24 / 76
戯れとはちがうなにか
戯れとはちがうなにか(1)
しおりを挟むほとんど同時に達した彼が、あたしの背中の上に覆いかぶさってきた。
足の指一本にだって力が入らないあたしは、シーツに全身を沈めたままじっとその重みを受け止める。
背中には彼の体温。シャツ越しでも分かるほど熱く汗ばんでいる。
顔を埋めたシーツからは、あの香りがした。
ほんのり香る甘いムスクと爽やかなベルガモット。
そこに混じる彼自身の匂い。
荒い呼吸のたびに肺に送り込まれてくるその香りは、いつもあたしがこっそりと酔い痴れているもの。
ラストノートが消えかけてから現れる彼自身の匂いが好きだった。
いつもの“報告会”はホテルだから、この匂いをこんなに強く感じるのは初めてで。それなのにそれを吸い込むたびにあたしの胸はひどく痛み、どんどん息苦しくなっていった。
結局あたしは、彼の想い人の代わりにすらなれなかったのだ。
“二番手”どころか“代役”にすら値しない。
彼にとってのヒロインは、あたしじゃダメなんだ。
「………ぅっ、~~っ」
顔をシーツに押しつける。涙と嗚咽を悟られないように。
けれど体が密着しているせいで、肩の震えは隠しきれなかった。
「森……?」
怪訝そうに呼ぶ声が聞こえるけれど、あたしは返事をすることが出来ない。少しでも顔を上げたら嗚咽がもれてしまう。だからシーツに顔を伏せたまま頭を左右に振った。『なんでもない』と伝えようと。
それなのに――。
「どこか痛むのか…?」
呼ばれても顔を上げないあたしを不審に思ったのだろう。訊ねられてもう一度頭を振ると、背中から重みが消えた。
「もしかして寒かったか?そういえばエアコンをつけていなかったな……」
そう言って彼はあたしに毛布をかけると、エアコンをつけた。コンプレッサーの稼働音がし始める。
「汗が冷えて風邪を引いたら良くないな。部屋が温まったら早くシャワーを浴びた方がいい」
彼はそういうと、毛布からはみ出したあたしの頭をぽんぽんと優しくはたく。
「~~っ」
涙が溢れ出した。
次から次にぼたぼたと落ちるしずくがシーツに吸い込まれて行く。
「森…?もしかして怒っているのか?」
いつまでも毛布から顔を上げないあたしに、彼がそう声をかけてきた。
怒っているわけじゃない。そう言いたいけれど、全然涙が止まらないから毛布から顔を出すことが出来ない。
確かに、一年以上続くこの関係の中で、あんなふうに苛立ちをぶつけるように抱かれるのは初めてだった。
いつも彼との情事は、まるで戯れ。
行為そのものは丁寧で優しい彼は、あたしの反応をきちんとうかがいながらことを進めていく。決して自分よがりで一方的なセックスはしない。ましてや『無理やり』とか『痛めつけるようなこと』なんて絶対にない。
『お互いに気持ちよくなって楽しめたらいい』
敢えて口にしなくともその意図は伝わっていた。
彼にとってセフレとのセックスは、欲求を解消するためだけのもので、スポーツクラブで汗を流す感覚と変わらないのだ。
そうあたしが理解するのにさほど時間はかからなかったし、ある意味『模範的なセフレ』だとも思った。
けれどそれも自分の気持ちに気付くまでのこと。
もしも“遊び”ではなく“本気”だと気付かれたら…?
恋に溺れてみっともなく縋りつくような女、セフレには相応しくない。
“出来の悪い部下”だけならまだしも、“遊び相手にも不足”と見られて切り捨てられるなんて、これまで培ってきたあたしのプライドが許さなかった。
あたしも『この割り切った関係を楽しんでいる』と彼に思っていてもらわないと。
そう自分にずっと言い聞かせてきた。
早く涙を止めて。「怒ってませぇん」と言わないと。
いつもみたいにあざと可愛い笑顔を作って、「それともぉ、なんや悪いことでもしはったんですかぁ?」と意地悪を付け足して。
そんなことを考えながら必死に嗚咽を飲み込んでいると、突然毛布ごとぐいっと抱き寄せられた。
思わぬことに目を丸くしていると、頭を撫でられる感触が。
(っ、…な、な、なして…!?)
驚きすぎたせいで涙は止まったけれど、代わりに心臓がうるさく騒ぎ始め、今度はそっちが伝わらないかと焦ってしまう。
あたしにしては珍しくプチパニックな中、耳障りの良いテノールが聞こえた。
「悪かった」
ポツリと落とされたその言葉に、思わず顔を上げた。毛布から目だけは出たものの、抱きしめられているせいで彼の顔は見えない。
彼はあたしの顔を見ることなく、ただ頭を撫でて言葉を続けていく。
「すまない、無茶をさせすぎたな……。優しく出来そうにないとは思っていたが、こんなに無茶をするつもりじゃなかった……それなのに、おまえがCMOの名前を呼ぶのを聞いたら、ついむしゃくしゃした気持ちになって……」
「な…んで……」
胸の中の小さな生き物がピコンと期待の顔を出す。
それじゃまるで、王子に嫉妬しているみたいやんか。
そう思ったのもつかの間、彼は思わぬこと口にした。
「静川だけじゃなくおまえまで『当麻聡臣』のことが良いと言う。俺がどんなに努力しても追いつけないものを持っている人間……CMOや高柳みたいな、そういうやつに俺は一生勝てない。それを思い知らされた気になった……」
「そんなこと……あるわけないやないですかぁ……」
「いや……ま、結局のところ、俺がこの失恋を割り切れていないだけなんだろう。東京からの帰りの新幹線の中で、自分なりに気持ちの整理をつけたつもりだったのだけど……」
そう言った彼の、淡々とした口調がかえってせつない。
腕の中で頭を振るあたしに、彼は「何を言っても言い訳にしかならないな」と呟いてから再び謝った。
0
お気に入りに追加
104
あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
【完】秋の夜長に見る恋の夢
Bu-cha
恋愛
製薬会社の社長の一人娘、小町には婚約者がいる。11月8日の立冬の日に入籍をする。
好きではない人と結婚なんてしない。
秋は夜長というくらいだから、恋の夢を見よう・・・。
花が戦場で戦う。この時代の会社という戦場、そして婚約者との恋の戦場を。利き手でもない左手1本になっても。
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高17位
他サイトにて溺愛彼氏特集で掲載
関連物語
『この夏、人生で初めて海にいく』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高32位
『女神達が愛した弟』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高66位
『女社長紅葉(32)の雷は稲妻を光らせる』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 44位
『初めてのベッドの上で珈琲を』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 12位
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位
『拳に愛を込めて』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高29位
『死神にウェディングドレスを』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位
『お兄ちゃんは私を甘く戴く』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高40位

お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。


甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。


【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる