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不毛な協定
不毛な協定(1)
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あたしたちがこんな不毛な関係になったのは、去年の春先。
珍しく静さんと課長と三人で呑みに行った帰りのことだった。
職場からほど近い駅前の居酒屋で呑んだあと、自宅まで歩いて帰ると言い張る静さんを、電車組のあたしと課長でなんとかタクシーに押し込んで見送った。
課長は本当なら静さんを送って行きたかったのだと思う。
だけど静さん本人から、『わたしは大丈夫なので、晶人さんは森ちゃんを送ってあげてくださいね』と念を押され、一瞬躊躇ったのちそれに頷いたのだ。
実際静さんは全然酔っていなかったけど(相変わらずビールばっかり飲んでいた)、それでも学生に毛が生えたような新入社員への上司としての責任を優先させたのだということは、言われなくても分かっていた。
「静さん」こと静川吉野(しずかわ よしの)は、入社時からお世話になっている先輩。
年はあたしより五つ上だけど、転職で【トーマビールコミュニケーションズ】に入ってきたから、入社歴はあたしとひとつしか変わらない。
そんな彼女と結城課長は大学の先輩後輩で、転職は結城課長の推薦だったそう。
だからなのか、結城課長は静さんのことをさりげなく見ているし、「仕事ひとすじ」と豪語する静さんも課長には気を許しているのが、端から見てもよく分かった。
静さんはバリバリ仕事ができる。
アテンドの内容の多様性や臨機応変さはもちろんのこと、外国人のお客さまへの対応も完璧。
留学経験があるから英会話は朝飯前で、中国語も日常会話レベルは余裕。そのほかの外国語もアテンドに必要な会話は覚えているようだ。
静さんの仕事ぶりはそれだけじゃない。ツアーアテンドの業務以外にも、ツアー参加者用の売店の販売計画も進んで立てるし、残業も厭わない――というか、むしろ進んで引き受けている。
あれじゃあ、“お局さま”通り越してぇ、もはや完璧に“仕事の鬼”ですぅ。
つい先日なんて、社内コンペ大会の関西予選に通過して、グループ本社での“最終決戦”に乗り込むことが決まったのだ。
そんな静さんに、あたしなんかが逆立ちしたって敵うはずない。
その静さんを見送ったあと、あたしと課長は電車に乗り、あたしの最寄り駅で下車。
遅い時間だということもあって、自宅の前まで送り届けてくれるという彼と、駅から十分ちょっとの道のりを歩いた。
街灯が照らす路地を二人で黙ったまま歩いているうちに、あたしはいつの間にか隣を歩く“胡散臭い”上司のことを考えていた。
第一印象で“胡散臭い”と思った笑顔は、相変わらず健在。
だけどそれに“常に完璧な鎧をまとっている人”、という印象が加わった。
彼は、今は【トーマコミュニケーションズ】の工場見学課に籍を置いているけれど、本当は親会社である【Tohmaグループホールディングス】の社員。今は出向して来ているに過ぎない。
一見したら爽やかで、闘争心や出世欲なんて微塵もないように見えるけれど、実は彼、かなり出世欲が強い上昇志向の持ち主だと思う。
あたしたち部下に厳しい態度をとることはあまりないけれど、優しい口調とは裏腹に鋭い目をしていることがある。それは大抵本社や関西支部など、グループ上層部と話している時。
きっと一刻も早くここでの出向を終わらせて、親会社に戻りたいのかもしれない。彼はそうなったらきっと、静さんを連れていくつもりなんじゃないかな。
それは何の確証もない、ただの勘。
だけどあたしの勘は昔からよく当たる。
元カレの浮気(浮気相手はあたしのほうだったけど)も、合コンで誰と誰が上手く行くのかも、普段は大人しいお姉ちゃんが、家族に黙って突然海外に逃げたことも。
みんな、なんとなくの感覚だけど当たっていた。
そんなあたしからしてみたら、彼が誰を好きなのかなんて一目瞭然。
彼女のことに関してだけ、彼は胡散臭い作りものじゃない自然な顔で笑うから。
初めてそれを目にした時、あたしはつい、その「自然な微笑み」に見惚れてしまった。
そのことに気付いて以来、職場での彼の視線を追うようになって、そして気が付いた。
(ああ、課長は静さんのことが好きなんっちゃね)
頭を撫でるのも、名字以外で呼ぶのも、静さんだけ。
それなのに、鈍感な静さんは彼の気持ちに微塵も気付いていない。どう考えたって分かりそうなもんなのに。
静さんだってまんざらじゃなさそう。生理的に無理な人に頭なんて触られたら、完全鳥肌モン。課長のことを嫌いなわけじゃないと思うのに。
でも、課長も課長ですぅ!
好きなら好きって、もっと分かるようアプローチしはればぁ、えぇんちゃいますぅ!?
なんて二人を見ながら思っていたあたしは、ずいぶんとイライラが溜まっていたのだった。
あと五分で家に着く――というところで、つい頭の中から言葉がこぼれた。
珍しく静さんと課長と三人で呑みに行った帰りのことだった。
職場からほど近い駅前の居酒屋で呑んだあと、自宅まで歩いて帰ると言い張る静さんを、電車組のあたしと課長でなんとかタクシーに押し込んで見送った。
課長は本当なら静さんを送って行きたかったのだと思う。
だけど静さん本人から、『わたしは大丈夫なので、晶人さんは森ちゃんを送ってあげてくださいね』と念を押され、一瞬躊躇ったのちそれに頷いたのだ。
実際静さんは全然酔っていなかったけど(相変わらずビールばっかり飲んでいた)、それでも学生に毛が生えたような新入社員への上司としての責任を優先させたのだということは、言われなくても分かっていた。
「静さん」こと静川吉野(しずかわ よしの)は、入社時からお世話になっている先輩。
年はあたしより五つ上だけど、転職で【トーマビールコミュニケーションズ】に入ってきたから、入社歴はあたしとひとつしか変わらない。
そんな彼女と結城課長は大学の先輩後輩で、転職は結城課長の推薦だったそう。
だからなのか、結城課長は静さんのことをさりげなく見ているし、「仕事ひとすじ」と豪語する静さんも課長には気を許しているのが、端から見てもよく分かった。
静さんはバリバリ仕事ができる。
アテンドの内容の多様性や臨機応変さはもちろんのこと、外国人のお客さまへの対応も完璧。
留学経験があるから英会話は朝飯前で、中国語も日常会話レベルは余裕。そのほかの外国語もアテンドに必要な会話は覚えているようだ。
静さんの仕事ぶりはそれだけじゃない。ツアーアテンドの業務以外にも、ツアー参加者用の売店の販売計画も進んで立てるし、残業も厭わない――というか、むしろ進んで引き受けている。
あれじゃあ、“お局さま”通り越してぇ、もはや完璧に“仕事の鬼”ですぅ。
つい先日なんて、社内コンペ大会の関西予選に通過して、グループ本社での“最終決戦”に乗り込むことが決まったのだ。
そんな静さんに、あたしなんかが逆立ちしたって敵うはずない。
その静さんを見送ったあと、あたしと課長は電車に乗り、あたしの最寄り駅で下車。
遅い時間だということもあって、自宅の前まで送り届けてくれるという彼と、駅から十分ちょっとの道のりを歩いた。
街灯が照らす路地を二人で黙ったまま歩いているうちに、あたしはいつの間にか隣を歩く“胡散臭い”上司のことを考えていた。
第一印象で“胡散臭い”と思った笑顔は、相変わらず健在。
だけどそれに“常に完璧な鎧をまとっている人”、という印象が加わった。
彼は、今は【トーマコミュニケーションズ】の工場見学課に籍を置いているけれど、本当は親会社である【Tohmaグループホールディングス】の社員。今は出向して来ているに過ぎない。
一見したら爽やかで、闘争心や出世欲なんて微塵もないように見えるけれど、実は彼、かなり出世欲が強い上昇志向の持ち主だと思う。
あたしたち部下に厳しい態度をとることはあまりないけれど、優しい口調とは裏腹に鋭い目をしていることがある。それは大抵本社や関西支部など、グループ上層部と話している時。
きっと一刻も早くここでの出向を終わらせて、親会社に戻りたいのかもしれない。彼はそうなったらきっと、静さんを連れていくつもりなんじゃないかな。
それは何の確証もない、ただの勘。
だけどあたしの勘は昔からよく当たる。
元カレの浮気(浮気相手はあたしのほうだったけど)も、合コンで誰と誰が上手く行くのかも、普段は大人しいお姉ちゃんが、家族に黙って突然海外に逃げたことも。
みんな、なんとなくの感覚だけど当たっていた。
そんなあたしからしてみたら、彼が誰を好きなのかなんて一目瞭然。
彼女のことに関してだけ、彼は胡散臭い作りものじゃない自然な顔で笑うから。
初めてそれを目にした時、あたしはつい、その「自然な微笑み」に見惚れてしまった。
そのことに気付いて以来、職場での彼の視線を追うようになって、そして気が付いた。
(ああ、課長は静さんのことが好きなんっちゃね)
頭を撫でるのも、名字以外で呼ぶのも、静さんだけ。
それなのに、鈍感な静さんは彼の気持ちに微塵も気付いていない。どう考えたって分かりそうなもんなのに。
静さんだってまんざらじゃなさそう。生理的に無理な人に頭なんて触られたら、完全鳥肌モン。課長のことを嫌いなわけじゃないと思うのに。
でも、課長も課長ですぅ!
好きなら好きって、もっと分かるようアプローチしはればぁ、えぇんちゃいますぅ!?
なんて二人を見ながら思っていたあたしは、ずいぶんとイライラが溜まっていたのだった。
あと五分で家に着く――というところで、つい頭の中から言葉がこぼれた。
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