【完結】kiss and cry

汐埼ゆたか

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戯れとはちがうなにか

戯れとはちがうなにか(1)

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ほとんど同時に達した彼が、あたしの背中の上に覆いかぶさってきた。
足の指一本にだって力が入らないあたしは、シーツに全身を沈めたままじっとその重みを受け止める。

背中には彼の体温。シャツ越しでも分かるほど熱く汗ばんでいる。
顔をうずめたシーツからは、あの・・香りがした。

ほんのり香る甘いムスクと爽やかなベルガモット。
そこに混じる彼自身の匂い。

荒い呼吸のたびに肺に送り込まれてくるその香りは、いつもあたしがこっそりと酔い痴れているもの。
ラストノートが消えかけてから現れる彼自身の匂いが好きだった。

いつもの“報告会”はホテルだから、この匂いをこんなに強く感じるのは初めてで。それなのにそれを吸い込むたびにあたしの胸はひどく痛み、どんどん息苦しくなっていった。

結局あたしは、彼の想い人の代わりにすらなれなかったのだ。
“二番手”どころか“代役”にすら値しない。
彼にとってのヒロインは、あたしじゃダメなんだ。

「………ぅっ、~~っ」

顔をシーツに押しつける。涙と嗚咽を悟られないように。
けれど体が密着しているせいで、肩の震えは隠しきれなかった。

「森……?」

怪訝そうに呼ぶ声が聞こえるけれど、あたしは返事をすることが出来ない。少しでも顔を上げたら嗚咽がもれてしまう。だからシーツに顔を伏せたまま頭を左右に振った。『なんでもない』と伝えようと。

それなのに――。

「どこか痛むのか…?」

呼ばれても顔を上げないあたしを不審に思ったのだろう。訊ねられてもう一度頭を振ると、背中から重みが消えた。

「もしかして寒かったか?そういえばエアコンをつけていなかったな……」

そう言って彼はあたしに毛布をかけると、エアコンをつけた。コンプレッサーの稼働音がし始める。

「汗が冷えて風邪を引いたら良くないな。部屋が温まったら早くシャワーを浴びた方がいい」

彼はそういうと、毛布からはみ出したあたしの頭をぽんぽんと優しくはたく。

「~~っ」

涙が溢れ出した。
次から次にぼたぼたと落ちるしずくがシーツに吸い込まれて行く。

「森…?もしかして怒っているのか?」

いつまでも毛布から顔を上げないあたしに、彼がそう声をかけてきた。

怒っているわけじゃない。そう言いたいけれど、全然涙が止まらないから毛布から顔を出すことが出来ない。

確かに、一年以上続くこの関係の中で、あんなふうに苛立ちをぶつけるように抱かれるのは初めてだった。

いつも彼との情事は、まるで戯れ。
行為そのものは丁寧で優しい彼は、あたしの反応をきちんとうかがいながらことを進めていく。決して自分よがりで一方的なセックスはしない。ましてや『無理やり』とか『痛めつけるようなこと』なんて絶対にない。

『お互いに気持ちよくなって楽しめたらいい』

敢えて口にしなくともその意図は伝わっていた。

彼にとってセフレとのセックスは、欲求を解消するためだけのもので、スポーツクラブで汗を流す感覚と変わらないのだ。
そうあたしが理解するのにさほど時間はかからなかったし、ある意味『模範的なセフレ』だとも思った。

けれどそれも自分の気持ちに気付くまでのこと。

もしも“遊び”ではなく“本気”だと気付かれたら…?

恋に溺れてみっともなく縋りつくような女、セフレには相応しくない。
“出来の悪い部下”だけならまだしも、“遊び相手にも不足”と見られて切り捨てられるなんて、これまで培ってきたあたしのプライドが許さなかった。

あたしも『この割り切った関係を楽しんでいる』と彼に思っていてもらわないと。

そう自分にずっと言い聞かせてきた。


早く涙を止めて。「怒ってませぇん」と言わないと。

いつもみたいにあざと可愛い笑顔を作って、「それともぉ、なんや悪いことでもしはったんですかぁ?」と意地悪いけずを付け足して。

そんなことを考えながら必死に嗚咽を飲み込んでいると、突然毛布ごとぐいっと抱き寄せられた。

思わぬことに目を丸くしていると、頭を撫でられる感触が。

(っ、…な、な、なして…!?)

驚きすぎたせいで涙は止まったけれど、代わりに心臓がうるさく騒ぎ始め、今度はそっちが伝わらないかと焦ってしまう。
あたしにしては珍しくプチパニックな中、耳障りの良いテノールが聞こえた。

「悪かった」

ポツリと落とされたその言葉に、思わず顔を上げた。毛布から目だけは出たものの、抱きしめられているせいで彼の顔は見えない。
彼はあたしの顔を見ることなく、ただ頭を撫でて言葉を続けていく。

「すまない、無茶をさせすぎたな……。優しく出来そうにないとは思っていたが、こんなに無茶をするつもりじゃなかった……それなのに、おまえがCMOの名前を呼ぶのを聞いたら、ついむしゃくしゃした気持ちになって……」
「な…んで……」

胸の中の小さな生き物がピコンと期待の顔を出す。
それじゃまるで、王子に嫉妬しているみたいやんか。

そう思ったのもつかの間、彼は思わぬこと口にした。

「静川だけじゃなくおまえまで『当麻聡臣』のことが良いと言う。俺がどんなに努力しても追いつけないものを持っている人間……CMOや高柳みたいな、そういうやつに俺は一生勝てない。それを思い知らされた気になった……」
「そんなこと……あるわけないやないですかぁ……」
「いや……ま、結局のところ、俺がこの失恋を割り切れていないだけなんだろう。東京からの帰りの新幹線の中で、自分なりに気持ちの整理をつけたつもりだったのだけど……」

そう言った彼の、淡々とした口調がかえってせつない。
腕の中で頭を振るあたしに、彼は「何を言っても言い訳にしかならないな」と呟いてから再び謝った。
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