のデスクの片付けがあるからと戻って行った。このあと社内で退職のご挨拶をしてから、ご帰宅されるという。
せっかくだから最後までお見送りさせていただくことにして、あたしと課長は事務内のパーテーションで区切られた応接コーナーにそのまま留まることにした。
すると阿部さんと入れ替わるようにして、専務さんが顔を出しにきた。あたしたちが来ていることを聞きつけたらしい。
行きがけの車中で、黒田製菓の専務は社長の息子さんだと聞いたばかりだったけれど、課長より少し歳上に見えるから、あたしはその若さに内心で驚いてしまう。
その専務さんが「結城課長、今よろしいですか?」と言って課長をどこか連れて行ってしまった。
その際、課長はあたしに「俺が戻ってくるまで、絶対ここを動くなよ」と念を押すように言い含めた。
(別にそんなん言われんくてもぉ、一人で帰ったりしませぇんっ)
最寄り駅まではかなり距離がある場所みたいだし、住宅街の奥まった場所なのでタクシーも通りそうにない。
行きと同じく帰りも課長の車に乗るしかなさそうなのに、よっぽど目を離したらすぐに逃げ出すとでも思われとるんやろうか。
なんて、散々今逃げ回っていたことを棚に上げて、そんなふうに考えながら、よそ様の会社のすみっこで、借りてきた猫のように大人しくソファーに腰掛けていた。
【黒田製菓】の事務所は思ったよりも広くて、事務机やキャビネットの数のわりにスッキリと広く感じる。
滅多に来ることのない他業種の仕事ぶりが興味深くて、ついつい事務所内をきょろきょろと見回してしていると。
「あれぇ?こんなところに見たことないコぉがおる」
軽い口調の低い声に振り返ると、若い男の人がパーテーションの入り口に立っていた。
「あの、」
相手が誰だか全然分からないけれど、とりあえず自己紹介をしようと立ち上がりかけた時。
「きみ可愛いね。どこのコ?」
「は?」
「あ、もしかして新しく入るっちゅうアルバイトさん?」
「や、あの、あたしはぁ、」
「こんなに可愛いんやし事務じゃもったいないわ。良かったら僕の秘書にならへん?」
「はぁ?」
思わずここがどこだか忘れて“素”で返してしまった。
目の前のチャラ男(即認定)は、話の内容から黒田製菓さんの社員さんなのだと思う。
年はあたしより少し上かな。仕立ての良さそうなスリーピースのジレ姿。上着は脱いで腕にかけている。
ギンガムチェックのシャツに同系色でグレーのペイズリー柄のネクタイを合わせるところからしたらおしゃれ上級者なんやろうけど、ハッキリ言ってチャラさ全開。
正直ドン引き寸前やけど、一応ここは取引先の会社。あまり表立ってイヤな顔も出来ない。
仕方なくあたしはカバンの中から名刺を取り出し、立ち上がりながら口を開いた。
「お世話になりますぅ、トーマビールコミュニケーションズ関西支部、工場見学事業課の森と申しますぅ」
やる気がないので語尾が伸びた。
静さんが聞いとったらぁ絶対怒られるやろなぁ。
だけど目の前のチャラ男は「あっ、ビール工場のアテンダントさんか! どうりで可愛いはずや」と顔をほころばせた。
『可愛い』と連呼されたら、あたしだって悪い気はしない。
目の前の男は、見た目もそんなに悪くない。ドストライクとまではいかないまでも、憎めない感じの整った塩顔。身長も百八十センチ近くありそう。
チャラいのはとりあえず置いておいたとしても、こういういかにも“ボンボン”そうで軽いノリの男性、ここが合コン会場なら間違いなく“いい物件”でロックオンだ。
0
お気に入りに追加
103
あなたにおすすめの小説
誘惑の延長線上、君を囲う。
桜井 響華
恋愛
私と貴方の間には
"恋"も"愛"も存在しない。
高校の同級生が上司となって
私の前に現れただけの話。
.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚
Иatural+ 企画開発部部長
日下部 郁弥(30)
×
転職したてのエリアマネージャー
佐藤 琴葉(30)
.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚
偶然にもバーカウンターで泥酔寸前の
貴方を見つけて…
高校時代の面影がない私は…
弱っていそうな貴方を誘惑した。
:
:
♡o。+..:*
:
「本当は大好きだった……」
───そんな気持ちを隠したままに
欲に溺れ、お互いの隙間を埋める。
【誘惑の延長線上、君を囲う。】
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。

ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
社内恋愛の絶対条件!"溺愛は退勤時間が過ぎてから"
桜井 響華
恋愛
派遣受付嬢をしている胡桃沢 和奏は、副社長専属秘書である相良 大貴に一目惚れをして勢い余って告白してしまうが、冷たくあしらわれる。諦めモードで日々過ごしていたが、チャンス到来───!?
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる