【完結】kiss and cry

汐埼ゆたか

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賭けのルール

賭けのルール(3)

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***


課長が連れて行ってくれたのは、新大阪駅からほど近いスペインバルだった。

お店でメニューを見ながら彼もまだ夕食を取っていないことが分かって、二人でお腹に溜まりやすいメニューをいくつかチョイスして。

それからドリンクを選ぶことになったとき、あたしはついいつものようにカクテルかサングリアにするつもりだったのに、一瞬迷ってから課長と同じスペインビールセルベッサを頼むことにした。

色々なビールを飲んでおくと、自社製品の個性がより分かるようになるらしい。

だけど別に、それを教えてくた先輩の暑苦しい・・・・ビール愛を真似ようと思ったわけじゃない。

ただこの人の前で、いつもの合コンやデートのような『可愛いだけの女子』になる必要はないことを思い出したのだ。

お互いに腹黒いのは承知の上だし、今さら可愛い子ぶったくらいでこっちを見てもらえるならとっくの昔に“二番手”くらいには昇格できているはず。

あたしはいったいどうやったら、この人を手に入れられるんだろう……。
欲しいものは、手を伸ばせば触れられるところにあるのに。

イベリコ豚を噛みしめながらそんなことを考えていると、彼が顔を上げた。

「なんだ?」

盗み見がバレてドキッとした。必死に平静を装って「別に」と口にしようとしたのに、すぐに聞こえた言葉に動揺した。

「欲しいのか?」

思わず咀嚼途中の生ハムをゴクンと飲み込んでしまう。「ぅぐっ、」と変な声が出た。

「おい大丈夫か?森」

喉に詰まりかけて慌ててグラスを呷ってから、「だい…じょうぶですぅ……」と返す。

「そんなもの欲しそうな顔をしなくても、ちゃんとお前の分もあるよ」

そう言って彼は、レモンを絞りかけたばかりのマテ貝ナバハスをあたしに差し出した。

この人は相変わらず、あたしが本当に欲しいものはくれないな。

そう思いながら差し出された皿から、マテ貝ナバハスをみっつ、自分の皿に取り分けた。


オーダーした料理すべてが運ばれて来てから、しばらくあたしたちは黙々と食事を口に運んだ。
共通の話題なんていくらでもあるはずなのに、あたしには何をどう切り出せばいいのか全然分からない。

実は二人きりで食事をするのはこれが初めて。呑みに行く時はいつも静さんが一緒だから。
――というか、課長と静さんが飲みに行く際のおまけ的存在があたしだ。

あたしと彼の“報告会”は、大抵いつも現地集合現地解散で、いわゆる“同伴”みたいに逢瀬の前に食事をしたりすることはない。

まったく、哀しくなるくらいに“セフレライク”。

彼としては、好きな相手しずさんに誤解されたくない、というのが一番の理由だろうけれど、きっとそれだけじゃない。出世のために役職上の評価も気にしているのだと思う。
だから部下――しかも新人の――とこんな不謹慎な関係になっていることを会社に知られたくないのだろう。

別に既婚者の不倫なわけでなし、そんなに気にすることもないと思うけど、出世の妨げにもならないよう気を付けているのは、この上昇志向の腹黒上司には当たり前のことなのかも。
だから彼は職場ではあたしとこんな関係になっていることはおくびにも出さないのだ。

でもそれはあたしだって同じ。

この不毛な関係を始めた時は、そんな課長の態度にむしろ安心していたくらいだったのだ。ただの暇つぶしを兼ねた保険だったから。

これだから腹黒同士は面倒なんったい…!

心の中でそう毒づきながら、あたしは黙々と食事を口に運んでいた。

本当は、“今”すべき共通の話題があたしたちにはある。
静さんのことだ。

東京本社でのプレゼン大会に、課長は静さんの上司として同伴してきたのだ。その彼に『プレゼンどうでしたかぁ?』と訊かないのはかえって不自然。
でもそれを口にしたら、当たり前だけど話題は静さんのことになっていまう。

『一人で出張から戻ってきた=彼が失恋した』という図式が、あたしの中では出来上がっていた。

静さんが王子からフラれていたら、きっと課長は今度こそ本気で静さんを落としにかかったはず。それくらいの気概は、この腹黒ヘタレ男にだってあると思う。
実際、王子と静さんがそういう仲・・・・・だと知った後の彼は、相当落ち込んでいるように見えた。

だからあたしは、

『なんだかんだ長いこと片想いを拗らせてる課長だって、とうとう行動を起こす気になったんじゃないかな』

そう考えていたのだ。

だけど結局、戻ってきたのは彼一人。
彼は、長く想い続けていた人を失ったのだ。

何を話題にすべきか考えあぐねて、間を持たせるように海老のアヒージョにちぎったバケットをつける。それを口に入れようとしたとき、聞こえた言葉に思いきり顔を上げた。

「情けないヤツだと思っているんだろう」

目が合った彼は珍しく困ったように眉を下げていて、あまり見ることのない頼りなげな表情に、あたしの胸がどうしようもなく甘く高鳴った。
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