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マジックアワー
マジックアワー(5)
しおりを挟む観覧車から飛び出したあたしは、全速力で走った。
夜風が当たる顔が冷たくて、手の甲で涙を拭いながら。
足もとをぺたんこ靴にしておいて正解だったな。
なんて思ったらまた泣けてきた。
「希々花っ…!」
大きな声で呼ばれたと思ったら、すぐに腕を掴まれた。
「離してっ…!」
感情のままにそう叫んで、あたしはその手を振り払おうとした。だけど、ビクともしない。
彼は逃がさないとばかりに、あたしの手首をしっかりと握っている。
あたしはもう一度それを振り払いながら叫ぶ。
「離してってば!あたしに触らんどって…!」
人目も気にせず大声を出したのに、それでも彼は手を離そうとしない。
「今離したらおまえ絶対逃げるだろう!?」
当たり前くさ…!
思いきりギロリと睨み上げてやる。
(どげでもよか相手ばフッただけんくせに、なして追いかけてくるんよ…!)
〈どうでもいい相手をフッただけのくせに、なんで追いかけてくるのよ…!〉
そう思った時。
「付き合おう、希々花」
聞こえた声に息をひゅっと呑み込んだ。
「な、……」
何を言い出すのかと言葉を失った。
だけどすぐに思い直す。彼が言う『付き合う』は、あたしが思うそれとはちがうものなのだ。
あたしの気持ちを知っているくせに、なんて残酷なことを言うのだろう、この人は。
あまりの胸の痛みに、足から力が抜けそうになる。
だけど歯を食いしばってそれに耐えて、あたしはいつも通りの自分を装った。
「もうええですぅ!実家へのアリバイは充分ですからぁ、これ以上お付き合いいただかなくても結構ぉ。あたしたちの“協定”はこれで終了ですぅっ!」
溢れ出しそうになる涙を必死に押し留めて、ダメ押しのようににっこりと微笑んでみせる。
「それでええでしょぉ?」
そこまで言ったのに、彼はあたしの手を離さない。
(いったいこん人何がしたかと…!)
そう腹立たしく思った時。
「そうじゃない。そういう意味じゃなくて。きちんと“恋人”として付き合おうと言ったんだ」
「…っ!」
「俺は最初、おまえから嫌われていると思っていた。その……ああいう“協力関係”になってからは嫌われてはいないと思っていたが、おまえにとっての俺はただの“切り札”で、きちんとした相手が見つかればすぐに去っていくだろうと考えていた」
それは間違いじゃない。あたしだって最初はそのつもりだった。
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「だから……、俺はおまえがいつから俺のことを……そういうふうに見ていたのかは分からなくて……。でも、もし俺が気付くよりもずいぶん前からだとしたら、俺はおまえの気持ちを踏みにじって……どれだけ傷つけたのかって……」
「…………それで罪滅ぼしに?デートだけじゃ足りないからって、恋人になってやろうかって思ったんや……」
「いやそれは、」
彼が何かをいいかけたけれど、あたしはそれを聞きたくなかった。
今さら何を言われても虚しいだけ。
「ええんですぅ、もう。課長の言わはる通りやもん。最初は面白半分やったのに、いつの間にか好きになってた。あたしもうずっと課長のことが好きで……課長が静さんのことを好きやって分かっとってもそれでも……。二番手以下でも都合のいい相手でもなんでもいいって、ちょっとでもそばに居れるんやったらって……でも本当はあたし……ずっと一番になりたかった………」
「じゃあ、」
「じゃあなに!? 何なん!? ひどいことをしたから付き合ってやる? そんなん全然ちがう! 一番じゃなかっ! 同情なんかいらんったいっ…!」
「ちがっ…、俺は同情なんて、」
「もうよかっ…!!」
悲鳴のようなあたしの叫びに、彼が息を呑んだ。
「もうやめて……これ以上あたしをみじめにさせないで……」
うつむくと、足元にぽたぽたとしずくが染みを作る。
次々と溢れ出してくるものを乱雑に手の甲で拭ってから顔を上げると、あたしは彼を真正面から睨みつけて叫んだ。
「――あきとさんなんて大っ嫌い…!」
あたしは今度こそ彼の手を振り払うと、勢いよく踵を返して走り出した。
彼はもう追ってはこなかった。
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