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賭けのルール
賭けのルール(1)
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電車を降りたあたしは、仕事で崩れたメイクと髪型を化粧室で直した。
仕事中はローポニー(テイル)にしていた髪を解いて、サイドを捩じってからハーフアップに。デジパーのおかげで、簡単なのに凝った風に見える。
「やだぁ、もうこんな時間やんかぁ~」
スマホを見ると、すでに八時二十分。急いで化粧室を出て、新幹線在来乗り換え口へと向かう。彼が帰宅するためには、新幹線から在来線に乗り換えないといけないのだ。
あたしは、新幹線の改札と在来線ホームへ下りるエスカレーターの近くに立った。
いくつも並んだ自動改札機の向こう側から次々と溢れ出してくる人の波を食い入るように見つめ続けた。
だけどどんなに目を凝らしても、彼の姿は見つからない。
こんな早い便に乗ってるわけないやんなぁ……。
せっかく本社に行ったのだ。あちらの友人や同僚と飲んで帰るのが普通だと思う。あたしならきっとそうする。
そもそも。彼を確実につかまえたいなら、メッセージを送って訊けばいいだけ。
そしたらこんなに待ちぼうけすることも、そわそわすることもないのだ。
だけどあたしには、自分で決めたルールがあった。
“彼の姿が見えても、自分からは声をかけない”
そう。それがこの賭けのルール。
そうこうしているうちに一時間が経った。
さっきから何度下り電光掲示板と改札口を目で往復したんだろう。だけど、待ち人の姿は一向に現れない。
「足痛ぁ……」
思わずひとり言がもれてしまう。
静さんに『独り言が口から出るのは老化の一種』なんて言った手前、気を付けなあかんわぁ。
それは分かっているけど、日中のアテンダント業務で酷使してきた足腰に、ちょっとの時間でも立ちっぱなしが地味にこたえる。下ろしたてのパンプスを履いてきたのも裏目に出た。
スエードのくすみピンクと甲部分を飾る同色のファーに一目ぼれして即決したパンプスは、五.五センチの細ヒール。身長百六十五センチのあたしにとっては、これが最大限の高さ。
これ以上高くすると男性を見下ろしてしまうことがあるから要注意。課長は百七十五センチあるから大丈夫だと思う。
気合を入れる意味もあって今一番のお気に入りを履いてきたのに、選択を誤った気になってくる。いつものスクエアヒールのショートブーツなら、きっともう少しましだったんじゃないかって。
うつむいてピンクのつま先を睨むと、首がじわんとだるくなった。
ずっと上ばかりを見てたからやんなぁ……。
最終列車までまだあと二時間近くある。
足も首も痛くて、一人勝手にこんな賭けを始めた自分がなんだかバカバカしくなってきた。つまるところ、もう挫けそうってこと。
やっぱぁ大人しくぅ、課長にメッセしてみよかぁ……。
そう思いながら手に持っているバッグを開いてスマホを取り出しかけたところで、ハッとした。
あかん!自分で決めた“ルール”やんかぁ。
それを破るやなんてぇ、不戦敗もええところやで、希々花!
そんな根性なしやから、いつまで経っても誰かの“一番”になられへんのよ!
悪魔の誘惑を振り切るように頭を振った時。
「きみ、大丈夫?」
声をかけられてハッと顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。
とっさに「大丈夫」と答えようとしたのに、男が先に「きみ一人なんやろ?」と言う。
直感が働いた。これはただの親切とは違う。多分ナンパか酔っ払い。
「ちがいます」とすげなく返して、目の前の男を無視しようと顔を逸らす。
「うそやろ。さっきからずっとここに立っとるやんか」
「………」
相手にしたらダメ。
無視を決め込んだあたしは、男の体で隠された改札口を見ようと体を横にずらそうとした―――けれど。
「相手が来ぉへんのやったら、俺と一緒に行こうや」
「は?」
どこをどうやったらそんな思考回路になるのだろう。心底呆れたせいで、うっかり男のほうを見てしまった。
二十代後半くらいのその男は、ファー付きフードダウンにデニムというカジュアルなスタイル。ツイストパーマの掛かった茶髪が、いかにもってカンジ。
「せやから、俺がきみと遊んだるわ。お相手さん、いくら待っても来ぉへんのやんか」
「っ……、」
「こんな可愛い子ぉんことフッた男やなんて早よ忘れて、俺と遊ぼうや」
「せからしかっ…まだフラれとらんったい!」
男の『フッた』という言葉が胸を的確にグサリと突いてきて、ついムキになって「うるさい!」と言い返してしまった。
それが間違いだったと気付いたのは、男は「おっ!」と目を見張ったあと、にやにやし始めたのを見た時だ。
「なんやきみ、もしかして九州から来たん?俺、博多なら行ったことあんねんで?水炊きうまかったわ~。大阪でも食べれる店知っとんねんから、連れて行こか」
鬱陶しい男ったいね…!
お生憎様。あたし、水炊きは好きじゃない。ついでに言うならもつ鍋も。
福岡県民みんなが、水炊きやもつ鍋を好きなわけじゃないのだ。
「結構です」
断ったあたしの腕を、男はおもむろに掴んで顔を寄せてきた。瞬間、アルコール臭がプンと鼻につく。ぐっと眉間にしわが寄って、思いきり顔を背けた。
「離してっ!」
睨みつけながらハッキリとそう言ったのに、男はにやついた顔のまま、「遠慮せんでええで」とあたしの腕を引いた。
「ちょっ…」
男の腕を振りほどこうとするのになかなか外れなくて、見るからに優男のくせに忌々しい。
「立ちっぱなしで疲れてんやろ?とりあえずゆっくり出来るとこ行こや」
「行かないってばっ、離して…!」
「きみ、可愛い顔して結構気ぃ強いんやな。嫌いやないで、そういう子」
最高にイラっとする!
あんたに好かれても全然嬉しくなかったい!
「やけんっ、行かんっち言いよぉっちゃろ…!」
〈だからっ、行かないって言ってるでしょ…!〉
半ば叫ぶようにそう言ったあたしは、男が掴んでいる手を思いきり振り払った。おかげで男の腕は外れたけど、反動で五.五センチの細ヒールがぐらりと揺れた。バランスを崩した体が男とは逆側に傾く。
――あ、やば。
スローモーションみたいに傾いていく景色を見ながらそう思った。
けれど、数秒後に予測される地面との衝撃は来なかった。
「何をやってるんだ」
背中に温もりを感じると同時に、頭の後ろから降ってきたその声に、全身が大きく戦慄いた。
仕事中はローポニー(テイル)にしていた髪を解いて、サイドを捩じってからハーフアップに。デジパーのおかげで、簡単なのに凝った風に見える。
「やだぁ、もうこんな時間やんかぁ~」
スマホを見ると、すでに八時二十分。急いで化粧室を出て、新幹線在来乗り換え口へと向かう。彼が帰宅するためには、新幹線から在来線に乗り換えないといけないのだ。
あたしは、新幹線の改札と在来線ホームへ下りるエスカレーターの近くに立った。
いくつも並んだ自動改札機の向こう側から次々と溢れ出してくる人の波を食い入るように見つめ続けた。
だけどどんなに目を凝らしても、彼の姿は見つからない。
こんな早い便に乗ってるわけないやんなぁ……。
せっかく本社に行ったのだ。あちらの友人や同僚と飲んで帰るのが普通だと思う。あたしならきっとそうする。
そもそも。彼を確実につかまえたいなら、メッセージを送って訊けばいいだけ。
そしたらこんなに待ちぼうけすることも、そわそわすることもないのだ。
だけどあたしには、自分で決めたルールがあった。
“彼の姿が見えても、自分からは声をかけない”
そう。それがこの賭けのルール。
そうこうしているうちに一時間が経った。
さっきから何度下り電光掲示板と改札口を目で往復したんだろう。だけど、待ち人の姿は一向に現れない。
「足痛ぁ……」
思わずひとり言がもれてしまう。
静さんに『独り言が口から出るのは老化の一種』なんて言った手前、気を付けなあかんわぁ。
それは分かっているけど、日中のアテンダント業務で酷使してきた足腰に、ちょっとの時間でも立ちっぱなしが地味にこたえる。下ろしたてのパンプスを履いてきたのも裏目に出た。
スエードのくすみピンクと甲部分を飾る同色のファーに一目ぼれして即決したパンプスは、五.五センチの細ヒール。身長百六十五センチのあたしにとっては、これが最大限の高さ。
これ以上高くすると男性を見下ろしてしまうことがあるから要注意。課長は百七十五センチあるから大丈夫だと思う。
気合を入れる意味もあって今一番のお気に入りを履いてきたのに、選択を誤った気になってくる。いつものスクエアヒールのショートブーツなら、きっともう少しましだったんじゃないかって。
うつむいてピンクのつま先を睨むと、首がじわんとだるくなった。
ずっと上ばかりを見てたからやんなぁ……。
最終列車までまだあと二時間近くある。
足も首も痛くて、一人勝手にこんな賭けを始めた自分がなんだかバカバカしくなってきた。つまるところ、もう挫けそうってこと。
やっぱぁ大人しくぅ、課長にメッセしてみよかぁ……。
そう思いながら手に持っているバッグを開いてスマホを取り出しかけたところで、ハッとした。
あかん!自分で決めた“ルール”やんかぁ。
それを破るやなんてぇ、不戦敗もええところやで、希々花!
そんな根性なしやから、いつまで経っても誰かの“一番”になられへんのよ!
悪魔の誘惑を振り切るように頭を振った時。
「きみ、大丈夫?」
声をかけられてハッと顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。
とっさに「大丈夫」と答えようとしたのに、男が先に「きみ一人なんやろ?」と言う。
直感が働いた。これはただの親切とは違う。多分ナンパか酔っ払い。
「ちがいます」とすげなく返して、目の前の男を無視しようと顔を逸らす。
「うそやろ。さっきからずっとここに立っとるやんか」
「………」
相手にしたらダメ。
無視を決め込んだあたしは、男の体で隠された改札口を見ようと体を横にずらそうとした―――けれど。
「相手が来ぉへんのやったら、俺と一緒に行こうや」
「は?」
どこをどうやったらそんな思考回路になるのだろう。心底呆れたせいで、うっかり男のほうを見てしまった。
二十代後半くらいのその男は、ファー付きフードダウンにデニムというカジュアルなスタイル。ツイストパーマの掛かった茶髪が、いかにもってカンジ。
「せやから、俺がきみと遊んだるわ。お相手さん、いくら待っても来ぉへんのやんか」
「っ……、」
「こんな可愛い子ぉんことフッた男やなんて早よ忘れて、俺と遊ぼうや」
「せからしかっ…まだフラれとらんったい!」
男の『フッた』という言葉が胸を的確にグサリと突いてきて、ついムキになって「うるさい!」と言い返してしまった。
それが間違いだったと気付いたのは、男は「おっ!」と目を見張ったあと、にやにやし始めたのを見た時だ。
「なんやきみ、もしかして九州から来たん?俺、博多なら行ったことあんねんで?水炊きうまかったわ~。大阪でも食べれる店知っとんねんから、連れて行こか」
鬱陶しい男ったいね…!
お生憎様。あたし、水炊きは好きじゃない。ついでに言うならもつ鍋も。
福岡県民みんなが、水炊きやもつ鍋を好きなわけじゃないのだ。
「結構です」
断ったあたしの腕を、男はおもむろに掴んで顔を寄せてきた。瞬間、アルコール臭がプンと鼻につく。ぐっと眉間にしわが寄って、思いきり顔を背けた。
「離してっ!」
睨みつけながらハッキリとそう言ったのに、男はにやついた顔のまま、「遠慮せんでええで」とあたしの腕を引いた。
「ちょっ…」
男の腕を振りほどこうとするのになかなか外れなくて、見るからに優男のくせに忌々しい。
「立ちっぱなしで疲れてんやろ?とりあえずゆっくり出来るとこ行こや」
「行かないってばっ、離して…!」
「きみ、可愛い顔して結構気ぃ強いんやな。嫌いやないで、そういう子」
最高にイラっとする!
あんたに好かれても全然嬉しくなかったい!
「やけんっ、行かんっち言いよぉっちゃろ…!」
〈だからっ、行かないって言ってるでしょ…!〉
半ば叫ぶようにそう言ったあたしは、男が掴んでいる手を思いきり振り払った。おかげで男の腕は外れたけど、反動で五.五センチの細ヒールがぐらりと揺れた。バランスを崩した体が男とは逆側に傾く。
――あ、やば。
スローモーションみたいに傾いていく景色を見ながらそう思った。
けれど、数秒後に予測される地面との衝撃は来なかった。
「何をやってるんだ」
背中に温もりを感じると同時に、頭の後ろから降ってきたその声に、全身が大きく戦慄いた。
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