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自業自得
自業自得(4)
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***
課長の公休日を挟んでその翌日。
今度は静さんが公休日で居ないせいで、あたしは彼を避けるのにものすごいエネルギーを費やした。
静さんったら肝心な時にお休みやなんて…!
そんな、静さんが聞いたら絶対怒るだろう文句を唱えつつ、なるべく他のアテンド仲間に紛れて過ごしていた。
それなのにっ…!
なぜか事あるごとに彼のほうから近づいてくる。
あたしはそのたびに、『お化粧直しせな!』とか『あっ! 忘れ物がっ!』とか言って必死に逃げた。
ここまであからさまに避けられているのだから、いいかげん諦めてくれてもよさそうやのに!
我ながら大根役者もええとこやわぁと思うけど、あんな顔して近づいてくるほうが悪い。
いつもの“胡散臭い笑み”でもなく、“上司然”とした顔でもなく、少し不安そうにこちらをうかがう様に見てくるのだ。
もう、ちょっとっ! あの“腹黒仮面”は、いったいどこに置いてきはったんですかぁ…!?
そんなの見る人が見ればすぐに分かってしまうやないの…!
あたしはこれまでとはちがう彼の態度に違和感を覚えつつも、『今彼に捕まってはいけない』とビシバシ訴えてくる“勘”に従って、必死に彼を避けながら過ごしていた。
――のだけれど。
「は、離してっ……」
あたしの必死の訴えは、決して広くはないミーティングルームにすら響かず、目の前の薄水色のシャツに吸い込まれて消える。
「イヤだ」
「イっ、」
「離したらおまえまた逃げるだろう?」
そんなん当たり前ったい…!
そう叫びたいのをこらえたら、喉の奥が「うぐっ」と鳴った。
「せっかく捕まえたのに逃げられたら困る。俺の話を聞いてくれると言うまで、絶対に離さないからな」
「そっ…! そんな脅しみたいなぁっ……誰かに見られたらどないしはるんですかぁっ」
「問題ない。鍵はかけてある」
「~~~っ!」
用意周到抜かりないところだけは、“いつもの”仕事が出来る課長そのもの。
それなのに、この状況は全然らしくない。
だってここはミーティングルーム。
ってことはここ職場っ…!
しかも事務所のすぐ横っ…!!
そのうえ『The勤務時間中』なんですけどぉぉぉっ!?
二本の長い腕に抱きしめられながら、あたしは心の中で思いっきり叫んだ。
(どうしてこんなことにっ…!?)
『抱擁』というよりは『拘束』と呼ぶほうが絶対にしっくりくる彼の腕の中で、今まさに絶賛パニック中だった。
きっかけは一本の外線電話。
午前中ラストの見学アテンドを終えたあたしは、先輩たちと一緒に事務所へと引き上げた。
今日は静さんがいないから、ちゃんと他の先輩たちにくっついて社食に行かなきゃ、と思いながら。
そうして事務所に戻ったとき、ちょうど総務から電話が回ってきたのだ。『外線一番に黒田製菓様からお電話です』と。
【黒田製菓】は例のウィスキーボンボンの会社で、少し前までは静さんが担当者だったけれど、発注ミスをきっかけにあたしが引き継いだのだ。
そんなわけで、あたしは(何の用事やろぉ……まさかまたなんかやらかした、あたし!?)と考えてヒヤヒヤしながら電話を取ったのだけど。
『――えっ、退職、ですかぁ?』
電話口の相手はあたしの素っ頓狂な声に怒るでもなく、笑いながら『ええ、定年退職です』と朗らかに返してきた。
黒田製菓の担当者は『阿部さん』というおじさん。
どうもその『阿部さん』は今月いっぱいで定年退職することになっていて、明日からは有休消化で出社しないという。
実質今日で最後だからと、わざわざご挨拶の電話をくれたとのことだった。
『そうなんですかぁ、もっと早くにお聞きしとったらぁご挨拶にお伺いしましたのにぃ』
あたしがそう言うと、阿部さんは《おおきに。お気持ちだけ貰っときますわ。一応、少し前にメールではお知らせしとったんですが》と言った。
『え…? ……あぁっ!』
そうだった。前に何かメールが届いているのを見た気がする。
あたしは慌てて受話器を耳に当てたまま、パソコンのメールボックスを開いてみたら。
『ありましたぁっ…すみませぇぇんっ…!』
思いっきり机に向かって頭を下げると、電話の向こうから《わははっ》と笑う声。丸で見えているかのように、《頭上げたってください、森はん》と言われる。
阿部さんは、そのふくふくしい外見を裏切らないおおらかな性格で、そのおかげであたしは発注ミスのウィスキーボンボンを返品出来たようなもの。ベテラン社員である彼が『ええですよ』と言わなければ、百個ものチョコレートを引き取ってもらうなんて出来なかったと思う。
それなのに、あたしがうっかりメールを見そびれたせいで、定年退職のご挨拶を電話一本で済まないといけないなんて。
さすがのあたしだってそれは心苦しい。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、阿部さんは《次の担当者からは、また後日連絡が入りますよって。ほな、今後とも黒田製菓をよろしうお願いいたします》と丁寧なご挨拶をくれてから、電話を切った。
『……………やってしもたぁぁぁっ』
受話器を置いた直後、あたしはガックリとうなだれた。
長いお付き合いの取引担当者が定年退職するのだ。
本来ならお花でも持ってこちらからご挨拶にお伺いすべきところ。しかも直近にあんなご迷惑までかけておいて。
阿部さんもあまり早くから定年退職のことを言わなかったのは、もしかしたらトーマビールに気を遣ったのかもしれない。あちらから見たらうちのほうが『お客様』なのだから。
『どないしよぉ……』
静さんが居てくれたら相談できるのに。こんな時に限って休みなんやからっ…!
なんの罪もない静さんに当たってみたところでどうにかなるわけじゃない。
途方に暮れた気持ちになってうつむいていると――。
『森』
すぐ後ろからかけられた声に、ビクッと肩が跳ねた。
『どうかしたのか。何があった』
“上司然”とした口調でそう声をかけられたら、振り向かないわけにはいかない。
ゆっくりと椅子を回して振り返ると、薄いブルーのシャツにネイビーのネクタイを締めた課長。
『いえ、あの……えっと……』
『電話の相手は取引先か?』
そこまで気付かれているなら黙ったままにはできない。
『あのぉ……黒田製菓の阿部さんがぁ……』
あたしはしどろもどろに話し始めた。
課長の公休日を挟んでその翌日。
今度は静さんが公休日で居ないせいで、あたしは彼を避けるのにものすごいエネルギーを費やした。
静さんったら肝心な時にお休みやなんて…!
そんな、静さんが聞いたら絶対怒るだろう文句を唱えつつ、なるべく他のアテンド仲間に紛れて過ごしていた。
それなのにっ…!
なぜか事あるごとに彼のほうから近づいてくる。
あたしはそのたびに、『お化粧直しせな!』とか『あっ! 忘れ物がっ!』とか言って必死に逃げた。
ここまであからさまに避けられているのだから、いいかげん諦めてくれてもよさそうやのに!
我ながら大根役者もええとこやわぁと思うけど、あんな顔して近づいてくるほうが悪い。
いつもの“胡散臭い笑み”でもなく、“上司然”とした顔でもなく、少し不安そうにこちらをうかがう様に見てくるのだ。
もう、ちょっとっ! あの“腹黒仮面”は、いったいどこに置いてきはったんですかぁ…!?
そんなの見る人が見ればすぐに分かってしまうやないの…!
あたしはこれまでとはちがう彼の態度に違和感を覚えつつも、『今彼に捕まってはいけない』とビシバシ訴えてくる“勘”に従って、必死に彼を避けながら過ごしていた。
――のだけれど。
「は、離してっ……」
あたしの必死の訴えは、決して広くはないミーティングルームにすら響かず、目の前の薄水色のシャツに吸い込まれて消える。
「イヤだ」
「イっ、」
「離したらおまえまた逃げるだろう?」
そんなん当たり前ったい…!
そう叫びたいのをこらえたら、喉の奥が「うぐっ」と鳴った。
「せっかく捕まえたのに逃げられたら困る。俺の話を聞いてくれると言うまで、絶対に離さないからな」
「そっ…! そんな脅しみたいなぁっ……誰かに見られたらどないしはるんですかぁっ」
「問題ない。鍵はかけてある」
「~~~っ!」
用意周到抜かりないところだけは、“いつもの”仕事が出来る課長そのもの。
それなのに、この状況は全然らしくない。
だってここはミーティングルーム。
ってことはここ職場っ…!
しかも事務所のすぐ横っ…!!
そのうえ『The勤務時間中』なんですけどぉぉぉっ!?
二本の長い腕に抱きしめられながら、あたしは心の中で思いっきり叫んだ。
(どうしてこんなことにっ…!?)
『抱擁』というよりは『拘束』と呼ぶほうが絶対にしっくりくる彼の腕の中で、今まさに絶賛パニック中だった。
きっかけは一本の外線電話。
午前中ラストの見学アテンドを終えたあたしは、先輩たちと一緒に事務所へと引き上げた。
今日は静さんがいないから、ちゃんと他の先輩たちにくっついて社食に行かなきゃ、と思いながら。
そうして事務所に戻ったとき、ちょうど総務から電話が回ってきたのだ。『外線一番に黒田製菓様からお電話です』と。
【黒田製菓】は例のウィスキーボンボンの会社で、少し前までは静さんが担当者だったけれど、発注ミスをきっかけにあたしが引き継いだのだ。
そんなわけで、あたしは(何の用事やろぉ……まさかまたなんかやらかした、あたし!?)と考えてヒヤヒヤしながら電話を取ったのだけど。
『――えっ、退職、ですかぁ?』
電話口の相手はあたしの素っ頓狂な声に怒るでもなく、笑いながら『ええ、定年退職です』と朗らかに返してきた。
黒田製菓の担当者は『阿部さん』というおじさん。
どうもその『阿部さん』は今月いっぱいで定年退職することになっていて、明日からは有休消化で出社しないという。
実質今日で最後だからと、わざわざご挨拶の電話をくれたとのことだった。
『そうなんですかぁ、もっと早くにお聞きしとったらぁご挨拶にお伺いしましたのにぃ』
あたしがそう言うと、阿部さんは《おおきに。お気持ちだけ貰っときますわ。一応、少し前にメールではお知らせしとったんですが》と言った。
『え…? ……あぁっ!』
そうだった。前に何かメールが届いているのを見た気がする。
あたしは慌てて受話器を耳に当てたまま、パソコンのメールボックスを開いてみたら。
『ありましたぁっ…すみませぇぇんっ…!』
思いっきり机に向かって頭を下げると、電話の向こうから《わははっ》と笑う声。丸で見えているかのように、《頭上げたってください、森はん》と言われる。
阿部さんは、そのふくふくしい外見を裏切らないおおらかな性格で、そのおかげであたしは発注ミスのウィスキーボンボンを返品出来たようなもの。ベテラン社員である彼が『ええですよ』と言わなければ、百個ものチョコレートを引き取ってもらうなんて出来なかったと思う。
それなのに、あたしがうっかりメールを見そびれたせいで、定年退職のご挨拶を電話一本で済まないといけないなんて。
さすがのあたしだってそれは心苦しい。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、阿部さんは《次の担当者からは、また後日連絡が入りますよって。ほな、今後とも黒田製菓をよろしうお願いいたします》と丁寧なご挨拶をくれてから、電話を切った。
『……………やってしもたぁぁぁっ』
受話器を置いた直後、あたしはガックリとうなだれた。
長いお付き合いの取引担当者が定年退職するのだ。
本来ならお花でも持ってこちらからご挨拶にお伺いすべきところ。しかも直近にあんなご迷惑までかけておいて。
阿部さんもあまり早くから定年退職のことを言わなかったのは、もしかしたらトーマビールに気を遣ったのかもしれない。あちらから見たらうちのほうが『お客様』なのだから。
『どないしよぉ……』
静さんが居てくれたら相談できるのに。こんな時に限って休みなんやからっ…!
なんの罪もない静さんに当たってみたところでどうにかなるわけじゃない。
途方に暮れた気持ちになってうつむいていると――。
『森』
すぐ後ろからかけられた声に、ビクッと肩が跳ねた。
『どうかしたのか。何があった』
“上司然”とした口調でそう声をかけられたら、振り向かないわけにはいかない。
ゆっくりと椅子を回して振り返ると、薄いブルーのシャツにネイビーのネクタイを締めた課長。
『いえ、あの……えっと……』
『電話の相手は取引先か?』
そこまで気付かれているなら黙ったままにはできない。
『あのぉ……黒田製菓の阿部さんがぁ……』
あたしはしどろもどろに話し始めた。
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